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今回は紫陽花と紅葉で有名な『本土寺』の考察
本土寺で気になるのは参道と場所
なぜ窪地に建てたのか?
なぜ参道が曲がっているのか?
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平面の地図では高低差は見えないが
道の角度は分かります
北上して左に曲がる参道
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古くは水戸街道に入口があったといわれる
水戸街道もここでクランクして方向を変える
小金の地名の由来はこの鍵状のカーブともいう説もある
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小金の郷社『八坂神社』も元々はこの水戸街道沿いにあった
鉄道が通り、駅前再開発で今の位置に移転
本土寺の参道も遮断される
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迂回して杉並木の参道へ
水戸黄門も通ったとされる
そして問題のカーブ
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ここでなぜ曲げたのか?
今は二股に分かれるようにみえるが
北西の方角に曲がる
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水戸街道が先にあったのか?
本土寺参道の方が先にあったのか?
本土寺は鎌倉時代創建だが、
館の時代は平安時代からある
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そして山門に到着
ここまではほぼ平坦な道
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坂を下ると入口
なぜ低地に本堂を建てたのか?
一般的に寺は山の上にあることが多い
単純に低いところは洪水の恐れがある
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一見谷底に見えるけど
さらに深いところに菖蒲畑がある
考えられるのは飲み水に利点があったのだと思える
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道が先か?建物が先か?
この辺は『平賀』という地名が多く源氏の血筋の人物らしい
鎌倉時代に鎌倉街道として成立したのかも
萬満寺も鎌倉時代創建
参道の謎はおそらく風水による
『南東の入口』というのが吉相とされるからではないかと思われる
松戸市の大きな古い家の入口は南東を向いているのもその名残とか
『天子南面す』というように
北を背にして南を向くというのは本殿は南向きが基本
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朝廷は奈良盆地と京都盆地に都を置いた
高台でもなく平野でもなく
本土寺の地形がすごい!
窪地にある高台
鎌倉幕府は山に囲まれた海沿い
この時代から地形を熟知している
一地方の豪族の館がここ
ここじゃなきゃだめとなると道は後から造ったはず
軍事優先はいなめない
テーマは参道だったけど
この地形の発見がすばらしい!
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