○2017年4月2日号 しんぶん赤旗日曜版 東工大教授 中島岳志さん
=====【引用ここから】=====
今、私のような保守の立場の人たちが"困っている"ことがあります。政策から政党を選ぶというインターネットのシミュレーションをやると、何回やっても共産党を選んでしまう。一番遠いのが自民党と維新。保守の私としては、この現象を深く考えるべきですが、同時に面白い現象だな、と思っています。
=====【引用ここまで】=====
この人の考える「保守」って何だろう。
=====【引用ここから】=====
対立軸は「リベラルVS保守」だとよくいわれます。しかし本来の保守思想は、フランス革命のような急進改革を批判し、リベラルや自由主義を目指すものです。
しかも保守主義者は「議論」を重視し、自分以外の「他者」の言い分や叡智(えいち)を尊重して合意形成をはかる。だから、リベラルと保守というのは実は、相性がいいのです。
----(中略)----
本来の保守からいえば、資本主義には一定の歯止めが必要です。国家が一定の再配分を行い、秩序を安定させないといけないのに、市場の論理がすべてに優先されます。
=====【引用ここまで】=====
議論を重視し、合意形成を図る。資本主義に対し一定の歯止めをかけ、国家が再分配を行い、秩序を安定させる。これを指して「保守」と呼ぶのであれば、そりゃリベラルと相性は良いだろう。保守とリベラルの違いは、自民党風の介入を好むか、共産党風の介入を好むか、といった風味の違いでしかない(共産党風の上意下達な民主集中制が、『議論を重視』とは・・とても思えないが)。この「違いは風味だけ」という点が、かえって同族嫌悪を引き起こしているのだろう。
さて、この赤旗記事を読んでいくと、「新自由主義」というマジックワードが登場する。このマジックワードは面白いもので、対立する者に「新自由主義」のレッテルを貼ると、鋭い批判をしたつもりになれてしまうのだ。こうした症状は、山口二郎氏や内田樹氏、出水薫氏などに見られたものであるが、この中島氏はどうだろうか。見てみよう。
=====【引用ここから】=====
自民党が本来の保守でなくなる大きな転換点になったのは、1982年に誕生した中曽根内閣です。アメリカでレーガン大統領、イギリスでサッチャー首相が台頭した時期です。ラディカルな市場主義、小さな政府、官から民への規制緩和・・・。こういう新自由主義路線が「保守」のマスクをかぶりだし、財界を含めこれが「保守」だと思い込んだ。それが安倍政権で極に達した感があります。
=====【引用ここまで】=====
(第1次安倍政権はともかく)現在の安倍政権が実現した政策、あるいは実施しようとしている政策の中に、ラディカルな市場主義、小さな政府、官から民への規制緩和といった新自由主義路線に沿ったものが一つでもあるだろうか。いや、一つ二つの例示じゃ足りないだろう。何せ「新自由主義路線が安倍政権で『極に達した』」と述べているのだから。
規制緩和が骨抜きになったアベノミクス、マイナンバー、労組まがいの賃上げ要請、社会保障負担の増加、まち・ひと・しごと創生、「我が事丸ごと」地域共生社会、公的マネーの筆頭株主化、プレミアムフライデー、飲食店での喫煙禁止、共謀罪・・・どれをとっても、個人や地域社会への介入強化、市場原理の抑制の方向に作用している。
安倍政権は、個人の活動や地域社会に介入し市場経済を抑制しようとしている。色や形が違うだけで、共産党も介入と抑制を好む点では同じなのだ。
何となく安倍政権が気に食わない中島氏。気に食わないのは別に結構なことなのだが、どう気に食わないかを具体的に述べずに「安倍政権は新自由主義だー」と主張して気の利いたことを言ったつもりになってしまうというのは、山口氏、内田氏、出水氏と同様の症状を発したとみていいだろう。
新自由主義の立場(リバタリアンもこれに属するであろう)から見れば、自民党も共産党も保守もリベラルも大差ない。冒頭の「保守とリベラルは実は相性がいい」という中島氏の分析は、的確である。保守を標榜している人が支持政党シミュレーションで共産党支持になってしまうというのも、別におかしなことではない。ただ、今の安倍政権が新自由主義に見えてしまうというのは、現実認識が歪んでしまっているとしか言いようがない。
安倍政権のようなダメ政権を新自由主義に押し付けることなく、保守≒リベラルの側で仲良く引き取ってほしいものだ。