雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

第2次菅内閣に思う

2011-01-15 06:08:34 | 政治

★第2次菅内閣がスタートすることになった。

政治の世界は解りにくいし、解っているわけでもない。

今のような難しい情勢になったらどうしたらいいのかと言われても、意見も持っていない。

具体的には何にも解っていないのだが、今回の菅内閣はどうだと言われたら、これくらい支持したくない内閣もないくらい、支持する気にはなれないのである。

理由はなんだろう?

菅さんは、やはり一国の総理には不適切である。リーダーとしての資質に欠けると思ってしまう。

野党のリーダーの時は、そう思わなかったが、与党のリーダーとしては完全に失格であると思う。

 

★政治家は、ウソを言っては絶対にいけないとも言わぬが、

これだけ明確に『小沢外し』をやっておきながら、『挙党一致だ』とか、

『最強の内閣』だとか、『問責で内閣改造をやるのではない』などというような人が、何を言っても『それを信用せよ』というのはムリな話だと思う。

民主党が絶対だめだとも思わぬが、菅さんではと思ってしまう。

でも、どうなってしまうのだろう。

 

★世のなかには、リーダーという職位はいっぱいある。

総理も、代表も、市長も、社長も、所長も、大きい小さいはあるだろうが、みんなリーダーである。

リーダーには、任された権限がある。

その権限を行使するのも当然リーダーの責務だとは思うが、『権限以外』の『その人にしかやれないこと』をやれてこそリーダーなのだと思うが、

そういう意味では、『与えられた権限』だけしか行使できないリーダーが多すぎるように思えてならない。

何の理念もなく、その『職位に就くことだけが目的』のようなリーダーが多すぎるのである。

 

★内閣改造も、組閣人事も、確かに出来たが、それだけでは単に権限行使の『作業』は出来たことになるが、『仕事』をしたことにはならないのである。

菅さんだけではない、世の中のリーダーの地位にいる人たちは皆、一度自分がやっている仕事で、『権限行使以外の仕事』を何をやったのか?考えてみてほしい。

組織をいじったり、人事を動かしたり、事業計画を作って、その予算で建物を建てたりすることが『仕事』だと錯覚されていないか?

そんな類は、決して『仕事』ではなく、単なる『作業』なのである。

どうも世の中に、作業員のような決められたことしかできない『リーダー』が増えてしまったように思えてならないのである。

 

★ずっと昔、松下さんも、本田さんも、石坂さんもみんな『リーダー』らしかった。

ちゃんとご自身の『想い』を持っておられたし、その『想いの実現』のために全て行動されたのである。

勿論、今でも『リーダー』らしい人がたくさんいるのはよく解っているが、

それ以上に、『リーダー^らしくない、作業員のようなリーダー』が目立ち過ぎるように思えてならない。

 

それでも、民間や、地方のリーダーなら、まあ許せても、

日本の、一国の総理が、『サラリーマン総理』や『作業員総理』では、引っ張っていかれる国民はたまったものではない。

『何とかならないのか』と思ってしまう。

『熱い想いを語れるリーダー』なら、民主党でも、自民党でも誰でもいいのである。

国会議員の中には、間違いなく、そういう資質の方は居るはずである。

 

『菅さんにはそれがない』、と私は思ってしまうのである。

 

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昭和40年、1965、後半 免許が取れた、いろいろあった新しいこと。

2011-01-14 06:05:36 | 自分史

★この年の後半もいろいろあった。

新しいこと、初めての経験がいっぱいあった。

カワサキの二輪事業そのものが創成期で、私だけでなくいろんな人が新しい初めての分野への挑戦だったのだと思う。

広告宣伝や、レースなどに熱中していて、事業そのものの損益などがどんな状況かなどは一切解っていない、ただ、金を使ってレースに没頭できた結構な身分であった。

国内市場が主力であったが、まだ当時は各地代理店制度が敷かれていて、車種はB8,M5に中間機種の85J1が出たぐらいだから、そんなによかったわけでもないだろうと思う。

ようやくアメリカ市場の見込みが立ちそうな時期であった。

ロードレースはようやくGP125ccの開発が春にはスタートし、A1,W1などの開発が進んでいた時期である。

世の中は、四輪免許を取得する人も何となく出てきて、私自身も6月には免許を取得したがマイカーを持つにはまだまだの時期ではあった。

出向先では課長という職位にはあったが、給料は3万円、ボーナス手取りで、76000円、そんな時代であった。

 

★モトクロスのほかにロードレースがスタートした。

5月のジュニアロードに山本隆がホンダに次いで3位入賞を果たした勢いをかって、6月13日のアマチュア6時間耐久レースには、3台関東の岡部、梅津、関西の歳森、金谷、それにテストライダーコンビで加藤、飯原の3チームが出場した。

3時間あたりの時には、加藤、飯原組がトップを走っていたのだが結果的にはダメだったが。カワサキのロードレースの幕明けだったのである。

このレースの監督、助監督を務めた、大槻さん、田崎さんはその1カ月後の7月には、

大槻さんはドイツ留学で、田崎さんはアメリカ市場に異動が決まって、レースチームから抜けることになったのである。8月10日に明石デパートの屋上ビヤホールでレースチームによる会費1000円の送別会をやっている。

そのあとも技術関係は安藤さんが引き継がれて、レースは続けられたが、モトクロスは兎も角、ロードレースは1年目は中々上手くは行かなかったのである。

秋には、岩城常務命でレース運営委員会が正式にスタートした。

守田工場長が委員長で、山田、苧野、堀江、中村、高橋、黒河内、渡辺、安藤のメンバーでその事務局を担当することになったのである。その後のカワサキの二輪事業を、カワサキ重工業を支えた豪華メンバーでもある。

 

★岩城良三常務が単車本部長に就任されて、カワサキの二輪事業のトップとして、もっとも明確なリーダーシップを発揮された時期でもあった。

『隣国の兵は大なり、その武器は豊かなり、その武勇は優れたり、然れども指揮の一点譲るべからず』

全ての訓示は必ず、その言葉から始まったのである。

特に上層部の方は岩城さんにピリピリしていたし、事業部全体が張り詰めていたが、

そのころはまだ、ホンダ、スズキ、ヤマハの競合各社にカワサキが敵うモノは、何一つなかったのである。機種も、性能も、販売台数も、販売網も、皆無であったと言っていい。

だから、私は広告宣伝課と言いながら、レースに懸けたウエイトは相当なものだった。とにかくホンダ、スズキ、ヤマハにどんな形でもいい、勝ちたかったのである。

 

その広告宣伝費が本社開発費であったために、トップだけしか出席しない開発会議に出席させらりしたし、予算の方針なども直接岩城常務に呼ばれて二人の間で決まったりしたのである。

