★人生78年も生きてきたが、最高の年を選べと言われたら、この年を挙げるのかも知れない。
新しい職務で一番解りやすい挑戦目標であった7万台が達成した年である。
『カワサキの新しいイメージ戦略』のいろんな施策が、ほぼ順調に進んで、当時の国内市場はCP事業本部(コンス―マープロダクト)の中でも確固たる地位を築いたし、川崎重工業の中でも、カワ販(カワサキオートバイ販売)というネーミングは、有名になったし、
業界の中でも注目を浴びたのである。 中大型車の分野だが、ホンダ、ヤマハ、スズキを抜いてトップの座に君臨したのである。
トップに立ったのがカワサキだったから、ヤマハさんがホンダを追撃した時のようにHY戦争に発展することもなく、業界の会合でも柔らかい雰囲気の中で『1強3弱だ』などと言われたりしたのである。
ジェットスキーも快調であったし、X-11というサーキット専用の4輪車などもスタートした年である。
円高傾向が続く中で、国内市場の充実強化で永年目標にしてきた7万台だから、それが達成できたのは、最高の年と言ってもいいのだろう。
★家では息子が9月28日に結婚している。
息子の言う通りにしたのだが、
仲人はなし、今なら普通かも知れぬが『人前結婚式』。集まったのは両家の親戚だけ、ホテルは大阪の全日空ホテル、これは普通だが、この年の9月28日は仏滅で、結婚式があったのはこの1組だけだった。 お陰でサービスはバッチリ、会もカラオケなどもあって、身内が主役で結構楽しかった。
なぜ9月28日かというと、息子の誕生日なのである。
結婚式の後、関東から来られたノンちゃんの親戚の方々は、みんなで有馬温泉へ、新郎新婦は関西のトモダチばかりを集めた披露パ―テ―を何処かでやったようである。これには娘は招ばれたが、年寄り連中には招待なし、日を変えて関東では、会社や全日空のサッカー部の人たちと披露パ―テ―を別にやっているのである。
結婚式の費用をどうしたかは、あまり覚えていない。
結納?そんなもの要るのか?というのを無理に100万円出した以外は・・・
結婚式はたぶん親戚からのお祝い金で足りたと思う。 招んでも貰えない若い人たちだけの披露パ―テ―などの金など出していないと思う。ひょっとしたら家内が何かしたかも知れぬが・・・
息子には小学校時代に『男の子は、自分のことは自分で決めろ』といったのが効き過ぎたきらいがある。進学も、就職も、結婚も、それ以降も相談を受けたことは一切ない。 今となってはちょっと寂しい気もする。 少しぐらい相談に来たら、ちゃんと相談に乗ってやるのにと思うが、よほどのことがないと、それはないだろう。
この年娘には、今の旦那から結婚申し込みがあったりした。
公私とも、おめでたい年だったのである。
★『6月1日 午前11時55分 エリート上 7万台突破 グループ全員にマグカップを贈る 』
と下の表に書かれているが、
当時は販売台数は、全て年間移動値で管理されており、『エリート』と名付けられたコンピュータ―システムで管理されていたので、全国での売上台数など、インプットされる度に、刻々その変化が解るのである。
明石の本社のデーターが7万台を記録した時間が11時55分なのである。
当時まだ若手だった富田君など事務所にいた連中から『万歳』の声が上がったのをよく覚えている。
ZEPHYR やジェットスキーなどの好調に支えられた結果ではあったが、就任3年目で達成できた7万台であった。
業界全体は、むしろ縮小傾向の中での目標達成だったから、逆にシェアは30%を超えてトップが維持できたのである。
★これがそのマグカップである。 これは一人1個しか配らなかったが、
当時のカワサキオートバイ販売の従業員には全員に配った。当時は350人ぐらいだったと思うが、川崎重工のお世話になったというか、7万台を担って頂いた商品企画のメンバーやファクトリ―レース関係など、カワ販の前社長大庭さんにも贈らせて頂いた。
400個か500個ほども作ったのか、よく覚えていない。
確か、現KMJ社長の河野君は当時川重営業部でカワ販担当だったので差し上げただろう。現KMJの人たちで平成3年に在籍した人には全員差し上げたはずである。
みんなで達成できた7万台だから、みんなで『祝杯』を上げたかったのである。
★6月に7万台を達成して、翌月7月には新しい目標に向かってスタートしている。
川崎重工の企画の時も、この時点も、そしてもっと後の札幌での建機の時代も、私が経営を担当した時の管理方式は全て、
『年間移動値』での管理方式である。
『決算期』というのが自然体でなく『決算期』に無理して売上げを上げたり、余った予算を使ったり、これが経営をおかしくしてしまうと思っている。あまり決算を意識せずに、常にトレンドを重視していた。
『年間移動値』での管理方式とは、毎月決算をしているようなものである。
その値は、前年同期に比べて伸びればその差額だけ伸びるし、減少すれば下がるのである。毎月1行だけ前年同期との対比をするだけだから、数字を入れたら自動的に計算されるはずである。当時はパソコンなど一切やっていなかったが、それぐらいは解っていた。
経営の傾向値でがよく解る。グラフなどでこれを管理すれば、現在の状況が変わらない限りその傾向線を辿るのである。極端にいえば期末予想など簡単に予想できる。まあ言えば、台風の進路予想みたいなものである。
当時の売上高も総利益も経費も営業外も、全て資料はあるのだが、当時の台数だけ、 約 7年間の実績は下表の通りなのである。
最初の3年間はヨコから見ていた期間だが、後の4年間が私の担当した期間である。
確かに、商品には恵まれたが、それだけではないと思っている。ただ、表からも解るようにこの1,2年がピークではあった。
11