少年1:やったー、綺麗なお姉さんがトイレに行った隙に、ROXY MUSICのCOUNTRY LIFEゲットしたぜ! アメリカで プレスされた時は、この写真は採用されなかったくらいで、インパクトのあるジャケットだね。やっぱ、これでなきゃ。
ROXY MUSICのCOUNTRY LIFE、USプレスのジャケット
注:アメリカとカナダでアトランティックの子会社のATCOからレコード番号 SD36-106で1974年発売された。センサーがかかったジャケットだけかと思っていたが、オリジナル盤も袋に入れて当時出ていたようで、多分それを見て苦情が来てセンサーがかかったジャケットに変更されたのでは? 1982年の再発盤ではアメリカとカナダはセンサー・ジャケットで出された。CDになってから、オリジナルに復帰。
少年2:だけど、お前のお袋さんに見つかりゃ問題だぜ。
少年1:大丈夫さ。レコード棚にレコード目いっぱい 詰め込んでおいて、まずいやつは一番端に置いておくのさ。そうすりゃ、端っこのレコードは取り出しにくく、そのレコードを聴きたいと思って取り出さない限り安全さ。うちのかーちゃんには無理だね。
少年2:実は内緒ってことだったんだけど、お前のお袋さんに、最近学校で何かなかったかと聞かれたんだ。なんでもレコード棚から変な写真が見つかったてことで。
少年1:ゲー、なんと間抜けな ~(ASS)
ASS は、ロバいう意味ですが、その風貌や動作から間抜けというような意味もあります。
前作STRAIGHT UP が1971年12月 アメリカで(英国は1972年2月)に発売された後を受けて、4作目のASSが前作のプロデュースを行った トッド・ラングレンと一緒に1972年1月からレコーディングを開始する。
しかしながら、トッド・ラングレンがすべての楽曲の最終ミックスを行なったにもかかわらず、STRAIGHT UPにCO-PRODUCERの表記がなかった事に対する不満から、プロデュサーの仕事を途中で降りてしまった。またバンド内のメンバーどうしのゴタゴタもあり、結局セルフ・プロデュースでアルバムのレコーディングが完了したのは翌年の1月と丸1年を無駄にしてしまった。
新人バンドで、多少プロダクションのレベルが落ちようとも、積極的にアルバムを一定の間隔で出していかないといけない時期に、様々なゴタゴタに巻き込まれたのは致命的であった。しかし、なんとか生き延びることが出来たのは、ポールやジョージのサポートもかなり寄与したが、本質的には彼らが作り出す楽曲に魅力があったからだろう。
当時アップルのマネージメントとの確執があり、希望を失った彼らはアメリカのワーナーと契約を交わし、アップルの契約が終了するや否や、ワーナーから新しいアルバムを出すことを画策していた。しかし、ワーナーとの契約に関して詳しい知識がなかったのか、彼らの雇ったアメリカ人のマネージャーに契約金のほとんどをむしり取れる結果となり、彼らの手元には お金はほとんど残らなかった。
さらに悪い事は続き、新規の契約締結に立腹したアップルは、ASSの発売をわざと遅らせ、ほとんどプローモションなしに販売されたので、アルバムの発売は当時全く話題に登らなかったのである。
彼らの苦境は、ワーナーに移籍してからも続くのであるが、このあたりで一旦筆を置きたいと思う。
ASSのジャケットのコンセプトはメンバーのトム・エバンスの発案という事で、ヘッドフォンをつけたロバ(BADFINGERのこと)が空に浮かぶ差し出された餌の人参(ワーナーが差し出す契約書のこと) を眺めているという、アップルに対しての当てつけを示す意図なのだろう。
ロバを自身にかけて間抜けだった(ロバのASSが自身のUSに発音が似ている事から)という意味と、悲劇の三部作のタイトルを繋げるとNO DICE, STRIGHT UP (YOUR)ASSとなり、この場合ASSは、アップルに対して“クソくらえー”というニュアンスになる。
このような状態では、どうしてもやっつけ仕事になってしまい、 キーになる曲もなく平凡な内容となったが、その中でも、 律儀なピート・ハムがアップルに対する感謝の思いを歌ったAPPLE OF MY EYEは 彼の真面目さがよく表れています。
しかしあまりにも真面目すぎたのが、追い詰められて自殺に繋がったことも否定できません。
この世の中、全ての事にあまり真面目や神経質になり過ぎず、 成るようにしか成らないと言う感じの少し開き直った気持ちで生きて行った方が良いのでしょう。お金以外は溜め込むとろくな事にならないみたいです。
少年1:じゃー、それを逆手にとって、100点取ったテストでもそこに紛れ込まそう。そうすりゃ、かーちゃんだって俺の行動に一目置いてチェックも緩むんじゃねーか。
少年2:一つ問題があるんだが、お前100点取ったことあるの?
少年1:キック・ユア・アス(ASS)! 俺だって、昔 ローマ字を書くテストで100点取ったことがあるぞ!(くれぐれも英語のわかる人に対してはこのような野蛮な言葉を吐かないようにしてください。必ず、パンチが飛んできます。)
少年2:それ、いつの話よ?
