雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の日記から   1958(昭和33年)

2023-10-22 17:54:16 | 自分史

★ 社会人生活2年目である。
 川崎航空機に入社したのは伯父の友人でもあった当時の川航副社長の砂野仁さんのコネだったからである。
 伯父との接点は旧く戦前になるのだが、明石で伯父が片手間にやっていた錦江ホテルが当時の川航に来ていた軍人の宿舎に接収されるのだが、
 砂野仁さんは、その時の川崎航空機の総務部長でその売買契約書は二人の名前で結ばれているのである。


  




 本当に偶然なのだが私は財産課に配属されたので、
 旧い書類の中からその契約書を見たのである。
 戦前の金だが、80万円の売買価格だった。給料が100円にもならない時代だったから相当な額ではある。


  

 会社ではそんなこともあり、入社2年目も結構ちゃんと仕事をしたはずだが、
 日記の多くの部分が家内との交際のことで埋まっている。
 私は何事にも熱中するタイプだが、
 人生でこの年は恋愛に熱中した1年であったと言っていい。
 
 そういう意味では、記念すべき日記帳である。

  
    


  
★ 隣の給与係にいた家内には、配属後すぐに関心もあって
  日記にもその記述があるのだが、その後も特に何事もなく過ぎている。

  この年の5月28日のことだが、
  三ノ宮で同じ電車から降りて声を掛けたのが始まりである。
  その時のことを日記にこのように書いている。

    




  こんなやり取りがあって、映画に誘ったらついてきた。
  記念すべき初デートである。
  これが5月28日だが、翌週の6月7日には新世紀に踊りに行っている。
  そして6月24日にも新世紀に踊りに行っている。

  1ヶ月も経っていないのに、会社の誰かに見つかってしまっていて、
  その頃にはみんなに知られているのだが、全然、気にすることはなかったのである。

  そして7月9日には、彼女の方から誘われた
  7月10日が誕生日で、誕生日を一緒に過ごしたいと思ったのだと思う。
  私が26歳の時だから、家内は22歳の誕生日だったのである。

  
  


  神戸の摩耶山に登ったのだが、
  帰りは真っ暗な山道を歩いて降りてきている。

  その後も毎週のようにデートは続いたが、
  7月22日に布引の滝ではじめて『好きだ』と言っている。
  人生で女性に対して、はじめて言った言葉で、
  家内以外に『好きだ』と言った女性はいないのである。

  彼女の自宅が神戸の灘区であったこともあって、
  その後のデートも、神戸や大阪まで足を延ばしているし、
  夏には淡路島の洲本まで泳ぎに行っている。


  その当時の家内の写真で、送って来てくれたものである。
  当時、私はカメラなど持っていなかったので、
  彼女の写真などはこのほかにはないのである。

  


★ 会社の仕事の話は日記には少ないのだが、
  会社で2年目結構ちゃんとやった筈で、
  これは日記ではなく私に記憶なのだが、
  財産課に配属されて工具器具備品を担当するのだが、
  当時、その財産台帳もないしその物件は償却計算された紙に件数だけが解る状況だったのである。
 
  この財産台帳を創ると言ったら、周囲の先輩たちはみんな、それは不可能だからやめておけと仰るのである。
  そんな言葉にも反発して、財産プレートなるものを創って、各課の物件にそれを貼って、1件ずつ財産台帳を創っていったのである。
  これはある意味大変な作業だった。現場の事務所を周って例えば机などにも、財産プレートを打ち付けていったのである。
  そんなことばかりしてたから『古谷はいつ見ても金槌を持って社内を歩き回っている』と言われたりしたのだが、
  この年1年掛って、ほぼ全体の財産物件がどの課に幾つあるかも解り、
  財産物件台帳が完成したのである。

 入社したばかりの新人の頃から、
 自分で仕事を創っていったので、振り返ってみると、
 上司の指示で仕事をした経験がないのである。

 入社2年目は、仕事もしたが『家内との交際が始まった』そんな記念すべき1年だったのである。

    
コメント
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