この年飛躍的に伸びようとしたアメリカ市場は、これもどこまでも前向きな浜脇洋二さんが旗を振っていて、実績は前年の5倍にもなって、広告予算も超過したりした。その報告に岩城さんのところに行ったのだが、

『俺とお前の間で、これでやると決めた予算なのにそれで出来ないとは何事だ。任されて仕事をやると言った以上最後まで責任もってやれ。』とこっぴどく怒られたりしたが、親父に怒られているようで、かえって気持ちがよかった。

 

★7月からは、MFJの運営委員会にもカワサキ代表で出席するようになり、ホンダ、スズキ、ヤマハ、のベテランの部長さんの中でカワサキとBSだけが若手委員がメンバーだったのである。

初めての業界団体への会議出席であった。その会議で秋のGPにBSは50ccで出場すると言うのである。帰ってそれを報告すると関係の部課長さんはみんな、『BSが出場するなら、カワサキも』と仰るのである。然しそれは岩城本部長の決済が要る。

その岩城さんへの報告は、『お前がやれ』と押しつけられて、岩城さんに報告したがその時点では、GOにはならなかった。

その後いろんな経緯はあったのだが、秋のグランプリには安良岡健の個人出場という形で出場は決まったのである。

MFJ関係で言えば、7月31日には鈴鹿サーキットで行われた、日本で初めて開催された『24時間耐久レース』にも役員として参加した。確かこのレースはこの1回だけで終わってしまったのではと思うがーー貴重な体験ではあった。

MFJの11月の運営委員会の席上、スズキの岡野さんから、『うちの藤井敏雄から辞表が出た。彼は社員ライダーだから引き抜きは止めて欲しい。』との発言があって、その時点では私は全然知らなかったので、BSさんのことかなと思っていたのだが、

カワサキの技術部かどこかが接触していたようである。年が明けて早々藤井敏雄君との契約交渉を私がやることになったのである。カワサキのレースはまだ専門は居なくて、それぞれの部門が動いていたので、私がしらなかっただけである。

藤井君とはモーターショーの会場で久保和夫さんが紹介してくれて面識はあったのだが、かって城北ライダースのメンバーだったようである。

★GPレース関係を除いてのライダー契約は、全て私の管理下にあった。当時の契約ライダーの名前は広告宣伝課の嘱託課員として載っていたのである。だからレース以外の仕事、広告のロケや、A1の開発などはテストライダーのようなライデイングインプレッションもやっていた。

特に、スポーツバイクのA1のテストは名神などでやっていたが、金谷の乗っていたA1がミッションが焼きついたのにうまく制御して怪我しなかったというのは、金谷の自慢話のひとつにもなっている。どこかのフィンの形は星野の提案だとかいろいろあった時代であった。

ライダー契約は、この年から私が直接担当した。

金谷秀夫の初契約であったが、御大の片山義美さんとの話になった。秘蔵っ子金谷のことが気になったのだと思うし、一緒に弟さんの従野孝司君の話も出たりした。

星野一義も初めての契約だたっと思う。私はすっかり忘れていたが、日記帳には、『23000円の月給で』と書いてある。日本一速い男星野もこんなところからスタートしているのである。

ちなみに、山本隆君は、本人の希望通り、80万円で一発回答をしている。翌年は確か120万円だったと思う。

当時私の年俸が50万円ぐらいだアから、結構気前よく払っていたのだと思う。

 

★会社のことで精一杯で、家のことはほとんど一切家内に任しきりだったのだと思う。

5月には娘も生まれて、2児の父親になってはいるが、休みに里に戻っても、好きな釣りばかりに没頭していたようである。

それでも、長男の方はいろいろ休みには遊んでやっていたのかもしれない。

今は、私以上に釣りにハマってしまっている。

この時期、会社から歩いて5分の社宅住まいであった。

 

 

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白内障の手術をしました

2011-01-13 04:58:03 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★白内障の手術をした。

11時半に家を出て、帰宅したところ、いま4時まえである。

病院には11時50分着、目薬をさすなどした後、血圧や心電図などの事前検査があって、点滴をしたまま手術室へ。

手術は、2時に始まって2時20分には、病院の控室に戻った。

それからさらに1時間、抗生物質の点滴をして終わった。

 

いろいろ感想はあるが、今日はこれくらいで止めておく。

眼帯をしているので、片目ではパソコンも打ちにくい。

字の大きさを200%にして、キーボードを叩いている。

 

明日朝9時半、もう一度チェックがあり30分の点滴。

明後日、もう一度チェックして、左目は終了。

 

右目は、来週17日に行う。

料金は15000円ほどだった。

 

以上、白内障の手術、簡単報告。

 

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昭和40年、(1965)前半、32才、カワサキ自販に出向

2011-01-12 06:02:38 | 自分史

★昭和40年、前年に続いて広告宣伝を担当、レース関連も2年目、より色濃く関係した。

この年の前半は、いろいろあって波乱に満ちていた。

前年は新しい仕事を、1億2000万円もの予算を本社開発費から頂いたのだが、7000万円ぐらいしか使い切れずに、

この年はとにかく予算を使い切ることが、一つの目標でもあったのである。

 

広告宣伝費と言えばマスコミを使えば、それは簡単に使うことができるのだが、

この時期のカワサキの二輪事業は、輸出はまだスタートしたばかりで

、国内が主力市場、その販売車種は、125ccB-8、50ccM-5のモペットなど実用車オンリーで、その販売の主力市場は、まさに田舎中心、東北や九州であった。

テレビでも、新聞でも、一番必要でない市場が、『東京、名古屋、大阪』なのである。

『東京、名古屋、大阪』を除いたマスメデイアなど世の中に存在しないので、簡単な使いようがなかったのである。

マスメデイアの広告が使えるような、販売環境ではなかったのである。

 

★それでも、一念発起とにかくマスコミを使おうと、

新聞の全頁広告を高城丈二をモデルにして、新発売の85ccJ1 の広告を打つことにしたのである。

朝日、読売。毎日などの全国紙は使えないので、全国の地方紙を全てと言っていいほど使って、『全頁広告』をうったのである。

全部で幾つあったのか覚えていないが、20紙以上はあったと思う。大阪で挨拶回りだけでも1日に18社を訪れたりしている。

多分、こんな効率の悪い広告を打った会社は、その後も出ていないのだろう。

その広告は2月23日に各紙に掲載された。

 

当時広告業界では話題になって、広告よりも広告の打ち方で関心が集まっていた。

広告に関心があるうちにと、3月8日に明石工場のマスコミの見学会を起案したら、朝日、毎日などの全国紙を含めて50社以上の参加があったりした。

そんなに来るならと、J1Tの新車発表も、一緒にすることにした。

当時の岩城常務の耳に入り、常務自ら出席されることになり、事業部長以下総出の対応となったのである。。

新聞広告自体よりも、このことの方がカワサキの名前が売れたのでは、秘かにそう思った。

 

