ブログをはじめて1ヶ月ちょっとになる。
その中で、この家族風呂騒動は一番興味を覚えたし、ブログの威力というか、ネットワークのもつ素晴らしさを実感した。
よかたん温泉の家族風呂に関して、よかたんのある三木市に対し、兵庫県が昭和39年に制定された6歳以上の混浴禁止の条例をたてに、問題を提起したことで、この問題は始まるのである。
新聞などでも報道されたので、ご存知の方も多いと思うが、ブログを通じてのやりとりが面白かった。
「よかたん 家族風呂」 で検索すると簡単にブログを見つけられるので、詳しく知りたい方は検索してみて下さい。
これらのブログやこの問題の中で、興味を覚えたこと、感想などを列挙します。
世の中の事柄は、殆どの場合、賛否が分かれるのが普通である。
ところがこの問題に対して、兵庫県の見解に賛同する意見が皆無なのである。
これは本当に珍しいことである。
ブログには、コメントとかトラックバックなるものがあることも、この1ヶ月の間で始めて知った、私にとっては新しい知識である。
まともな議論が展開され、取り上げ方も真面目であった。
このような展開が出来るブログのシステムに改めて関心を覚えた。
これらの中には、兵庫県は勿論、三木市長も一般の方々も自由に登場し、自由に意見を述べている。
今、こんな風に書いているのは、私も参加出来ているのかも知れない。
今後、週刊誌なども参加しそうな動きである。
家族風呂が駄目だと兵庫県がいうそもそもの根底には、混浴が風紀を乱すところからきているのだが。
混浴はある意味では、日本の文化であり、日本人は混浴に対し寛容というか一種のあこがれを持っている。
混浴ができる東北や北海道の温泉が今なお人気がある所以だと思う。
家族が一緒に風呂に入ることは、一般の日本人にとっては、普通、ほほえましく、美しい光景と映るのだと思う。
美しいという言葉には、景観などの外面的な美しさとともに、人の心の美しさなど内面的なことも意味している。
辞書にはそのように記述されている、日本的な言葉である。
ご存知の方は少ないと思うが、兵庫県がここ数年前から、県のビジョンとして、「美しい兵庫」を掲げ、目指しているのである。
また、よかたん温泉のある三木市は、「日本一美しいまち三木」をめざし、「スローライフなまちづくり」を提言している。
家族風呂は、そんな、めざす方向を後押ししているとも言える。
「美しい兵庫」を目指す県当局も、出来る限り早く、条例改正をおこなってはと思うのだが。
どちらのほうが「より美しい」のかは、既に決着がついているのである。
その中で、この家族風呂騒動は一番興味を覚えたし、ブログの威力というか、ネットワークのもつ素晴らしさを実感した。
よかたん温泉の家族風呂に関して、よかたんのある三木市に対し、兵庫県が昭和39年に制定された6歳以上の混浴禁止の条例をたてに、問題を提起したことで、この問題は始まるのである。
新聞などでも報道されたので、ご存知の方も多いと思うが、ブログを通じてのやりとりが面白かった。
「よかたん 家族風呂」 で検索すると簡単にブログを見つけられるので、詳しく知りたい方は検索してみて下さい。
これらのブログやこの問題の中で、興味を覚えたこと、感想などを列挙します。
世の中の事柄は、殆どの場合、賛否が分かれるのが普通である。
ところがこの問題に対して、兵庫県の見解に賛同する意見が皆無なのである。
これは本当に珍しいことである。
ブログには、コメントとかトラックバックなるものがあることも、この1ヶ月の間で始めて知った、私にとっては新しい知識である。
まともな議論が展開され、取り上げ方も真面目であった。
このような展開が出来るブログのシステムに改めて関心を覚えた。
これらの中には、兵庫県は勿論、三木市長も一般の方々も自由に登場し、自由に意見を述べている。
今、こんな風に書いているのは、私も参加出来ているのかも知れない。
今後、週刊誌なども参加しそうな動きである。
家族風呂が駄目だと兵庫県がいうそもそもの根底には、混浴が風紀を乱すところからきているのだが。
混浴はある意味では、日本の文化であり、日本人は混浴に対し寛容というか一種のあこがれを持っている。
混浴ができる東北や北海道の温泉が今なお人気がある所以だと思う。
家族が一緒に風呂に入ることは、一般の日本人にとっては、普通、ほほえましく、美しい光景と映るのだと思う。
美しいという言葉には、景観などの外面的な美しさとともに、人の心の美しさなど内面的なことも意味している。
辞書にはそのように記述されている、日本的な言葉である。
ご存知の方は少ないと思うが、兵庫県がここ数年前から、県のビジョンとして、「美しい兵庫」を掲げ、目指しているのである。
また、よかたん温泉のある三木市は、「日本一美しいまち三木」をめざし、「スローライフなまちづくり」を提言している。
家族風呂は、そんな、めざす方向を後押ししているとも言える。
「美しい兵庫」を目指す県当局も、出来る限り早く、条例改正をおこなってはと思うのだが。
どちらのほうが「より美しい」のかは、既に決着がついているのである。