若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

脈絡のない結論 ~ 池田式法の支配 ~

2011年12月02日 | 政治
○池田信夫 blog : 法の支配と時間非整合性 - ライブドアブログ
======【引用ここから】======
法の支配というのは人類の普遍的な原則ではなく、英米圏に固有の法的イデオロギーである。それは13世紀以降のイギリスで、国王の権力を貴族が制限するために数百年かけて生み出したルールであり、他の文明圏に移植することは容易ではない。
======【引用ここまで】======


ふんふん。


======【引用ここから】======
法を執行する(実質的に立法する)官僚でさえ法の支配を理解していない日本で、それを実現することは不可能に近い。
======【引用ここまで】======


確かに、難しいだろうなぁ。


======【引用ここから】======
日本は中国的な「徳治国家」をめざしたほうがいいのかもしれない。
======【引用ここまで】======


・・・えっ?!?!?


官僚にとっては自分の裁量が大きい方が好ましいのは当たり前だから、「法の支配」の考え方に耳を貸さないのはある意味自然なことだ。官僚の側から「法の支配の理念に基づいて、自分達の裁量を制限していこう」という声が上がることは、まずない。

法の支配が英米圏固有の法理念であり、日本に根付かせることが難しい、ということは理解できる。だが、ここから、どうやったら「徳治国家をめざしたほうがいい」という結論が出てくるのか。私には全く理解できない。

だいたい、徳治国家って何だ?

同じ記事の中で、
「温情主義が事後的には望ましいようにみえる。しかし・・・それによって利益を得るのは、利用者ではなく天下り官僚である。」
と書いてあるが、官僚の裁量による温情主義と、為政者の徳による徳治主義とでは、どこが違うのだろうか。よく分からない。

温情主義を否定的に捉えていながら、徳治国家を(諦めも混じりつつ)目指すべき体制としている。よく分からない。

こうなってくると、再び
「果たして、池田氏は本当に法の支配を理解しているのだろうか」
という疑いが、頭をもたげてくる。

まぁ、私も理解しているかどうか疑わしいけど・・・


『法の支配―オーストリア学派の自由論と国家論』
『「近代」立憲主義を読み直す―フランス革命の神話』


この2冊で、要復習だ。