★あまり知られてはいないが、

この年の3月13日に単車工場の塗装場から火が出たボヤがあった。たまたまモトクロス職場にいたのでそのボヤを目撃したのだが、見る間に消火器が集まって、見事に火を消し止めた。

塗装場の屋根に上って陣頭指揮を執ったのが当時の工作課長高橋鉄郎さんである。

その日の日記にこう書いている、

『あの火消は見事であった。たぶん高橋さんは始末書を書くのだろうが、よく消したと表彰状でも送ることになならないだろうが、そうしてもいいほど見事だった。やはり海兵で鍛えた人は違う。』

高橋鉄郎さんには、その後もずっとお世話になっている、今のNPO The Good Timesでは相談役もしてもらっている。

この年、MFJの日本グランプリにもご一緒したし、広島、福山への販売店会議にもご一緒した。

この火事のころは、まだあまり話もしたことはなかったのだが、

高橋鉄郎さんを初めて意識したのはこの火事の日のことなのである。

 

 ★レース関連は、2年目だったが、本格的にレースに頭を突っ込まざるを得ない事件が起こったのである。

3月13日に、神戸木ノ実所属の、山本、歳森から突如、辞表が出てBSにいくと言うのである。

この話は当時直接担当していた故川合寿一さんが聞いて対応したようだが、どうにもならなくて、3月18日になって、私がバトンタッチを受けたのである。

いろいろやってみたが、うまく行かなくて、

神戸木ノ実の御大、片山義美さんと、兵庫メグロの西海さんに相談したのである。

片山義美さんからは、散々厳しいことを言われたが、もっともなことが多かった。 

そんな経緯から、レースを私自身きっちり担当すると約束して、山本、歳森には西海、片山さんからカワサキに残るように二人に言い渡されたのである。

不思議なほど、簡単に二人のカワサキへの残留は決まったのである。

そんなご縁で、山本隆君、60おじさんとは今でも、親しくお付き合いをさせてもらっている。

 

当時、関東関係は、カワサキコンバットを三橋実が主宰、安良岡健さんもいて、この二人との一括の契約交渉だった。

MCFAJのクラブチームの全盛期で、それぞれのクラブチームリーダーの権限は絶対であったようである。カワサキコンバットには岡部、梅津が契約選手でいた。

星野一義もいたのだが、まだこの時点ではちゃんとした契約なしていなかったと思う。

 

★この年の4月1日に、大幅な職制変更があった。

川崎航空機、単車事業部営業部販売促進部に所属する全員が、カワサキ自動車販売に全員出向が決まったのである。

広告宣伝を何の肩書もなく、ただ担当していたのだが、出向が決まって平社員から突如『広告宣伝課長』なる肩書を頂いたのである。

32歳になったばかりであった。 

二輪事業では、その後も海外で子会社が出来たりして、掛長から一躍社長になったりした人もいたが、

この時期、この時点では、会社始まって以来のことで、本人もびっくりしたのだが、『課長』と呼ばれるのは、気分のいいことであったことは間違いない。

サラリーマンにとっては、まさに『麻薬』のようなものである。

この時期からちょうど10年カワサキ自販への出向期間は続くのだが、

10年後その時には、もう川崎重工と合併していた単車事業本部企画室に戻ったのだが、戻った時の職位が課長で、部長と呼ばれていたのに『課長』とは、どうも寂しく思ったものである。

 

★そんなことがあった年の5月3日、鈴鹿サーキットであったジュニアロードレースに山本隆君がこっそりと出場し、見事ホンダに次いで3位入賞を果たしたのである。

私は、そのレースは見ていない。

現地に行っていた川合さんから、『ヤマ3、シオ8セイコウ カワ』 という電報を連休中に受け取ったのである。

このときのことを書いたのが、『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』なのである。

 

このレースの出場は、山本隆君のたっての希望で、マシンを2台作り、山本だけではロードレースは頼りないからと、北陸の塩本と二人で走らせたのである。

当日、鈴鹿は雨になって、モトクロスライダーの山本には、恵みの雨だったに違いない。

とにかく3位に入賞したのである。

青野が原のモトクロスも雨のお陰で、1~6位独占だったのである。

雨は、カワサキのレースに限って言えば、『恵みの雨』で、この3位入賞がなければ、金谷秀夫のカワサキ入りもなかったかも知れない。

 

ロードレース3位で、翌月の鈴鹿6時間耐久レースに、

初めてカワサキとして。正式に3台のロードレースマシンを作り、その1組を走ったのが歳森康師が連れてきた神戸木ノ実の同僚ロード専門の金谷秀夫だったのである。

初めてと言えば、レース監督が正規に任命されて指揮を執ったのは、このレースが初めてのはずである。

その初代監督は大槻幸雄(後Z1開発責任者)、副監督は田崎雅元(後川重社長)なのである。

 私はライダーを含めてのマネージメント、広告宣伝費を余るほど持っていたので金主みたいなものだった。 レースも、エンジンの性能担当は技術部。マシンに仕上げるのは、兵庫メグロから来た松尾勇さん中心のモトクロス職場、工作部担当。 その運営予算やライダー契約は広告宣伝費、という3部門協力で、レース運営委員会でいろんな方針は決定されていた。

それまでの現場でのレース監督は、三橋実君が実質やっていたのである。

 

こんなメンバーが 、創成期のレースメンバーなので、

ひょっとしたら、thirai さんが主宰する 『カワサキの想い出、そして、、、』には、顔を出して昔の仲間として、『何かを語ってくれる』かもしれない。

 

★この年の5月4日、連休中に娘が生まれている。

2児の父親にもなった時期である。

家事は手伝ったりはしたが、あまりいい『イクメン』でなかったことは間違いない。

 

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『カワサキの想い出、そして、、、』

2011-01-11 06:09:45 | カワサキワールド

★昨年のいつ頃のことだったか、thiraiさんが、あるユーザーに言われて、『明石工場の見学会を計画してみたい』といったのが、この話の始まりです。

最初は、『20人くらい集まれば』などのしょぼくれたレベルの話だったのですが、

周囲のNPOの仲間たちから、応援話が湧いてきて、秋ごろからは具体的に進みだしました。

 

NPOのネット関係のアドバイザーをしてくれている、bunCさんも応援してくれて、

こんなに立派な申し込みのサイトも出来上がって、昨日はその公開募集の解禁日、全国のNPOの協賛者たちが一斉にフォローをスタートしたのです。

 

