ハゲアメリカーナというきれいなブログの持ち主から、
「石原都知事再選が決まりましたが、三宅島バイクレースについて、どのようにお考えでしょうか?コメント頂ければ幸いです。」というコメントを頂いた。
三宅島のオートバイレースについては、このニュースが出始めた1月29日に感想を書き、山本隆君がそのコメントで「私も賛成ですが、反対もあるようですよ」とコメントしてくれている。
今は傍観者の立場なので、そんなに確りした意見を持ち合わせている訳でもないが、少し纏めて最近の想いを述べてみたい。
私自身、昔のことだがレースには色濃く関係をした。
公道レースのメッカ、マン島TTレースでは、藤井敏雄君を事故で亡くしている。
「カワサキ、デグナーの想い出」のコメント欄でそれについて触れている。
国内のJJSBAのジェットスキーレースでも、残念ながら何人かの方を事故で亡くした。
そんな悲しい想い出を有している。事故は大変なことである。
安全に気を配った運営やコース設定は、レース運営の当事者が最大の配慮をしなければならぬのは当然のことである。
そういう意味で、三宅島のオートバイレースが「開催できる素地があるかどうか」は、都をはじめ地元の関係者など主催者は万全の検討をしなければならない。
その検討のために、「マン島での現地調査をはじめ、種々の検討がなされた上で決定された」 と受け止めている。また、三宅島の復興などの観点からも行政は検討し、地元がそれを望んだものと思われる。
計画が発表されて以降、反対意見も強いようである。
多分その理由の一番は「危険」「事故」ということであろう。
このイベント自体が「無意味である」とか、「楽しくない」とか、「三宅島の復興の役に立たない」というのであれば、それには耳を貸さねばならないと思う。
世の中の、楽しいイベントは「すべてが安全である」とは限らない。
むしろ「危険」を伴ったものは多いのである。
日本の伝統的なお祭りの中にも、危険いっぱいの、現実に事故を伴うものも多い。
世界で行われている二輪、四輪の公道レースやラリーなどを見ても、それが安全であるから行われている訳ではない。
危険いっぱいなのである。
然し、それらが続けられているのは、危険ではあるかも知れないが出場したい参加してみたいという人たちも、そのスリルを観て楽しみたいという観衆も、必ずいるのである。
お祭りとか、イベントとは本来そのような性格のものである。
そしてそれらが永い歴史を重ねていくと、伝統行事となって暗黙のうちに世の中が認めるようになるのだと思う。
残念ながら、三宅島オートバイレースには歴史も伝統もない。
今新たな1ページを開こうとしているのである。
参加する人は自分の意思で、ある程度の危険も承知でエントリーをするのである。
全くの素人ではなく、コースの危険度は判断できる人たちである。
エントリーが皆無なら、レースは当然ながら成り立たない。
レースはその着順を争う競争ではあるが、むやみやたらにただ突っ走っている訳でもない。
安全に転倒しないように危険を避けて、結果の着順を争う競技である。
大体このような議論は、反対する方が正義のように見える。
レース経験のあるライダーたちも公道レースを数多く経験している訳でもないだろう。
ただ、公式に意見を求められたら「NO」と言う方が無難である。普通の人は若し意見を求められたら「NO」と言うだろう。
開催やその内容を決定するのは、あくまでも開催の当事者であって欲しい。
その昔、FISCOではじめて二輪の日本GPが開催されたとき、ホンダは強行に危険を主張し自ら参加を辞退した。
Hを除く、S,Y、BS,Kの参加で開催されたのだが、
後ホンダが主張したようにFISCOの「須走り落し」は危険すぎるということでコースの改造がなされた。
当時のMFJ運営委員の一人としてその経緯を思い出すが、今思えば流石ホンダの見識だったと思う。
危険ヶ所の修正や、変更は後からでも可能なのである。
三宅島オートバイレースが永く伝統行事として継続するかどうかは解らない。
全てのイベントには、それを待ち望む多くの人がいる。
オリンピックマラソンならともかく、東京マラソンでも、2時間10分を目指して走るのはほんの僅かの人たちで、大部分の人たちはその参加を楽しんでいるのである。
オートバイレースもやりようはいっぱいある。
三宅島のこのコースで、世界一、日本一早いライダーを競うのではないことは明白である。
「コンセプトやレース内容」の検討、「参加者の態度」こそが、最も大事だと思う。
もっと、建設的な意見があってもいいと思うのだが。
「危ないから」だけで、「とにかく反対」は、どうも頂けないと思うのである。
私と同年代で、何となく応援している石原都知事には初志貫徹してとにかく第1回の大会だけは開催して欲しいと願っている。
その結果でまた、いろんな知恵が出てくるのだと思う。
私のように、傍観者の立場で何となく「やってくれたらいいな」と思っている人たちも多い筈である。
でも、積極的に意見は述べたりはしない。何となく述べにくいのである。
今回はハゲアメリカーノさんからコメントがあったので、敢えて想いを書いてみました。
