雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

平成元年、新しい時代へ向かったカワサキ

2011-09-08 06:21:14 | 自分史

★昨日に続いて、自分史。

自分史を書くにあたり、当時の資料に目を通す事から始めている。

なぜそんなに資料があるのかと思われるかも知れぬが、現役時代、新しいことを始めるときは必ずそのコンセプトや自分の考えを周囲に公表することから始めている。

ずっと私特有の発想で物事に対処してきたのだが、成功すればいいが、失敗した時に言い訳などするのは『イヤ』だったのである。

『あの時言ったのはこういう意味だった…』などという言い訳だけは絶対にしたくないのである。明確に自分の想いは述べておきたかったのである。

『男は自分の言ったことに責任を持て』 早くこの世を去った親父の遺言みたいなものである。

 

自分のやろうとしたことは、出来る限り自筆で文書に残してきたし、どんなことになったのかも、何らかの形で残していて、それが今記録、資料として残っているのである。

こんな自分史など、書いて世に発表する機会などあるなどとは、夢にも思っていたわけではないのだが、こんな時代になったのは幸運である。

今でもそのスタンスは残っている。 ネットの世界、いい時代になったものだと思っている。

 

今から23年前、平成の時代の1年目、新しい時代に『新しいカワサキのイメージの創造』を目指して、スタートした。

 

★まず、この年のカワサキのレース活動。

サーキットを造ろうと大分県直入町で計画していたサーキットコースは3月末から着工し、その起工式を4月14日に行っている。

レーサーレプリカ全盛期で、レーサーのような車を発売しながら、サーキットでは一般の人たちは走れない。走る場所を求めて峠に集まるライダーたちを『峠族』と呼んで、暴走族のように言うマスコミ、何とか『ユーザーたちが自分の車で走れるサーキット』を造ろうとしていたのである。 この1年はその工事期間中であった。

3月4日には鈴鹿で2&4のレースがあって、宗和などが出場しTTF1で3位に入賞したりした。カワサキの本格的なレース復帰としては最高の出足であった。

4輪のレースと同時開催だったので、それに出場していた星野一義や金子豊君が『私や岩崎が来ていると聞いて』わざわざカワサキのパドックに挨拶に来てくれたりしたのである。星野がまだ現役パリパリの頃だったから、周囲の人は何事かと思ったようである。 星野が17歳のころからカワサキにいたモトクロスライダーだったことなどあまりみんなご存じないのである。

そんなことから始まった、カワサキのレース復活だったが、鈴鹿のレース担当の三原さんもカワサキの復活を喜んでくれたし、、その後三原さんとはいろいろと関係が出来たのである。 また当時のMFJは、ホンダの佐藤英明さんに相談して実現していたカワサキ出身の杉沼常務であったこともいろいろと好都合なことが多かった。 杉沼さんはカワサキのアメリカ市場開拓の7人の侍の中で、唯一英語ペラペラ、アメリカ市場にも詳しいプロだったのである。MFJも世界のレース会議で堂々と英語が喋れる人が要るのではと佐藤さんに相談してのMFJ入りであった。

4月29日には、フランスのルマン24Hに宗和、多田の日本人コンビを送りこんで、見事3位入賞を果たしている。

そして7月に入ってからは、6H耐久で北川、鶴田組が優勝、藤坂、林組が2位とワンツーフィニッシュ、4H耐久ではビートの高橋、泉組が優勝するなど最高の出足だったのである。

8月には舞子ビラで盛大に、この時期までのレース成果を祝っての祝賀会をやっている。

ファクトリー、チームグリーン、BEET、月木レーシングなどレースのKawasaki陣営を集めてのものだった。

12月には当時世界のトップに君臨していたカワサキフランスの遠藤さんがきて、翌年の鈴鹿8耐のスポンサーを頼まれたりしている。

 

★この年の4月1日、念願のソフト会社、株)ケイ、スポーツ、システム(KSS)がスタートし、その社長を引き受けた。

この会社がなかったら、カワサキのイメージチェンジなど出来なかったし、7万台の目標なども実現しなかったと思っている。

『遊び半分では、いい遊びは出来ない』と専門会社を造って遊び始めたのである。

実務を担当してくれたのは、南昌吾常務である。ちょっとうるさいが、納得さえすればとことんやる実力者であった。宗和、多田のルマン派遣なども、この会社がなければ実現などしていない。

