雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

もっと自然に、 極端はダメだな

2011-09-15 06:02:13 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ちょうど1ヶ月前、走っていたらピリ―と来て突如歩くのも大変な状態になってしまった。

先日のなでしこジャパンでも今まで試合に出ていた選手が突然ダメになって、車椅子での帰国だったが、人間の体は不思議なものである。お盆だったので病院もしまっていて何日か後に診察を受けたのだが、

『筋肉が痛んだ肉離れの前の状態、3週間は掛るけどだんだんよくなる』と言うことで1ヶ月、確かに大丈夫戻って、2,3日前からはちょっと走ったりしている。

人間の体の仕組みは、ちゃんと自然に、自分で直す力を備えているモノである。

 

★この1カ月間、いろいろとあった。

民主党の代表選挙があって、野田内閣が生まれた。

なかなか野田さん評判はいいのではないかと思う。内閣支持率も60%を維持しているようである。

所信方針演説もよかったと思ったが、野党はみなボロかすである。どんな演説をしても野党に評価してもらうのは無理だなと思う。

政治の世界は、どう考えても常識外のことが行われる。

総理の演説に対しての野次も日本独特のモノだろうか? 人の意見をちゃんと聞けないような代議士は、それだけで、普通常識では通らない。代議士の数も多いな?なぜあんなに大勢要るのか?と思ってしまう。

大西宏さんのブログでは野次には『イエローカード』を出すべきだと言っている

 野次も議会で許されている一般社会では通用しない議会の慣例かもしれぬが、散会の前に読み上げる女性議員の叫びごえ?なども異様である。普通の言葉で、普通の日本語でおやりになったらと思うのだが、あんなことをするから国会が普通でないと思ってしまうのである。

 

★台風12号は、兵庫県にも被害はあったが、三木は風も雨も台風とは思えぬほど静かだった。 

各地の被害、特に和歌山の南の方は、今もなお大変である。土砂ダムなど今後の雨がちょっと降っても、決壊の恐れがあるなど、自然災害の多い地区は大変だと思うが、そこに住む人にとっては簡単に移住などは難しいのだと思う。三陸地方なども、昔からあれだけ大きな津波に合いながらも、人々はそこに住み続けてきたのである。

過疎過密、いろいろ理由はあるのだろうが、これも少し行きすぎた傾向にあると思う。

今後日本のどの地域でも自然で安全に暮らせるような方向、そのためには過度の都市集中から、もう少し地方を見直していけばと思う。今住んでいる三木などは、非常に住みやすく、自然災害にも強く、自然もあって、いいと思うのだが現実は人口は減少傾向である。不思議だなと思っている。

 

 ★秋の1日なのだが、ニュースでは連日、熱中症の話題が賑わっている。

暑さぐらいで、なぜ倒れたりするようになってしまったのだろうか?  と言うのが実感である。

若いころ、夏の炎天下で、水など飲まして貰わずに、『水を飲むことを禁止』されて、毎日野球の練習をしていた。小学校の運動会や、体育の時間に、少なくとも暑さで倒れる子どもなど聞いたことがなかった。

昔よりは暑くなったのか、昔も熱中症はあったのだが、そんなことがニュースで伝わらなかったのかも知れない。

 

ただ、これは間違いなく言えるのは、世間全般に『過保護』である。 清潔過ぎると思うし、水などペットボトルの水など不要、水道水で十分である。

『過保護』になり過ぎて、鍛えないから、『耐久力』がなくなってしまったのでは、なかろうか。

エアコンもいいし、清潔にするのもいいけれど、菌と友達になるくらいの方がいい。テレビの広告に惑わされて、『超過敏』おかしくなってしまっている。

この頃の、サプリメントの広告など、モデルの人たちがそれを飲み続けてきたから健康だなどは錯覚だと思う。

元気なのはもっと違うところに原因がある。

人間、自然の中で生きるのだから、もっと自然に、寿命とか運命を頼って生きる方がいい。

 

★原発なども、科学の粋を集めたものなのだろうが、一端事故が起こったら、何百年も後の世代にまで、迷惑をかける。

これも『科学の力を信じ過ぎた』きらいがある。これは、『脱原発の方向』が自然である。 

福島原発災害と、今回の和歌山の水害は、全く異質のものである。

後世の人がどう評価するか知らぬが、この50年ほどで『先進国』などと言って、人間が自然さを失い、尊大になってしまったような気がする。

 

『過保護な生き方』やムヤミヤタラに『科学の進歩を信奉』するのはいい加減にする方がいい。

人間、確かに優れた人もいるのだが、『平均値の人たち』が健全で、健康で平和であることが、一番大事なのだと思う。

『もっと自然に、 極端はダメだな』 

そんなことを想いながら、1日を過ごしていた。

 

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鈴木修さん

2011-09-14 05:01:16 | 発想$感想

★2009年3月、スズキのことを朝日新聞が特集した時に

『ススキ、鈴木修さん』 というグログをアップしている。 

読み返してみたが、今も全くその通りだと思っている。

30代のころからずっと注目していた。

 

同じ業界で同じ会議で同席したことも、モーターショーなどご一緒する機会は、いっぱいあったのに、

『一度も直接お話ししたことはない』のである。  誰とでも気軽に話をする私をご存じの方は、不思議に思われるかも知れぬが、運動部育ちは年上の人には何歩も下がってしまうのである。

年下の方なら、その方の職位がどんなに立派でも気軽に声が掛けられる。総理大臣の野田さんでも大丈夫だと思うのだが・・・。

鈴木修さん、確か3つほど年上なのである。  

本田宗一郎さんとも同席した機会も何度もあったのに、残念ながら一度も直接お話しした』ことはない。

 

今朝このブログを書いているのは、

ご存じのように新聞報道など、スズキとワーゲンの話、いっぱいである。

記事を読んでみて、『ぶれないスズキ』の面目躍如だと拍手喝采したい心境である。

朝日はこんな記事であった

 

★最近ずっと思っているのは、日本の経営者にはなかなか『プロが育たないな』と言う感を強く持っている。

それは、個人の資質の問題ではなくて、ベースにある仕組みの問題であるように思う。

大企業になればなるほど、何年間かの腰掛経営者なのである。 担当期間の間だけ無事に企業経営をと言うスタンスにどうしてもなってしまうのである。

 

その点、鈴木修さんなどは、私が気がついた頃は、既にスズキの社長さんであった。

その経営スタイルはユニークで、「鈴木=鈴木おさむさん」であった。  

途中で出会ったスズキの方にも、親しい方がいっぱいおられるが、その人たちの『鈴木おさむ観』は常に同じものであった。

今回のワーゲンとの話がどんなことであったかはよく知らない。

然し、『スズキは常に対等』で、『自らの道』を自分で歩むというスタンスは、如何にも鈴木修さんらしくていい。

 

こんな発想は、かってまだそんなに大きくはなかった本田宗一郎さん率いるホンダが持っていたし、当時はまだ赤字事業部であったカワサキのメンバー達も大きな影響を受けたはずである。

それは二輪業界にずっと引き継がれてきたように思うのだが、今その先頭に立っておられるのが、鈴木修さんである。

 こんなブログも発信されていて、このワーゲン問題でもその所信を書かれていた。

 

★企業経営も、政治の世界も、日本の中だけではなく、世界と常に対面しなければならなくなってきた。

今までの日本独特の仕組みではもう対応できないようになっているように思えてならない。

 

4年ごとに代わってしまう企業の社長、

4年どころか、ころころ変わる日本の総理、

世界にそんな国は珍しい。

 

どこも長年の経験のある、理念のある、プロが担当しているのである。

御神輿経営とかと称される、上に担がれていれば何とかなったリーダーの時代は、もう過去のモノにしないと、日本もダメになってしまうような気がする。

 

 

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長寿社会と言うが・・・

2011-09-13 05:45:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★子どもの頃の、小学校の6年間はホントに長かったように思う。

中学校も、高校も、大学もそれなりに長かった。

歳をとるとともに1年が短くなるように思えてならない。

今年も早や、半分経ったと思ったのが、ついこの間であったし、お盆だと思っていたらもうお彼岸になろうとしている。

こんな調子で行ったら、すぐ80になり、そのうち人生終りである。

 

★とそんなことを書いているだけ、元気なのかも知れない。

最近は、自分より年下の方が、亡くなるのが、普通になってきたような気もする。

50代、60代の頃は、自分より若い方が亡くなると、それは普通のことではないとほんとにそう思っていたのだが、最近はそう言う感じを持たなくなってしまった。

特に、会社の方で、特に関係がなくても、面識があった方が、だんだんとこの世を去られる。

ある程度は、知っていた方だけに、あの人の人生は? などと思ってしまうのである。

 

★こんなことを思うようになったのは、やはりこの数年のことである。

若いころから、一緒にいろんな想い出を共有していた野球部の仲間たちが、数人続けて亡くなったのである。

その人たちの人生の一部は、私も一緒に、共有していたようなところもある。

平たく言えば、世のなかの『親友』と言うやつである。

『親友』と言える人の数が極端に減ってしまって、最近新しくお付き合いが始まる方は、滅法若い方が多いのである。

とても『親友』にはなれぬが、若さは大いに頂いている。

 

