Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

スヴォルバー(Svalbard) へ

2024-10-26 06:41:25 | 旅行

10月19日土曜日の朝、娘一家と私は6時起床、7時にはパトリックの会社の契約の運転手が迎えに来た。パトリックはオーストリア出張で昨夜10時に帰宅したばかり。

早朝のロンドン市内はまだ睡眠中か道路が空いていて、バタシーブリッジもすいすい通り過ぎたのに、あとヒースロー空港に1.4マイルというところでものすごい渋滞に遭って、10時半の飛行機に間に合うだろうか心配になった。

いくつかの赤信号とラウンドアバウトが近くて車がほとんど前進しない。それでも運転手のマークは慣れたもの、慌てず騒がず、9時過ぎヒースロー空港着。

無事10時半に飛行機はオスローへ向けて離陸した。私達バラバラに飛行機の予約をしていたから娘とジュードは一緒、私は3人がけの真ん中に両側知らない人ばかり。パトリックもどこか離れて座ったよう。

オスローの空港内はがらんとしていて、スヴォルバーへは私達だけかとおもったが。 昨夜作ってバックに入れてきたおにぎり10個、朝食に2個食べ、娘はご飯に混ぜた野菜ふりかけには魚の匂いがするから食べないという。孫のジュードもいつもは大喜びのくせにいらないという。

結局オスローの空港で、パトリックと私が昼食におにぎり2個づつ食べて残りは持っていくことに。娘とジュードは空港内のお店でなにか買って食べていたらしい。ノルウエーは物価高、特に空港内はTAXフリーだって外界より高いのに。

オスローからスヴォルバーまで3時間、飛行機は100人近く乗客がいた。私は全然下調べもしないでいったから、そんな北極に近い島に行きたい人がどれだけいるだろうと思っていたので割と多い乗客に驚いた。

過去2回ノルウエーをキャンパーで周り、ノルウエー最北端のノールキャップの近くの村は20戸くらいの寂しい漁村だった。こんな寒いところでどうやって生活していけるのだろうと思っていたから、スヴォルバーも貧しい小さな村くらいにしか思っても見なかった。

オスロー4時発、スヴォルバー夕方7時着。空港内ではポーラベア(白熊)がお出迎え。気温はマイナス1度、道路は凍っている。小さな空港の外に大きなバスが2台止まっていた。

ホテルの名前を行ったらあのバスに乗りなさいと英語で言ってくれた。

バスの中では先に出た人たちで一杯、私達4人別々に座ったが、バスの運転手が荷物を積み終わったあと乗車料金はクレジットカードで払うとのこと。この旅一度も現金のノルウエー・クローナーを払うことがなかった。

スヴォルバーホテルのレセプションはレストラン続きの一階で入口で靴を脱がなければならない。おまけに私達が予約したところは2-3軒離れたワインバーの2階でクッキングができる。

玄関の入ったところで靴を脱ぎ、皆ソックスかスリッパ(持ってきた人は)で2階に上がる。娘一家も私も2ベッドルームに広いリビングキチンと、大きなきれいなバスルーム。

部屋は暖房が効いてて暑いくらい。何しろ寒い国だからと厚着をしてズボン下まで履いているくらいだから。自宅ではベッドルームに暖房は一切せず、この暑さでは眠れない。とうとう窓を開けて寝ることにした。

この街はもともと炭鉱夫のために作られたもので、今でこそ観光が主になりつつあるが、立派な大学が有って科学者や環境研究者がここで地球の自然を研究している。

ここは学生寮、さすが雪道でも自転車で走っている。今のところ必要ないがいたるところにスノーモービルが駐車してある。そして目に付く車の殆どが日本車なのだ。

 


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