これがそのサイトの書き出しのコピーです。

 「一度工場を見学してみたい。歴史車とレースピットなんか見れたら最高ですね。」

お一人のつぶやきが3人~5人の方々の賛成を経て、やがて下記のようになりました。

 今回は、川崎重工業㈱明石工場と歴史車を見学、翌日には神戸カワサキワールドの見学をしようと言う、

そして夜には新旧レース関係者・スタッフ・ライダーと皆さんがトークショウを繰り広げて戴く「夢物語」です。

 ※友情出演として、「鈴鹿8耐&Love Bikeメッセンジャー」として活躍する

シンガーソング・ライター 左嵜 啓史(サザキ・ヒロシ)氏も参加します。

 

 

 

 ★仲間の連携の力はすごいなと思います。 

NPO The Good Times というネットワークは、確かに全国展開ですが、

 別にタテ型の組織も、権限も、お金もなくて、

別にこの件で会議など一度も開いたこともないのですが、

ネットワークと、システムと、基本コンセプトをベースにした『トータルシステム、いい仕組み』さえあれば、こんなことも出来るのだなと、

改めて『仕組みの効力と連携の力』を実感しています。

 

 ●ベースにあるのは、インターネットという現代のシステムの素晴らしさと、

●忘れてはいけないのは、長年培ってきた『Kawasakiというブランド力』です。

★もう一つは個人のレベルですが。その一つ一つが持つ発信力のユニークさと、その連携の強さです。

昨日の朝、解禁した途端に。

ねこさんはこんなブログを発信しています。  小林ゆきさんも参加するとか。

●雷神マッハさんは、ツイッターで直ぐこんな情報を流しました。

  バイク好きな方 レース好きな方に朗報! 工場見学やトークショーなど 夢のような企画です 見逃さないように!

 http://bbun.web.fc2.com/index.html

 ●はっぴいいえんどさんは、ホームページにこんなお知らせを

●カバン屋さんはホームページのブログの中にこんな綺麗な広報を。

●60おじさんも、こんなブログで追随

●見逃している方いたらゴメンなさい。 私もブログや、NPOのホームページでお知らせしています。

自然に、みんなが連携できるところが、力です。  毎日ツイッターやブログでお会いしているので、何をすべきかがちゃんと解っておられるのです。

これは、一般の企業でもこんなに上手くは連携出来ないのでは、と思います。

thiraiさんの、一途な想いがみなさんに通じているのだと思います。

 

★昨日は解禁した途端に10人以上の申し込みが全国からあったようです。

実施日は3月上旬ですので、まだまだ内容はいい方向に変化するかも知れません。

業界情報誌紙からも注目されていますし、二輪車新聞の衛藤さんはすでに参加を表明されて、事前の記事も書かれるのでしょう。

ずっと以前、、カワサキのイベントには、岩城滉一などバイクの好きなタレントが友情出演してくれました。

カワサキという言う枠を超えて、『二輪文化の創造』に繋がるきっかけにでもなればと思っています。

NPO法人 The Good Times の後援となっていますので、

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』という基本コンセプトに合致した活動にになっていけばと思っています。

 

今年のNPO The Good  Times の活動目標は『新しい公共』なのです

 

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2011-01-10 06:06:20 | 発想$感想

★高校サッカー、滝川二高は、初めて決勝戦に駒を進めた。

 毎年チームのテーマとなる漢字一文字を掲げて おり、出場16回目で初の日本一を目指す今季の一文字が「」である。

なぜそんなことをやっているのか?

調べてみたがよく解らなかったが、滝二出身のサッカー日本代表岡崎慎司の時の漢字一文字は「侍」であったとか。

神戸新聞のこんな記事に残っていた

確かに、日本語の漢字一文字にはいい字が沢山あるだろう。

「侍」もいいが「志」はもっといい。 

11人の心というのもいいし、読み方の響きもいいし、何よりもその持つ意味が自体がいい。

今日決勝戦だが、若し優勝するようなことがあったら、『志』というその字の力もあったのかも知れない。

 

★昨日の日曜日、『たかじんのそこまで言って委員会』は安倍元総理を迎えての特別番組であった。

つい先日、『乗れる人』と『乗れない人』というブログの中で、

『基本的には、政治家その人を信じて、それに乗っかっているだけなのである。今までに乗っかった総理と言えば、細川さん、小泉さん、安倍さんにも期待したのだが、ずっと昔なら田中角栄さんも好きだった。総理ではないが、小沢さんにはずっと乗っかっている。

菅さんには、悪いけど、あの野党時代の迫力が全然みられない。文句を言うのには自信があるのだろうが、実行力が皆無、リーダーシップが皆無では、ついていけないのである。』

などと書いているが、「その好き嫌いの判断基準は『志』があるかないか」、

そんなにちゃんとは解っていないので、もっと正確に言えば、「『志』があるように見えるか、見えないか」を基準に判断しているのだと思う。

 

安倍さんには、『想い』や『志』があったと思う。 日本を『美しい国』にしようという志にも共感が持てた。

強烈に引っ張るタイプではないが、番組での語り口など聞いていても、なかなかいい。

そばにちゃんとした官房長官が要るのかも知れぬがーーー。

 

日本の政治もどうなるのか。  

先がさっぱり見えないが、民主党や、自民党など党はどちらでもいいから、『志のある』「国のために」政治が出来る人がリーダーになって欲しいと思う。

ひょっとしたら「国民のために」と言い過ぎたために、国民に媚を売る政治次元になってしまっているのかも知れない。

 

 ★時間がいっぱいあるので、『志 政治家』 などで検索してみると、いろんなサイトや記事がいっぱい出てきた。

これは、まだ昨年にの記事だが、やはり菅さんは保身が第一なのかなと思う。 

政治家は、喋るのではなく『語らなくてはならない』というこんなサイトもあった

 

一国の総理はもちろんだが、志のない人は、『リーダーにはなってはいけない人』なのである。

『総理や、社長や、市長』 などその職位になりたいだけの、『リーダー失格者』がトップに立っていることが多すぎる様に思えてならない。

そんな人たちに、引っ張られる、国民や、社員や、市民は不幸である。

 

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3連休の初日

2011-01-09 05:20:56 | 発想$感想

 

★別に3連休が特別の日でもない年金生活者の毎日だが、やはり関係がないこともない。

何となく世のなか3連休だからと、ちょっとだけは気にしたりはするのである。

人を訪ねたりするのは、むしろ平日の方がしやすいような気もするし、高速など利用するときはむしろ平日の方が空いていていいと敬遠したりはする。

土日の普通の休みなら、特に意識もしないのだが、3連休と言えばちょっと構えてしまうところがある。

そんな、今年の正月は特別とすれば、初めての三連休の初日である。

 

★朝からずっとパソコンの前で、ツイッターの整理をしていた。

ツイッターで整理など要るのか?と思われるかも知れぬが、それが要るのである。

11月までは、フォロワー10万人を目標に毎日日課としてきちんと処理していたのだが、それ以降は惰性でフォロワーを増やしたりしていて、それ以降でも1万人以上も増えているのだが、フォローする人の整理をせずにため込んでいるので、どこかで処理をしなければならないのである。

