雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

人の一生、『求む! 奇人、変人』

2010-02-03 05:22:09 | 発想$感想
★昨日辺りから、『人』について考えている。
昨日は球友のお通夜、それに続くお葬式であった。
だんだんと周りの人がいなくなる。
人の一生とは、一体何なんだろう。

私の周りにいる人たちはみんなどちらかというと変わっている。
どちらかというとではなく、間違いなく変わっている。
そんな人たちばかりを選んで付き合ってきたというか、気の合う連中はちょっと変わった奴ばかりなのである。

★亡くなった友人もちょっと普通ではなかった。
名門の男爵の出なのだが、あるおうちに養子に来てその名で一生を通した。
なんとなく気があって、野球部を出て社会人になってもずっと付き合ってきた。
特に社会的に特別な地位に付いたわけでもないが、間違いなく人生は楽しく幸せであったに違いない。

★同じ人生を生きるのなら、自分がやりたいことを好きなようにやる方が結局幸せなのだろう。
だが、世の中の風潮は、何かツマラヌ地位や資格ばかりを求めて子どもの頃から生き続けているような気がしてならない。
『何かエライ人になろう』なんてことを目標に生きる人生など、そんなに楽しいはずがない。
なかなか、自分の思うようには、ならないのが普通である。
子どもの頃から学校以外に塾に行く。
なぜ?
いい学校に入る。いい会社に入り、いい地位につき、いい収入が貰える。それがいい人生である? 

ホントにそうだろうか?
賢すぎる、『能吏』ばかりを育てようとしたり、それに成りたがったりするから、人生が面白くないのだと思う。
会社でも、役所でも、『能吏』はいっぱいいるが、果たして楽しい人生だったのだろうか?
何か常に不満ばかりを持って生きている人種のように思えてならないのである。


★逆に、私の周囲にいっぱいいる『奇人、変人』たちは結構楽しそうに生きている。
中には、社会的地位も得た『奇人、変人』もいるが、それはそれで運も良かったし、それなりの努力をされてそうなったのだろう。自分の努力もあったし、周辺の『奇人、変人』が支えたからかも知れない。

今日のテーマに書いた『求む 奇人、変人』は、まだ今のように有名人になっていない頃の
樋渡啓祐さんが書いた文章で、この頃の樋渡さんが一番好きである。

樋渡さん自身が間違いなく『奇人、変人の類』であったと思う。
ちょっと変わっているなと思ったりしなかったら、決してこんなに追っかけたりはしていない。

★人それぞれ、いろんな生き方がある。
でも、結局いつかは死んでしまう。
最近は昔と違って、よく知った人たちばかりのお葬式が続く。

だから、こんなことを思ったりするのである。
でも、今まで通りやりたいことを、気のあった仲間とともに、気ままに楽しくやりたいと思う。仲間の中にはこんなことはあまり考えない、30代40代、50代の『奇人、変人』も多いので、結構気が晴れて『まだゆめ』を追っかけたりできるのである。

『まだまだゆめ』というハンドルネームを持つ奇人、変人も仲間にいるのである。

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コメント (8)
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