★こんな年になっても、口では『もう何年生きれるか解らない』と言いながら、『来年死ぬ』などとは決して思ってはいないのである。

私の母は今102歳である。100歳くらいまではホントに元気であったが、この2年ぐらいですっかり衰えた。

それでも、他の方に比べたら元気だが、何のために生きているのだろうか? と自分でも思うようである。

『もう早く死にたい』が口癖になってきた。

 

市から敬老の日のお祝いを頂いた。100歳以上には毎年出るようである。それも5万円の大金である。

母は、今特別養老施設に入っている。 全ての面倒を施設でお願いをしている。

5万円のお祝い金を頂いても、本音で言って『母のために』使う術がないのである。

これは多分、私の小遣いになってしまう。

『そんなこと』、と仰るかも知れぬが、具体的に使う術はあまり思い浮かばないのである。

本人はお金が要らない生活になってしまっている。

 

★長寿社会は確かにめでたいが、自分の意思で、自分で何でも出来る状態での長寿でなければならないと思う。

病院で、管をいっぱいつけて栄養剤を投入したりして、生きているというより『生かされている』のは、考えものである。

病院の経営にだけ役だっているのでは、と言えば不謹慎かも知れぬが、そんな気がする。

 

お陰さまで、私自身も家内も、結構元気だが、自分で何も出来ぬようになったら、生きながらえるのではなくて死んだ方がましだが、それがまた自由にはならないのである。

いずれにしても運命とか、寿命を大事にしたいものである。

 

訳の解らぬようなことを書いたが、

今机の上に、特別養老施設に受け取りを書いて頂いてきた敬老の日のお祝い5万円が置いてある。

なかなか想いは複雑である。そんなことでこのブログを書いている。

母には寿命の中で、長生きして欲しいと思っている。

多分、私の財布にその5万円は収まるのだろう。

 

★この施設には、100歳以上の方が5人くらいおられる。それは全部本人ではなく家族に渡されるようである。

市は、財政悪化で従来は、もう少し若い年寄りにもお祝い金を渡していたのだが、この頃それは廃止になった。

そんな人たちは、例え5000円でも、貰えたら喜ぶのにと思ったりもする。

と言って財源の総額の問題もあって難しいのだろう。

 

貰っておいて、文句を言っているようで恐縮だが・・・・複雑である。

 

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雑談 雑感

2011-09-12 05:18:18 | 発想$感想

★このブログの題が『雑感日記』である。

今日何をした、どこに行ったというような日記よりは、『何を考えた』『何を感じた』と言う方が『何となくいいのでは』と思って書いている『雑感日記』なのである。

大体私自身が『いい加減』で、あまりきっちりとしたことは『キライ』である。 

自分がこれと思っていることでも、その意見を他人に押し付けるようなことは、本来は嫌いなのである。

世の中、反対意見などあって当然で、『意見を戦わす議論』ももう一つ性に合わない。だから、説得することは、あまりしないことにしている。

 

当たり前の話だが、自分の意見に、『共感してくれる』ことは、有難いと思っている。

だから自分の意見は手を変え、品を変え、事あるごとに発信だけは、しつこく繰り返している。 それが『雑感日記』だとも言える。

一方で、『ネットワーク』は、システムとして造り上げねば機能しない。人の繋がりでも、或いは法人の繋がりでも、それは私の生涯の目的みたいなものでもある。

 

● 『システムとは』手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない。

 

一言でいえば、『共感ネットワーキング』とでも言えばあたっているかも知れない。

現役時代は、カワサキの販売店や、ユーザーたちやバイクに関心のある人たちの輪を広げようと、

『KAZE』と言うネットワークを造ったりしたが、これも『共感ネットワーキング』なのである。

 

★こんな『ネットワーク』は説得して無理やり造ってみても、決して『機能などしない』のである。

じゃ、どうしてそんなのを形造ればいいのか?

そのKEY が『雑談』だと思っている。

物事、会議だ何だと、あまり真剣に討議などしても無駄である。そんな場で出る意見など、役に立つこともあるが、役に立たないことの方が圧倒的に多いのである。

『雑談』は会議とは違う。 何の規定もないし、議題もない。然しそこでは本音が聞けるし、自分の意見も幾らでも言える。

説得するのではなくて、それに『共感してもらえば』それは『最高』である。

然し、これは結構時間は掛る。然しほんとに共感した人は、ホントに動いてくれるのである。

それを私なりに『オピニオンリーダー』と呼んでいる。

『オピニオンリーダー』の条件や、資格など何もない。

 

★昨日は、その雑談を1時から5時ころまで、4時間も『ぼっけもんの修さん』と二人で、飽きもせずにやっていた。

いい雑談であった。 『雑談だから』結論もないし、今後何時までに、このようにしようなどと言う結論など一切ない。

然し十分に『共感する部分』がいっぱいあったから、多分最速で『共感ネットワーキング』の方向に動き出すだろうと思っている。

仮に、出来なくても、そんなに大したことにはならないのである。

 

世のなかに、今まで、『存在しなかったシステム』など、実現しなくても誰も困ったりはしないのである。

『改革的な、新しいシステムとか仕組み』とはそんなものである。

現役の頃から、世の中で初めてのことばかりをやってきた。

幸運に、そのほとんどは、仮説を立てて挑んだ通りに実現している。

 

●流通業とは「自分の仮説の正当性を問うビジネスである。」

消費者の変化の本質を掴み、変化をどう自己の対策に置き換えるかと言うことが問われている。

 

★2年ちょっと前に、NPO法人The Good Times をたちあげた。 

こんなNPO法人は、少なくとも世のなかに存在しなかったから、上手く行かなくても誰も困ったりはしないのである。

2年経って、『新しい公共』などと、壮大な目標を立てて取り組んでいるが、これも別に出来なくても誰も困ったりはしないのである。

ただ、最近の動きは、孫文記念館や、三木社協のボランタリー活動プラザなど、公共的なところとのお付き合いが多くなり、自然に公共的な性格を帯びてきた。

 

昨日のぼっけもんの修さんとは、

KANSAI GENKI! PROJECT という神戸や京都、大阪、堺などという、まさに『公共そのもののプロジェクト』に関連した雑談なのである。

 

★今日は、やはり、孫文記念館関係のことで三木までお客さんが来られる。これも雑談の分野である。

お互いが共感して『繋がれば』 それはその時始めて公式のモノになる。

『NPO The Good Times はなにをするのですか? 』 と言う質問をよく受ける。

『NPO The Good Times はシステムそのものだから何もしません。』と答えている。 ツイッターやブログが何もしないのと同じである。

システムを使う人たちの『使い方』次第なのである。

 

『どんな機能を持っているのか?』 これは説明などするよりも、雑談で喋っているのが一番理解される。

理解して、『共感』されたら、これは『共感ネットワーク』になる可能性が出てくるのである。

それには説得ではなくて、何の拘束もない『雑談』が一番いいと思っている。

 昨日は、非常にいい『最高の雑談』であった。

 
文中●印は、 『これからの流通業』服部吉伸著
もう20年も前の私の現役時代の本だが、その中の文章から拾った言葉である。

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NPO法人The Good Times 昨今

2011-09-11 05:57:52 | NPO The Good Times

NPO The Good Times はネットを徹底的に利用した仕組みになっています。

ブログ、SNS、ツイッター、タンブラーなどの組み合わせに最近はFacebookが仲間に加わりました。

メンバーの中にネットに詳しい、まっしまさんや、bunCさんが、『アドバイザ―』でいてくれたお陰です。

 

そこへつい最近から、株メディアゼロ(CUSTOM INFECTION)の綿谷さんが新たにアドバイザーで、参加してくれて俄然ネットのソフト関係は充実しました。

先週の日曜日も、Facebookの講習会でしたし、

週末は、ボランタリー活動プラザみき 主催の

地域SNSで地域活性化を考える Net ラーニングバー』にもメンバーに加わって頂いて、どんどん進行しています。

 

参加メンバーの殆どが、NPO The Good Times の会員さんです。

このラーニングバーでも、中心課題はFacebook です。

今までは、Facebookは、あまりよく解らずにただ、見ているだけだったのですが、

三木のこのプロジェクトも、具体的にどんどん進みそうですし、

既にあるNPO The Good Times のFacebook も もう一度見直して。ツイッターやホームページなどとの連携も考え直したりしています。

 

兵庫メグロSEAZ Company、やe-音楽@みきなどに加え、会員さんのFacebookのファンページも、どんどん増えています。

ジェットスキーの福井さんもジェットスキーのファンページを立ち上げました。

 

このほかにも、沢山ありますが、『いいね』の数がまだ25に達していないファンページもあります。 ぜひ『いいね』をクリックお願いします。25に達したら正規のURLが貰えるそうです。一人前と認めてくれるのだと思います。

●ファンページを造られている会員の方は、『ファンページをリンクして、「いいね」お願いします』とツイッターで呟いて下さい。NPOの公式ツイッターで『リツイート』したら、すぐ25に到達します。e-音楽@みきなどで実験済みです。フォロワー18万人の効果です。

 

★そんな個別の問題に加えて、KANSAI GENKI! PROJECT という

 