2000人ぐらいをアンフォローするのに4時間くらいかかった。そんなことまでして目標は達成できているのだから、増やさずともいいのにと、自分でも思ったりするが、習慣みたいになっていて、何人かでも増えぬと気持ちが悪いのである。

昨日は、そんなことをしていたら、半日過ぎてしまった。

 

★昼からは、高校サッカーを見ていた。

2試合とも、PK戦での決着になったが、いつも思うが、外した選手は気の毒である。どんな気持ちなのだろう。

サッカーは、ミスがあって当然のスポーツだが、試合中の流れとは違って、PK戦は何となく野球に近くなる。

個人のミスとして明確に認識される。

野球はミスがエラーとして記録されたりするが、サッカーのPK戦はそれが野球ならタイムリーエラー、やサヨナラゲームに繋がるようなものだから、周囲がなだめても、当の本人はなかなか大変だと思う。

戦前の夏の甲子園、中京―明石の25回戦がご自分の投球で終わってしまった明石の先輩の故嘉藤さんは、25回戦の話は自分にとっていつも重たいと言われていたのを思い出す。

大試合になればなるほど、それは個人にとって重たい思い出となるのだろう。 昨日のPK戦で外した選手の心情は大変だろう。1

 

それは兎も角、決勝戦は京都と兵庫の近畿勢の対戦となった。

当然、兵庫の滝二を応援することになるのだろうが、3分ぐらいは京都の公立校を応援してあげたい気もする。

野球学校やサッカー学校のようなところが多い今の高校スポーツ界で、公立校が全国大会の決勝戦にまで残ることは奇跡のように思える。

テレビを見ていたら、ひょっとしたら京都を応援してしまうかも解らない。

 

★私はまだ見たこともないのだが、

昨日の新聞報道で、菅さんがネットの生放送に出演したらしい。

自分の都合のいい方向に、情報を誘導するマスコミを嫌って、小沢さんなどはずっとネット放送にだけ出演しているようである。

 

菅さんが出演したと言う、ビデオドットコムを検索してみたが

使い方がよく解らない。月額幾らかの有料のようでもある。

だが、菅さんの放送は無料で見ることができるようでもある。

新しいものが、世の中にはどんどん出てくるが、会社に行っている時と違ってすぐ近くに、聞く人がいないのが困る

こんなことでも、聞けば多分簡単なのだと思う。

 

今は、何事も独学でやらねばならない。 

それが年金生活者で、毎日休みはいいのだが、悩みの一つではある。

 

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ひょんなことで、ひょんなことになるものです

2011-01-08 05:41:55 | NPO The Good Times

★昨日の1日は、下にある1枚のイラストから始まりました。

これは、私たちの仲間の一人Kwakkyさんが、ブログにアップした小塩雅子さんのイラストなのですが、

朝一番のexcite のブログに私はこんな記事をアップしたのです。 

 

なぜ関心を持ったのか?

どうしようと思ったのか?

など詳しいことはブログを読んでいただくとして、

このイラストの中のドメイン http://miki-de.com が気になってちょっとクリックしたところから、ひょんなことは始まりました。

 そこにはこんなサイトが現れたのです。

 

イラストレーターの小塩さんは、ずっと以前に、個展を開かれていた時に一度お会いして『ひょこむ』にお誘いしたことがあります。

それ以来、お会いしたこともありませんでした。

 

現れた、三木市商店街連合会のホームページがちょっとした内容だったのと、

ここまで店などが繋がっていたら、『NPO The Good Times のシステム』は非常にうまく機能する、それは100%間違いないと思ったのです。

 

★ちょっと電話をかけて、聞いてみました。

電話口に出られた女性の応答が非常に軽やかでしたので、ついいろいろと聞きました。

『もうすぐ事務局長が来ますから―――』

『事務局長さん、オモシロイ人ですか?』

『気軽に話されますよ』

と仰るモノだから、ちょっと覗いてみることにしました。

三木市商工会議所のビルの3階に三木市商店街連合会の事務所はありました。

ドアを開けたら、事務局長さんらしき方がおられて、先ほど電話の応答に出られた女性もおられました。

 

★『突然で、すみません。』ということからいろいろ話をしましたが、

スムースに話ができるまでに、モノの5分も掛りませんでした。

確かに、気軽に話ができる事務局長さんでありました。

いなだ三郎さん、井本先生、さるとるさん、ボランタリープラザの稲見さん、事務機器の森田さんなどなど、三木のNPOのメンバーもよくご存じで、すぐ親しくなりました。

 

そんなところに、一人の女性が入って来られました。

私はアポなしの突然の訪問だったので、席を譲ろうとしたら、

『rfuruya さん?』と仰るのです。 

私は解らなかったのですが、上のイラストを描かれたイラストレーターの小塩雅子さん、その人でした。

もう、2年も前にお会いしただけなのに、よく覚えておられました。

三木おもろいわ』などもよくご存じで、話はどんどん弾んで、事務局長さんも、小塩さんもNPOの個人会員に入っていただきました。

 

★肝心のNPOの話は、連合会の会長さんが一番詳しくて、興味をお持ちだと言うのです。

その会長さんは、こんなお店を経営されていて、そのお店は私が住んでいる緑が丘町、すぐ近くです。

ホームページの内容を見ると、これはぴったりだと思いました。

近いうちに、会長さんに直接お会いしようと思っています。

 

ひょんなことで、ひょんなことになるものです。

やはり行動してみることですね。

ご縁があれば、『いい方向で繋がる』と思っています。

 

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ツイテいる母

2011-01-07 04:47:19 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★一昨日の午後、りんどうの里にいる母を訪ねた。

新春を迎えてロビーも綺麗に飾られていた。

今年は母も元旦、家にいなかったので、それこそ48年ぶりに家内と二人きりの簡素な正月を過ごせた。

2日からは息子が戻ってきていたので、一度に食卓は賑やかになったが、一昨日は息子を空港に送った後、母を訪ねたのである。

今年、6月末になれば102歳を迎える母である。

一昨日は至極元気で、ご機嫌もよかったのだが、7時ごろりんどうの里から電話があって、『食事のあと、2度モドサレタので、病院に連れて行って頂けませんか?』というのである。

すでに酒を飲んでしまっているし、タクシーを呼ぶほどでもないと勝手に判断して、そのままにしていたのである。

 

私の判断がいいかどうかは別にして、人間101歳まで生きれば天寿を全うしたと言えるだろう。 結果がどんなになっても、そんなにあわてることはない。

大体人間それぞれ運があって、私なども3人に1人は死ぬと言う 『クモ膜下出血』になったが、倒れた場所が良くて10分後には病院にいたので、手術も何もせずに、今もピンピンしているのである。

