Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

スヴォルバー(Svalbard) 帰国

2024-10-31 21:39:38 | 旅行

私とパトリックが帰国したあと、残った娘とジュードが訪れた Global Seed Vault (種子保存機関)2人の博士がここを管理しており、中には誰も入ることが出来ない。

ここは1984年ノルウエーの農産物の種を冷凍保存するために作られた場所で、過去の炭鉱跡を利用して、永久保存していてノルウエー遺伝子バンクが管理している。

2001年国際協定により、食料と農業に関する種子の遺伝子を保存するための機関として、カナダやグリーンランドにも設立された。

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6日目の朝まだ暗い9時、夜中に雪が降ったため外は真っ白になっていた。

ホテルの裏にまた新しいホテルを建設中らしい。早朝8時から仕事開始。

ホテル前の衣類とお土産の店。未だ開いていない。

裏山はきれいに雪化粧

飛行機は2時半発、バスが12時15分に迎えに来るから、みんなで初雪の中を歩き回った。

此の上の山は雪崩予防の為の作られた柵。

フィヨルドの向こうの山も完全に雪化粧。あと8日後にはマイナス10度になるとの予報。

此の街の2本のメインロードを外れると、寂しい道路になる。

12時15分バスは時間通りに来て、街を一廻りして、客を乗せたあと、

街から10KMの空港へ向かった。

SAS (スカンジナヴィア航空)は一日2便、空港のランウエーは一本だけ。

飛行機が飛び立って数分後、スヴォルバーの街が見えた。 娘に写真とメールを送りあなた達が歩いているところが見えたよ と書いたら、Really?(ほんとに?)と返事が来た。

早朝7時の便はオスロまで一直線に飛ぶが、午後2時半の便は北極圏内では一番大きな都市、トロムソに降りて2時間後にオスローに向かう。

此のトロムソは2013年の北欧キャンパー旅行のとき行ったことがあるが、特に忘れられないのが此の街の地下にはトンネルが縦横に走り、地下にラウンドアバウトがあること。これが見たくてトンネルの入口を探して右往左往して、人にきいたところ どこに行くのか と聞かれて いやーラウンドアバウトを見に と答えて変な人達と思われただろうと、二人で笑ったことが思い出された。

トロムソまでの乗客は空いていて、私は3人がけの椅子に一人で座っていたが、、ここからオスローまでは満席になった。

オスローで2時間のトランジットの飛行機が1時間遅れて、ヒースロー空港に着いたのは10時半過ぎ、荷物を引き取って空港を出たのは11時過ぎ、パトリックの会社の運転手が迎えに来ていて、我が家まで送ってくれた。家に付いたのが12時15分m、スヴォルバーのホテルから我が家まで12時間かかった。実際飛行時間は少ないけれどあちこちで待つ時間が多すぎ、夜中の2時半までかかって写真をダウンロードした。

 

 

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スヴォルバー(Svalbard)5日目

2024-10-30 00:04:07 | 旅行

水曜日此の日はローカルガイドに連れられて、郊外のツンドラウオーキングに行った。朝9時に車に乗って途中でスペインのバルセローナからのカップルを拾った。

此の日は小雨の降る暗くて寒い日で、特に感激することもなかったけれど、私達が地球温暖化の片棒をかずいているのかを考えさせられた。

此の湿地帯は凍っていて、ガイドは一人ひとりにアイゼンを渡して、氷の上もすべらず歩けた。

途中の木箱のなかにガンが設置されていて、これは白熊が出たときのための用心にとツアーの人たちに警鐘するためなのだそう。ノルウエー人のガイドはリュックにライフルを背負っていた。

夏には此の凍った土地にもワタスゲが生える。

此の写真は2007年ノルウエー北部で撮したもの。

これはツンドラ内の夏と冬の水の測定のため設置されていて、グリーンランドとカナダの北部にも同じものが設置されているとのこと。雨が多いのは夏よりも冬のほうだとのことで、夏に水が少ないとツンドラ内の植物が育たなくて、生態系に異常が出る。