ハゲアメリカーノさん
「石原都知事再選が決まりましたが、三宅島バイクレースについて、どのようにお考えでしょうか?コメント頂ければ幸いです。」というコメントを頂いた。
三宅島のオートバイレースについては、このニュースが出始めた1月29日に感想を書き、山本隆君がそのコメントで「私も賛成ですが、反対もあるようですよ」とコメントしてくれている。
今は傍観者の立場なので、そんなに確りした意見を持ち合わせている訳でもないが、少し纏めて最近の想いを述べてみたい。
私自身、昔のことだがレースには色濃く関係をした。
公道レースのメッカ、マン島TTレースでは、藤井敏雄君を事故で亡くしている。
「カワサキ、デグナーの想い出」のコメント欄でそれについて触れている。
国内のJJSBAのジェットスキーレースでも、残念ながら何人かの方を事故で亡くした。
そんな悲しい想い出を有している。事故は大変なことである。
安全に気を配った運営やコース設定は、レース運営の当事者が最大の配慮をしなければならぬのは当然のことである。
そういう意味で、三宅島のオートバイレースが「開催できる素地があるかどうか」は、都をはじめ地元の関係者など主催者は万全の検討をしなければならない。
その検討のために、「マン島での現地調査をはじめ、種々の検討がなされた上で決定された」 と受け止めている。また、三宅島の復興などの観点からも行政は検討し、地元がそれを望んだものと思われる。
計画が発表されて以降、反対意見も強いようである。
多分その理由の一番は「危険」「事故」ということであろう。
このイベント自体が「無意味である」とか、「楽しくない」とか、「三宅島の復興の役に立たない」というのであれば、それには耳を貸さねばならないと思う。
世の中の、楽しいイベントは「すべてが安全である」とは限らない。
むしろ「危険」を伴ったものは多いのである。
日本の伝統的なお祭りの中にも、危険いっぱいの、現実に事故を伴うものも多い。
世界で行われている二輪、四輪の公道レースやラリーなどを見ても、それが安全であるから行われている訳ではない。
危険いっぱいなのである。
然し、それらが続けられているのは、危険ではあるかも知れないが出場したい参加してみたいという人たちも、そのスリルを観て楽しみたいという観衆も、必ずいるのである。
お祭りとか、イベントとは本来そのような性格のものである。
そしてそれらが永い歴史を重ねていくと、伝統行事となって暗黙のうちに世の中が認めるようになるのだと思う。
残念ながら、三宅島オートバイレースには歴史も伝統もない。
今新たな1ページを開こうとしているのである。
参加する人は自分の意思で、ある程度の危険も承知でエントリーをするのである。
全くの素人ではなく、コースの危険度は判断できる人たちである。
エントリーが皆無なら、レースは当然ながら成り立たない。
レースはその着順を争う競争ではあるが、むやみやたらにただ突っ走っている訳でもない。
安全に転倒しないように危険を避けて、結果の着順を争う競技である。
大体このような議論は、反対する方が正義のように見える。
レース経験のあるライダーたちも公道レースを数多く経験している訳でもないだろう。
ただ、公式に意見を求められたら「NO」と言う方が無難である。普通の人は若し意見を求められたら「NO」と言うだろう。
開催やその内容を決定するのは、あくまでも開催の当事者であって欲しい。
その昔、FISCOではじめて二輪の日本GPが開催されたとき、ホンダは強行に危険を主張し自ら参加を辞退した。
Hを除く、S,Y、BS,Kの参加で開催されたのだが、
後ホンダが主張したようにFISCOの「須走り落し」は危険すぎるということでコースの改造がなされた。
当時のMFJ運営委員の一人としてその経緯を思い出すが、今思えば流石ホンダの見識だったと思う。
危険ヶ所の修正や、変更は後からでも可能なのである。
三宅島オートバイレースが永く伝統行事として継続するかどうかは解らない。
全てのイベントには、それを待ち望む多くの人がいる。
オリンピックマラソンならともかく、東京マラソンでも、2時間10分を目指して走るのはほんの僅かの人たちで、大部分の人たちはその参加を楽しんでいるのである。
オートバイレースもやりようはいっぱいある。
三宅島のこのコースで、世界一、日本一早いライダーを競うのではないことは明白である。
「コンセプトやレース内容」の検討、「参加者の態度」こそが、最も大事だと思う。
もっと、建設的な意見があってもいいと思うのだが。
「危ないから」だけで、「とにかく反対」は、どうも頂けないと思うのである。
私と同年代で、何となく応援している石原都知事には初志貫徹してとにかく第1回の大会だけは開催して欲しいと願っている。
その結果でまた、いろんな知恵が出てくるのだと思う。
私のように、傍観者の立場で何となく「やってくれたらいいな」と思っている人たちも多い筈である。
でも、積極的に意見は述べたりはしない。何となく述べにくいのである。
今回はハゲアメリカーノさんからコメントがあったので、敢えて想いを書いてみました。
ハゲアメリカーノさん