イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

黄金の翼をひろげて

2007-02-18 17:13:56 | テレビ番組

やっぱカネ、金でしょう。企業ドラマは、カネを活写できるかどうかがすべて。NHK土曜ドラマ『ハゲタカ』第1話を観てつくづく思いました。

『美しい罠』の麿赤兒さんのご子息・大森南朋さんTVドラマ主演という情報だけに惹かれて、内容はあんまり期待せずに視聴開始したのですが、序盤こそ復帰・柴田恭兵さんのイーストウッドばりの首筋の枯れ具合、荒れ肌顔のコケ具合が気になって集中できなかったものの、南朋さん(←“大森さん”と表記すると、書いててどーも“うたえもん”さんの顔が脳裏に浮かんで仕方がないもんで)扮する外資日本法人代表・鷲津のチームが、標的である邦銀の提案「資料開示期間は3日間でどうでしょう」に「いや、2時間で結構」同時にストップウォッチon!それっコピー機ダァーーーと大量搬入する場面から、一気に惹き込まれて行きました。

冒頭のナレーション「人生の悲劇は二つしかない、カネのない悲劇と、カネのある悲劇だ」と、ジャン・ギャバン&アラン・ドロンの映画『地下室のメロディー』(63年)ラストシーンを思い出させるショッキングな映像とで、“これは一にも二にもカネの話だよ”と鮮明に打ち出したことが第一の勝因。

そして第二の勝因、これはハゲタカ外資買い叩き案件のひとつである老舗旅館経営者に扮した宇崎竜童さんの、鬼気迫る名演によるところが大きいのですが、“負けたほうはどんな目に遭うのか、勝ったほうはどんな凱歌を上げるのか”を絵として、話として、はっきり呈示している。負けサイドはとことん悲惨に、勝ちサイドは徹底的に冷酷、そして苦渋に満ちて。

このドラマを観ると、同じ企業ドラマの体裁をとる『華麗なる一族』に、致命的に欠けているものが何か、はっきりわかります。

企業とはカネを儲ける主体であり手段であるにもかかわらず、企業ドラマたる『華麗』からはカネの生々しい匂いがまったくしない(製作費がかかっている匂いはプンプンする)。“業界での生き残り”“小が大を呑む”“世界で戦える企業へ”など観念的な字句だけはやたら飛び交うものの、要するに目論見が失敗した側はどうなるのか、成功した側はどうなるのかが見えていないので、どちらかに肩入れして、成功を願いながら固唾を呑んで見つめるということができないのです。

第2話だったか、支店長会議で頭取からの厳しい預金獲得圧力に、支店長たちが集団催眠にでもかかったように次々起立してノルマを上方修正、筆頭で名指しされた支店長は農家を回り歩いて田植えの手伝いまでさせられた挙句、過労死してしまうというくだりがありましたが、あの短い、素っ気ない描写だけが庶民視聴者の心に突き刺さってくるリアリティがありました。別にかわいそうキャラやお涙が見たいわけではない、負けたらどうなるかの一端を垣間見させることで、主題となっている勝負の重みを想像させてくれればいいのです。

父親の経営能力の無さに絶望しながらも家を出る事はせず、呆けた祖父の介護と旅館業を手伝ってきた息子役・松田龍平さん、淡々としたシーンでのセリフの聞き取りにくさは気になりますが、「俺は親父のように、カネにぶらんぶらん揺さぶられて、もみくちゃになったような生き方はごめんです。カネは使うもんでしょ、カネに使われたら人間お終いでしょう」と“ネガティヴな見得を切る”ようにぶつけた場面は口調、顔つきともに素晴らしかった。実生活上の亡きお父さん(=松田優作さん)が見たら「俺がオマエの年齢では演れなかった役を、よく演ってるなあ」と喜ばれたことでしょう。ちょっとしんみり。

1話にして、ハゲタカは飛翔しました。

強いて言えば鷲津の新人銀行員時代の先輩であり、いまや不良債権売却交渉の窓口として彼と折衝する立場になった芝野役・柴田さんと、南朋さんとの場面に、まだ“リスペクトし合いつつ、せめぎ合う男vs.男”だけが醸し出す“色気”が感じられませんが、鷲津が忘れられずにいる芝野の言葉とは何か、そもそも銀行の苛酷な零細企業貸し剥がしに嫌気がさして辞めたはずの鷲津が、どんな了見で唯金主義の米投資銀行を転職先に選んだのか…などが明らかになるにつれ、だんだん味が出てきそうです。

コメント
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