結構使うところでは、惜しまずに派手に金を使った。

特にケイスポーツシステムは、派手に金は使ったと思う。バイクやモノを売って儲けた金ではなくて、基本的にユーザーから頂いた金だから、みんな『ユーザーのために使え』という指示だけ、南常務にしていたと思う。使う金は法人なのだからアタマを使って集めてきたのである。

 (余談だが、いまNPO 法人The Good Times を副理事長で支えてくれているタッチャんや経理のヨシシュンさんは、KSSのメンバーなのである。NPO The Good Times そのものが、KSSの延長のソフト会社だと私自身は思っている。今のシステムは、月間5000円しか要らないので、NPO法人に入ってくるお金は、集めてくれたところに、活動支援金としてお返しするのを原則としている。全く同じ発想なのである。)

ユーザークラブKAZEも、KSSが担当して、その会員カードはJCBカードでスタートした。JCBカードとすることで、1年後の期限が来ても、自動更新される方が多いはずだという仮説からのスタートなのである。その通り90%の人は自動更新でKAZEの継続会員となったのである。当時はまだ2000人にも満たなかったが、何年か後には、55000人、ホンダさんのHARTなどと比べても、業界ダントツのユーザークラブに発展するのである。

然し、55000人以上には増えることはなかった。55000人の規模になると、90%の自動更新があっても毎月500人の人たちが離脱する。毎月500人の新加入者を集めるのが精いっぱいなのである。(そんな反省から、NPO The Good Times の会員さんは1000円の入会金だけ、年会費は頂かないから、増える一方なのである。)

 

★何事も、人間『ツキ』である。

● 直入のサーキットも、ソフト会社ケイスポーツシステムも、固い固い川崎重工業の中で実現したのである。

いろんな理屈は並べたが、そんなに満々の自信があったわけではない。これが実現したのは、当時の社長が大庭社長だったからである。

大庭さんが単車の本部長時代、番頭役で支えたし、それなりの信頼があったのである。 『あいつが言うのだから、よく解らぬがやらしてみよう』という判断だったに違いない。

多分そんなに解っておられたわけではないのだが、経営会議での私の説明には、何の問題提起もなく、通して頂いたのである。

社長以下7人ほどの経営会議さえ通したら、役員会などは問題なく通るのである。経営会議は私でも説明者になれるのだが、正規の取締役会は、出席出来てもまず発言は難しい。 そんなものなのである。

 

●この年、商品は期待のZXR250/400が春発売されたのである。誰もがこのニューモデルに期待していた年であった。

ところが実際にビックリするほど売れていったのは、誰もそんなに期待もしていなかった『ZEPHYR』だったのである。

 私は、カワサキ以外の外の方にも沢山トモダチがいて、H,Y,Sの競合メーカーさんにも、ズケズケ結構本音で話のできる仲のいい人はいっぱいいた。

『ZEPHYR』が発売された時、あるメーカーの方が

『カワサキさんは何を思って、「ZEPHYR」など出したの?馬力はないし、あまリ特徴はないし・・・』と電話をくれたりしたのである。確かにそんな車だなと、私もその時そう思ったものである。 だが、実際は想定外の売れ方をしたのである。

タンクマークもKawasakiでなくてZEPHYRだし、馬力を売り物にしてきたカワサキには似合わないし、普通は車のあちこちにKawasakiのマークがあるのだが、それが確か1か所しかないような不思議な車なのである。『カワサキ命』というような熱烈なカワサキファンからは、どうしても『Kawasakiのタンクマークが欲しい』と言うので部品で出したら、それがまた無茶苦茶売れたりしたのである。

こんなのは、全くのツキである。

あとになると後付けでいろいろ言う人がいるが、間違いなく期待されて上市された車ではないのだが、カワサキ国内最高のヒット商品であったことも間違いない事実である。

 

これは、もう少し後のKAZEの機関紙の中からだが、この時点では、

いつの間にか『不朽の名車』になっていた。

 

 

★これは殆どの方がご存じないと思うが、

この年の8月2日に『KMCの累損消去のお祝い』を川重の山手山荘で開催している。私の人生で一番嬉しかった会合かも知れない。 

『38Mの累損消去、100億円ほどの累損を消去する』という難しい目標は、私が自分で掲げた目標で、単車に再建屋で来られた大庭さんも『そんなことは聞いていない』と言われたことなのである。 本社財務部門の期待も、販社が期間損益で黒字なら、『連結決算が狂わない』それ以上のことを求めることなど、とても出来ない状況であった。

