毎日、日記とブログを書くのが日課の一つになりつつある。
同じようだが、だいぶ違う。
違いはいろいろあるが、その中の一つに字を書くのと、打つのとの違いがある。
文字を書くということは、なかなか難しい。
まず文字を覚えていて、それを自分の手で書かねばならぬ。
至極当然のことだが、文字を忘れることもあるし、読めるけど書けない字も意外に多い。書けない時は、書ける字に文章を変えてしまうこともある。
また、きれいに書くということは、非常に難しい。
ブログやメールは、文章を考えそれを打っていくと簡単に文字になる。
難しくて書けない文字でも、言葉さえ覚えていれば立派な文字に打ち出される。
文字もきれいだし、自分が偉くなったような錯覚にもなる。
先日、新聞に真田幸村の手紙が写真入りで掲載された。
まさに、見事な字で書かれていた。読めなかったが、美しいと思った。
その人の教養が感じられた。
筆で毎日文字を書いていると、このような立派な文字が書けるようになるのであろうか。
少なくとも昔の人のほうが間違いなく立派な美しい字を書いている。
後年になって、平成の人たちの手紙や文章を開示したら、すべて同じようなタイプの文字ばかりになってしまうのだろうか。
世の中はどんどん便利に合理的になっていくが、少し寂しい気もする。
人それぞれの個性とか、格差はあったほうが人間らしいように思う。
毎日、ブログを打つようになったが、日記はこれまでどうり続けていこうと思う。
同じようだが、だいぶ違う。
違いはいろいろあるが、その中の一つに字を書くのと、打つのとの違いがある。
文字を書くということは、なかなか難しい。
まず文字を覚えていて、それを自分の手で書かねばならぬ。
至極当然のことだが、文字を忘れることもあるし、読めるけど書けない字も意外に多い。書けない時は、書ける字に文章を変えてしまうこともある。
また、きれいに書くということは、非常に難しい。
ブログやメールは、文章を考えそれを打っていくと簡単に文字になる。
難しくて書けない文字でも、言葉さえ覚えていれば立派な文字に打ち出される。
文字もきれいだし、自分が偉くなったような錯覚にもなる。
先日、新聞に真田幸村の手紙が写真入りで掲載された。
まさに、見事な字で書かれていた。読めなかったが、美しいと思った。
その人の教養が感じられた。
筆で毎日文字を書いていると、このような立派な文字が書けるようになるのであろうか。
少なくとも昔の人のほうが間違いなく立派な美しい字を書いている。
後年になって、平成の人たちの手紙や文章を開示したら、すべて同じようなタイプの文字ばかりになってしまうのだろうか。
世の中はどんどん便利に合理的になっていくが、少し寂しい気もする。
人それぞれの個性とか、格差はあったほうが人間らしいように思う。
毎日、ブログを打つようになったが、日記はこれまでどうり続けていこうと思う。