今のアーティストは、Cool JapanなるプラスのイメージとYouTubeやTikTokなどの画像メディアなる新たの武器に一気に海外でも成功できるチャンスがある恵まれた時代に生きている。
70年代のJ-Pop アーティストは海外進出となると余程の実力がないと中々難しい時代だった。MTVもまだ無く、日本のアーティストを売り出そうとするなら海外での公演が不可欠で実績のないアーティストにそんなセールス・プロモーションに割ける資金などなかった。
そんなこんなでちょっと1980年のサンディー(Sandii)のソロ・アルバムを引っ張り出してみた。
(初回盤は緑色の別ジャケだった)
(昔は日本なんて中国の一部って思っていた人もいたので、あえてこの図柄で勝負!)
(5曲目のAlive, Okinawanな旋律にロックが絡んできて心地よい)
プロデュースが細野晴臣。脇を固めるは久保田麻琴、高橋幸宏、教授、大村憲司、松武秀樹らイエロー・マジック系の実力派アーティストの面々。
そして、ジャケ表はピンクの色彩を基調とした背景にプラスティック製のようにピチッとしたサンディーのナイス・バディーがドドォーンと登場。そして裏は日本と言うよりは、アジアをイメージしたエキゾチックなイラスト。
更にテクノ・ポップに日米ハーフを生かした達者な英語で歌われているのがポイント。
てな事で当時の日本の先物買いのリスナーを狙っていたのと、海外でも特定のリスナーに少しは刺されば良いかなって感じのプロダクションだったかな?
あれから約45年経った今聴いてもそれほど古いって感じはしない中々の出来。もしあの時代にYouTubeやTikTokがあればそこそこ彼の地でも売れたんじゃないかと….