海外や国内の販社で事業を展開している二輪事業は、明石の事業部の期間損益など単なる管理損益で、仮に赤字でも当時で言うなら造船の利益で相殺されて川重の経営は十分黒字なのである。外の販社の損益はそんなことにはならない独自のモノだから、累損など消さぬ限り優良企業などとは言えないのである。

ただ、それを消そうとすれば、連結されているのだから、その分明石の事業部の利益が悪くなるのである。大庭さんは自らの事業部の損益を悪くしてもKMCの累損消去を認めて頂いたのである。私も事業部の企画室長でありながら、KMCの利益を優先したのである。

KMCの田崎さん、百合草さんと組んで6年間に亘って取り組んだこの課題が達成できた。これは感無量であった。

私に期待されていた『単車再建』が、その時『出来た』と本当にそう思った。万歳を叫びたい心境であった。特に後半大幅な経営改善を果たした、百合草さんやそれを支えた富永君や松岡君(現車輛のプレジデント)明石側の担当繁治君に感謝である。

当時の川重の財務担当であった大西元副社長、山田元副社長、本社財務で単車再建を担当してくれた横山さん他本社スタッフ、単車からは高橋、田崎さんや前田、小川君などアメリカを担当した人たちと祝杯を挙げたのである。

 

これは当時、私が描いていた次の布石の、第1歩だったのだが・・・

外に子会社を持って事業展開をする事業部にとっては、系列子会社は貯金箱みたいなものである。それが立派であれば、ホントにその事業は立派なはずなのだが、

どうしても事業本部の方に目が行き過ぎてしまうのである。極端に言うと子会社から利益を吸い上げる方に動いてしまうのである。その結果円建て方策もとれずに、ちょっと円が高くなると慌てふためいてしまうのである。海外の販売会社には大体半年分くらいの在庫がある。円高は国内から値上げの方向で対策するので、在庫は販社にとって益の方向に作用するのである。ある期間持ちこたえる剰余金があれば、円建てでも十分耐え得ると私は今でもそう思っている。ただ、いい時期に対策をしておかないと間に合わない。

そんな仕組みの構築を本社の財務担当副社長であった松本さんの了解も貰って進めようとしていたのだが、時間切れになってしまった。普通一般に『仕組みの構築』のできる人は、世の中にそんなに多くはいないのが現実である。みんな一生懸命頑張ろう型が一般的である。

 

★この年の後半から、何となく7万台も可能性が出てきたので、

ずっと懸案であったこの業界の委託制度から本来の買い取り制度への転換を根ざそうと動き出している。

自転車屋さんからバイク専門店の特約店制度も先頭を切って実施したカワサキだが、販社も販売店も好調のこの時期に、業界の先頭を切って、完全買い取り制度の移行を考えたのである。

この年にはその特約店からネーミングを 『ARK』 と変えている。これは当時の若手の提案で、私の頭にはこれっぽちもなかった発想である。

当時のKAZEは、『風』ではなくて、Kawasaki Amuzing Zone for Everybodyの略である。

ZEPHYRというネーミング、『西からの風』も確かカワ販の若手の提案であった。

 ちょっと流行りだったのである。

『ARK 』とは、 Authorized & Reliable shop of Kawasaki の略である。

これもホントにそんな名前で大丈夫かと思ったが、やってみると簡単に浸透した。他社のセールスの人が、新しい話題として言い歩いてくれたのである。

 

買い取り制度は、そんなに単純なことではない。反対意見がいっぱい出ることは、容易に想定できる。まず身内で賛成派を募ることである。これにいち早く手を挙げたのは、東京でも大阪でもない。山辺、谷沢君の率いる西日本地区だったのである。

こんな難しい課題は、全国一斉でのスタートは無理である。「やる意思のあるところからやる」これは何十年続いている私のやり方である。

一斉スタートが当然と思っていること自体が錯覚なのである。このあたりのことについては、翌年度なのでまた次回に。

 

当時の資料が残っていますので、ご参考までに。(懐かしいと思われる方もおられると思います)

 

 

 初年度から、こんな調子でどんどん新しい施策の展開だったのである。

 

★こんな忙しい中も、このころはゴルフに熱中している。10月JJSBAのアメリカ視察に一部同行したが、その時NEW PORT BEACHで百合草三とやったゴルフのスコア35-40が私のベストグロスだが、この年の記録を見ると80台は当然、70台も珍しくない。パットも30ちょっとでおさめている。

今でもパットがそのくらいに戻れば、80台になるのだが、パットが40になったりするのは、やはりゴルフに臨む態度が『遊び半分』なのだろう。

『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と 『遊びに熱中した1年』だった。

 

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