こんな素晴らしいファンページもスタートしています。

これは神戸市のNPOの会員のぼっけもん修さんが色濃く関係しておられるようで、

今後、NPOとどのように関わっていくのかが課題です。

 

さらに、孫文記念館の関係のプロジェクトも来週にはさらに具体的な検討に入りますし、

神戸市の観光対策を担当されている『ぼっけもん修さんの関心事』でもあります。

 

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』と言うコンセプトの

NPO 法人 The Good Times は、どんな所とでも、簡単につながりますし、これだけネット関係が繋がってくれば、

ツイッターの18万人を既に超えて年内には20万人に達すると思われる情報発信力は、大きな力になってきます。

そんなことで、今年の目標『新しい公共』に向かって、いろいろと忙しい秋になりそうです。

 

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佐賀県武雄市のFacebook

2011-09-10 05:40:24 | 樋渡啓祐さんのこと

 ★佐賀県武雄市がホームページを止めてFacebookへの完全移行を行ってから、何ヶ月経ったのだろう。

その決断はスゴイな、ホントにFacebookでホームページの代替が出来るのだろうか? と思っていた。

スタート1日で『いいな』を押した人は確か5000人ぐらいだったと思うが、今7700人に増えている。

暇にまかせて、武雄のFacebookを眺めてみた。

 

★今日夜7時から、

ボランタリー活動プラザみき 主催で『地域SNSで地域活性化を考える Net ラーニングバー』と言う勉強会があって、

このメンバーたちで今仮のFacebookを立ち上げているのである。

目指すところは『武雄市のFacebook のレベルに近づけて、『三木市民を代表する』Facebook のファンページになればと思っている。

 

★NPO The Good Times のブランチみたいな DANTHREE と言う団体会員が、アメリカカリフォルニアのアーヴァインに出来た。

こんなホームページを造ったところだが、今からFacebook も考えたいという。

そして『武雄市のようなFacebook が理想ですね』と電話で言っていた。

 

そんなことで、改めて武雄市のホームページを眺めてみたのである。

 

★そんなに詳しくみたわけではないが、想像していた以上に何でも載っている。一般の市のホームページの機能はみんな備わっているのである。

『そんなの当然』と思われるかも知れぬが、普通一般のFacebook にはそんな詳しいことは載っていない。

『載っていない』という表現が間違っていて、ちゃんとシステムを使って『載せていない』のである、尤も武雄のFacebookのようにするには幾らかのお金が要るのだろうが・・・

まず最初に思ったのは、現役のの市長さんで、自分で武雄のFacebookをご覧になった市長さんが、『果たして何人いるのだろう?』

『三木市長の薮本吉秀さん』は、ご覧になったのだろうか?  

他の市の市長さんはともかく、何年間かは武雄と三木とは提携関係にあったのである。お互いのいいところを取り入れるべく職員の交換派遣も行っていた。 その武雄がホームページを止めて、Facebookに切り替えたのである。

 

三木市長さんは見なくても、三木市民で武雄には関心を持ち続けている私は、今夜のNet ラーニングバーのためにも、見ておこうと、今見だしたのだが、

折角だから、ブログに残しておこうと、このブログを書いている。

ここから先は私の勉強、今夜のラーニングバーの予習みたいなものである。見たところを感想を交えて、順不動に並べてみる。

 

★ よくある質問 

まず最初に、よくある質問のページ、こんなページがあるとは思わなかった。 Facebookに関する質問が並んでいる。

こんな項目が、最初に現れるウオールには隠れていて出ていない。

ここに、

  • Facebookページとはなんですか?
  • なぜ武雄市はWebサイトをFacebookページに移行したんですか?
  • 多くのSNSがあるなか、なぜFacebookを採用したんですか?
  • Facebookページは利用登録しないと閲覧できないのではないですか?
  • Facebookの使い方がわからない人がいると思いますが対策はあるのですか?
  • などなど、沢山の質問が載っていて、丁寧にその疑問に答えている。いっぱいあるので、とても全部は読めなかった。

     

    ★ ウォール

    この画面が一番最初に現れるページである。 ここには『よくある質問』などの表示はどこにもない。隠れているのである。

    武雄の発信するニュースが流れていて、それを見た人の反応が『いいね』の数で解るし、例えばこんなコメントが載っている。

     

    樋渡 啓祐さんと他74人が「いいね!」と言っています。
    •  
      宋 純江 武雄市市役所広報の方(^^)v。
      毎朝、メッセージをありがとうございます。
      新聞に目を通すことよりも、武雄市のFacebookの 情報の方が楽しくなりました。昔、小学校で〜朝礼台にた ち、微笑みながら話をしていた校長先生を思い出しました
      水曜日6:57 ·  ·  5人読み込み中...
    •  
      浦田 みどり 風景や様子を連想させてくれる文章をいつもありがとうございます。洗濯物を気持ちよく干し終えました。
      水曜日8:47 ·
    •  
      服部 一宏 素敵な広報いつもありがとう(〃⌒ー⌒〃)ゞ(首都圏の同業者より)
  •  

    実名だし、写真付きだし、これは従来のホームページからは無理である。

     

    ★左側に並んでいる項目の下に『他を見る』と言うのがあって、そこをクリックすると、

    『暮らしの便利帳』、『観光情報』、『武雄市政情報』などなど、一般の市のホームページに並んでいる項目が並んでいる。

    その中の『観光情報』がこれである

     

     以前の、武雄市のホームページに、載っていた時と同じかどうか、そんなにきっちりとは覚えていないが、少なくともレベルが落ちたとは思えない。

     

    ★ニュースが早いというのも特徴だろうし、ブログやツイッターとの連動もいい。

    今朝の『武雄市長物語』には、溝畑環境庁長官が登場しているが、

    今日は午後から観光庁の溝畑長官に面会。長官へ観光戦略の提案を したところ即答、即行動。見ている私たちがビックリするほどの決断力とスピード。それに加えてとても面白い発想をお持ちで、勉強になりました。

    こちらのFacebookの方にも、その話題が載っている。

     

    ★スゴイと思いませんか?

    このすごさは、

    ●一つには Facebook と言うシステムそのものの持つすごさ なのだが、

    ●それをこのように使いこなす『武雄市役所の人たち』がスゴイのである。

    率直に私見を言うなら、人間はみなそれぞれ素晴らしい素質を持っているのだが、役所でも、企業でも十分にその実力を発揮していないのだと思っている。

    人は誰でも、きっちりと『コンセプトを理解』させて、その方向に『自由にやらしたら』幾らでも機能するはずである。

    せっかく出来る能力を持ちながら、その実力が発揮されていない、その代表を『お役所仕事』と言うのである。

    そのお役所が、世のなかの先頭を走っているのは驚きである。

     

     これは樋渡啓祐さんの素晴らしさだと思う。

    お陰さまで今晩の『Net ラーニングバー』での話題が出来たと思っている。

     

     

     

    ●ただ、ネットの問題としては、いいサイトを見つけても、今度そこにたどり着こうと思っても、どうしても出てこないというか『思いだせない』のである。

    確か、樋渡さんの秘書係長の方、肩書を幾つも持っておられた方の『インタビュー動画』を見たのだが、どこにあったのか、どうしても見つけ出せないのである。

     

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    昭和64年、平成元年の月々

    2011-09-09 06:17:34 | 自分史

    この年のことは、既に2回に亘って書いているが、月々どんなことであったか、事実を主体に眺めてみたい。

    ★1月

    1月5日、全国の所長を集めて新年会、夜は西明石のキャッスルプラザでパ―テ―、賑やかな年明けだった。

    7日には昭和天皇がなくなられて、翌8日より新しい平成が始まった。

    この年の1月からカワサキジェットスキー販売の社長も兼務した。神戸に新事務所を設け年間3000台の目標を立てている。

    20日にはソフト会社KSSの構想を纏めている。このKJS と KSS が従来の二輪販売とは異質の専門会社であった。

    国内グループ全体を担当したが、販売面は殆ど各地の常務さんに任せて、私自身は初めての事業のJ/Sとソフト会社に傾注した。

    24日からは大阪を皮切りに、東京、広島、東海、そして2月に九州、最後に仙台と特約店の新年会で今後の国内方針について語っている。出席した店の7割くらいは面識のある親しい店なので、全くのホンネトークであった。販売を手伝ったのは、この新年会ぐらいである。

    ★2月

    2日に本社関連事業部に新会社ケイスポーツシステムの説明を行い、2月末の社長以下の経営会議に上程、何の問題もなく通って月末の取締役会で正式に承認された。

    3日には250/400の当時は本命と思われていたスポーツ機種の記者発表があった。ただ、蓋を開けてみると、5月に何もせずに静かに上市したZEPHYRに主役の座を明け渡す結果になるのである。

    これはKHIのことだが、理事室の横に立派なゴルフの打ち放しのネットが出来た。佐伯君、当時の企画部長後川重副社長が造ったものだが、これには、ビックリしたが、早出して毎朝ゴルフの練習をしていた。だから、ゴルフのスコアもよかったのかも知れない。稲村さんは、このお陰でゴルフを始めることになるのである。

