若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

生活給と補助金と障害者雇用

2019年11月23日 | 政治
農水省が近年「農福連携」という旗を振って補助金を撒いている話を聞いて、

「こうやって省庁は権限を拡大して肥大化していくのかぁ」

と、変に感心してしまった若年寄です。
どうもこんばんわ。

さて、農福連携に関して、こんな記事を見つけました。

時給100円という賃金差別構造 農福連携というきれいな言葉の陰で
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「ニッポン一億総活躍プラ ン」は2016年6月に閣議決定されたもので、その中に「障害者等が、希望や能力、 障害の特性等に応じて最大限活躍できる環境を整備するため、 農福連携の推進」という内容が盛り込まれました。続いて、「障害者基本計画 (第4次)」 (2018年3月 閣議決定)や「経済財政運営と改革の 基本方針(2018年6月 閣議決定)でも農福連携による 障がい者等の農業分野における就農・就労の促進が位置づけられました。
======【引用ここまで】======

今回は、雇用についての雑感です。

【雇用の成立】

雇用は、
事業をやって利益を出そうとする経営者と、
自分はその事業の下の業務を出来るという労働者が、
労働市場においてその業務内容を金額換算すると幾らになるかを踏まえ、
それぞれが合意することで成立する契約形態です。

利益の出ない状況であれば、経営者は事業を開始・継続しません。
労働者の数が少ないのに安い賃金を提示している経営者の所に、労働者は集まりません。
労働市場に最低賃金規制を敷けば、最低賃金未満で成立していた雇用関係は駆逐されます。

【労働市場と相性の悪い生活給】

さて、賃金についてあれこれ考える学問領域には、

「経営者は、労働者とその家族の生活を維持できるだけの賃金を支払うべきだ」

と要求する考え方があります。
この考え方を生活給と言います。

この考え方は、労働市場とは異質のものです。

パンの購入で考えてみましょう。

あなたがパンを買う時、
パンの旨み、
食感、
栄養素、
腹持ち、
お手軽さや便利さ、
他の店では似たパンが幾らで売りに出されているか、
等を踏まえ、幾らまでなら代金を払えるかを考えるでしょう。

その際、

「このパン1個を作るのに要した労働時間や、パンを作る人、パンを売る人、その家族の生活維持を考えたら、500円でも足りない。1000円払おう。みんなも払うべきだ」

と思って、130円の値札が付いていたパンに870円上乗せして払う人はあまり居ないはずです。

労働市場も同じことです。
経営者にとって、その労働者を雇うことで得られるメリットと、今の雇用環境下で似たような能力・性質を有する労働者を雇うのに幾ら必要かを考慮して

「この業界でこのくらいの能力の労働者なら、だいたいこんなもんだ」

と賃金を設定し、求人を出すわけです。
ほっとプラス藤田が良い例です。

「月給20万円、時給換算すると1200円前後、ここから税金と社会保険料が天引きされて、従業員と家族の生活が維持できるだろうか。もっと必要じゃないか」

と考えて、業界水準の倍を出す経営者はあまり居ないわけです。
ほっとプラス藤田が良い例です。

こう書くと、

「労働者をパンと同視するなんてとんでもない!」

と反発する人もいるでしょうが、労働の成果を買うことと、労働力そのものを買うことに大差ありません。

【生活給の仕組み】

生活給をガチガチに制度化するとどうなるでしょうか。

生活給制度の下では、労働市場の中でその業務についた値段とは無関係に、生計を立てるのに必要な費用を計算して賃金が支給されます。
賃金決定が、労働市場におけるその業務への評価から切り離され、対価性が失われます。

生活給は、

「子供が何人いたら生活に幾ら必要」
「障害があると生活に幾ら必要」
「高齢者なので生活に幾ら必要」

といった、その人の属性によって左右されることになるでしょう。

生活給を制度として運用する際には、労働者の業務内容や成果から切り離し、属性ごとに段階を設定しその段階に応じた賃金の額を定めることになります。

【生活給は障がい者雇用の障壁となる】

さて。

あなたが経営者だとして、障がい者を雇いますか?

