雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

販売網とは 誰のモノなんだろう?

2020-06-28 06:49:55 | カワサキワールド

★昨日、かってのカワサキの販売店政策,
委託制度から仕切り制度』への改革をアップしたら、
吉田純一さんからFacebook でこんなコメントを頂いた。



 


 カワサキの二輪事業に関係したOBとして
 現役諸君がやっている政策に論評をするのは、何となくイヤなのだが、
 吉田純一さんもカワサキのOBだし、かっての仲間で
 今は日本二輪車文化協会の会長も務めておられる二輪車業界の重鎮なのである。


 いまカワサキが進めている『プラザ政策』とは
 その基本コンセプトがもう一つよく解らない。

 特に、吉田さんがご指摘のように『ユーザー目線』が感じられないし、
 かって、何十年も掛って作り上げてきた『カワサキ販売網の仲間たち』を
 どのように考えているのか?


 カワサキのホームページにはこのように書かれているのだが、
 もう一つその目的などが明確ではないように思う。

     
  


 
 


★ネットを見ていたら、カワサキバイクマガジン
こんなカワサキの創生期から支えた人たちのことが出ていた。
よく存じ上げている人たちばかりである。


  



 特に仙台の服部謙治くん や

  


 堺の伊藤彰さん などは私とも密接に関係があるのだが、


  

 
 
 私と一緒に店を立ち上げた服部カワサキも、プラザに参加しないようだし、

 特に伊藤彰さんは、
 このカワサキプラザ構想に対して、
   『カワサキ一筋に尽くしてきた、私の50年は何だったのだろう?』
 と言われるのである。

 文字通り純粋な一徹な人で、
 カワサキバイクマガジンでもこのように紹介されている。


カワサキバイクマガジン     vol.92掲載記事(2011年10月1日発売)

当時を知っているからこそわかることがある。
混沌とした時代にこそ、我々は忘れ去られつつあるカワサキ創成期のあらゆるエピソードを今に伝え、
その想いを受け止めるべきではないだろうか

今回は、カワサキが販売網拡大に動き出したころ、異業種から転身し、販売店を開業した伊藤 彰氏が、その過程を語る。



現在大阪府に店舗を構えるカワサキ正規取扱店の忍者も、昭和40年前半に販売店を開業し、カワサキ車を取り扱うようになった一店舗だ。
とはいえ同店代表の伊藤 彰は、まったく畑違いの職から二輪業界に転身してきたのである。・・・・・・・

大阪のカワサキ販売会社に勤務する営業担当者が伊藤モータースに訪れた。
伊藤、24歳のころだった。
「私のバイクショップから離れた場所に、大型のバイクショップがあったんですけど、そのショップに営業マンが500SSを納車する際に立ち寄ってくれたんです。
竹内 優さんという方で、クルマに積んだ500SSを私に見せてくれたんです。
その竹内さんとの出会いが、私がカワサキ車を取り扱うようになったキッカケです」


「私は竹内さんにほれて、『カワサキのバイクをもっと私に売らせて下さい』と頼んだんです。
すると、まず3ヶ月間でカワサキのバイクを6台売ってほしいと言われたんです。
あくまでも竹内さんからの提案にすぎなかったんですけどね。
その後1台、また1台と売れていって、もうすぐ3ヶ月めが終わるというときに、売った台数が5台だったんです。1台足らないわけですよね。
だから仕方ないのでW1を自分で買ったんです」

3ヶ月間で販売台数6台というのは、カワサキ車を取り扱うための条件ではなかったものの、伊藤氏はその販売台数をクリアし、この出来事を機に、
伊藤モータースではカワサキ車を本格的に販売するようになる。

「当時、私の店は立派なテントもない小屋のような建物だったので、カワサキに、カワサキのテントがほしいと伝えたんです。すると、当時カワサキと業務提携していたテント屋がなく、私に探してほしいと頼まれたんです。そこで自分でテント屋を探して、やっとカワサキのテントを掲げることができたんです」



   



(伊藤さんは竹内優さんを恩人と言って憚らない。 
こんな具体的な話は、私も読むのは初めてなのである。

これがその時の写真だが、当時の大阪のカワサキ販売店で、『テントの看板』だったのは伊藤モータースだけなのである。
これは伊藤さんご存じないのかも知れぬが、
看板屋に看板を付けるように頼んだら、
『あの店には看板は付けられないというので、
仕方なく『テントの看板』になったのが経緯なのである。
これは私自身がよく覚えている。)



・・・・・・

伊藤がカワサキのバイクを本格的に取り扱うようになったのは、カワサキの営業担当者にほれてのこと。そしてお客とのつながりも大切にしていく。
このように伊藤は人と人のつながりを大切にしながらバイクショップを営んできた

「私がまだバイクショップを始めたころ、竹内さんをはじめとしたカワサキの方に、
いろいろ教えていただきました。私のカワサキ人生を語る上で大切な方たちです。
もうその方たちはカワサキを定年退職されてますが、今でもお付き合いさせていただいています」

カワサキのバイクショップを営んできた伊藤が、
今に活かされていることについて挙げたのは、
人とのつながりを重んじることだった



  



★ このように建て増ししたのはスタートして1年後ぐらいのことなのである。
 それからいろいろと店名も変わって、
 今の『忍者』に繋がっているのだが、

 服部君も、伊藤さんも、吉田純一さんも、
 『カワサキプラザ』には、参加しないようである。
 
 従来の正規販売店800店の殆どが参加しないというか
 『参加できないような条件提示』なのである。

 伊藤さんの言う
 人と人のつながりを大切にしながらバイクショップを営んできた
 
 そんなことを、どのように考えているのだろうか?
 『販売網とは 誰のモノなんだろう?』
 販売会社だけのものではないようにも想うのだが・・・・・




コメント
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