雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

有名になった神戸高校

2009-05-31 04:27:17 | 発想$感想
一躍有名になった神戸高校は私の母校である。

とんだことで、有名になったものである。
2週間も休校して再開されたのが、またニュースである。

RSSで『神戸高校』を引いてみると、いっぱいブログが並ぶがどれもこれもインフルエンザである。
それも神戸高校の印象度はあまり芳しくないのである。



私は正確に言えば、神戸高校ではなくて、その併設中学校、旧制神戸一中の卒業である。神戸一中最後の年次で私の後の年次からはすべて新制中学となったのである。
3年生のときに学区制が敷かれて、高校は明石に転校を余儀なくされたのだが、
当時は結構いい意味で有名校だったのである。

神戸一中、カーキ色の制服、運動場での立食、カバンではなく白い風呂敷、独特の雰囲気があった。
私にとって、神戸一中は独特の響きもあるし、本当に誇れる母校なのである。

私は学生時代、この神戸一中の2年間だけは本当に一生懸命勉強した。
よく出来るのがいっぱいいたが、結構成績はよかったのである。
3年生になって男女共学になって以降、学校で一生懸命勉強した記憶はない。
野球ばっかりやって、成績もそんなに特別によかったわけではないのだが、その後ずっと変な自信になっていたのは、中学時代の2年間があったからだと思っている。

スポーツも強かった。野球は春の選抜に明石と一緒に出たし、サッカーも強かった。
特にサッカーはそのころの全日本のメンバーは、大半が一中の先輩たちであった。
男女共学になった3年生のとき、天皇陛下の関西行幸があって、神戸高校の3階の教室を改造して宿舎になったのである。信じられますか?日本にも神戸に泊まるホテルもない時代があったのである。
私たちのクラスはなぜか選ばれて天覧授業を受けたのである。


それが学区制でみんなばらばらになってしまった。
一番固まって転校した先が私立の灘高である。学生だけではなくて、先生まで灘へ移られたのである。
灘の進学校はそこからがスタートだと思うのだが。

家内も実は神戸高校卒業である。
そんなことで、私の結婚式の披露宴で、何か喋って歌えと言うので、
神戸一中の校歌を高らかに歌った。
私にとっては、ほんとに胸を張って校歌を歌える学校なのである。


そんな思い出のある神戸高校が、こともあろう二インフルエンザで有名である。
私が、インフルエンザ対策にどうもきつく当たるのは、この辺にも理由があるのかも知れない。

神戸高校は、インフルエンザだけで有名なのではなくて、伝統のある名門校である。
神戸高校とRSSで検索したら、インフルエンザ以外にこんな話題のブログがあってもいいと思って書いているのである。

有名人もいっぱいいるのだが、1年上に高島忠雄がいた。同期の神戸高校には扇千影がいた。

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