★昨日のブログ『霞が関の省庁は腐敗しているか?』の続きだが、
構造改革など難しいか?
粗っぽく言えば、『そんなに難しくはナイ』と思っている。
人には向き向きがあって、私など専門知識や堅苦しいこと、奥の深いこと、技術的な知識は大の苦手である。
そんな面倒な話は、専門家と言う人に任したらいいと思っている。
★『構造改革など』はそんなに難しいことではナイ。
会社に入って新入社員の頃から、構造改革と言えるかどうかは別にして、それに近いそんなことばかりやってきた。
●入社してすぐ、まだ日本にIBMなどが入ってくる10年も前に、たまたまアメリカ空軍が居て川崎航空機にはIBM室があった。財産物件の償却計算をIBM化、それも本社も岐阜製作所も巻き込んでやったら、10人もいた財産課の人が要らなくなったし、続いて給与計算も、そこにいた15人、給与係が消えてなくなった。(それで、私も藤田孝明君も単車に異動したのである) 入社2年目昭和33年のことである。
●大阪で全国に先駆けて自転車屋さんから二輪専門店育成方針に切り替えて、500店余りの店を25店に絞る代わりに、担保も保証金も取る特約店制を業界トップでやったのが、日本の二輪の流通機構の構造改革の最初だったと思っている。オートバイ屋の質が変わるきっかけにはなった。
●部品の流通構造を直すために営業所の部品在庫をゼロにして、明石に大きな部品倉庫を持ち、今で言う宅急便で運ぶことにしたのも、全国初だった。
★以上は若いころの至極単純な例だが、
その後もより複雑な経営次元の問題などいろいろ、構造改革ばかりで会社生活45年を終わったみたいなものである。
なぜできたのか?
基本コンセプトは自分一人で考え続け、自分で旗を振り続けたからである。
勿論実施をしてくれたのは多数の人たちである。
その旗の方向に上司がさらに大きく旗を振って頂いたし、心底協力してくれた人たちはいっぱいいた。
然し、そのコンセプトは、間違いなく独りで考え続けたのである。
何か今も、NPO法人 The Good Times で、共感する仲間たちと一緒に、同じようなことをやっているが、やり遂げねばならぬ悲壮感などはなく楽しくやっているのである。
少々難しいことでも独りで考えて、それを周囲の人に理解させ、協力者が出てきたら、間違いなく構造改革は出来るのだと思っている。
● 佐賀県の樋渡啓祐さんは、間違いなく独りで発想されている。
● 大阪の橋下さんも、独りの発想のはずである。今はもう維新の会というオピニオンリーダーたちの集まりが出来たりした。
● 小泉さんも、あの当時の少なくとも基本コンセプトは小泉さんご自身の強烈なコンセプトでひっぱった。そばで支えた人は勿論いるが、旗振りが強烈だったのである。
★リーダーが口で『みんなの衆知を集めて』というのはいい。 だが、衆知を集めたようなものでは構造改革などは出来ないのである。
みんなが集まって出来ることなど改善のレベルで構造改革などではナイと思う。
リーダーは、特に構造改革をやろうというリーダーは、4、6時中そのことを集中して考え続けるべきである。
そうすれば、新しい発想など湯水のごとく出てくるのである。
会議に出て、『その時だけ、そのことを考える』そのレベルの知恵はでは、構造改革など出来はしない。
★『世の中には原因のある問題と原因のない問題の二つがある。
原因のある問題は、原因の追究、把握、対策と言う思考ステップで課題を解決する。原因のある問題の解決に必要な能力は創造力と呼ばない。
創造力の源泉はアイデアであり思考ステップの特徴は「絞り込んで考え続けるというところにある。』
これは、もう20年前の現役最後のころの服部吉伸さんの言葉である。
『思考ステップの特徴は、絞りこんで考え続けることである』というところに至極共感を覚えた。
独りで考えるからちゃんと整合性もあるし、確りとしたモノに仕上がるのである。その具体化をいろんな人に手伝ってもらえばいい。
国難の時期である。評論家は要らない。毅然としたリーダーが毅然としたやり方で旗を振るべきである。
旗の振り方は小泉流、橋本流、樋渡啓祐流といろいろあって、いいのである。
野田流がひょっとしてあるのでは、と期待しているのである。 大きな舞台だからゆっくり回す必要がある。
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