先日、市民と議員の条例づくり交流会議in九州というイベントに参加してきた。
このイベントの内容や当日の雰囲気などは、
○社民党 田川市議会議員 - 佐々木まこと の 日進月歩 市民と議員の条例づくり交流会議IN九州行われる
○井星喜文ルーム 「福岡県筑後市議会議員 井星喜文のブログ」 議員の「質問力」
で紹介されている。
ここでは、議員の役割、存在意義、住民から見て分かりやすい議会のあり方、委員会による事業仕分けなど、議会改革にまつわる様々な問題提起がなされ、興味深い議論が行われた。
イベントの詳細や直接的な内容については、今回は触れない。
今回のテーマは、このイベントで配布された資料にあった、気になる一節。
これを引用する。
「一般質問の機能と可能性」
=====【引用ここから】=====
2.あたりまえのことから考える、政府=国・自治体の再定義
・ひとびとの暮らしを支える<政策・制度のネットワーク>のうち、市民からみて必要不可欠な部分を、市民から権限と財源をあずかって行う機関
・自治体=市民に最も身近な政府
・地域の課題にとりくむために、市民から権限と財源をあずかっている政策主体
・地域の課題にとりくむ=政策→施策→事業を展開する
・無限の課題、有限の資源。なので、無限の課題の「どれが市民から『市がとりくむべき』と委託されている課題なのか」を決める必要がある=優先課題を特定する「決断」
・決められる権限を持つのは、最終的には、市民の代表=長あるいは議会
=====【引用ここまで】=====
※この資料に近い内容は、「福知山市市民協働まちづくりシンポ レジュメ 自治基本条例を考える-市と市民の関係を再定義する-」にも掲載されている。
ここで出てきた「無限の課題、有限の資源」というのを見て、経済学で言うところの「希少性の原理」というのを思い出した。人間の欲望には限りがないけれど、その欲望を充足させる手段には限りがある、という、経済学のスタートの議論だ。
有限の資源をどのようにすれば有効配分できるか?
この問いに対しては、経済学ではある程度答えが出ている。
「市場における価格メカニズムが一番効率的でしょ」
ということだ。
いわゆる「市場の失敗」が指摘される部分以外では、価格メカニズムの効率性に勝るものはないだろう。「市場の失敗」が該当しない分野では、市場で解決できない問題を政府がやっても解決できず、政府の非効率がさらなる問題を生じさせる。首長の独裁で政府の意思決定を行おうが、議会での議論や修正を経て政府の意思決定を行おうが、市場で解決できないものは政府でも解決できない。
市町村の行政に寄せられる地域の課題は「市場の失敗」に限定されていない。そこで、寄せられた課題のうち、市町村行政が対処するものを「市場の失敗」に限定し整理することが、「無限の課題、有限の資源」に対処する第一歩なのだ。
ところが、首長にも、議員にも、行政の役割を「市場の失敗」に限定しようとする動機がない。有権者は、「あれも出来ます、これも出来ます」という候補者を選ぶので、「あれは行政ではしません。これも行政ではできません」と「市場の失敗」に限定しようとする首長や議員は選ばれにくい。これは、首長や議員が納税者の代表ではなく、市民の代表だからだ。
上記引用資料に「ひとびとの暮らしを支える<政策・制度のネットワーク>のうち、市民からみて必要不可欠な部分を、市民から権限と財源をあずかって行う機関」とあるが、このうち、「市民から権限と財源をあずかって」という部分が、根っこからズレているように思う。財源をあずけたのは、「市民」ではない。「納税者」なのだ。経済活動によって富を産み出した人々が、納税者としてその富の一部を役所にあずけている・・・盗られている。
納税者と税消費者は、考える基準が違う。納税者は「盗られた自分の金を、せめて、少しでも効率的・効果的に使ってもらいたい」と考えるが、税消費者は「自分のところに、少しでも多くの金が回ってきてほしい」と考える。納税者からは「市場に任せるのと政府に任せるのと、どちらが効率的か」という視点が出てくる余地があるが、税消費者からは出てこず、「自分のところに金が回ってくるか否か」しかない。税消費者は、自分のところに金が回ってくる施策であれば、いかに非効率な事業であっても賛成するだろう。
現在の日本では、憲法によって普通選挙制を採用している。直接税を払っているか否かを問わず、選挙権を行使して代表を送り出すことができる。税消費者の代表は、自分の支持者に金を回すことだけを考える。公共工事で、福祉で、公務員給与で、支持者への利益誘導を図る。
税消費者の代表の利益誘導を、納税者の代表がいかにして抑え込むか。
そのためのツールとして、議会報告会や議場資料公開、議員間討議、事業仕分けがある。事前に、あるいは事後に合目的性・効率性・妥当性の議論を重ね、問題点を白日の下に晒していかなければいけない。
これらのツールが政府の失敗の直接的な解決策とはならないだろうが、でも、しないよりはマシだ。
