雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

珈琲庵 珈集

2023-07-03 06:37:04 | 発想$感想


★ちょっとムツカシイ字だが「珈琲庵 珈集」カシュウ と読む。
 三木に本店があるコーヒー専門店なのだが、

 珈琲庵 珈集のホームページにはこんな写真が載っている。


  
 
 

 コーヒーと和菓子と庭園の3つがこだわりだという。
 都会の街の中ではこんな店は開こうにも開けない。
 神戸の隣町だが、広い空間がいっぱいの三木ならではお店である。
 三木が本店で2軒だけかと思ったら、
 最近はあちこちに支店が出来ているようだ。


  


  
★ 昨日はそんな「珈琲庵 珈集」に娘と家内と一緒に行ってきた。

 
 こんなお店で、
 店構えは結構立派だし、庭園付きである。





  娘と家内がいろいろあるメニューの中から 

 




 こんなセットを選んだ。
 私はどんなメニューでも大丈夫だから、いつものことだがお任せである。
 ちゃんと和菓子もついている。





 そしてこんな綺麗な庭付である。






 それにしても、こんな立派なコーヒー専門店があるのは、
 世界で日本だけかも知れない。
 日常ではコーヒーの本場アメリカなどには、
 コーヒーはいろんなところでその豆など売っているが、
 日本のようなコーヒー店はないように思う。


★ 家内と二人だけの時は、外食など滅多にしないのだが、
 娘や孫がやってくると外食が俄然多くなる。

 今回も20日間あまりの滞在なので、その間、外食の機会も増えるだろう。

 私は、食い物や飲み物は「何でも大丈夫」なのだが、
 味などは、よく解らなくて「何でも旨」と思うレベルなので、
 コーヒーも本当のところは、その味がよく解ってはいないレベルなのである。
 ブラックでも、砂糖を入れても、ミルクを入れてもみんなOKで、
 昨日も、一つのコーヒーだが、その3種を味わってきた。
 それぞれの味だが、それぞれ美味しい思って飲んできたのである。
 

 
 
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播磨はなぜ雨が少ないのか?

2023-07-02 06:05:37 | 発想$感想

★ ニュースなど見てると日本国中大雨のように思えたりするのだが、
 私の住んでいる播磨の三木はそんなに大雨が降ったりすることは珍しい。
 この6月末から7月1日の間も雨は幾らか降ったが大雨と言うにはほど遠い。

 こんなことには傾斜もあるし、絶対にならないと言ってもいい。


 



 こんな画面を見ると、ホントにどのくらい降ったのだろうと思う。
 どうも大雨の降る所は毎年決まっているようにも思う。

 


 これが今の天気図だが、淡路島の北側の播磨地区だけが、雲が少ないのである。

  


★ 本当に不思議なので、
 「播磨はなぜ雨が少ないのか?」と検索してみたら、
 こんな文章が現れた。

兵庫県の播磨の瀬戸内側って、全国的に見ても平和な場所だと感じています。災害リスクがゼロではありませんが、相対的に見て災害が少ない地域だと思っています。 
その理由が 
①雨の量がそこまで多くない。大雨になることがほとんどない。
 ②強い台風の直撃がない。 
 ③雪がほとんど降らない。中国山地に遮られて、積雪はほぼ無い。

 確かに平和な場所である。
 三木に移り住んで50年になるのだが、災害など全くないし、
 あの阪神大震災の時も揺れたが、大丈夫だった。
 明石や三木は昔からの町だが、昔の人は経験値から安全な場所に住んだのかも知れない。
 
 残り少ない人生だが、災害や大雨には無関係で生きたいものである。


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カワサキ単車の昔話  6   F21M 誕生物語  

2023-07-01 06:38:42 | カワサキ単車の昔話

★ KAZEの機関誌の今月号にF21Mのこんな写真が載っていた。

  
  


 F21Mのデビュー戦は昭和41年(1966)7月の青森県岩木山山麓のスキー場で行われたMCFAJのモトクロスだが、
 これからしばらくの間F21Mは連戦連勝で、界
 日本のモトクロス界を席巻したと言ってもいい。
 抜群の強さを発揮したマシンなのである。

★それまでのマシンは、実用車をモトクロス車に改造したもので、
 このF21Mがカワサキのモトクロスマシンで初めて本格的なマシンとして作られたものである。

 このF21Mが出現したのは、その前の年だったと思うが、
 スズキRH250という本格的なモトクロス車を2台創って、
 当時の久保和夫・小島松久の二人のTOPライダーに乗せて、
 ヨーロッパ遠征なども行い大いに当時のモトクロス界の話題となったのである。

 当時のカワサキのモトクロスチームは技術部の安藤佶郎さんが監督で、
 私がライダー関係を纏め、製造部がモトクロス職場を持っていて、
 技術・製造・営業の3者の協力体制で行われていたのだが、
 スズキのRHに対抗できる本格的なモトクロッサーを創ろうということになったのである。
 エンジンは安藤佶郎が当時の175ccのエンジンを238ccまでボア・アップしたのを用意したのだが、
 フレーム関係はモトクロス職場の松尾勇さんが個人的に設計図もないまま、
 べニア板に形を釘で打って作り、ヘリコプターのクロモリのパイプを貰ってきて、
 それに海岸から採って来た砂を摘めて創り上げたものなのである。

★ フロント・フォークもセリアーニタイプのものを新調したし
スズキと違って、当時の契約ライダー山本・歳森・三橋・安良岡・梅津・岡部・星野の全員の7台を造って、青森のモトクロスにデヴューさせたのである。

 これは当時のモトクロス業界では画期的な出来事で、
 注目を集めたし、現実にそれ以降のモトクロスは山本隆が3年連続チャンピオンを取るなど、
 その名声を欲しいままにした名車であったと言っていい。

 後には工場レーサーから技術部が正規に市販レーサーなども創り上げるのだが、

   


 最初に造られた7台は間違いなく、設計図もなしに 
 松尾勇さんが個人的に創り上げたものである。

★この年の秋の東京モーターショーにこのF21Mを記念車として出品したのだが、
 これを出品すると聞いて、エンジン開発の安藤佶郎さんが反対されたので、
 「なぜ?」とその理由を聞いたら、
 「このエンジンの基礎は125ccエンジンで、それを150㏄にし、さらに175㏄にし、235ccのモトクロッサーエンジンにしてなおかつ持っているということは、
最初の125㏄のエンジン設計過剰品質であったということで、
設計者としてはカッコ悪い」と仰るのである。
 「そんなこと、誰も思わない」と押し切って出品したのだが、
 設計担当としてはそんなことも思うのか?と私はある意味、感心したことを想いだすのである。

 いま思い返してみても、このF21Mは名車であったことは間違いない。
 多分これが松尾勇さんの最後の作で、
 それ以降は「KX」と名付けられてすべてが技術部によるものとなり、
 「レース職場」も消滅してしまうのである。
 逆に言うと、今となっては「レース職場」のあった昔のカワサキが懐かしいのである。


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