★ いつも突然なのだが、堺の伊藤彰さんから
こんな水茄子が送られてきた。
こんな手紙が添えられていた。
カワサキの特約店制をやる前の昭和45年末(1970)からのお付き合いだから、
もう50年ものお付き合いである。
当時の担当セールスが竹内優さんだった。
竹内さんと二人で泉州の南の販売店を廻っての帰り道、
『堺にオモシロい店がありますが寄りますか?』というので
予定外だったが、訪ねてみたのである。
確か、まだその時はカワサキとは正規には繋がっていなかったのでは?
弟さんと二人で『中古車』を中心におやりだったように思う。
そのあと、『カワサキ共栄会』を作った時に、仲間に入って頂いたのである。
まだ、『伊藤モータース』と言ってたこんなお店の時代で、
はじめてカワサキの看板を上げた時の写真だと思う。
その頃のことを忘れずに、『株・忍者のホームページ』に載っている。
竹内さんんと二人で初めてお会いした時のこと、よく覚えている。
50年経った今と、全然変わらない。
★その後、『カワサキ共栄会』の時代を経て、
カワサキ特約店制度を船場モータースの岡田博さんなどと共に、
カワサキと一緒になって創ってくれたのは、
伊藤彰さんなど有志の販売店の人たちなのである。
その後、いろいろと店の名前は変わったが、
まさに『カワサキ一筋』を貫いて、
いまは『株・忍者』というお店になり、息子さんがおやりになっている。
★お礼の電話をして、 久しぶりにいろいろ喋った。
手紙にもある『中部ミスターバイクの斎藤昇』さんのことで延々と話をした。
斎藤昇さん、今年の1月に突如亡くなってしまったのである。
伊藤さんの親友というか兄弟のような間柄だったのである。
斎藤さんとは、私もご縁があって、
『春日井スズキ』という小さなお店を出したばかりの時からのお付き合いだった。
昭和48年」(1973)にカワサキが特約店制度をスタートさせようとしたとき、
手を挙げたのだが、ちょうど目の前にあった大きなお店が
『あんな店を入れるのなら自分は辞める』などとごねたことから、
私が直接お会いして『ちょっとの間待つように』説得した経緯があって、
特に私は親しくして頂いていたのである。
そんな経緯もあって、私が名古屋に行くときは、
駅まで送り迎えなどして頂くなど『律儀な方』だった。
その「春日井スズキ」を担当していたのも、
その時は大阪から名古屋に異動していた竹内優さんだったのである。
なぜ、伊藤さんが斎藤さんと繋がったのかよく解らなかったのだが、
お二人を引き合わしたのは竹内優さんだったようである。
その話は、昨日の電話で初めて知ったのである。
竹内さんは、そんなに目立たない大人しい方だが、
大阪時代からずっと今でもいろいろと関係がある。
伊藤さんに『いい』と言ってもらうのはなかなかムツカシイのだが、
そんな中でも竹内さんは別格で『いい』を通り越して『恩人のレベル』なのである。
この水茄子も私と竹内さんと、もう一人『荒木くん』に送ったとか言っていた。
『荒木くん』とは、彼が東京担当時代によく知っているのだが、
大阪で伊藤さんを担当したのは知らなかった。
★ 私自身も、二輪の世界には長いのだが、
不思議なほどいろんな人と繋がっていて、
斎藤昇さんなども、昨年12月中頃に突然電話をしてきて、
いろいろ言ってたのだが、その半月後に突然亡くなってしまったのである。
これは何年か前、近畿のモトクロス会場での写真だが、
当時のMFJモトクロス委員長の田中隆造さんも一緒だったが、
斎藤昇さんとはこれが最後になってしまった。
★Facebook に私がずっと使っている写真だが、
右から二人目が田中隆造さんである。
その左の『吉村太一』さんと伊藤彰さんはなぜか親密なのである。
金谷秀夫とも親しくて、金谷の店で飲んでる席から電話を頂いたこともある。
私がずっと、この写真を変えずに使っているのは、
ここに写っている方たちは、カワサキに関係があった方も勿論居るのだが、
ホンダ・スズキ・ヤマハとBSという、二輪業界の方が揃っているからなのである。
川崎重工業で二輪関係を担当して約40年、
社内の方とも勿論関係はあるのだが、
今でも、むしろ販売店などの方たちや、業界やレース界の方たちと
親しくさせて頂いているのである。
★昨日の電話で、伊藤さんはごく最近田中隆造さんにお会いした際、
田中さんが『私のこと』を仰ったようで、どんな関係かと仰るのである。
私は存じ上げてはいるが、たまたまこの2枚の写真に田中さんがいる。
田中隆造さんは、吉村太一さんとは昔のレース仲間で親しいし、
トーハツからBSに移籍して、BSのライダーだったのである。
上の写真にも太一ちゃんと一緒に写っていて、
『太一ちゃん』は星野と同期生なのである。
そして『カワサキの想い出、そして未来』のあの会場に田中隆造さんがいるのは、
かってBSの監督をされていた『シルバーストーンのケン鈴木ご夫妻』が、
出席されたので、『お会いしたくて』参加されたようである。
『ケン鈴木さん』はトーハツーBSーカワサキとレース一筋の道を歩かれたのである。
いろんな方たちとの繋がりはいいものである。
でもお互い、そこそこの歳で『いついつまでも』とは言いにくい年代である。
いろいろと想い出も多かった斎藤昇さんだが、
改めて 生前のご厚誼に感謝し、 ご冥福を祈りたい。