    関東にもサーキットをとその候補地の調査に出かけている。兵庫でも平井さんが独りでサーキット建設にあたっていた。

    ★3月

    鈴鹿の2&4で今シーズンのレースの幕が開いた。TTF1で宗和が3位に入り、4月のルマンへの派遣も決まった、幸先いいカワサキの本格的レース復帰となった。

    鈴鹿サーキットの三原さんとも繋がって、その後いろいろといい関係でのお付き合いが続いた。三原さんはカワサキに対して非常にいい印象を持っておられたと思う。

    3月21日にはSPA 直入りの工事が着工し、直入り町長と高橋本部長とともに大分県の平松知事を表敬訪問している。

    ★4月

    4月1日に、新会社 ケイスポーツシステムはスタートした。南常務以下7人ほどの体制であった。サーキット管理などもあったのだがSPA直入りの完成は1年後だし、

    まずユーザークラブKAZEからスタートし、全営業所に一人づつ、KAZEの担当者を設置した。この月のうちにKAZEの会員に対する第1回のDMを発送している。1部大庭社長にも送っている。

    末には、ジェットスキーJJSBAの琵琶湖でのレースがあった。後、世界チャンピオンにまでなった金森稔君がまだ2輪からJ/Sに転向した直後くらいのことである。初めて彼に出会った。

    ルマン24Hは宗和、多田組がフランスチームに続いて3位入賞で大成功であった。

     ★5月

    月はじめに、『召集令状が来た』と田崎さんがやってきた。ニューヨーク事務所が内定である。これは多分大庭さんの直接の人事だと思う。

    ZEPHYRの出荷が始まった。全体の二輪車市場が落ち込むだけで、カワサキだけが独り伸張した。

    何の用件だったか忘れたが『RPM兄弟に会う』という記述が残っている。弟さんは今のインターナショナルトレ―ディングムラシマの村島さんである。今でもNPOでお世話になっている。

    ★6月

    6月もあちこちと動いているが、殆ど直接の販売に関することには関与していない。それは現地の販社の常務さんに全て任している。私自身は、私しかできないことに絞って動いている。

    この月末も来年オープンするSPA直入りのことで大分県のホンダ、ヤマハ、スズキさんを訪れている。特にホンダの倉石さんは、当時全国ホンダ会の会長さんで、早くからアポイントをとっていた。

    そこに井川さんご夫妻が仲人をする上条君の結婚披露宴が飛び込んできて、途中退席することのお許しを得ての出席だった。披露宴を途中退席などしたのはこの時だけである。いい結婚披露宴でよく覚えているのだが、上条君もナイスガイだったのに若くして亡くなってしまった。残念である。

    ★7月

    7月は昨日も記述したように鈴鹿4耐、6耐とも優勝で、予想以上の結果であった。

    7月度はZEPHYR1機種で1400台の登録があって絶好調であった。

    この月中旬に行われた開発会議では、国内車種最優先で進められた。

    ★8月

    大庭社長から、関連会社社長会の席上で、国内の状況説明をするようにという直接の指示があった。

    大庭さん以下全役員と、関連会社の社長さん方は殆どが役員OBで、殆どが60歳以上、受注関連部門出身で、二輪事業などお解りではないのだが、

    『7万台を目標にそれを達成するための仕組みの構築状況』を、

    ユーザークラブKAZEや、ソフト会社、サーキット、レース、広告宣伝のイメージ戦略などなど、今までお聞きになったことのないようなマーケッテング分野に絞ってお話しした。『遊び半分ではいい遊びは出来ない』とか、ダイレクトコミユニケーションなど、目新しい言葉をいっぱい使って、賑やかな雰囲気になるようにポスターなど舞台装置も加えて、全体を構成したのである。

    皆さん、聞きなれない話だが、珍しかったからだろう。極めて好評であった。後のパ―ティーの席で通産省から来られた山田常務が『川重に来て初めて感動した』と言って頂いたのは嬉しかった。そのころは既に東京本社だった田崎さんが『何喋ったんや?どこに行ってもアノ話や』と言っていた。よほど印象だけは強烈だったに違いない。

    多分、一番満足されたのは、大庭さんご自身だったと思う。船や鉄鋼などを担当されての単車事業部本部長だったが、単車に一番の愛着を持っておられたと思う。

    社長になられて『単車の持つ発想を川重の中に幾らかでも植えつけたい』という想いは強く持たれていた。

    そんな私自身の仮説で話の内容も、演出もやった積りだったので、大成功であった。

    8月末に、阪神ライデングスクールの有馬社長を訪ねている。この出会いはその後のカワサキの動きを変えたと思う。

    ★9月

    地域販売会社の構造改革も遣ろうと思っていたのだが、どこの販社を一番に実施するかをずっと検討してきて、この月あたりでそれを西日本と決めていた。

    山辺さん、谷沢君のコンビが絶妙であったし、発想への理解もひと際抜きんでていたのである。 

    難しい仕事はやる気のあるところからやらぬと、全国一斉などでは、決して上手く行ったりはしないのである。

    ★10月

      

    ジェットスキーはどんどんいい方向に動いていた。J/Sの販売店が、レイクハバスのレースを見ることを第1目標に、J/Sの生産工場でもある。リンカーン工場の視察ツアーがあって、KJSの社長としては挨拶せざるを得なくて、その挨拶だけのためにアメリカ行きだった。レイクハバスは、是非とも行きたかったのだが、とてもそんな日程は組めなかったのである。

    (これは全くの余談だが、今年10月2日は、三木さんさんまつりで、ミニSLも走らせるのに、福井昇君はこのレイクハバスに行くので参加できないとか。勿論彼はこの時の販売店主力メンバーだった。)

    のんびりした旅になると思ったのに、サンフランシスコの地震などに出会ってなかなか大変な旅になった。独り旅で予定が狂うとなかなか大変なのである。

    ★11月

    関東でのサーキット候補地が次々に現れた。これは他の人では判断できないので、SPA直入りを一緒にやった岩崎君とのコンビであちこちを見ている。

    こんな話はいっぱいあるのだが、仲介する人たちもいろいろあって、判断はなかなか難しいことなのである。ある意味、時間だけは結構掛るのである。

    この時期、関東だけで数か所の候補地があった。

    ★12月

    この年、ZEPHYRが好調で、J/Sも絶好調だったから、経営的には何の問題もなかった。

    ただ7万台を達成すると同時に、事業本部への限界利益100億円を確保するためには、薄利多売ではダメなのである。

    そのための販社の構造改革、委託から買い取り制への移行はMUST条件であった。

    然し、業界に先駆けて、カワサキがトップにそれにチャレンジするためには、トップバッターは絶対に失敗は許されないのである。

    そのトップバッターに指名した西日本のショールーム計画をこの月に検討している。

    23年前の時代にはみんながビックリするような規模とひと際目を引くようなデザインのモノを計画した。森君が専任で担当した。23年経った今でも十分通用しているようである。

    そんな立派なものを造る代わりに、岡山営業所は廃止を検討したのである。委託でなくなれば、営業が車を運んだりする無駄はなくなるのである。

    そんな販社の構造計画、そのための完全仕切り制度、翌年はそれに向かっての挑戦になっていくのである。

     

     

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    平成元年、新しい時代へ向かったカワサキ

    2011-09-08 06:21:14 | 自分史

    ★昨日に続いて、自分史。

    自分史を書くにあたり、当時の資料に目を通す事から始めている。

    なぜそんなに資料があるのかと思われるかも知れぬが、現役時代、新しいことを始めるときは必ずそのコンセプトや自分の考えを周囲に公表することから始めている。

    ずっと私特有の発想で物事に対処してきたのだが、成功すればいいが、失敗した時に言い訳などするのは『イヤ』だったのである。

    『あの時言ったのはこういう意味だった…』などという言い訳だけは絶対にしたくないのである。明確に自分の想いは述べておきたかったのである。

    『男は自分の言ったことに責任を持て』 早くこの世を去った親父の遺言みたいなものである。

     

    自分のやろうとしたことは、出来る限り自筆で文書に残してきたし、どんなことになったのかも、何らかの形で残していて、それが今記録、資料として残っているのである。

    こんな自分史など、書いて世に発表する機会などあるなどとは、夢にも思っていたわけではないのだが、こんな時代になったのは幸運である。

    今でもそのスタンスは残っている。 ネットの世界、いい時代になったものだと思っている。

     

    今から23年前、平成の時代の1年目、新しい時代に『新しいカワサキのイメージの創造』を目指して、スタートした。

     

    ★まず、この年のカワサキのレース活動。

    サーキットを造ろうと大分県直入町で計画していたサーキットコースは3月末から着工し、その起工式を4月14日に行っている。

    レーサーレプリカ全盛期で、レーサーのような車を発売しながら、サーキットでは一般の人たちは走れない。走る場所を求めて峠に集まるライダーたちを『峠族』と呼んで、暴走族のように言うマスコミ、何とか『ユーザーたちが自分の車で走れるサーキット』を造ろうとしていたのである。 この1年はその工事期間中であった。

