昨日の武雄市長物語。就任一周年と題して西日本新聞、田代芳樹記者の大きな記事が紹介されている。
新聞記者の記事だから当然ではあるが、
「いいところもあるが、まだ足りないところも」と指摘している。
「市政運営にブログ」、「職員、市民の意識変化」、「型破りの手腕に戸惑いも」とあり続いて小さな見出しで、「関心高める狙い」、「次々に行動起こす」、「真価はこれから」と続いている。
樋渡さんは、「1年が10年に感じた、中味の濃い日々でした」とこの1年を振り返り、この記事に対しては、田代記者はよく取材されていると褒めている。
そして、むきに反論などする気配など微塵も見せず、僕自身は「型破り手腕」などと思っていませんがと、さらっと結んでいるのはいつもの樋渡流である。
私は、ここ1年にも満たぬことではあるが、高槻の市長公室長時代の「こちら部長室」で樋渡さんに出会って以来、120%の樋渡ファンであるから、そのスタンスで感想を述べてみたい。
まあ、阪神ファンみたいなものだから、「あばたもえくぼ的」なところもあるかも知れぬが、そこは大目にお許し願いたい。
まず、西日本新聞に武雄市のことがこんなに大きく採り上げられることだけを見ても「大成功」である。
全国の首長さんで就任1年目で特集を組んで貰えるのは、まず異例のことだと思う。
その可能性が今あるのは、宮崎県の東国原知事ぐらいではなかろうか。
それだけ見ても、「一般の人たちが注目するに足る業績」があったという証しである。
「一般の人たち」が注目や関心を示さぬことを新聞が採り上げたりは、決してしないものである。
何故、一般の人たちや市民が関心を示したのか、そしてマスコミが注目したのか。
自然に「関心を示した」「注目した」のではなく、「---させた」のである。
樋渡さんのこの1年の動きを見ていると、到るところに「仕掛け」がある。それも「遊びごころ」がある。
この辺りの感想は先日「仕掛けと遊び心」で感想を述べた。
もう一つ、行政に効果的に「マーケッテング」が取り込まれて、それが「実効」を挙げている。
マーケッテングは世の誰もが本で読んだり、調査や広報など「実行した経験」はあるのだが、不思議なほど「実効を挙げた」人や企業は少ないのではないかと思う。
私見ではあるが、その理由は 「マーケッテングマインド」 がないのである。
知識、見識があり広報も「マーケッテングが何たるや」もよく理解している人や優秀な人は大勢いるのだが、
相手の立場から常に物事を考える 「マインド」を 「体質として持っている人」 は、極めて少ないと思っている。
また、ほんの些細なことでも、大きなことに結びつく可能性のあるものを 「見逃さない感性」。
「佐賀のがばいばあちゃん」は武雄市に大いに貢献したのだが、ロケ地の立候補の動機は一市民のメールである。そんな小さなことを見逃さない感性が、大きな成功に結びついているのである。
樋渡さんは、こんな資質や、仕事に対するスタンスや感性、をみんな持っている。
それでいて、一言でいえば「東大卒のイヤミ」がない。
ひょっとすると「東大卒」が嫌いなのかも知れない???。経歴には確か記載されていなかった。
田代記者は「真価はこれから」と言い、樋渡さんも同調しておられるが、そんなことはない。
「真価は既に発揮されている」のである。
こんなに進歩や変化の激しい現代で、1年で真価が発揮できない人が何年か経ったら真価が発揮できると思うのは「錯覚か幻想」である。
記事の中に、
一見派手に見える市政運営だが「ハード面よりもソフト面の施策が目立つ」。
職員のやる気を感じるという一市民は「とにかくやってみる」という前向きの姿勢になった、とある。
簡単なようで行政に限らず企業でもなかなか出来ないことである。
もうひとつ、市議会の質問に「市民が本当にしてもらいたいことにもっと目を向けるべきだ」
よくある発言だが、この方の言う市民とはどんな市民なのか、建設や土建業の市民の方の要望はよく解るが、「一般の市民が本当にして欲しいこと」、こんなに価値観が多様化している時代にそれを知ることは、マーケッテングマインドがあっても、それを知ることは本当に難しい課題なのである。
本当にそれが解って仰っているのだろうか。
