雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話   25    X11に関わった人たち

2023-10-16 04:53:54 | カワサキ単車の昔話
★カワサキのサーキット走行のスポーツ4輪X-11については、何度か取り上げてはいるのだが、
カワサキ単車の昔話』としてこのスポーツ4輪に色々と関わった方たちの話も纏めてみたいと思ている。


  
  

 このプロジェクトは技術本部の提案で『015計画』としてスタートした。
 当時の技術本部長は私と同期の藤川哲三さんで1990年4月23日にその報告会が高橋鐵郎本部長以下当時の幹部全員が出席して開催されたのである。
 私は当時は国内販社を担当していたのだが、新しい4輪販売をどうするかということでメインメンバーとして出席しているのである。
 これがこのプロジェクトのスタートだと思う。

 エンジン開発は約1年の月日を経てほぼ完成し、
 翌年の91年2月には、高橋本部長、藤川技術本部長ほか技術部担当メンバーと私を含めたメンバーで開催され、
 技術本部のレース関連部門と、当時のカワ販の関係会社 株)ケイ・スポーツ・システム(KSS)のレース関連部門とで具体的に推進することが決定されたのである。
 マシンに『KAZE X11』と表示があるのはそんな経緯からである。

 なぜ、販売部門の私が関わったのかというと、
 このマシンを走らせるサーキットが必要でSPA直入もKSSの管理下だったので、
 そこでも走らせたこともあったのだが、いかにも小さすぎて、実験にならなかったのだが、
 その当時カワ販は岡山に完成したばかりの会員制TIサーキット会員権を2枚も所有していたのである。

 そんな4輪の会員制サーキットの会員券をなぜ持っていたのかというと、 
 TIサーキットの初代社長の千々岩さん元ホンダ技研の常務さんだったのだが、千々岩さんに会員権を買ってくれと頼まれたので、
 約1000万円もしたのだが、2枚も買って立ち上がりのご協力をしたのである。
 人に頼まれるとなかなか断り切れない性格なのだが、
 このサーキットは会員制という当時日本でも初めてのシステムだったので、そんなことにも興味があったのである。
 これが結果的には『015の開発』に役立つことになったのである。
 
★当時カワサキの契約ライダーだった多田喜代一くんがFacebook にこんな写真を載せている。
 岡山TIサーキットでの走行風景である。
 
 
 

Kiyokazu Tada
90年初めにカワサキワークス.フォーミュラーマシンX -11。
エンジンはZZ -R 1100のフルチューンエンジン搭載、開発ドライバーは元トヨタ.ワークスドライバーの見崎清志
岡山国際サーキットを36秒台で走ります。僕も試乗させて貰いましたが、シートポジションもそのまま、ペダル位地もそのまま、なかなか走り辛い感じでした。
なれた頃には最終コーナーで大スピン!あわやピットウォールにクラッシュ寸前でした。でも楽しい走行が出来ました。

★ 当時の国内市場はZEPHYR時代で、めちゃ調子もよかったし、
 藤川さんに頼まれて、サーキット走行などいろんな面倒を見ていたのである。
 特に当時は未だ技術部のぺいぺいだったが、このエンジンを担当していた山田浩平くんがオモシロくて、
 そんなことも応援する気になったのである。
 このプロジェクトはKAZEやレースやサーキットなどを担当していたソフト会社  KSSでは、
 その発売を目指して、カタログまで創ったのだが・・・
 何故か販売までには至らなったのである。

 星野インパルの金子豊くんに『星野一義に乗せられないか?』と言ったリもしたのだが、
 星野はブリジストンとの契約があって、ダンロップのタイヤだからちょっと無理と言うことだったのである。

★それにしても、なぜ発売を止めてしまったのか?
 その経緯は、全然聞いていないし、アレだけ熱心に応援していたのに、解らないのが不思議である。
 1台だけ東京の藤木さんが持っていたのだが、FISCOでクラッシュしたと聞いていたのだが・・・・

 その時代カワサキの広告代理店にいたという貴島さん
 退職してから三木のサーキットで会ったりしたのだが、
 彼はFBにこんなことを書いてくれた。

 「かくして古谷さと約15年ぶりの再会とあいなりました。
 古谷さんのイメージは当時、社長室でスーツ姿ビシッと決めておられた姿でしたので、
 ON ANY SANDA当日お会いしたラフな格好の古谷さんは、
 メジャーリーグのウエアに帽子で、ワタシの緊張を解きほぐしてくれました。

 いま私がFBに使っているのは、カワサキの想い出そして未来の時の写真だが、 
 その写真の一番右に小さく写っているのが、確か貴島さんなのである。

 


★ ずっと後のことだが
  カワサキワールドに、KAZE X-11が展示されてるというので、これはぜひ見ておきたいと、登山道夫さんと、青木隆さんとの3人で出かけた。 
 このプロジェクトを当時担当した山田浩平くんから、
 その日の朝、こんなメッセージを頂いたのである。

 「プロジェクトX-11では大変お世話になりました。
 マグネのヘッドカバー がKファンに向けた私のメッセージです。
 現在の世界中のカーマニアが見ても何か感じるものがあると思います。
 開発当時はコストアップだとか執拗に上司からネチネチいわれましたが・・・
 カウルを外して展示されているようですから、
 マグネのヘッドカバーが目立ってよく見えると思います。是非ご覧ください。

 こちらが、山田浩平くんの仰る マグネシュームのヘッドカバーである。
 
    
 


 こんな現物のマシンが展示されていた。


 
 

  山田浩平くんは、Ninja H2R開発者としても有名である。
  私とは今でも毎日Facebook で繋がっている。
  
    

  
 
 
★ こんなKAZE Xー11 の当時のカタログがあったのは、驚きだった。
 これは当時の 株)ケイ・スポーツ・システム が作ったものである。

 

 そして、この『カタログ製作の担当』をしたというのが
 前述の貴島久裕さんなのである。
 
★ FJ1600よりは限りなくF3に近いサーキット走行専用車で、  ZX1100ccのエンジンをベースに160PS/105000rpm、車重409kg, 
 エンジンは当然カワサキの開発陣が関わったのだが、
 サポートしてくれた人たちがまた、かっこよかったのである。

 シャシーは、FJ1600の創始者で鈴鹿のウエストレーシングカーズ社長の神谷さんが直接担当してくれた本格的なものだった。
 このマシンに興味を持ったのは、前述の「TIサーキット」の千々岩さん(元ホンダ技研常務)や国井さん。
 そのテストと評価は、元F3チャンピオンの佐々木さんで、その評価も上々だったのである。
 レース界では名を知らぬ人は居ないほど有名だった、ダンロップの京極さんなどもタッチしてくれている。

 特に、二輪エンジン10,000回転を上回る独特のノイズが何とも言えぬいいムードであった。
 TIをベースにテストは続けられ、川重社内の経営会議決済でも承認され、
 当時の雑誌、カーグラフィックにも記事が掲載され、その評価も至って良く、
 カタログも作って1台800万円ぐらいで売り出すべく準備をしていたのだが、
 何故本格的な発売にならなかったのか、それが解らないのである。
なぜ、発売されなかったのか?だけは解らないのだが、ここに記載したことは間違いない事実なのである。

 いろいろと関係のあった『015計画』Xー11だったのだが、
 何故か陽の目を見なかったのである。
 それにしても2017年だったと思うが、
 何故、カワサキワールドに展示する気になったのだろう?


 

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