    3月4日には鈴鹿で2&4のレースがあって、宗和などが出場しTTF1で3位に入賞したりした。カワサキの本格的なレース復帰としては最高の出足であった。

    4輪のレースと同時開催だったので、それに出場していた星野一義や金子豊君が『私や岩崎が来ていると聞いて』わざわざカワサキのパドックに挨拶に来てくれたりしたのである。星野がまだ現役パリパリの頃だったから、周囲の人は何事かと思ったようである。 星野が17歳のころからカワサキにいたモトクロスライダーだったことなどあまりみんなご存じないのである。

    そんなことから始まった、カワサキのレース復活だったが、鈴鹿のレース担当の三原さんもカワサキの復活を喜んでくれたし、、その後三原さんとはいろいろと関係が出来たのである。 また当時のMFJは、ホンダの佐藤英明さんに相談して実現していたカワサキ出身の杉沼常務であったこともいろいろと好都合なことが多かった。 杉沼さんはカワサキのアメリカ市場開拓の7人の侍の中で、唯一英語ペラペラ、アメリカ市場にも詳しいプロだったのである。MFJも世界のレース会議で堂々と英語が喋れる人が要るのではと佐藤さんに相談してのMFJ入りであった。

    4月29日には、フランスのルマン24Hに宗和、多田の日本人コンビを送りこんで、見事3位入賞を果たしている。

    そして7月に入ってからは、6H耐久で北川、鶴田組が優勝、藤坂、林組が2位とワンツーフィニッシュ、4H耐久ではビートの高橋、泉組が優勝するなど最高の出足だったのである。

    8月には舞子ビラで盛大に、この時期までのレース成果を祝っての祝賀会をやっている。

    ファクトリー、チームグリーン、BEET、月木レーシングなどレースのKawasaki陣営を集めてのものだった。

    12月には当時世界のトップに君臨していたカワサキフランスの遠藤さんがきて、翌年の鈴鹿8耐のスポンサーを頼まれたりしている。

     

    ★この年の4月1日、念願のソフト会社、株)ケイ、スポーツ、システム(KSS)がスタートし、その社長を引き受けた。

    この会社がなかったら、カワサキのイメージチェンジなど出来なかったし、7万台の目標なども実現しなかったと思っている。

    『遊び半分では、いい遊びは出来ない』と専門会社を造って遊び始めたのである。

    実務を担当してくれたのは、南昌吾常務である。ちょっとうるさいが、納得さえすればとことんやる実力者であった。宗和、多田のルマン派遣なども、この会社がなければ実現などしていない。

    結構使うところでは、惜しまずに派手に金を使った。

    特にケイスポーツシステムは、派手に金は使ったと思う。バイクやモノを売って儲けた金ではなくて、基本的にユーザーから頂いた金だから、みんな『ユーザーのために使え』という指示だけ、南常務にしていたと思う。使う金は法人なのだからアタマを使って集めてきたのである。

     (余談だが、いまNPO 法人The Good Times を副理事長で支えてくれているタッチャんや経理のヨシシュンさんは、KSSのメンバーなのである。NPO The Good Times そのものが、KSSの延長のソフト会社だと私自身は思っている。今のシステムは、月間5000円しか要らないので、NPO法人に入ってくるお金は、集めてくれたところに、活動支援金としてお返しするのを原則としている。全く同じ発想なのである。)

    ユーザークラブKAZEも、KSSが担当して、その会員カードはJCBカードでスタートした。JCBカードとすることで、1年後の期限が来ても、自動更新される方が多いはずだという仮説からのスタートなのである。その通り90%の人は自動更新でKAZEの継続会員となったのである。当時はまだ2000人にも満たなかったが、何年か後には、55000人、ホンダさんのHARTなどと比べても、業界ダントツのユーザークラブに発展するのである。

    然し、55000人以上には増えることはなかった。55000人の規模になると、90%の自動更新があっても毎月500人の人たちが離脱する。毎月500人の新加入者を集めるのが精いっぱいなのである。(そんな反省から、NPO The Good Times の会員さんは1000円の入会金だけ、年会費は頂かないから、増える一方なのである。)

     

    ★何事も、人間『ツキ』である。

    ● 直入のサーキットも、ソフト会社ケイスポーツシステムも、固い固い川崎重工業の中で実現したのである。

    いろんな理屈は並べたが、そんなに満々の自信があったわけではない。これが実現したのは、当時の社長が大庭社長だったからである。

    大庭さんが単車の本部長時代、番頭役で支えたし、それなりの信頼があったのである。 『あいつが言うのだから、よく解らぬがやらしてみよう』という判断だったに違いない。

    多分そんなに解っておられたわけではないのだが、経営会議での私の説明には、何の問題提起もなく、通して頂いたのである。

    社長以下7人ほどの経営会議さえ通したら、役員会などは問題なく通るのである。経営会議は私でも説明者になれるのだが、正規の取締役会は、出席出来てもまず発言は難しい。 そんなものなのである。

     

    ●この年、商品は期待のZXR250/400が春発売されたのである。誰もがこのニューモデルに期待していた年であった。

    ところが実際にビックリするほど売れていったのは、誰もそんなに期待もしていなかった『ZEPHYR』だったのである。

     私は、カワサキ以外の外の方にも沢山トモダチがいて、H,Y,Sの競合メーカーさんにも、ズケズケ結構本音で話のできる仲のいい人はいっぱいいた。

    『ZEPHYR』が発売された時、あるメーカーの方が

    『カワサキさんは何を思って、「ZEPHYR」など出したの?馬力はないし、あまリ特徴はないし・・・』と電話をくれたりしたのである。確かにそんな車だなと、私もその時そう思ったものである。 だが、実際は想定外の売れ方をしたのである。

    タンクマークもKawasakiでなくてZEPHYRだし、馬力を売り物にしてきたカワサキには似合わないし、普通は車のあちこちにKawasakiのマークがあるのだが、それが確か1か所しかないような不思議な車なのである。『カワサキ命』というような熱烈なカワサキファンからは、どうしても『Kawasakiのタンクマークが欲しい』と言うので部品で出したら、それがまた無茶苦茶売れたりしたのである。

    こんなのは、全くのツキである。

    あとになると後付けでいろいろ言う人がいるが、間違いなく期待されて上市された車ではないのだが、カワサキ国内最高のヒット商品であったことも間違いない事実である。

     

    これは、もう少し後のKAZEの機関紙の中からだが、この時点では、

    いつの間にか『不朽の名車』になっていた。

     

     

    ★これは殆どの方がご存じないと思うが、

    この年の8月2日に『KMCの累損消去のお祝い』を川重の山手山荘で開催している。私の人生で一番嬉しかった会合かも知れない。 

    『38Mの累損消去、100億円ほどの累損を消去する』という難しい目標は、私が自分で掲げた目標で、単車に再建屋で来られた大庭さんも『そんなことは聞いていない』と言われたことなのである。 本社財務部門の期待も、販社が期間損益で黒字なら、『連結決算が狂わない』それ以上のことを求めることなど、とても出来ない状況であった。

    海外や国内の販社で事業を展開している二輪事業は、明石の事業部の期間損益など単なる管理損益で、仮に赤字でも当時で言うなら造船の利益で相殺されて川重の経営は十分黒字なのである。外の販社の損益はそんなことにはならない独自のモノだから、累損など消さぬ限り優良企業などとは言えないのである。

    ただ、それを消そうとすれば、連結されているのだから、その分明石の事業部の利益が悪くなるのである。大庭さんは自らの事業部の損益を悪くしてもKMCの累損消去を認めて頂いたのである。私も事業部の企画室長でありながら、KMCの利益を優先したのである。

    KMCの田崎さん、百合草さんと組んで6年間に亘って取り組んだこの課題が達成できた。これは感無量であった。

    私に期待されていた『単車再建』が、その時『出来た』と本当にそう思った。万歳を叫びたい心境であった。特に後半大幅な経営改善を果たした、百合草さんやそれを支えた富永君や松岡君(現車輛のプレジデント)明石側の担当繁治君に感謝である。

    当時の川重の財務担当であった大西元副社長、山田元副社長、本社財務で単車再建を担当してくれた横山さん他本社スタッフ、単車からは高橋、田崎さんや前田、小川君などアメリカを担当した人たちと祝杯を挙げたのである。

     

    これは当時、私が描いていた次の布石の、第1歩だったのだが・・・

    外に子会社を持って事業展開をする事業部にとっては、系列子会社は貯金箱みたいなものである。それが立派であれば、ホントにその事業は立派なはずなのだが、

    どうしても事業本部の方に目が行き過ぎてしまうのである。極端に言うと子会社から利益を吸い上げる方に動いてしまうのである。その結果円建て方策もとれずに、ちょっと円が高くなると慌てふためいてしまうのである。海外の販売会社には大体半年分くらいの在庫がある。円高は国内から値上げの方向で対策するので、在庫は販社にとって益の方向に作用するのである。ある期間持ちこたえる剰余金があれば、円建てでも十分耐え得ると私は今でもそう思っている。ただ、いい時期に対策をしておかないと間に合わない。

    そんな仕組みの構築を本社の財務担当副社長であった松本さんの了解も貰って進めようとしていたのだが、時間切れになってしまった。普通一般に『仕組みの構築』のできる人は、世の中にそんなに多くはいないのが現実である。みんな一生懸命頑張ろう型が一般的である。

     