わずかに生えていたグリーンのモス。これはレインディア(カモシカ)の食料になるものだろう。

此の写真は2007年ノルウエーの最北端で撮したもので、岩にしがみついて咲いている、ここでも夏には花が咲くらしく絵葉書が売られていた。

写真がボケてしまったが、叢に小さなきのこが生えていた。

風が冷たく寒い日で、完全武装のジュード。

ただ一軒だけ建っていた小屋でお茶をいただいた。小屋の外にはイヌソリまたはスノーモビルが引くそりが有った。

結構大きな小屋で、周りのベンチに沢山のカモシカの毛皮が置いてあり、中で眠れるようになっていた。

此の地図は19世紀に作られたもので、北極を回ってアジアへ行こうとした人たちが氷に閉ざされて動けなくなり、氷の圧力で壊れた船の材料を使って、今ここに座っているような小屋を作って一冬過ごしたそうだ。スヴォルバーは赤丸で囲んだ。

此の島にはレインディアーはいなかったが、戦後1000頭くらいをノルウエーから移住させた。それで今では25000頭くらいに増えているそうだ。レインディアは赤みの肉で脂肪が少ないため、冬眠前の白くまは多くのレインディアを殺さないと太れないとのこと。

上2枚の写真は2007年のノルウエー北部のもの、レインディアも蚊がアタックするのが嫌で森から道路に出てくる。それで交通渋滞が起きる。夏は毛皮が変わるときで、汚く見える。

 

 

 

 

 

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スヴォルバー(Svalbard) 3日目

2024-10-27 20:29:40 | 旅行

昨夜ホテルの斜め向かいにあるトラベル・インフォメーションで犬ぞりの予約をしてきた。此のインフォメーション・ センターも玄関で靴を脱いで、皮のスリッパが置いてあって履き替えなければならない。

朝9時ホテルの近くに車が迎えに来て、犬たちが居る郊外まで連れて行ってくれた。

9時では朝焼けが少しだけ出ているが、あたり一面はまだ夜明けには1時間はありそう。

街の至る所にスノーモービルが並んで雪が降るのを待っている。

遠くから明かりがこうこうとついているところが見え、近寄ってここが犬ぞりの場所だと知った。

ハスキー犬でもいろいろな色の犬が居ると初めて知った。ここでは147匹の犬を飼っている。今の時期観光客は少なくて此の犬たちに出番はあまりないが、クリスマス時期が一番忙しいそうだ。

雪がない此の時期はイヌソリならぬ犬カートで8匹の犬が此のカートを引っ張る。道路は泥だらけでぬかるみが多く、わたしたち全員が帽子からつなぎの服、靴、手袋まで全部着替えさせられた。

まずは犬との交流をというわけで、抱きついてくる犬は泥だらけ、服を替えてよかった。

カートに8匹の犬を繋いでいるときの他の犬たちが姦しい。皆ヤキモチなのかものすごい大合唱で吠えまくり、最後は全部が遠吠え。

走っているときには泥ハネが多くてカメラもだせない。後ろからついてくるパトリックが御者のカートを停車した時に写せた。

帰り道もひどい泥ハネで、犬たちが泥水にまみれて、まるでハイエナみたいに汚れた毛皮で見るも悲惨。それで小屋の前に付いた時に彼らを洗ってあげるのかときいたら、そのまま小屋に入れておくのだそう。そのうちに雪が降り出すと犬たちは雪の上で寝転んで毛の掃除をするそうだ。ここでは全身を震わせて水をはじくだけ。

着替えをする前に案内人のアダムが子犬の居る犬小屋へ連れて行ってくれた。

 