まず、規制が少なく流動性の高い労働市場において、業務ごとに値段が付いている場合を考えてみましょう。

障害の性質に照らしてその業務を遂行することのできる障害者であれば、あなたは雇用すると思います。
障害の性質に照らして、業務上必要な処理をできないのであれば、雇用しないでしょう。
雇用した後で問題が生じたら解雇すればいいですし、問題なく業務遂行していれば雇用契約は継続しwin-winな関係が維持できます。

他方、生活給制度ではどうでしょうか。

一つの業務の求人に対し、二人が応募したとします。
1人は高校卒業直後の健常者A。
もう1人は中年で配偶者のいる障害者B。
どちらも当該業務を遂行する能力はあります。

医療費や世帯人数から生活給を計算すると、AよりBの方が高い賃金設定となりそうです。
あなたはAを雇いますか、Bを雇いますか。

【最低賃金が雇用の障壁となる】

あるいは。

今いる従業員にやらせてもいいけど、ぼちぼちで良いからやってくれる人手があったら楽になるな、という業務があったとします。

最低賃金が無い中であれば、例えば

「時給400円で良ければこの業務やってくれる人いませんか?」

と募集をかけることができます。

ところが、生活給理念と歩調を合わせて

最賃はすべての人に保障しなければいけない”生きる権利”のはずです。

と最低賃金制度が施行され、最低賃金未満の雇用契約が禁止されると、この業務は成立しません。

「ぼちぼちで良ければやろうかな」

と思っている障害者や高齢者、あるいは副業探しをしていた人がいたとしても、彼らに雇用は発生しません。
時給2500円の熟練した従業員に、時給400円相当の軽作業をさせることになってしまいます。
障害者や高齢者、副業探しをしていた人にとっても、今働いている従業員にとっても、最低賃金は望ましい結果をもたらさないのです。

【理想が与える悪影響】

生活給や最低賃金の理想は、一見すると素晴らしいように思えます。
しかし、実際には雇用総数を減らし障害者等の雇用の妨げとなります。
最低賃金制度を敷くよりも、雇用を自由化し流動化するほうが、かえって障害者雇用の道を拓くことになります。

雇用や賃金設定は、あくまで経営者と労働者の合意にのみ基づいてなされるべきです。
そのうえで、賃金収入では絶対的貧困から抜け出せない状態が続く時、初めて他者からの支援の手が入る・・という順序が望ましい。

このとき、支援の手は政府、自治体に限りません。
歴史的に見て、あるいは他国の例を見ても、困窮者の支援は宗教団体、慈善団体、民間企業、様々な主体が行ってきました。
政府が旗を振らなければならない、というのは誤りです。

【補助金雇用が招く悲劇】

政府が税金でどうにかしろ、という声は様々なところで見られます。
例えば、

時給100円という賃金差別構造 農福連携というきれいな言葉の陰で
======【引用ここから】======
知的障がい者にも、最低賃金を保障することが必要です。最賃はすべての人に保障しなければいけない”生きる権利”のはずです。事業者が払えないのであれば、国、県、市町村が上積みすべきです。財源は、史上最大になった防衛費を削れば出てきます。
======【引用ここまで】======

こうした、生活給的発想に基づきその不足分を政府が補助金で上乗せするやり方は、実際のところ上手くいっていません。

食い物にされる“福祉” 障害者はなぜA型事業所を解雇されたのか - 記事 | NHK ハートネット
======【引用ここから】======
“就労継続支援A型”と呼ばれる福祉サービスです。A型事業所では、一般企業への就職が難しい障害者でも職員のサポートを受けながら働くことができ、最低賃金が保証されます。そして事業所には、職員の人件費や事業の運営経費をまかなうため、国や自治体から給付費が支給されます。その額は障害者1人につき、1日およそ5千円。さらに、3年間で最大240万円の助成金が得られます。
-----(中略)-----
・・・実は今年に入ってから、岡山や北海道などでA型事業所の閉鎖が相次いでいます。その背景には、一部の事業所が“福祉”を食い物にしている実態が見え隠れします。
======【引用ここまで】======

補助金目的「障害者ビジネス」が横行する理由 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
======【引用ここから】======
報道によれば、「不祥事」を起こした事業所は仕事とは名ばかりのきわめて付加価値の低い単純作業しか障害者に与えておらず、事業収支は大幅な赤字状態だったとされる。
======【引用ここまで】======

賃金は、
「誰に賃金を払うか」
ではなく
「何の業務を行ったか」
によって本来なら決まります。

ところが、このように補助金が入ると、

「補助金が貰えるから障害者を雇用する。業務内容は後から決める。補助金を貰えるなら正直なところ業務内容はどうでもいい」

と事業収支を考えず、補助金を貰うことを目的とする事業者が当然出てきます。
事業や雇用が継続できるかどうかは、経営者の能力よりも、政府の制度設計に依存するところが大きくなります。

補助金が続くなら経営も続く。
制度改正で補助金を障害者賃金に充当できなくなったら事業が終わる。

本来、雇用は事業遂行のための手段であるにも関わらず、政府が補助金によって雇用増加を目的にしてしまいました。
そのツケは、当事者たる障害者、そして全国の納税者が払うことになるのです。