対談シリーズ「医療保険の制度改革に向けて」 | 医療・介護・社会保障制度の将来設計 | 東京財団
=====【引用ここから】=====
第2回:堤修三氏(元社会保険庁長官)厚生労働省(旧厚生省)で医療保険改革、介護保険制度の創設に関わった元社会保険庁長官の堤修三氏と、社会保険の原理原則を踏まえた医療保険、介護保険制度改革の視点や論点を話し合いました。
・社会保険方式の原理原則から考える(上)基軸としての社会連帯
・社会保険方式の原理原則から考える(中)給付と費用負担の在り方
・社会保険方式の原理原則から考える(下)自治・参加、簡素化の必要性
=====【引用ここまで】=====
・社会保険方式の原理原則から考える(中)給付と費用負担の在り方
=====【引用ここから】=====
三原:(上)で言及した市町村国保に非正規雇用が流入している点とも絡みますが、私達の提言では、事業主負担が一種の「雇用税」になっている面に着目しました。正規職員を雇った分だけ負担が増えるわけですから。その結果、非正規雇用が増えるインセンティブになっている。
堤:雇用税だったら何故、いけないんですか。むしろ、それは非正規雇用を増やせるように労働法改正をしてしまったことの方が大きい。
三原:しかし、非正規雇用の規制を強化すると、会社は雇用の量か、賃金の水準をコントロールしますよね。
堤:それは保険制度から考えるのではなく、経済情勢や企業の競争力から考えるべきです。とはいえ、経済界は今後、「事業主負担が競争力を阻害している」という圧力を強める可能性はありますね。
=====【引用ここまで】=====
厚労省で医療制度改革や介護保険創設に関わり、社会保険庁長官まで勤めた人物ですら、社会保険料の事業主負担が増えることによって、企業は正規職員の雇用を避けるようになるという簡単な論理を理解できず、厚労省が事業主負担を増やしたことによる雇用や賃金の減少の責任を「それは保険制度から考えるのではなく~」として余所へ押し付けている。
「事業主負担が一種の「雇用税」になっている。」
↓
「雇用税だったら何故、いけないんですか。」
「それは保険制度から考えるのではなく、経済情勢や企業の競争力から考えるべきです。」
というこのやり取りを見て、背筋が寒くなってしまった。官僚社会の中で社会保障分野における最上位クラスに昇り詰めた人物ですら、こうなのだ。他は推して知るべし、である。
事業主負担を増やせば、当然ながら雇用数や賃金を減らす圧力となって作用する。これは事業主負担を増やした厚労省の失策なのだが、その自覚が元厚労省官僚には無い。官僚というのは、自分たちが実施した政策の影響が自分の守備範囲外のどこまで及ぶのかを考えていないし、守備範囲内ですら十分に見通すことはできない。
社会保障は企業の活動と無関係なわけがない。企業や労働者に過大な負担を強いているのだから、雇用・賃金・生産活動へ影響しないわけがない。ところが、社会保険の担当者は社会保険の枠の中しか見ない。社会保障の枠内の部分的な辻褄合わせしかしないし、できない。こうした人たちが、狭い視野と縦割り意識でサービスの需給調整や報酬改定をやっているのが現状だ。
この読み物を読んでいると、いかに場当たり的に制度創設、制度改正が行われているか、政治家の票欲しさと官僚の面子を守るために、徒に複雑さが増していくかが良く分かる。
事業主負担については、
「国が自ら事業主負担の説明が難しくなる制度を作っており、誰も自信を持って説明できなくなっている。」
と述べているとおり、複雑なわりに根拠はあやふや。そりゃそうだ、「取れるところから毟り取り、恣意的にばら撒く」という社会保障の本質が現れているだけで、それ以外の合理的な理由なんてどこにも存在しない。
=====【引用ここから】=====
堤:
役人の性質として、「俺は新しいメニューを作った」と言いたくなるので、新しいサービスを作ってしまうわけです。それと、介護保険の場合、法律改正は3年に一度やらなくても良いですよね。制度改正のタイミングに当たると、役人は絶対必要な条文だけじゃなく、どうでもいい条文を書きたがるわけです。そうすると法律は複雑になる。
三原:制度が複雑になると、国民は制度の全体像が分からなくなり、制度を理解しようとする手間暇を嫌い、合理的な判断として関心を持つのを止めます。その結果、国民の参加が妨げられてしまい、制度改正の議論が役所、業界団体だけに終始する危険性が高まります。ハイエクが言う「複雑な制度が生む専門家支配」です。
=====【引用ここまで】=====
簡素な制度として始まったはずの介護保険が、たった10数年でここまで複雑かつ巨大な制度になった。社会民主主義者が理想とするような「民主的運営によるみんなの福祉」としての介護保険制度はもはや不可能である。制度を継続する限り専門家支配から逃れることはできない。
官僚制を非難しながら社会保障の拡充を求めることは矛盾だ。
きめ細かな制度を求めてはいけない。
柔軟な対応が可能な制度を求めてはいけない。
新しい制度を作ってはいけない。
現場の人間に、計画書と報告書の作成を求めなければならない制度は有害だ。
今の制度を削ることだけを考えなければいけない。
ゼロがベスト。シンプルがベター。どんな美辞麗句を並べたところで、複雑な社会保障制度はそれだけで悪だ。