一つの小屋はまだ生まれたばかりで小屋から出てこない。4匹生まれたそうで、あと2匹の妊婦はまだ生まれていなかった。

着替えして、手や顔を洗って置いてあるのはおしぼりサイズのタオル。ここでは紙で手を拭くとゴミが公害になる。レストランなどのトイレでもタオルが置いてあった。

それにしても上下水道が完備していなければ、北極からして公害にまみれる。本当ならば飛行機もクルーズシップも地球温暖化の原因になるだろう。

そして此の島は今後ますます観光客が押し寄せてくる。

私が知らなかっただけでなく、此の島を知っている人たちはあまりいないと思う。

昨夜から読み出した児童文学の黄金の羅針盤 ライラの冒険 フィリップ・ブルマン著ではオックスフォードの大学研究者と11歳の女の子ライラの冒険ファンタジーで、この本でもスバールバルと翻訳された此の島がでてくる。

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スヴォルバー(Svalbard) 2日目

2024-10-27 03:05:54 | 旅行

日曜日の朝、私は残っていた2個のおにぎりをおかゆにして食べた。娘たちはインスタントラーメンを持ってきていたのでそれを食べたという。

この街には大きなスーパーマーケットがあるが日曜日は午後の3時からしか開かない。

朝日が登るのは10時半とかだが街の周囲は高い山になっているから太陽が見えないだけで、9時過ぎるとあたりは明るくなってくる。

街は緩やかな坂道になっていて、フィヨルドの海辺の方の下り坂にウルトラモダンな博物館が有った。ここでもまず最初にコートを脱いでハンガーに掛け、靴も脱いで棚に置き、リュックはロッカーに入れて鍵を掛ける。

この街でいちばん大事なものがこのスノーモービル、これが旧式なものかは判らなかった。

上の写真はクジラの背骨。

 

スヴォルバーは氷河で切り刻まれた小島の集まりで、この島はグリーンランドから別れてできたものだそうな。大西洋から英国とアイルランドの横を通ってノルウエーから北に流れる海流は北極海に注ぐ。此の海流は暖流でロンドンは北海道と緯度がほとんど同じだが北海道ほどに寒くはならない。

ここスヴォルバーも北極に近いながらも、此の日の気温は0度。ものすごく寒いと思って厚着をしていったら、汗で下着がびしょびしょになった。

夏にはあらゆる海鳥がここで繁殖する。

此の島で昔からいる生き物はポーラベア(白熊)で戦後の乱獲でその数は激減し、今では保護動物になっている。此の街にも冬には1-2頭が餌を求めて現れ、警察が麻酔銃で捕獲して山へ離すそうだ。

昨今のクジラ捕獲反対が大きく叫ばれているが、ノルウエーはクジラを食べる。これらはクジラの厚い脂肪層で、私も子供の頃は大いに食べたことがある。ベジタリアンのジュードとヴィガンの娘は此の写真を見ただけで、嫌がっていた。

ここはミュージアムのお土産コーナー、ノルウエーはすべてが高い。

此のスヴォルバーは北極点に行き着く最後の寄着地である。此の島は少しづつ動いているという。

現地の人たちの家屋で、炭鉱夫たちは1970年ごろから、タイランドへ行って、花嫁をもらってきたので、タイ人やインドネシア人たちが多いらしい。でも数日の滞在ではあまり見かけなかった。

 