死ぬ時は死ぬし、生きる人は生きる、天命であると信じて疑わないのである。

 

★とはいうものの、少しは気になっていて、昨日の朝、母を病院に連れて行くことにしたのである。

この件があってもなくても、ここ1週間のうちに、薬を貰うために病院に連れていかねばならなかったのである。

2カ月間薬だけを貰ったので、1月には本人を連れてくるように言われていた。

ちょうどよかったのである。

 

9時過ぎに、りんどうの里を訪ねて、母を三木の山陽病院まで連れていった。

家からりんどうの里までは4,5分。 りんどうの里から山陽病院も5分、結構距離はあるが、信号機は3つしかないので、車ならすぐのいい立地である。

私の家からは、大きな病院がすぐ近くに3つもあって、山陽病院がこれでも一番遠いのである、

そういう意味でも、年寄りにとっては、絶好の環境の中に住んでいる。

別に病院があるから選んだわけではないが、こんなのも、「巡りあわせ」だと思っている。

 

★昨日の朝は、りんどうの里では特に何ともなかったのだが、5分ほど乗せた車の中で、気分が悪いと言い出して、病院の玄関について車を降りようとした時、またモドシタのである。

病院にはカメラでもついているのだろうか?

すぐに、掛りの人が出てきて、名前だけ聞いただけで、受付などもそこそこに、処置室に直行。 

すぐ担当の先生が来られて、点滴や検査の指示、レントゲンを撮ったり、その間ベッドに寝かせて貰って、待ち時間なしの実質、診断と治療だけだった。

先生の診断も、大丈夫ということで、結果は点滴の2時間だけの時間で、病院は片づいたのである。

前回薬を貰うだけでも、待ち時間もあって、2時間以上掛ったのに、全くラッキーで『ツイテいた』

薬を貰う場所は別で込んでいて2,30分掛ると言うものだから、頼むだけ頼んで母をりんどうの里まで連れて行き、もう一度戻って、薬を貰って家に戻ったら12時前だった。

 

こんなのは普通、大きな病院では考えられないのである

母が、病院の玄関で『モドシタ』のがよかったのである。 と言えば不謹慎だが、その通りなのである。

8月以来、母は『ツキまくっている』と私は思っている。 これはみんな運である。

 

★『膝が痛い』と言い出したのが8月14日、お盆の真っ只中である。 だから、困ってしまって、救急ではなかったが、救急車が来てくれた。

連れていって貰った先が、『山陽病院』である。 いろいろ検査をした結果、膝ではなしに身体に炎症など異常があるということで、入院になったのである。

人生初めての入院で、精神的に参ってしまったのか、病院にいるのにどんどんおかしくなって、ちょうどその時、介護度の更新チェックがあったのだが、

『介護1』から最低の、最高の? 『介護5』に判定されたのである。

その結果、『介護1』ではどうにもならぬ、りんどうの里の入所順位も一躍トップになって、ずっと入れて頂けることになたのである。

その後はまた、どんどん回復して、今ならとても『介護5』判定は出ないだろう。

 

こんなのは別に仕組んだわけでもないが、そうなってしまったのである。

このちょうしでは、102歳は大丈夫ではないだろうか?

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県会議員選挙選挙

2011-01-06 06:00:05 | 政治

★どうも選挙はあまり好きではない。

大体今までよく知っている人が、立候補したこともない。 あまり知らない人をある時は自民党か社会党か、ごく最近の選挙では、民主党に入れてみるかと投票したようなものである。

どちらが勝っても、そんなに自分とは関係もなくて、選挙の半分以上は棄権していたが、投票した時は大体投票した人は当然のように通っていた。

投票した人が負けたのは、前回の三木市長選挙ぐらいのものである。応援していたのに残念であった。

選挙で、残念などと思ったのは、初めてのことである。

 

★今年の春は、統一地方選挙とやらで、県議も市議も選挙である。

三木市の市会議員選挙には、NPO The Good Times の会員になっていただいている方が現職3人を含めて6人も立候補されるので当然よく知っているし、どなたを応援していいか解らなかったのである。

そのちょっと前にある県会議員選挙など、兵庫県に長く住んではいるが、一度も投票したことがないのである。

県議など、何の関心も持ったことはない。

ただ、三木市は、ずっと大物県議が長年議員を務めておられて、三木市がホースランドや、森林公園、防災公園など立派な公共施設がいっぱいあるのは、この方の力だとはもっぱらの巷の噂ではある。

その方が引退されて、確か今回が2度目の選挙なのである。

 

★そんな、県会議員選挙に、今回は前述の6人と思っていたうちの一人、山田和広くんが立候補すると言うのである。

今日の神戸新聞にも載ったようだし、

何よりも、ご自身のブログで、立候補の想いを明確に披露されている

 

山田和広さんのことは、『三木市民という名刺を持つ青年』というテーマで何度かこのブログでも取り上げたことがある。

カワサキELIMINATORに乗る好青年で、道の日にカワサキマイスターのお客さんとして、一緒に道のゴミ拾いもした仲で、まだ、確か31歳である。

勿論、NPOの会員さんだし、よく知っているのである。

対抗馬はどんな人なのかは知らないが、これは応援しなければならない。

 

ブログを読めば、彼の意志は明確だし、何よりも『ひとすじの強い想い』があるのがいい。

情報発信も、情報収集の姿勢もいいし、ツイッターのフォロワーも、三木市に於いては私に次いでダントツの2位にいる。

そのフォロワーの数も、22000人を超えて半端ではない。

 

『私は一生三木にいます』とか、『三木市民』という名刺を持ち歩いたりするものだから、

まず市会議員になって、次は『市長を目指すモノとばかり』勝手に推測していたが、確かに県会議員から市長という線もあるはずである。

県会議員の投票テリトリーは、三木市全域のみと言うから、これはちゃんとした意味を持っている。

今のごたごたした市議会の中で、ONE OF THEM としてやるよりも、県政の中で『三木のこと』もがんばってやる方がいいのかも知れぬ。

 

★ただ、県議の選挙に出て、果たして勝てるのか?

県議という立場で『三木のこと』ばかりをやることができるのか、? やってもいいのか?