    ★この年の後半から、何となく7万台も可能性が出てきたので、

    ずっと懸案であったこの業界の委託制度から本来の買い取り制度への転換を根ざそうと動き出している。

    自転車屋さんからバイク専門店の特約店制度も先頭を切って実施したカワサキだが、販社も販売店も好調のこの時期に、業界の先頭を切って、完全買い取り制度の移行を考えたのである。

    この年にはその特約店からネーミングを 『ARK』 と変えている。これは当時の若手の提案で、私の頭にはこれっぽちもなかった発想である。

    当時のKAZEは、『風』ではなくて、Kawasaki Amuzing Zone for Everybodyの略である。

    ZEPHYRというネーミング、『西からの風』も確かカワ販の若手の提案であった。

     ちょっと流行りだったのである。

    『ARK 』とは、 Authorized & Reliable shop of Kawasaki の略である。

    これもホントにそんな名前で大丈夫かと思ったが、やってみると簡単に浸透した。他社のセールスの人が、新しい話題として言い歩いてくれたのである。

     

    買い取り制度は、そんなに単純なことではない。反対意見がいっぱい出ることは、容易に想定できる。まず身内で賛成派を募ることである。これにいち早く手を挙げたのは、東京でも大阪でもない。山辺、谷沢君の率いる西日本地区だったのである。

    こんな難しい課題は、全国一斉でのスタートは無理である。「やる意思のあるところからやる」これは何十年続いている私のやり方である。

    一斉スタートが当然と思っていること自体が錯覚なのである。このあたりのことについては、翌年度なのでまた次回に。

     

    当時の資料が残っていますので、ご参考までに。(懐かしいと思われる方もおられると思います)

     

     

     初年度から、こんな調子でどんどん新しい施策の展開だったのである。

     

    ★こんな忙しい中も、このころはゴルフに熱中している。10月JJSBAのアメリカ視察に一部同行したが、その時NEW PORT BEACHで百合草三とやったゴルフのスコア35-40が私のベストグロスだが、この年の記録を見ると80台は当然、70台も珍しくない。パットも30ちょっとでおさめている。

    今でもパットがそのくらいに戻れば、80台になるのだが、パットが40になったりするのは、やはりゴルフに臨む態度が『遊び半分』なのだろう。

    『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と 『遊びに熱中した1年』だった。

     

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    7万台への挑戦の時代  新しいイメージの創造

    2011-09-07 06:55:13 | 自分史

    ★昭和32年、川崎航空機入社以来、1年ごとに時系列で『自分史』を続けてきた。

    昭和63年(1988)までの31年間は、所謂サラリーマンとしての会社勤めであった。

    この31年間の間でも、長と名前の付かなかったのは昭和40年までの8年間ほどで、

    殆どの期間を、課長、事務所長、所長、母店長、部長、統括部長、、副会長、常務、室長、などなどの職名はいっぱい貰っていたが、どちらかというと更に上に上司がいて、その方の求める方向に支える所謂中間サラリーマンの道を歩いてきた。

    そんな環境の中でも、殆どが自分の思う方向に上司が思ってくれるように、仕向けるというか誘導していたので、

    上司は私のやりたい方向を『やれ』と指示して頂いたことが、殆どであった。

    「自分は本件反対だが上司の指示だから仕方がない」というような仕事は、入社以来やった記憶がない。

    ただ、他の人がつまらぬと思うようなことでも、やりようでは結構オモシロイことも多いと思ったものである。

     

    ★今までの時系列の状態で書くとすれば、昭和64年である。

    この年の1月、昭和天皇がお亡くなりになって、昭和の時代が終わり、平成の新しい年が始まるのである。

    竹下時代も終わったし、昭和の歌姫美空ひばりも亡くなったのである。

    私自身も、前年サラリーマンを卒業し、理事という資格になって、退職金ももらって、今までの貯金のなかった生活も変わったし、

    前の年の10月にはカワサキの二輪事業の円高対策としての国内市場担当を命じられたのである。

    当時のカワサキオートバイ販売会社は、全国各地に地域販売会社やジェットスキー販売や部品販売の専門会社を有する国内グループを形成していた。

    その中枢のカワ販の専務と系列会社の社長となったのだが、当時のシステムでは社長は何もせずに名前だけ、専務、常務が実務を仕切っていたのである。カワ販の社長も川崎重工の常務、CP(コンシューマー、プロダクト)事業本部長の高橋鉄郎さんが兼務されていた。

     

    高橋さんとのお約束は、国内市場を強化すること、具体的には

    ●7万台を販売目標とすること

    ●事業本部に年間100億円の限界利益が国内市場から得られること

    というべらぼうに難しい課題を背負っての就任だったのである。

     

    ★この年56歳、最後の仕事だと思ったし、目標も大きかったし、

    これからの5,6年は誰からも指示されずに、自分で考え、自分でやり抜く以外に道はなかったのである。

    結果から言うと1999年まで、これから11年間の私の会社生活だったのだが、

    この11年間は、私の会社生活の最後の極めてオモシロかった時代だから、従来の時系列の自分史を踏襲しながらも、

    もう少し幅を広げて、纏めてみたい。

    ご紹介したい資料など手元に山ほどあるのである。

     

    ★この時代の特にスタートから3年間ほどの活動がどんなものであったか。その記録が残っている。

    高橋鉄郎さんの指示で行われた講演会である。

    私と、ソフト会社を担当した南君と、レース担当の重本君、そして広告担当の小林君とでぶっつけほんばんで行われたものである。

    高橋さんから当時の川重の社長以下全役員に、更に英訳されて全世界のカワサキ関連に送られた冊子の中からご紹介したい。

     

     

     

     

    ★ 就任して一番先にやったのが、博報堂に依頼したカワサキのイメージ調査なのである。

    当時のカワサキのイメージはご覧のとおりで、

    ●『玄人受けのする』『海外評価を』頼りに、『デザインセンスはないが、』『個性的なデザイン』

    ●『広告のセンスもアフターサービス』もダメ、『レースに弱く』『常にチャレンジしない』そして『大衆的でない』

    一言でいえば『ユニークなKawasaki』で、イメージとしては、そんなに悪いとも言えないのだが、

    『イメージ総量は小さいし』このままでは、7万台を売るという目標など立ててはいけないのである。

     

    7万台を実現するためには、『常にチャレンジするカワサキ』への脱皮、

    一番基本的にベースにあったのは、『新しいカワサキのイメージの創造』だったのである。

     

     

     

     

     

    ★市場が伸びているのならともかく、市場は年々縮小しているのである。

     

    前年10月、就任2週間目に、『ファクトリー結成25周年のOB会』を開催したのも、今後は創成期のような積極的なレース展開を図るという決意表明であったし、

    従来の『カワサキ一筋のユーザー』を集めていたユーザークラブKAZEを発展的に解散したのも、熱烈なカワサキファンだけではとても7万台は難しいと思ったのである。 別にバイクのユーザーでなくても、『二輪に関心のある人を集めよう』これがスタート時のKAZEのコンセプトである。私は、バイクを自分で持ったことはないのだが、今でもKAZEの現役会員なのである。

     

    カワサキが常にチャレンジし、広告のセンスもよく、レースにも強いKawasaki に変身させることが、拡販のMUST条件だと思ったのである。

    昭和から平成に変わった初年度は、兎に角『イメージチェンジ』が最大課題だったのである。

    こんなことから入ってゆくリーダーは1%もいないと思うが、誰にも相談せずに、そんなことから『7万台の挑戦』は始まったのである。

    若い時にいた広報の世界の経験がそうさせたのだと思っている。

      

    ★まず、一番最初に取り組んだのがイメージ調査で、一体カワサキはどんなイメージを持たれているのか?

    博報堂の調査の結果である。

     

     

     

     講演の中でも、同じようなことを言っているが、

    1989年、たった1年で、Kawasakのイメージは変化の兆しを見せている。

    広告宣伝のセンスも上がったし、レースもそれなりに実績を残した。

    常にチャレンジするカワサキに変わりつつあると『世間が認め始めた』のである。

     

    では、この1年どんなことを具体的にやったのか?

