若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

「公務員-合法性=ヤクザ」「労働組合=-合法性」「公務員+労働組合=ヤクザ」

2012年04月10日 | 労働組合
自治労をはじめとする、公務員の労働組合。私は、官公労の存在意義や在り方について不信感をずっと抱えてきた。その理由の一つを、次の記述のおかげで気付くことができた。

○大阪市の捏造リスト問題(コメント欄) 公務員のためいき
=====【引用ここから】=====
>法律は度外視しても、労働者を守る、という気概が労働組合の本質

>官公労であっても、法律すれすれだったり法律破りだったり、公には言えませんけれども、本音ではアウトローなのです

=====【引用ここまで】=====



公務員は、個人から金を巻き上げることで生計を立てている。この点で、公務員とヤクザは本質的に同じものである。徴税は、最終的には政府の有形力、強制力、暴力によって担保されている。契約もなく一方的に支払いを要求し、「払わなかったらどうなるか分かってるたろうな?」と言ってくる代表格が、役所と暴力団だ。

このように、暴力で金を集めて生計を立てるという構図は、公務員とヤクザで共通している。私は、公務員とヤクザは同じもの、場合によっては公務員の方がたちが悪いとすら思うのだが、世間はそうは思っていない。世間的な正当性、すなわち、公務員とヤクザの間に(辛うじて)線引きをし、公務員の側に(最低限であれ)正当性を付与しているものがあるのだ。

それが、法律や条例である。

徴税、強制力の行使は法律や条例などに沿った形で行われる、ということで、公務員の存在に正当性が付与されている。「罰則があろうが無かろうが、公務員は法規範を遵守する」というスタンスが正当性を生み、公務員とヤクザとの線引きを可能にしている。

法令遵守が、公務員とヤクザの間に辛うじて一線を画している。合法性が失われれば、公務員とヤクザの区別をするものは無いと言っていいだろう。

ここで、
「法律を度外視してでも労働者を守るのが、労働組合の本質。労働組合はアウトロー」という考え方が正しいとしたら、どうなるか。

合法性で正当化される公務員と、法律度外視の労働組合。立ち位置、視点は、次の3つに分類出来る。

(1)、合法性に基づく公務員と、アウトローな労働組合とは、水と油。本来相容れぬものとして、公務員労組を禁止する。

(2)、労働組合の本質を曲げ、法令遵守を徹底させることで、公務員の正当性と辻褄を合わせる。

(3)、「労働組合の本質=アウトローな闘争集団」が前面に出ることで、公務員は辛うじて保っていた正当性を失う。


…建前上は、どの公務員労組も(2)を謳っている。しかし、大阪市の事例をはじめとした、法律スレスレや違反行為が表に出てきて、労働組合の体質・慣行が明るみになる毎に、公務員の正当性は失われ、公務員はヤクザへと先祖返りしていく。

ところで。

自治労や自治労連関係の文書やホームページを見ると、よく「公務労働者」という言葉を目にする。そして、「公務『労働者』なのだから、労働組合があって当然だ」と続く事が多い。

しかしこれは、生計維持の糧を暴力で得ているという点を全く考慮していない。公務員は「公務労働者」ではなく「合法ヤクザ」である。他の民間労働者と「合法ヤクザ」を同一視することは、民間労働者に対して失礼である。

法律を度外視しても組合員を守ろうとするような労働組合は、公務員に有ってはならない。公務員の足元にある(最低限の)正当性根拠を否定することになるからだ。「合法ヤクザ」から「合法」を取ったら、ただのヤクザである。
コメント (7)
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