その辺のことについては、ご当人と話す機会もあるだろうから、一度ちゃんと聞いてみたい。

 

昨日は、『乗れる人と、乗れない人』というブログをたまたま書いたが

山田和広くんは、私にとって『乗れる人』であることは間違いない。

 

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『乗れる人』 と 『乗れない人』

2011-01-05 05:46:43 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★昨日から仕事始めのところも多かったのだろう。

朝一番では、こんな感想を記している

そんな1日、朝から幾つかのテレビの特別放送を観た。

 

★まず最初は、菅総理の新春記者会見、、一国の総理の記者会見としては、お粗末きわまるものであったと、私は思った。

言ってっている内容ではなくて、風貌にも、態度にも、声のトーンにも、どこにもリーダーらしさが感じられないのである。

新春早々、こんな暗いリーダーのもとでは、明るい日本、元気な国になるはずがない。

解散の『かの字』もないそうだが、こんな仙石さんとのコンビの暗いイメージの内閣は、ご免である。

リーダーとは、自然に引きこまれる迫力とか、それがない場合はそれに代わる『何かが』必要なのである。

 

昨年の今頃、めったに党を応援したことなどはないのに、珍しく民主党を支持した。

鳩山さんが辞める寸前、支持率が極端に下がった時でもなお、民主党を支持していた。

理由の一つとしては、『小沢さんが幹事長でいたから』だろうと思う。。

 

大体、素人が情報もないままに個別の案件の賛成、反対など世論調査に回答したりするが、そんなによくは、解ってはいないのだと思う。

だから、すぐその傾向が変わってしまうのだと思う。

私も、若し聞かれたら何か答えるかも知れないが、

基本的には、政治家その人を信じて、それに乗っかっているだけなのである。

今までに乗っかった総理と言えば、細川さん、小泉さん、安倍さんにも期待したのだが、ずっと昔なら田中角栄さんも好きだった。

総理ではないが、小沢さんにはずっと乗っかっている。

 

菅さんには、悪いけど、あの野党時代の迫力が全然みられない。

文句を言うのには自信があるのだろうが、実行力が皆無、リーダーシップが皆無では、ついていけないのである。

 

★夕方、大阪の橋下さんが出演した番組を観た。

観ているだけで、気分が晴れる。

自民党の谷川さんや今はどこの所属か、辻元議員も出演していたが、主役は間違いなく橋下さんであった。

当然、『大阪都構想』 などが話題の中心で、

その構想自体には今の時点では、指摘されるいろいろな問題点もあるのだろうが、議論の仕方が明かるいし、答えをぼやかしたりはしない。

迫力満点である。

明確な発想で、自分の思う通りに物事を実行する。 その迫力が伝わるから、府民の支持率も3年経った今も70%の驚異的な水準を保っているのだろう。

 

『関西圏構想』や、『広域行政』などと、自民党も民主党も同じような独自案を出しているが、要は、『それを誰がやるか?』なのである。

『大阪都構想』との細かな相違点や方法論などは、テレビ番組の議論としてはオモシロくても、実現しないのでは何の役にもたたない。

橋下さんが、『大阪維新の会』 という独自政党を創ってしまったので、自民党も、民主党も面子があって100%賛成できないのだと思う。

 

辻元さんが、『大阪維新の会の党首』 を知事がやるのは? 

などと疑問を呈していたが、他の誰がやってもそんな新党に人が集まったりはしないと思う。

橋下さんが、自から党首をやるから人が集まるのである。

 

★今まで、全国的な話題にはならなかった大阪が、ここまで元気になったのは、『橋下さんだから』である。

今年の4月の大阪の選挙は注目である。

多分、維新の会が過半数を占めることになるだろう。

同じ民主党なのに、原口さんの頃と、国は全然違った対応である。

政策論なのに、それを政治の駆け引きや面子でやるのは、もういい加減にして欲しい。

 

★私は結構カンはいい。  

誰も知らなかった、高槻時代の樋渡啓祐さんも、『この人はイケル』と思ったし

まだ知事に就任していない頃の、マスコミに受けの悪かった『橋下さんも、大丈夫イケル』と書いている

ブログは、証拠に残るからいい。

何も、私は政策が解っているわけではない。  ただ、『人に乗っているだけなのである。』

 

要は、小沢さんには乗れても、菅さんには乗る気にはなれないのである。

 

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昨日は,墓参り$サッカー

2011-01-04 06:04:28 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★2011年の正月も、もう3日も経ったのか、という感じである。

月日の経つのは本当に早いものである。

1月2日は父の命日である。

昭和26年、(1951)、私は高校3年生17歳の時である。それからもう60年も経った。

若し父が、この年この時期に亡くならなかったら、私は大学に行っていなかった。すでに就職先も決まっていた。

大学に行ってどのくらい成長したのか、それは解らないが、学歴がモノを言う社会だから、大学に行ったお陰で人生は、順調だったことは間違いない。

私のために、父は正月の2日に、この世を去って行ったのではないかと思う。 それからⅠヶ月ちょっとの受験勉強だった。

 

★そんなことで、正月のこの時期は必ず墓参に行く。

今年は息子が来ていたので、一緒に連れて行った。

明石の天文科学館のすぐ下にある長寿院は明石松平藩の菩提寺という由緒あるお寺である。

画家橋本関雪の父、書家の海関先生の墓もある。 海関に書を習い、関雪に絵を習ったと言うのが父の自慢であった。

2年ほど病床にいたが、亡くなる前日、元旦は機嫌がよくて、書を書いたりしたのに翌日ぽっくりと亡くなってしまった。

息子は今鎌倉にいる。

遠い将来、お寺や、墓はどうなってしまうのかな? と思ったりする。

 

★帰りに明石で、寿司でもと思っていたのだが、

滝川二高と青森山田の高校サッカーを見ようと、寿司を食わずに真っ直ぐ戻ってきた。

結果は滝二が優勝候補の青森山田を2-0で破ってベストエイトに駒を進めた。

 

いいゲームだったが、滝川二高も強くなったものである。もうすでに名門滝二と言っていいだろう。

滝川高校から分かれて、滝川二高がスタートしたのは息子が中学2年生の時のことである。

最初のサッカー部の監督は、三木の人で、緑が丘中学の息子の1年上の先輩が1期生で入部したのでよく覚えている。

その後、当時は神戸FCのコーチをしていた、黒田さんが監督になってからめきめき強くなったと思う。

 

★息子が子供のころから、サッカーをしたおかげで、サッカーに興味を持った。

まだヤンマーが強くて、釜本やネルソン吉村、阿部などが現役だった。

でも、その頃に比べたら、今のサッカー界は高校もプロもすごいなと思う。

世界のレベルでも十分通用する様に思うが、今やっているサッカー特集で、選手たちはまだまだだと言う。

テレビでは、日本のサッカー50年を3時から8時までにわたって特集しているのである。

50年は解らぬが、35年くらいなら、解っているつもりだが、所詮は素人でのレベルだろう。

日本代表は、今晩アジアカップに向かって出発した。

この日本代表は、また一歩進歩したと思う。

 

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宝くじ、初詣、福袋

2011-01-02 17:18:43 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★歳末から新春にかけて、毎年ニュースになるのが、宝くじ、初詣そして福袋なのだが、

その3つとも、あまり私には直接、関係がない。

ホントに不思議なほど興味、関心がないのである。

 初詣らしきことは何回かは経験があるのだが、宝くじと福袋はまだ買ったことがない。

 

なぜだろうと思うが、改めてなぜなのか?

