新庄剛志の夢は今回も実現した。
阪神の提示した複数年、10億円を越す契約をけって、たった2000万円の契約金で海を渡り大リーグでのプレイを選択した新庄を見たとき、このような行動を夢とよぶのだと思った。
普通の人には決して出来ない、難しい決断であったと思う。
大リーグでの何年間は、そんなに特筆できる成果ではなかったが、新庄らしいプレイを披露して、大リーグでプレイするという夢は100%以上実現して帰国した。
札幌に移動するパ、リーグの日ハムを選んだのも新庄らしいし、そのとき彼が宣言した夢は次のようなものであった。
日本一になる。
札幌ドームを満員にする。
特に、札幌ドームを満員にするという夢は、新庄の野球での努力だけでなく、チームメイトや球団経営スタッフの理解と協力がなくては実現しないものだと思う。
それは本当に難しい夢というより、ビジョンというべき高い目標と思う。
それを可能にしたのは新庄剛志のもつ独特のムードと人柄であろう。
人はみな夢を持って生きたいと思う。
夢が実現することは難しい。だから夢とよぶのだと思う
新庄はまた新しい夢に向かって進むだろう。
彼の夢は周囲の人たちも楽しくさせる。
新庄剛志の新しい夢にまた期待したい。
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