博物館を出たあと、コーヒーショップへ行った。ここももちろん玄関で靴を脱いで入らねばならぬ。ハスキーが2匹いて大人しくとってもきれいな犬だ。

スポーツ店には冬服コートのたぐいと、ピストル、ガンが売られている。これらは現地の人たちが山や海辺で働く時に、白熊の襲撃に備えるためらしい。

此の巨大なスーパーマーケットはあらゆる品がノルウエー本土から輸送されてくる。したがってほとんど全部が値段が高い。

スーパーの入口のガン禁止のマーク

ノルウエーはヨーロッパ中でも一番豊かな国で、生活水準も高く、物価が高いのも頷ける。ここのスーパーの品物を見て回って本当にそれを実感した。

今昼は此のレストランで昼食を、私とパトリックはビーフバーガーとチップス。娘たちはサラダとチップス。本当にヴィガンには食べるものがない。

此の写真は私とパトリックが帰国したあと、金曜日にジュードと娘は日曜早朝まで居るとのことで、世界で一番北方の寿司ショップで食べたと報告してきた。

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スヴォルバー(Svalbard) へ

2024-10-26 06:41:25 | 旅行

10月19日土曜日の朝、娘一家と私は6時起床、7時にはパトリックの会社の契約の運転手が迎えに来た。パトリックはオーストリア出張で昨夜10時に帰宅したばかり。

早朝のロンドン市内はまだ睡眠中か道路が空いていて、バタシーブリッジもすいすい通り過ぎたのに、あとヒースロー空港に1.4マイルというところでものすごい渋滞に遭って、10時半の飛行機に間に合うだろうか心配になった。

いくつかの赤信号とラウンドアバウトが近くて車がほとんど前進しない。それでも運転手のマークは慣れたもの、慌てず騒がず、9時過ぎヒースロー空港着。

無事10時半に飛行機はオスローへ向けて離陸した。私達バラバラに飛行機の予約をしていたから娘とジュードは一緒、私は3人がけの真ん中に両側知らない人ばかり。パトリックもどこか離れて座ったよう。

オスローの空港内はがらんとしていて、スヴォルバーへは私達だけかとおもったが。 昨夜作ってバックに入れてきたおにぎり10個、朝食に2個食べ、娘はご飯に混ぜた野菜ふりかけには魚の匂いがするから食べないという。孫のジュードもいつもは大喜びのくせにいらないという。

結局オスローの空港で、パトリックと私が昼食におにぎり2個づつ食べて残りは持っていくことに。娘とジュードは空港内のお店でなにか買って食べていたらしい。ノルウエーは物価高、特に空港内はTAXフリーだって外界より高いのに。

オスローからスヴォルバーまで3時間、飛行機は100人近く乗客がいた。私は全然下調べもしないでいったから、そんな北極に近い島に行きたい人がどれだけいるだろうと思っていたので割と多い乗客に驚いた。

過去2回ノルウエーをキャンパーで周り、ノルウエー最北端のノールキャップの近くの村は20戸くらいの寂しい漁村だった。こんな寒いところでどうやって生活していけるのだろうと思っていたから、スヴォルバーも貧しい小さな村くらいにしか思っても見なかった。

オスロー4時発、スヴォルバー夕方7時着。空港内ではポーラベア(白熊)がお出迎え。気温はマイナス1度、道路は凍っている。小さな空港の外に大きなバスが2台止まっていた。

ホテルの名前を行ったらあのバスに乗りなさいと英語で言ってくれた。

バスの中では先に出た人たちで一杯、私達4人別々に座ったが、バスの運転手が荷物を積み終わったあと乗車料金はクレジットカードで払うとのこと。この旅一度も現金のノルウエー・クローナーを払うことがなかった。

スヴォルバーホテルのレセプションはレストラン続きの一階で入口で靴を脱がなければならない。おまけに私達が予約したところは2-3軒離れたワインバーの2階でクッキングができる。

玄関の入ったところで靴を脱ぎ、皆ソックスかスリッパ(持ってきた人は)で2階に上がる。娘一家も私も2ベッドルームに広いリビングキチンと、大きなきれいなバスルーム。

部屋は暖房が効いてて暑いくらい。何しろ寒い国だからと厚着をしてズボン下まで履いているくらいだから。自宅ではベッドルームに暖房は一切せず、この暑さでは眠れない。とうとう窓を開けて寝ることにした。

この街はもともと炭鉱夫のために作られたもので、今でこそ観光が主になりつつあるが、立派な大学が有って科学者や環境研究者がここで地球の自然を研究している。

ここは学生寮、さすが雪道でも自転車で走っている。今のところ必要ないがいたるところにスノーモービルが駐車してある。そして目に付く車の殆どが日本車なのだ。

 

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