お袋さんを甘く見てはいけません。知っているけど知らん振りしているだけです。
1990年アメリカの独立レーベルRYKOから発売されたライブ盤のCD
生き残りのギター担当のジョーイ・モランドが、発掘されたライブテープの音が痩せているという理由で大胆にも自身のギーターをオーバー・ダブし不評を買う。
しかし、BADFINGERの資料としては貴重
CD裏ジャケの写真。メンバーのライブでの立ち位置がわかり貴重な写真
Day After Day Badfinger LIVE! 1972
ROXY MUSICのCOUNTRY LIFE、USプレスのジャケット
注:アメリカとカナダでアトランティックの子会社のATCOからレコード番号 SD36-106で1974年発売された。センサーがかかったジャケットだけかと思っていたが、オリジナル盤も袋に入れて当時出ていたようで、多分それを見て苦情が来てセンサーがかかったジャケットに変更されたのでは? 1982年の再発盤ではアメリカとカナダはセンサー・ジャケットで出された。CDになってから、オリジナルに復帰。
少年2:だけど、お前のお袋さんに見つかりゃ問題だぜ。
少年1:大丈夫さ。レコード棚にレコード目いっぱい 詰め込んでおいて、まずいやつは一番端に置いておくのさ。そうすりゃ、端っこのレコードは取り出しにくく、そのレコードを聴きたいと思って取り出さない限り安全さ。うちのかーちゃんには無理だね。
少年2:実は内緒ってことだったんだけど、お前のお袋さんに、最近学校で何かなかったかと聞かれたんだ。なんでもレコード棚から変な写真が見つかったてことで。
少年1:ゲー、なんと間抜けな ~(ASS)
ASS は、ロバいう意味ですが、その風貌や動作から間抜けというような意味もあります。
前作STRAIGHT UP が1971年12月 アメリカで(英国は1972年2月)に発売された後を受けて、4作目のASSが前作のプロデュースを行った トッド・ラングレンと一緒に1972年1月からレコーディングを開始する。
しかしながら、トッド・ラングレンがすべての楽曲の最終ミックスを行なったにもかかわらず、STRAIGHT UPにCO-PRODUCERの表記がなかった事に対する不満から、プロデュサーの仕事を途中で降りてしまった。またバンド内のメンバーどうしのゴタゴタもあり、結局セルフ・プロデュースでアルバムのレコーディングが完了したのは翌年の1月と丸1年を無駄にしてしまった。
新人バンドで、多少プロダクションのレベルが落ちようとも、積極的にアルバムを一定の間隔で出していかないといけない時期に、様々なゴタゴタに巻き込まれたのは致命的であった。しかし、なんとか生き延びることが出来たのは、ポールやジョージのサポートもかなり寄与したが、本質的には彼らが作り出す楽曲に魅力があったからだろう。
当時アップルのマネージメントとの確執があり、希望を失った彼らはアメリカのワーナーと契約を交わし、アップルの契約が終了するや否や、ワーナーから新しいアルバムを出すことを画策していた。しかし、ワーナーとの契約に関して詳しい知識がなかったのか、彼らの雇ったアメリカ人のマネージャーに契約金のほとんどをむしり取れる結果となり、彼らの手元には お金はほとんど残らなかった。
さらに悪い事は続き、新規の契約締結に立腹したアップルは、ASSの発売をわざと遅らせ、ほとんどプローモションなしに販売されたので、アルバムの発売は当時全く話題に登らなかったのである。
彼らの苦境は、ワーナーに移籍してからも続くのであるが、このあたりで一旦筆を置きたいと思う。
ASSのジャケットのコンセプトはメンバーのトム・エバンスの発案という事で、ヘッドフォンをつけたロバ(BADFINGERのこと)が空に浮かぶ差し出された餌の人参(ワーナーが差し出す契約書のこと) を眺めているという、アップルに対しての当てつけを示す意図なのだろう。
ロバを自身にかけて間抜けだった(ロバのASSが自身のUSに発音が似ている事から)という意味と、悲劇の三部作のタイトルを繋げるとNO DICE, STRIGHT UP (YOUR)ASSとなり、この場合ASSは、アップルに対して“クソくらえー”というニュアンスになる。
このような状態では、どうしてもやっつけ仕事になってしまい、 キーになる曲もなく平凡な内容となったが、その中でも、 律儀なピート・ハムがアップルに対する感謝の思いを歌ったAPPLE OF MY EYEは 彼の真面目さがよく表れています。
しかしあまりにも真面目すぎたのが、追い詰められて自殺に繋がったことも否定できません。
この世の中、全ての事にあまり真面目や神経質になり過ぎず、 成るようにしか成らないと言う感じの少し開き直った気持ちで生きて行った方が良いのでしょう。お金以外は溜め込むとろくな事にならないみたいです。
少年1:じゃー、それを逆手にとって、100点取ったテストでもそこに紛れ込まそう。そうすりゃ、かーちゃんだって俺の行動に一目置いてチェックも緩むんじゃねーか。
少年2:一つ問題があるんだが、お前100点取ったことあるの?
少年1:キック・ユア・アス(ASS)! 俺だって、昔 ローマ字を書くテストで100点取ったことがあるぞ!(くれぐれも英語のわかる人に対してはこのような野蛮な言葉を吐かないようにしてください。必ず、パンチが飛んできます。)
少年2:それ、いつの話よ?
お袋さんを甘く見てはいけません。知っているけど知らん振りしているだけです。
1990年アメリカの独立レーベルRYKOから発売されたライブ盤のCD
生き残りのギター担当のジョーイ・モランドが、発掘されたライブテープの音が痩せているという理由で大胆にも自身のギーターをオーバー・ダブし不評を買う。
しかし、BADFINGERの資料としては貴重
CD裏ジャケの写真。メンバーのライブでの立ち位置がわかり貴重な写真
Day After Day Badfinger LIVE! 1972
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