CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

貫禄の1枚

2024年01月14日 | PROG ROCK

ジェネシスは1982年のライブ盤発売後、メンバー各自がソロ・アルバムを制作する事に。

そしてその翌年の10月には結構短いインターバルで12枚目のセルフ・タイトルのスタジオ・アルバム、Genesisを出した。

それ迄の2枚のスタジオ・アルバムは全英1位を獲得、アメリカでも10位前後と80年代になってブームの去ったプログレ界で唯一気を吐いていたと思う。まあ、イエスも同年ロンリー・ハートのヒットでなんとか息を吹き返したが…

ジェネシスの象徴とも言えるピーター・ガブリエルの脱退で一時はどうなることかと思ったが、それまでのプログレ路線に彼ら独自のポップさを掛け合わせた事が功を奏し生き残りに成功、さらにトップ・バンドの地位まで上り詰めたのはすごいの一言。

ちなみに、今回のアルバムはソロ・アルバムの制作ためそれほど時間に余裕がなかったにも関わらず前作同様全英1位、全米9位と大ヒット。

もう貫禄の1枚と言える。


モノ・ミックスを聴いてみる

2024年01月13日 | BEATLES-BADFINGER関連

本日は2009年に出たビートルズのモノ・ボックスからHelpでも。

大枚出して買ったもののほとんど聴くことのないボックス・セット。4流コレクターの心理としては持っているだけで安心しちゃうのだろうね。

とは言え、せっかく買ったのだからやっぱり聴いてあげなきゃと思いCDのトレイに載せてみる。

あれ! 初期作品のモノ音源だからもっとガツンとくるのかと思いきや、気のせいなのかそうでもない感じ。

長年ステレオ音源を聴き慣れたオイラの耳には当時の左右泣き別れと言われたステレオ・ミックスだけれど、モノ・ミックスよりもしっくりくるのかもしれない。

本日の結論!

まあ、違いのわからないオイラの耳にはどっちでもいいやって事で…


ガチで作りました 

2024年01月12日 | BEATLES-BADFINGER関連

1970年末、バッドフィンガーは前作No Diceが発売され翌年の1月に前作同様ビートルズのレコーディング・エンジニアだったジェフ・エメリックがプロデューサーに据えてニュー・アルバムのレコーディングを開始。

ところが12曲が完成し すでにシングルの発表が決定されていたにもかかわらず、アップルからシングルとアルバムの発売のダメ出しが…

それを見かねたジョージ・ハリソンが手を差し伸べ、幾らかの曲を再録音し、また新たな曲を加えることでアルバムを再編集する事に。ただジョージはバングラデェシュのチャリティー・コンサートの準備のため繁忙を極め、結局ジョージの制作作業は未完のまま終わりビートルズ・フリークだったトッド・ラングレンがその仕事を引き継ぐ事となった。 

いろいろと振り回された彼らではあったが完成したアルバム、Straight Upは“ビートルズのような”という形容詞が付きまとうもののなかなかの快作となった。

特にピート・ハムが作曲したBaby Blue、 Name Of Gameに Day After Day などは印象的で素晴らしい。

アルバムは全米14位、シングル・カットされたDay After Dayは全米4位とそこそこの成功を収めたと思う。ただ、それまでいい曲を作りピートとバンドを引っ張ってきたトム・エバンスがちょっと元気なくしているのかな?

Straight Up、総力を注ぎ込みまさしくガチで制作されたアルバム!

1993年に再発されたCDは6曲のボートラが付いてきてそのうち5曲はジェフ・エメリックがプロデュースしアップルからダメ出しを喰らったオリジナル・バージョン。

ジョージやトッドのプロデュースによる再録バージョンと聴き比べる事が出来る優れもの。


なんでヒットしなかったのかな?

2024年01月09日 | AMERICAN ROCK/POPS

かってブルース・スプリングスティーンと共にローリング・ストーン誌のレビューで、ボブ・ディランの後継者と評されたエリオット・マーフィーの1977年の4枚目アルバム、Just A Story From Americaでも。

ブルース・スプリングスティーンはアルバムを制作し続け、1975年のBorn To Runでついに大ブレーク。

一方エリオット・マーフィーは1973年のデビュー・アルバムに続き、2作目のLost Generation(1975年)と3作目のNight Lights(1976年)と結構内容のいいアルバムを出し続けるもヒットにはつながらず、4作目は気分を一新しロンドンに渡り録音を敢行。

プロデューサーを変えミュージシャンもイギリス人を起用し、ドラムスはジェネシスのフィル・コリンズがほぼ全面的に叩き、元ストーンズのミック・テイラーもリード・ギターで一曲だけではあるが参加。

そこで出来上がったアルバムは以前と同様に素晴らしく、またバラエティーに富んだ内容で特に アルバム・タイトル曲のJust A Story From Americaは今までにはなかった中南米のリズムを取り入れた。

