★一昨日の午後、りんどうの里にいる母を訪ねた。
新春を迎えてロビーも綺麗に飾られていた。
今年は母も元旦、家にいなかったので、それこそ48年ぶりに家内と二人きりの簡素な正月を過ごせた。
2日からは息子が戻ってきていたので、一度に食卓は賑やかになったが、一昨日は息子を空港に送った後、母を訪ねたのである。
今年、6月末になれば102歳を迎える母である。
一昨日は至極元気で、ご機嫌もよかったのだが、7時ごろりんどうの里から電話があって、『食事のあと、2度モドサレタので、病院に連れて行って頂けませんか?』というのである。
すでに酒を飲んでしまっているし、タクシーを呼ぶほどでもないと勝手に判断して、そのままにしていたのである。
私の判断がいいかどうかは別にして、人間101歳まで生きれば天寿を全うしたと言えるだろう。 結果がどんなになっても、そんなにあわてることはない。
大体人間それぞれ運があって、私なども3人に1人は死ぬと言う 『クモ膜下出血』になったが、倒れた場所が良くて10分後には病院にいたので、手術も何もせずに、今もピンピンしているのである。
死ぬ時は死ぬし、生きる人は生きる、天命であると信じて疑わないのである。
★とはいうものの、少しは気になっていて、昨日の朝、母を病院に連れて行くことにしたのである。
この件があってもなくても、ここ1週間のうちに、薬を貰うために病院に連れていかねばならなかったのである。
2カ月間薬だけを貰ったので、1月には本人を連れてくるように言われていた。
ちょうどよかったのである。
9時過ぎに、りんどうの里を訪ねて、母を三木の山陽病院まで連れていった。
家からりんどうの里までは4,5分。 りんどうの里から山陽病院も5分、結構距離はあるが、信号機は3つしかないので、車ならすぐのいい立地である。
私の家からは、大きな病院がすぐ近くに3つもあって、山陽病院がこれでも一番遠いのである、
そういう意味でも、年寄りにとっては、絶好の環境の中に住んでいる。
別に病院があるから選んだわけではないが、こんなのも、「巡りあわせ」だと思っている。
★昨日の朝は、りんどうの里では特に何ともなかったのだが、5分ほど乗せた車の中で、気分が悪いと言い出して、病院の玄関について車を降りようとした時、またモドシタのである。
病院にはカメラでもついているのだろうか?
すぐに、掛りの人が出てきて、名前だけ聞いただけで、受付などもそこそこに、処置室に直行。
すぐ担当の先生が来られて、点滴や検査の指示、レントゲンを撮ったり、その間ベッドに寝かせて貰って、待ち時間なしの実質、診断と治療だけだった。
先生の診断も、大丈夫ということで、結果は点滴の2時間だけの時間で、病院は片づいたのである。
前回薬を貰うだけでも、待ち時間もあって、2時間以上掛ったのに、全くラッキーで『ツイテいた』
薬を貰う場所は別で込んでいて2,30分掛ると言うものだから、頼むだけ頼んで母をりんどうの里まで連れて行き、もう一度戻って、薬を貰って家に戻ったら12時前だった。
こんなのは普通、大きな病院では考えられないのである
母が、病院の玄関で『モドシタ』のがよかったのである。 と言えば不謹慎だが、その通りなのである。
8月以来、母は『ツキまくっている』と私は思っている。 これはみんな運である。
★『膝が痛い』と言い出したのが8月14日、お盆の真っ只中である。 だから、困ってしまって、救急ではなかったが、救急車が来てくれた。
連れていって貰った先が、『山陽病院』である。 いろいろ検査をした結果、膝ではなしに身体に炎症など異常があるということで、入院になったのである。
人生初めての入院で、精神的に参ってしまったのか、病院にいるのにどんどんおかしくなって、ちょうどその時、介護度の更新チェックがあったのだが、
『介護1』から最低の、最高の? 『介護5』に判定されたのである。
その結果、『介護1』ではどうにもならぬ、りんどうの里の入所順位も一躍トップになって、ずっと入れて頂けることになたのである。
その後はまた、どんどん回復して、今ならとても『介護5』判定は出ないだろう。
こんなのは別に仕組んだわけでもないが、そうなってしまったのである。
このちょうしでは、102歳は大丈夫ではないだろうか?
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