若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

引用違い?

2009年08月18日 | 政治
市長と自治労が対立し、裁判沙汰になっている阿久根市。
かの「公務員のためいき」では、そんな阿久根市の状況についてコメントした後、
「マルティン・ニーメラーの詩」を引用している。


阿久根市のその後 Part2: 公務員のためいき
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。



「竹原市長が阿久根市職員を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は阿久根市職員ではなかったから。
 そして、市長が私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

 皆さん、こうなったら大変ですよ!」


・・・とでも言いたいのだろうか?


ちなみに、この詩の中の「彼ら」とはナチ党を指す。
阿久根市の件と照らし合わせるなら、

「ヒトラーがナチ党員を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私はナチ党員ではなかったから。」

ということになる。


自由への脅威ということを考えた時、
市長が職員に対し強圧的であるというのは、あまり問題ではないと思う。
組織をどう統制していくかという問題と、その組織を使って外部に対しどのように臨むかの問題は、全く別の話だから。

それよりも、利潤という制約を受けず、市長の命令という制約からも解放された公務員の方が、よっぽど怖ろしい。
※以前の『ヒューマン・アクション』の引用を参照のこと。
コメント (1)
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