=====【引用ここから】=====
第2回:堤修三氏(元社会保険庁長官)厚生労働省(旧厚生省)で医療保険改革、介護保険制度の創設に関わった元社会保険庁長官の堤修三氏と、社会保険の原理原則を踏まえた医療保険、介護保険制度改革の視点や論点を話し合いました。
・社会保険方式の原理原則から考える(上)基軸としての社会連帯
・社会保険方式の原理原則から考える(中)給付と費用負担の在り方
・社会保険方式の原理原則から考える(下)自治・参加、簡素化の必要性
=====【引用ここまで】=====
・社会保険方式の原理原則から考える(中)給付と費用負担の在り方
=====【引用ここから】=====
三原:(上)で言及した市町村国保に非正規雇用が流入している点とも絡みますが、私達の提言では、事業主負担が一種の「雇用税」になっている面に着目しました。正規職員を雇った分だけ負担が増えるわけですから。その結果、非正規雇用が増えるインセンティブになっている。
堤:雇用税だったら何故、いけないんですか。むしろ、それは非正規雇用を増やせるように労働法改正をしてしまったことの方が大きい。
三原:しかし、非正規雇用の規制を強化すると、会社は雇用の量か、賃金の水準をコントロールしますよね。
堤:それは保険制度から考えるのではなく、経済情勢や企業の競争力から考えるべきです。とはいえ、経済界は今後、「事業主負担が競争力を阻害している」という圧力を強める可能性はありますね。
=====【引用ここまで】=====
厚労省で医療制度改革や介護保険創設に関わり、社会保険庁長官まで勤めた人物ですら、社会保険料の事業主負担が増えることによって、企業は正規職員の雇用を避けるようになるという簡単な論理を理解できず、厚労省が事業主負担を増やしたことによる雇用や賃金の減少の責任を「それは保険制度から考えるのではなく~」として余所へ押し付けている。
「事業主負担が一種の「雇用税」になっている。」
↓
「雇用税だったら何故、いけないんですか。」
「それは保険制度から考えるのではなく、経済情勢や企業の競争力から考えるべきです。」
というこのやり取りを見て、背筋が寒くなってしまった。官僚社会の中で社会保障分野における最上位クラスに昇り詰めた人物ですら、こうなのだ。他は推して知るべし、である。
事業主負担を増やせば、当然ながら雇用数や賃金を減らす圧力となって作用する。これは事業主負担を増やした厚労省の失策なのだが、その自覚が元厚労省官僚には無い。官僚というのは、自分たちが実施した政策の影響が自分の守備範囲外のどこまで及ぶのかを考えていないし、守備範囲内ですら十分に見通すことはできない。
社会保障は企業の活動と無関係なわけがない。企業や労働者に過大な負担を強いているのだから、雇用・賃金・生産活動へ影響しないわけがない。ところが、社会保険の担当者は社会保険の枠の中しか見ない。社会保障の枠内の部分的な辻褄合わせしかしないし、できない。こうした人たちが、狭い視野と縦割り意識でサービスの需給調整や報酬改定をやっているのが現状だ。
この読み物を読んでいると、いかに場当たり的に制度創設、制度改正が行われているか、政治家の票欲しさと官僚の面子を守るために、徒に複雑さが増していくかが良く分かる。
事業主負担については、
「国が自ら事業主負担の説明が難しくなる制度を作っており、誰も自信を持って説明できなくなっている。」
と述べているとおり、複雑なわりに根拠はあやふや。そりゃそうだ、「取れるところから毟り取り、恣意的にばら撒く」という社会保障の本質が現れているだけで、それ以外の合理的な理由なんてどこにも存在しない。
=====【引用ここから】=====
堤:
役人の性質として、「俺は新しいメニューを作った」と言いたくなるので、新しいサービスを作ってしまうわけです。それと、介護保険の場合、法律改正は3年に一度やらなくても良いですよね。制度改正のタイミングに当たると、役人は絶対必要な条文だけじゃなく、どうでもいい条文を書きたがるわけです。そうすると法律は複雑になる。
三原:制度が複雑になると、国民は制度の全体像が分からなくなり、制度を理解しようとする手間暇を嫌い、合理的な判断として関心を持つのを止めます。その結果、国民の参加が妨げられてしまい、制度改正の議論が役所、業界団体だけに終始する危険性が高まります。ハイエクが言う「複雑な制度が生む専門家支配」です。
=====【引用ここまで】=====
簡素な制度として始まったはずの介護保険が、たった10数年でここまで複雑かつ巨大な制度になった。社会民主主義者が理想とするような「民主的運営によるみんなの福祉」としての介護保険制度はもはや不可能である。制度を継続する限り専門家支配から逃れることはできない。
官僚制を非難しながら社会保障の拡充を求めることは矛盾だ。
きめ細かな制度を求めてはいけない。
柔軟な対応が可能な制度を求めてはいけない。
新しい制度を作ってはいけない。
現場の人間に、計画書と報告書の作成を求めなければならない制度は有害だ。
今の制度を削ることだけを考えなければいけない。
ゼロがベスト。シンプルがベター。どんな美辞麗句を並べたところで、複雑な社会保障制度はそれだけで悪だ。