このイベントの内容や当日の雰囲気などは、
○社民党 田川市議会議員 - 佐々木まこと の 日進月歩 市民と議員の条例づくり交流会議IN九州行われる
○井星喜文ルーム 「福岡県筑後市議会議員 井星喜文のブログ」 議員の「質問力」
で紹介されている。
ここでは、議員の役割、存在意義、住民から見て分かりやすい議会のあり方、委員会による事業仕分けなど、議会改革にまつわる様々な問題提起がなされ、興味深い議論が行われた。
イベントの詳細や直接的な内容については、今回は触れない。
今回のテーマは、このイベントで配布された資料にあった、気になる一節。
これを引用する。
「一般質問の機能と可能性」
=====【引用ここから】=====
2.あたりまえのことから考える、政府=国・自治体の再定義
・ひとびとの暮らしを支える<政策・制度のネットワーク>のうち、市民からみて必要不可欠な部分を、市民から権限と財源をあずかって行う機関
・自治体=市民に最も身近な政府
・地域の課題にとりくむために、市民から権限と財源をあずかっている政策主体
・地域の課題にとりくむ=政策→施策→事業を展開する
・無限の課題、有限の資源。なので、無限の課題の「どれが市民から『市がとりくむべき』と委託されている課題なのか」を決める必要がある=優先課題を特定する「決断」
・決められる権限を持つのは、最終的には、市民の代表=長あるいは議会
=====【引用ここまで】=====
※この資料に近い内容は、「福知山市市民協働まちづくりシンポ レジュメ 自治基本条例を考える-市と市民の関係を再定義する-」にも掲載されている。
ここで出てきた「無限の課題、有限の資源」というのを見て、経済学で言うところの「希少性の原理」というのを思い出した。人間の欲望には限りがないけれど、その欲望を充足させる手段には限りがある、という、経済学のスタートの議論だ。
有限の資源をどのようにすれば有効配分できるか?
この問いに対しては、経済学ではある程度答えが出ている。
「市場における価格メカニズムが一番効率的でしょ」
ということだ。
いわゆる「市場の失敗」が指摘される部分以外では、価格メカニズムの効率性に勝るものはないだろう。「市場の失敗」が該当しない分野では、市場で解決できない問題を政府がやっても解決できず、政府の非効率がさらなる問題を生じさせる。首長の独裁で政府の意思決定を行おうが、議会での議論や修正を経て政府の意思決定を行おうが、市場で解決できないものは政府でも解決できない。
市町村の行政に寄せられる地域の課題は「市場の失敗」に限定されていない。そこで、寄せられた課題のうち、市町村行政が対処するものを「市場の失敗」に限定し整理することが、「無限の課題、有限の資源」に対処する第一歩なのだ。
ところが、首長にも、議員にも、行政の役割を「市場の失敗」に限定しようとする動機がない。有権者は、「あれも出来ます、これも出来ます」という候補者を選ぶので、「あれは行政ではしません。これも行政ではできません」と「市場の失敗」に限定しようとする首長や議員は選ばれにくい。これは、首長や議員が納税者の代表ではなく、市民の代表だからだ。
上記引用資料に「ひとびとの暮らしを支える<政策・制度のネットワーク>のうち、市民からみて必要不可欠な部分を、市民から権限と財源をあずかって行う機関」とあるが、このうち、「市民から権限と財源をあずかって」という部分が、根っこからズレているように思う。財源をあずけたのは、「市民」ではない。「納税者」なのだ。経済活動によって富を産み出した人々が、納税者としてその富の一部を役所にあずけている・・・盗られている。
納税者と税消費者は、考える基準が違う。納税者は「盗られた自分の金を、せめて、少しでも効率的・効果的に使ってもらいたい」と考えるが、税消費者は「自分のところに、少しでも多くの金が回ってきてほしい」と考える。納税者からは「市場に任せるのと政府に任せるのと、どちらが効率的か」という視点が出てくる余地があるが、税消費者からは出てこず、「自分のところに金が回ってくるか否か」しかない。税消費者は、自分のところに金が回ってくる施策であれば、いかに非効率な事業であっても賛成するだろう。
現在の日本では、憲法によって普通選挙制を採用している。直接税を払っているか否かを問わず、選挙権を行使して代表を送り出すことができる。税消費者の代表は、自分の支持者に金を回すことだけを考える。公共工事で、福祉で、公務員給与で、支持者への利益誘導を図る。
税消費者の代表の利益誘導を、納税者の代表がいかにして抑え込むか。
そのためのツールとして、議会報告会や議場資料公開、議員間討議、事業仕分けがある。事前に、あるいは事後に合目的性・効率性・妥当性の議論を重ね、問題点を白日の下に晒していかなければいけない。
これらのツールが政府の失敗の直接的な解決策とはならないだろうが、でも、しないよりはマシだ。