     

    それは上表の『対策の方向』

    1)商品開発は、技術部の担当だが、

    2)流通機構

    3)ユーザー(KAZE)

    4)社会環境、市場環境との調和

    5)ブランドイメージの高品質化

    の2~5項までが販社グループが担当した。

    そして

    『総合的な新しい仕組みの構築』だったのである。

     

    64年の具体的な動きについては、明日続けてアップすることにする。

     

     

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    舞子公園海上プロムナ―ド

    2011-09-06 06:40:40 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

    ★昨日は、『孫文記念館の関係の打ち合わせ』だと勝手に思い込んでいました。

    1時少し前に行ったのですが、月曜日は休日で門は鍵が掛っていました。1時になったら鍵を開けるのかも知れない。それまでの時間つぶしにと隣の海上プロムナードに入って時間を潰しました。

    時間潰しというよりは、貴重な体験になりました。こんな事でもないと、近くの名所は行かないものです。

    舞子公園はこんなレイアウトに仕上がっています。

     

     孫文記念館も昔はもっと陸地に近い方にあったのですが、橋の工事で移設するために解体していた時に阪神大震災があって、助かったのだということのようです。

    これは地上からの眺めです。 地上からでもほんとにいい眺めです。

    海上プロムナードはその先にあります。

    入場料は大人日曜日300円、平日240円、私は120円でしたから65歳以上半額です。

    1階から8階までエレ-ベーターで上がるとこんなところに出ます。

    そしてそれを進むと東西にこんな展望室です。

    そこから、孫文記念館を見下したところです。

    舞子ビラが正面に見える素晴らしい景観です。

    西側には売店やレストランもあって、やはり展望室があります。

    向こうに見えるのが、私の育った明石です。

     

    戦前の懐かしい舞子公園の写真もありました。

    舞子はまだ松も残っていて、何となく昔の面影を止めているのですが。

    明石の中崎海岸はもっと背の高い松並木だったのですが、須磨明石と言われた面影は、いまは全然なくなってしまいました。

    海上プロムナードは、まだこの先があります。

    橋の下はこんなになっています。真ん中は向こうに車が走っていました。

    これが『海上47mの丸木橋』で、その横からは海上の水面がガラス越しに見えます。

    写真では高さがもう一つ感じられません。ガラスの上も当然歩けるのでしょうが、それがコワイ人のためにヨコ丸木橋があるのです。

    こんな感じです。

    帰りにもう一度、景色を眺めました。

    そのガラスの上に、神戸、京都。大阪、堺、和歌山そして紀淡海峡、友が島などと書かれています。

    下に降りて、橋を下から眺めたところです。こういう角度は橋らしいなと思います。

    掛りの方に、お客さんたくさん来ますか?と聞いたら、

    『外国の方、中国の方たちがたくさん見えます』とのことでした。

     

    外に独り外人の方。

    『どこから?アメリカですか?』 『オ―ストラリアです』

    『Kawasaki M/C知ってますか?』 『よく知っています』

    『かってkawasakiのM/C 部門にいました。オーストラリアには、バイクやJ/Sの関係で何度か行きました。この橋Kawasakiが造ったの知ってますか?』

    『知りませんでした。ところで造るのに何年かかったのですか?』

    と聞かれて、解らずに答えられませんでした。いい加減に『解らないけど、10年以上掛ったでしょう』と答えましたが、

    ホントに何年かかったのでしょうか?

     

    久しぶりの英語の会話でしたが、これ以上難しいことはムリですね。

    『マンダイ、チューズダイ』のオーストラリア訛りはそんなになかったように思いました。

     

    ぜひ舞子公園、行ってみて下さい。 孫文記念館もお忘れなく・・・・

     

    ●打ち合わせの、日時を間違えたお陰で、『いい目の保養』が出来ました。

    後で、連絡があって、やはり昨日だったようです。なぜ門がしまっていたのか? 通用門でも多分ヨコにあったのだと思います。

     

    写真いっぱい、Facebook アルバムに纏めましたので、ご覧ください。

     

     

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    Facebook 講習会

    2011-09-05 05:38:55 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

    ★昨日は、NPO The Good Times の理事会でした。

    30代から40代、50代、60代、70代のメンバーが揃っていて、平均年齢は60歳ぐらいかも知れませんが、会議の中味は、『ラーニングバー』もビックリするほどの、楽しい会議なのです。

    年の割に、メンバーは、ブログは勿論、SNS,ツイッター、Tumblr、昨今はFacebookもこなしていて、なかなか先進的なおじんたちなのです。

     

    みんな独学なので、やってはいるがFacebookなどはもう一つ解らなくて、『講習会でも』という声は以前からあったのですが、肝心の講師が見つからなかったのです。

    ひょんなことから、1ヶ月ほど前に、神戸のCUSTOM INFECTION というネット関連にめちゃ詳しい人が、NPOに参画したのです。

    そのことは、1ヶ月ほど前にブログで触れましたが

    その綿谷さんはそれ以降、関東のNPOのメンバーとも、星野インパルの取材などもして、こんなインパルの取材ブログを書いています

    さらに、三木社協の『地域SNSで地域活性化を考えるラーニングバー』にも参加して、すぐこんなFacebookのファンページ『Net ラーニングバー』などもスタートしたのです。

    そして、昨日の理事会の後、午後からのFacebook講習会という運びになったのです。

     

    NPO の理事さん連中が言いだした講習会ですが、集まったメンバーは、ボランタリー活動プラザみきの『Net ラーニングバー』ノメンバーとの合同講習会としました。

    私と、ボランタリー活動プラザみきの稲見所長が抜けていますが、こんなメンバーなのです。

    平均年齢60歳とは計算もせずに勝手にカンで言っているのですが、どう思われますか?

    みんなアタマの柔らかさや行動力で言えば、50才といっても通るかも知れません。

     

    こんな雰囲気で、熱心に聞いています。

    昨日も、『三木さんさんまつりのFacebook』も現場で造ったのですが、今のところ私が見つけ出せません。

    これが、先日の『ラーニングバー』で造ったFacebookのファンページです。まだまだ中味は整っていませんが、どんどん充実すると思います。

     

    ボランタリー活動プラザのこのホールはいつも、パソコンが3台あって誰でも使えますし、講習の道具は揃っています。

    そんな道具を駆使して、綿谷さんともうお一人ホントにプロの方、こんな方が手伝って下さいました

    お二人とも30代のベンチャー起業家です。

     

     

     

     これは資料の一部ですが、確りと解ったわけではないのですが、

    いろんなことが解って、大満足です。

    これは、NPO The Good Times の Facebookの ファンページですが、そのお気に入りには、昨日出席された方たちのファンページもいっぱい並んでいます。

    グッドタイムズIT部』 という昨日出席した人たちだけの特別質問サイトなども造ったのですが、これは多分出席された人たち以外はみられないのだと思います。

     

    昨日の理事会で、CUSTOM INFECTION の綿谷直樹さんは、NPO The Good Times のアドバイザーに決まりました。

     

     

     

     

    ★世のなかには、Facebook の講習会は、いっぱいあるようですが、こんなに懇切丁寧なのは、まず難しいと思います。

    現役の、プロの人たちを1日無料でお願い出来たのも、NPO The Good Times の繋がりがあるからです。

     

    来週の土曜日は、昨日講師を務めて頂いたCUSTOM INFECTIONの綿谷さん取材先として、

    s850mさん』 福井昇君の自慢の4輪と二輪の取材を手配しました。

    福井君快く受けてくれました。 福井君もNPO The Good Times の理事さんです。

    昨日の講師の綿谷さんに、せめてものお礼の気持ちです。

    綿谷さん、多分また素晴らしい記事で、福井君の本格的なCUSTOM 4輪2輪&おまけにジェットスキーとミニSLなどの紹介が楽しみです。

     

     

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    野田総理に思うこと

    2011-09-04 07:02:17 | 政治

    ★つい先日、野田よしひこさんというブログで感想を述べた。

     

    その最後に

    『一夜明けて

    少なくとも表面的には『ノ―サイド』は実現した。

    野田よしひこ さん、これはプロだなと思った。

    久しぶりにプロの政治家に出会った感じである。松下政経塾でダテに学んでいたわけでもなさそうだ。

    増税も上手にやるだろう。

    多数決の政治世界だが、『まともな意見』が最初から多数派などは取れないのである。

    『追い風の流れ』を造ればいい。

    多分野田さんは、そんな流れを造るのではないか?

     

    全くのカンなのだが、そんな感じがする。

    新聞はいろいろ言っているが・・・・・・・   』

     

     

    ★私は政治に関しては間違いなく無党派層である。自民党でも、民主党でもない。

    政治家個人で、好きな人も嫌いな人もいる。

    今までそのどちらにも入っていなかった、むしろ強いて言えば、嫌いに近い方に入っていた野田さんだが、

    あの代表選以来見直して、すっかりファンになっている。

     

    新聞や、マスコミとネットの検索からだけの情報だが、なかなかいい。

    一言でいえば、『物事が読める』、『仮説が立てられる』ということは『マーケッテング』が出来る人だなと思った。

    細かいヨミと配慮をベースにした行動がある。

    明らかに、物事の目指す目的が自然に実現する『野田さん独特にシステム』」を持っていて、それに乗っての行動になっている。

    自らが、主張した増税路線を変えないのもいい。

     

    新聞などでは、財務省主導などといろいろ言うが、日本で一番頭がいいのが揃っているのが、財務省だから、その人たちに乗るのもまた一つの選択肢なのだろう。

    多分、ウソは言わないだろうし、言い訳を上手に考えることもしないかも知れない。

     

    ★この5年間ぐらいの間、関心を持って注目した政治家は、

    佐賀県武雄の樋渡さん、

    宮崎県知事の東国原さんというより、そのまんま東の面影のあったころの『そのまんま東』さん、

    大阪の橋下徹知事、

     

    中央の政治家ではずっと昔から、小沢さんには注目していて、そのあと小泉さん、

    安倍さんには注目したが直ぐ辞めてしまった。

    野田さんはそれ以来だが、今まで注目も関心も持たなかったので、自分でも驚いている。

     

    ★そんなことは、誰も言っていないが、『マーケッテングマインド』があると思うし、

    この経った2,3日だけの動きを見ても『自らのシステム』の中で動いている。

    『基本コンセプト』従来の菅などと比べて、比較にならうほど確りしている。

    そんな中から築きあげられる『仮説』は、間違いなく『実現する』だろうと思っている。

     

