雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私と健康と好運     雑感

2020-10-28 06:14:46 | 自分史

★ 88歳の米寿まで半年を切った。
  
  とんでもなく長生きしたものである。
  今も、結構元気で毎日1時間もスロージョッギングしているし、
  50メートルダッシュ・10本も出来るし、
  毎朝やってる『ストレッチ』で『柔軟性は20歳台』が確保されてるから
  若し今年も三木市の体力測定が実施されていたら、
  間違いなく『体力年齢=50歳台』が確保されたはずである。
  
  前回、85歳の時の『体力年齢=53歳』だったのである。



  




★ 今のところホントに元気なのだが、
  今まで、人生で3度死にかけたし
  我が家のDNAは、男性は祖父も、父も、伯父も50歳台で亡くなったので
  『そんなに長くは生きられない』と思ってずっと生きてきたのである。

  『だから』というわけでもないのだが、
  『その時々を懸命に生きた』と言えるのかも知れない。
  不思議なほど『欲はなかった』し、『何になりたい』と思ったこともない。

  自分の進む道は、みんな周囲が決めてくれて、
  そんな周囲が決めてくれた道を『ただ懸命に』歩いてきたような気がする。
  唯一『自分で決めた』のは『家内との結婚』だけだと言ってもいい。
 


  

★『3度死にかけた』と言ったが、一度目は20歳の時肺浸潤になって、
 そのまま野球を続けていたら、『空洞』が出来たのだがそれでも野球を止めなかった。
 『そんなに長くは生きない』と思ったので、自分の生きざまを残そうと日記も書き出したのである。

 川﨑航空機に入社できたのだが、そこでも野球はやっていた。
 会社の診療所の先生には野球を止められていたが、それでもやっていたら、
 ある時ユニホーム姿を見つかって、『菌が出てるから』と入院させられてしまったのである。
         
  『診療所の先生に見つかったこれが好運の最初だと思う。
  若し入院していなかったら、私の人生も短く終わっていたかも知れない。
  入院したら1年足らずで空洞も消えて、
  退院したら『新しく出来た単車営業』に異動になったのである。
  そして、健康が取り戻せたので、翌年『家内と結婚した』のである。

  
★最後の勤めが札幌での『北海道川重建機』だったのだが、
 この2年目に駐車違反のことで警察の本庁で文句を言ってたら、
 アタマに血が上って『くも膜下出血』で倒れてしまったのである。

 倒れた場所が警察だったので、15分後にはこんなに立派な『中村記念病院』に入院出来たのである。
 脳外科専門医が30人もいる脳外科専門病院で、手術もせずに1ヶ月で退院できたのである。

  

  


  これが好運の2度目である
  非常にムツカシイところが切れたので、『手術をしない』ということを
  『会議で決めた』と仰るのである。
  こんな大きい脳外科の専門病院などは関西にはない。

  あとで主治医の先生に聞くと、『手術をしない』などは
  専門医が2,3人の普通の大病院では『多分ない』と言われるのである。

  こんな病院に巡り会えたのが、『好運だった』と言えるのだろう。
  そして、それまではあまり考えなかった『自分の健康』について考えるようになったと言えるのである。


  68歳の頃のことだから、それからもう20年も経っている。
  そして、今のところ『何の問題もない』のである。



★ この年の5月で現役生活を終わったのだが、このころは体力的に衰えていて、
        膝や腰が痛くて整形外科に通って電気治療などやってたのだが、
  先生に『治りますか?』と聞いたら
  『筋肉は何歳になっても付くからストレッチでもされたら』と言われて、
  私のストレッチはそこから始まったのである。

  これが『好運だった
  毎朝40分ほどのストレッチはここから始まったのである。

  そして『77歳の時の体力測定』で『柔軟性は20歳』と出て『さらに筋力をつけたら』と出たので、
  その年から『50メートルダッシュ』を始めたのである。
  不思議なもので年々早く走れるようになって、『今が一番スムースに速く』走れているのである。


★そんなことで、定年後の生活は全く順調だったのだが、
 実は昨年の7月に『ほぼ死にかけた』のである。

 足に菌が入ってちょっと熱があったのだが、
 寒かったので風呂に入ってたら『風呂の中で失神してしまった』のである。

 気が付いたら救急隊員が居たりしたのだが、自分では『全く記憶がない』
 たまたま、アメリカから娘と孫が遊びに来てたので、
 風呂からは孫が『引っ張り上げてくれた』らしい。

 若し、家内だけだったら『どうなっていたのだろう
 これが『死にかけた』3度目なのである。
 救急車が来てたので、一応は病院まで行ったのだが、
 『そのまま帰宅』したのである。

 『風呂で急に血圧でも下がったのでは』と勝手にそう思っている。


★ 今年は『コロナ問題発生』だが、
 その対応生活は『私の健康』にはいい方向で作用していると言っていい。

 午前中は公園で走ったり、ジムに行ったり非常に健康的に過ごせている。
 あと何年このまま元気で過ごせるか?
 
 こういうと『不思議に思われるかも』知れぬが、
 ストレッチを始めた『70歳の頃』から現在まで、
 『体力の衰え』は全くないような感じで推移しているのである。

 『筋力は何歳になっても付く』と言われた整形外科の先生の言葉はホントだったのである。




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