率直な私の感想である。「少し褒めすぎたかな」と思うが、ファン心理なのでお許し願いたい。
新聞記者の記事だから当然ではあるが、
「いいところもあるが、まだ足りないところも」と指摘している。
「市政運営にブログ」、「職員、市民の意識変化」、「型破りの手腕に戸惑いも」とあり続いて小さな見出しで、「関心高める狙い」、「次々に行動起こす」、「真価はこれから」と続いている。
樋渡さんは、「1年が10年に感じた、中味の濃い日々でした」とこの1年を振り返り、この記事に対しては、田代記者はよく取材されていると褒めている。
そして、むきに反論などする気配など微塵も見せず、僕自身は「型破り手腕」などと思っていませんがと、さらっと結んでいるのはいつもの樋渡流である。
私は、ここ1年にも満たぬことではあるが、高槻の市長公室長時代の「こちら部長室」で樋渡さんに出会って以来、120%の樋渡ファンであるから、そのスタンスで感想を述べてみたい。
まあ、阪神ファンみたいなものだから、「あばたもえくぼ的」なところもあるかも知れぬが、そこは大目にお許し願いたい。
まず、西日本新聞に武雄市のことがこんなに大きく採り上げられることだけを見ても「大成功」である。
全国の首長さんで就任1年目で特集を組んで貰えるのは、まず異例のことだと思う。
その可能性が今あるのは、宮崎県の東国原知事ぐらいではなかろうか。
それだけ見ても、「一般の人たちが注目するに足る業績」があったという証しである。
「一般の人たち」が注目や関心を示さぬことを新聞が採り上げたりは、決してしないものである。
何故、一般の人たちや市民が関心を示したのか、そしてマスコミが注目したのか。
自然に「関心を示した」「注目した」のではなく、「---させた」のである。
樋渡さんのこの1年の動きを見ていると、到るところに「仕掛け」がある。それも「遊びごころ」がある。
この辺りの感想は先日「仕掛けと遊び心」で感想を述べた。
もう一つ、行政に効果的に「マーケッテング」が取り込まれて、それが「実効」を挙げている。
マーケッテングは世の誰もが本で読んだり、調査や広報など「実行した経験」はあるのだが、不思議なほど「実効を挙げた」人や企業は少ないのではないかと思う。
私見ではあるが、その理由は 「マーケッテングマインド」 がないのである。
知識、見識があり広報も「マーケッテングが何たるや」もよく理解している人や優秀な人は大勢いるのだが、
相手の立場から常に物事を考える 「マインド」を 「体質として持っている人」 は、極めて少ないと思っている。
また、ほんの些細なことでも、大きなことに結びつく可能性のあるものを 「見逃さない感性」。
「佐賀のがばいばあちゃん」は武雄市に大いに貢献したのだが、ロケ地の立候補の動機は一市民のメールである。そんな小さなことを見逃さない感性が、大きな成功に結びついているのである。
樋渡さんは、こんな資質や、仕事に対するスタンスや感性、をみんな持っている。
それでいて、一言でいえば「東大卒のイヤミ」がない。
ひょっとすると「東大卒」が嫌いなのかも知れない???。経歴には確か記載されていなかった。
田代記者は「真価はこれから」と言い、樋渡さんも同調しておられるが、そんなことはない。
「真価は既に発揮されている」のである。
こんなに進歩や変化の激しい現代で、1年で真価が発揮できない人が何年か経ったら真価が発揮できると思うのは「錯覚か幻想」である。
記事の中に、
一見派手に見える市政運営だが「ハード面よりもソフト面の施策が目立つ」。
職員のやる気を感じるという一市民は「とにかくやってみる」という前向きの姿勢になった、とある。
簡単なようで行政に限らず企業でもなかなか出来ないことである。
もうひとつ、市議会の質問に「市民が本当にしてもらいたいことにもっと目を向けるべきだ」
よくある発言だが、この方の言う市民とはどんな市民なのか、建設や土建業の市民の方の要望はよく解るが、「一般の市民が本当にして欲しいこと」、こんなに価値観が多様化している時代にそれを知ることは、マーケッテングマインドがあっても、それを知ることは本当に難しい課題なのである。
本当にそれが解って仰っているのだろうか。
率直な私の感想である。「少し褒めすぎたかな」と思うが、ファン心理なのでお許し願いたい。