    大阪の橋下さんが知事になる直前に、この人はやりきると思った時と同じような感想を持っている。

    野田内閣の顔ぶれを見て一人一人は知らないが、トップが確りすれば、集団はトップの思う方向に動くはずである。

    ぜひ、マスコミ関係も、小沢、反小沢などの単細胞な、色分けではなしに、じっくり野田内閣を見守ってあげて欲しい。

    今日本は大きな危機なのである。

     

    国民も日本の国のために、国のリーダーが思い切って自分の思う通りにやれるように、協力すべきだと思っている。

    私は、少なくとも野田さんを応援しようと思っている。

     

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    NPO 産業人OBネット 設立5周年記念特別講演会

    2011-09-03 17:55:36 | NPO The Good Times

    NPO 産業人OBネット 設立5周年記念特別講演会 が開催されます。

    講師は元兵庫県知事 貝原俊民さんで、

    『長寿国にっぽんをめざして』 という演題です。

     

     

    川崎重工の二輪事業部の仲間であった野田さんが理事長を務めるNPO法人です。 

     

    川崎重工を中心とする企業のOB達が

    『経営課題の解決を支援する人材ネットワーク 』

    で活動展開をしています。

     

     

    ぜひ、NPO The Good Times の広報システムでトの依頼がありましたので、ご紹介います。

     

    私どものNPOが9月に設立5周年を迎え、これを記念して

    前兵庫県知事 貝原 俊民 氏の「長寿国 にっぽんをめざして」

    と題する講演会を開催することになりました。

      

    開催日:9月14日(水) 13:00~15:00

    場 所:県民会館けんみんホール (兵庫県庁前)

    申込方法: インターネットで  http://www.sanobnet.jp  (ここをクリック)

            ファックスで 専用受付番号  050-3737-5124

     

     

     

     

     

     こんなメンバー達で構成されています。

     

                    

     

    もう2週間後になりました。

    先着300名だそうです。申し込み方法など詳細は、上記のリンクをクリックしてください。

     

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    2011年9月スタート

    2011-09-03 06:18:07 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

    ★今年の夏は、電力事情が大変だとか、そうでじゃないとか、関西では何となく解らぬ議論であったが、

    8月、夏が過ぎて、もう9月に入った。結果的には電力事情は大丈夫だったということなのか?

    済んだからよかったではなしに、関西電力は少なくとも当初からの経緯などを含めて総括しなければならない。

     

    予想の時点では、電車の間引き運転まで、言われたりしていたのである。

    民間の節電に対する協力度も関西はそれほどでもなかったと聞いたりする。

    それなのに大丈夫だったということは、関西電力の当初のヨミはどうだったのか?

    余計に気になるのである。

     

    ★考えてみれば、電力会社の経営など、今年のようなことがなければ、無茶苦茶簡単なような気がする。

    十分な発電量を確保して、儲かるような価格を付けて、消費者が使っただけの電気代を集金すれば十分黒字になるのである。

    電力使用予想など、今まで考えたこともなかったのだと思うのである。

     

    そんな8月が過ぎて、ああ秋だと思ったら、野田内閣で、ドジョウだ金魚だと騒がしいが、

    概ね評判はいいみたいである。

    個人的には期待できる、と思っているし、野田さんのやり方は好きになった。

     

    ★独走していたヤクルトがガタガタになってきた。

    春には、どの専門家も阪神と言っていたが、阪神が圧倒的に強いわけではない。

    彼らは野球の解説者ではあるが、予想屋ではないので、順位が外れたりするのは仕方がないのだろう。

     

    サッカーは、女子は点が入らずにイライラしたがが、結果は3-0と順当な結果になった。

    今夜の北朝鮮、もう引き分けは覚悟した時間に劇的ゴールで勝ち点3が取れた。

    ボクシングなどのように判定がある競技なら差は歴然なのだが、サッカーや野球は点ならぬとどうにもならない。

    でも、よかった。

     

    ★今一番の関心事は台風である。

    三木に移ってきて約40年間、台風とはご縁がなく過ごしてきた。

    今回はちょうどこちらに向かってやってきている。

    明日のひるころなどと言っているが、

    家内がアメリカに遊びに行っていて、文字通り一人だから、台風の準備をどうするのか?

    2階は雨戸などない、硝子戸だけだから、来てみないと解らない。

    今更どうにもできないので、何とかなると思っているが、ホントに大丈夫かなと思う。

    今、夜9時半、まだ静かである。雨もそんなに降っていない。

     

    今朝6時、ニュースは台風の被害を伝えているが、三木は何の影響もない。小雨が降っているが風はない、静かな朝である。

    やはり昼ごろかな。

     

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    移情閣友の会

    2011-09-02 04:38:23 | NPO The Good Times

    ★元川崎重工業社長の田崎雅元さんが、

    今年の6月から孫中山記念会の理事長を元兵庫県知事の貝原さんから引き継がれた。

    就任にあたってこんな挨拶をされている。

     

    ★田崎さんのご挨拶にあるような経緯で梅田さん、大庭さんと歴代川重社長が理事長を引き受けられたのである。

    ご存じの通り、田崎さんは二輪車部門の出身である。

    若い時は私たちと一緒のファクトリーレーシングチームの仲間であり、20代の頃から何度もコンビでいろんなことに取り組んだ仲である。

    社長時代、「川崎柔工業」などと言ったりして、発想は柔らかい。

    末端ユーザーが好きだし、カワサキワールドを造ったり、ミニSLフェスタを手伝ってくれたりした。

    今回は、既にある『移情閣友の会』をもっとオモシロく展開したいので、NPO The Good Timesのシステムで『手伝え』と仰るのである。

    田崎さんはNPOのNO.0031番のカードを持つ会員さんである。 ちなみにNO.30番は、二輪車の大先輩高橋鉄郎さんで、30番台は全てカワサキの関係の深かった人たちが並んでいる。Z1開発責任者の大槻さんも、稲村さんも、百合草さんもここに並んでいる特別メンバーなのである。

    喜んでお手伝いすることにした。 その第1回の会合だったのである。

     

    ★集まったメンバーは田崎さんと、今回メンバーに加わった中村君。

    そして、もう何年も『友の会企画運営委員長』をやっている佐瀬祥一君である。 中村君は私もよく知っているが佐瀬君は直接仕事をするのは今回が初めてである。

    私を含めて4人、いずれもカワサキ単車の出身である。

    位から言えば勿論田崎さんがダントツなのだが、友の会を熟知しているのは佐瀬君である。

    彼が『その気にならないと』このプロジェクトは上手く動いたりはしないのである。 ところが佐瀬君なかなか骨があって、すぐ『ハイハイ』とは言わないのである。これは単車出身らしくて、『なかなかいい』と思った。

    田崎さんの言うことに、すぐ『ハイ』と言わないのは、他の事業部では多分あまりなく、昔の単車独特のモノである。

    そう言うのを、仲をとって繋いで絡んだ糸をほぐしていくのは、私の特技みたいなもので、2時間もする内に、大体方向は決まった。 

    GOである。  久しぶりに、田崎さんと一緒に、若いころと同じような雰囲気での会議が出来た。

    中村君は元々本社財務だがKMCにもいたし、単車希望で手を挙げたときに幾らか反対もあったのだが、受け入れを決めたのは私である。そんな仲だから気心は知れている。最近もZ1会のゴルフのメンバーだからしょっちゅう会っている。

    NPOの監事のjhojinさん小川君とと同じ本社財務出身で、田崎さんがKMC社長のころKMCにいた。後オランダで部品会社の社長もした国際派で、大庭さんの秘書も勤めたり、淡路カントリーの社長もした器用さを持ち合わせているのである。

     

    議論が白熱して1時を過ぎてはいたが、

    こんなメンバーで、豪華なホテルで、昼食をご馳走になった。後ろのもうひと方は、事務局長の県庁のOB 松原さんである。私は直ぐ仲良くなった。

    流石に県庁の方で三木のことも、三木市長の薮本さんのことなどもよくご存じであった。

     

    ★食事をした Hotel SETRE の全貌である。

    この写真には見えないが、孫文記念館は橋のたもと最高の位置にある。

    早速、週明けの月曜日にはもう一度訪れて、具体的な推進について、中村、佐瀬君と進めることにした。

    お二人とも、NPO The Good Times の個人会員に参加して頂いた。NPOも法人だから、会員さんのお手伝いなら出来るのである。

     

    田崎さんの言う『10万人の会員』に向かって絵を描くことにした。十分の可能性がある。

    日本人だけでなく、華僑の方や、台湾も本土も、どなたでも大丈夫な国際的な展開にしたい。

    NPO 法人スタート以来初めて『10万人』という目標が出来た。

    これくらいの規模がないとオモシロくない、カワサキのKAZEでも、20年前に、ネットのない時代に55000人もいたのである。

    孫文記念館とはどんなところか? 周辺の写真を何枚かお見せしておこう。

    記念館の写真はあえて出さないが、風景だけでも訪れる価値のあるところなのである。

    NPO The Good Times のFacebook のファンページのアルバムに写真掲載します。

     

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