今まで考えたこともなかったが、考えたりしている正月2日である。

 

★宝くじ。

なぜ、興味がないのか?

まず、そんなの当たるわけがないと、思ってしまっている。

ホントか? と仰るかも知れぬが、あまり金自体が欲しくない思っている、と言うのが本音だろう。

『金が欲しいな』と思った時期も確かにあるにはあったが、それはまだ、子供たちが学生のころで、貯金など殆どなかった頃のことだろう。

 

金の管理などは、私の管轄外だったのである。 

給料が振り込みになって、昔の様に給料を家に運ぶことがなくなって以来、多額の金を自分で持ち歩いたこともない。

自分の日常に使う金などは、殆ど出張旅費のあまりなどで賄っていて、家から毎月小遣いなど貰ったこともない。

煙草も家に常に買い置きがあったし、クルマのガソリン代も、家で支払ってくれたからイケたたのかもしれない。

 

とにかく、そんなに金が欲しいと思わずに生きてきた。

60歳前後になって子供たちが独立してからだろう、たぶん我が家に貯金が出来たのは。

家は建てたが、一度で済んでしまったから、金が要らなかったのだと思う。建て増しなどもしたが、勝手に家内が計画して、勝手に家内が支払ったのである。

 

年金生活になってからも、贅沢をしなければ、生活は出来るから特に問題はない。

若し1億の金でも当たったりしたら、どうするだろうか? あっても邪魔にはならぬが、使い道が特にあるわけでもない。

★初詣。

初詣に限らず、神仏にお願いをするのが、どうも性に合わない。

お願いなどはせずに、自分で頑張ればいいと思ってしまう。

神社仏閣には、よく行くには行くのだが、それは神社仏閣が持っている雰囲気が好きなのである。

近くの、三木の名刹、伽耶院などは年に何回も訪れるのだが、お祈りをしたりは殆どすることはないのである。

 

子供時代をそんな風習のない外地、朝鮮で育ったからかもしれない。

とにかく、初詣をして、お願い事などしたことはあまり記憶にないのである。

初日の出を拝みには何回か行ったが、それは純粋に日の出の素晴らしさを見に行ったような気がする。

 

それでも、何百万人も人が集まる初詣は、日本の文化である。

若い国、アメリカにはその歴史も文化もない。

私が関心がないだけで、大事に残すべき風習だとは思う。

 

★福袋。

これが、一番解らない。

何が入っているのか解らぬ袋を貰うのならともかく、それに万の金を支払う神経は、どう考えても理解できない。

 でも、あれだけの人が集まるのだから、何かいいところがあるのだろう。

とにかくやりもせずに、いろいろ言うのは食わず嫌いかもしれない。

 

でもこの3つは、多分やらないうちに人生を終わりそうである。

などとつまらぬことを考えている、2011年の新春である。

 

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静かな元旦

2011-01-01 15:02:42 | 発想$感想

大晦日から元旦の朝まで、独りで静かに新しい年を迎えた。

 

年越し蕎麦は、今年はこんな贅沢なものをいただいた。

富蔵家 とみくらや  信州小布施のこんなお店である

長野県が故郷のモトボックスセキの関さんが、わざわざ送って頂いたのである。

関さんありがとうございました。

 

こんな旧いと思われる 蕎麦屋さんが『ツイッター』もやっているのが、今の時代である。

それも、非常に格式の高い、これぞ公式ツイッターという風格もあり、フォロワーも万を超える本格的なものである。

ツイッターだけでも、多分商売になっているのではなかろうか。

 

今天皇杯のサッカーをテレビで見ている。

これはいつもの元旦の通りだが、今年は家内と二人だけである。

母が今年は、養護施設で正月を迎えたし、

いつもは、正月には帰省する息子一家も今年は、孫が大学受験で模擬試験などもあって、正月どころではないようである。

 

★家内と二人だけで祝う元旦は、よく考えてみると、結婚したばかりの昭和38年、1963年以来48年ぶりのことである。

そう言えば、金婚式という50年記念にもあと2年になった。よく続いたものである。

そんなことで、元旦のおせちも今年は買わずに、手作りのモノだった。

 これも庭のイチョウの木からと、農家の方に沢山いただいて、苦労して皮をたたいてむいた銀杏もなかなか美味しかった。

 

こんな、静かな正月も明日は、息子だけが独り戻ってくると言う。

 いつまで経っても、親バカである。

ただ、独り来るだけだが、その準備に元旦の午後は台所で、ずっとごそごそ何かやっている。

 

その間、私は天皇杯のサッカーを見ていたが、今シーズンで監督引退、最後の試合になる長谷川健太の清水エスパルスに勝たせたかったがダメだった。

長谷川健太くんは息子の二つ下で、小学生のころオール清水で、毎年神戸にやって来ていた。 反町くんや長谷川くんは、そんな可愛い子供時代を知っているのだが、今はそれぞれ『君付け』では呼べない監督さんである。ちなみに言えば、神戸の和田監督も当時は神戸FCのメンバーで、これは一つ下である。

息子は、ホントは2日にある小野高のサッカー部のOB会にサッカーをするために戻ってくるはずだったのだが、何か今年は午後の部が急に中止になったとか。

それでも、『戻ってくる』と言っていたので、帰ってくるのだろう。

 

★ところで、アメリカのアーヴァインにいる娘の家族の方は、大晦日に餅つき機で、もちをついている。

こんなブログを書いているのだが

 家内に言ったら、オモシロイ話を教えてくれた。

私のもう一人の息子、娘婿の「かどちん」はいい奴である。 いまどきこんなのは珍しいくらい、性格が良くて、私の『お気に入り』なのだが、

その『かどちん』くん、日本に出張に戻った時、娘に『コメを買ってきて』と頼まれたようである。

その時、コメはコメでも、『もち米』買って帰って、散々文句を言われていた、あのもち米がいっぱいあるから、

『そりゃ、お餅つくはずや』と家内は言うのである。

 

詳しくは知らぬが、孫たちもアメリカの正月に、餅がいっぱい食べれて、結構な話である。

 

★そんなことしか、ブログに書くことのない、静かな二人だけの正月である。

 

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明けましてお目でとうございます

2011-01-01 00:05:10 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

2011年の新春です。

皆さま、明けましておめでとうございます。

我が家に送られてきた、KAZE の機関誌です。

20年前、 KAZE に取り組んだころの 心意気を思い出しながら、

そのころの仲間とともに、 新しい年のスタートを切りたいと思っています。

 

今年の目標は、

『新しい公共』  NPO 法人The Good Times の独特の世界を創造したいと思っています。

本年も、よろしくお願い申し上げます。

 よろしく、お願い申し上げます

 

 

 

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