残念ながらこのアルバムもブレークするほどにはヒットせず、その後活動の拠点をパリに移し活動していくことに。


Meet The Beatles 日本盤

2024年01月08日 | BEATLES-BADFINGER関連

久しぶりに初期ビートルズでも。

ビートルズの日本での初アルバムはオデオン・レーベルを発売の受け皿としてファースト・アルバムの制作に取り掛かった。選曲は、英盤Please Please Me から5曲、With The Beatles から曲そしてシングルのみで出された4曲の計14曲が収録され1964年4月に発売された。

特に出だしの、I Want To Hold Your Hand、She Loves YouとFrom Me To You のシングル・ヒット3連発は破壊力抜群で、ベスト・アルバム級の豪華なものとなった。

最近デミックスなる新技術で初期アルバムのステレオ化が進行しているみたいだけれど、初期のアルバムに関してはストレートに音の塊が飛び込んでくる旧モノラル音源でいいと思うけれどね。


明るいカルト集団

2024年01月07日 | American Hard Rock

60年代後半に前身バンドが結成され活動を続け、1972年にコロンビア・レーベルからブルー・オイスター・カルトとしてデビュー。

本日はその彼らの1973年のセカンド・アルバム、Tyranny and Mvtation(Mutation)でも。

特徴としてはアップ・テンポの曲に速弾きのギターが絡む芸風のハード・ロックで、元祖ヘビメタ・バンドの一つに数えられる。

当時アメリカのブラック・サバスとして売り出されたみたいだが、英国独特の翳りのあるウエットな雰囲気やおどろおどろしさを感じさせなく、アメリカン・バンドらしいカラッとしたハードなサウンドが売りだと思う。


心眼

2024年01月06日 | R&B

1962年、わずか12歳でデビューしたスティービー・ワンダーの1973年の16枚目のオリジナル・アルバム、Innervisionsでも。

まだ20代前半なのに貫禄すら溢れる巧でソウルフルなボーカル、更にキーボードを中心にその他の楽器も操るほぼワンマン・バンドの形でレコーディングし、そして曲も全てが自作曲でバラエティーに富みアルバム・プロデュースも手がける。

もう天才ミュージシャンって言ってもいいね。

ソウル系はそれほど詳しくないオイラでもスティービー・ワンダーの作品は思い出したように時折り聴く。

ただこの歳になっても修行の足りぬオイラは相変わらず煩悩を捨て去る事は出来ず心の目は未だ開かず。


オイラはジョーカー

2024年01月05日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代後半ブルース・バンドとしてスタートしたSteve Miller Band。

1968年にファースト・アルバムを出し、何度もメンバー・チェンジを行い中堅バンドとして活動を続ける。

それまでブルース路線を基本に時代の流れに従ってサイケデリックな要素を取り入れたり変化を加えてきたものの今ひとつだったが、1973年の8枚目のアルバム、The Jokerで少々ポップに仕立てた曲、The Jokerがシングル・カットされ全米1位の大ヒットし、アルバムも全米2位にランクされついに大ブレイクした。

お面を被っておどけて見せるスティーブ。

ただポップの要素を加味したとは言え、個人的には過去のアルバムと同様全体的には結構渋めに仕上がっているのでは?と思う。

オイラはジョーカー(戯け者)って軽い気持ちで歌っていたスティーブ・ミラーもまさかこれほどまでに大ヒットしたのは何かのジョークだと思ったのでは?


Budokan

2024年01月04日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1978年、10数年ぶりにワールド・ツアーに出る事になったディラン。このツアーに日本が組み込まれ日本独自企画のライブ盤が制作される事に。

そのコンサートに居合わせたファンはオリジナルの演奏とはあまりにも異なったアレンジメントに一体何を思ったであろうか?

その年の2月から3月にかけて行われた日本公演を見にいく機会は残念ながらなかったものの、同年の8月に出たアルバムがラジオから流れた。曲によってはこれは新曲なのか?と勘違いするほどで、時折り聴こえる慣れ親しんだフレーズでようやくどの曲なのか判別がついた次第。

結局LPは当時購入に至らなかったものの、90年代に再発されたCDをようやく購入する。

しかしまだまだ違和感があって馴染めなかった。

さらに時は過ぎ去りそれから30年以上たった今、不思議な事に案外サクサクと聴ける。

年を重ねる毎に共にオイラも丸くなり、もうなんでもOK! 当時のディランの声が今では優しくいい感じに聴こえる。


Black Market

2024年01月03日 | JAZZ・FUSION

ブラック・マーケットといえば日本語で闇市、即ち規制された商取引を非合法で行う市場となるのだが、ウェザー・レポートのBlack Marketって曲はそんな暗いイメージが思いつかないほど明るく弾けたお祭り騒ぎって感じ。

1976年、ウェザー・レポートは6枚目のスタジオ・アルバム、Black Marketは演奏にもポップな要素が組み込まれた非常に聴きやすいフュージョン・サウンドとなった。またアルバム制作途中にベースのアルフォンソ・ジョンソンはジャコ・パストリアスに替わりこのアルバムの2曲だけではあるが彼のユニークなベース・サウンドを聴くことができる。

てな事でこのアルバムはバンドのターニング・ポイントとなった作品だと思う。

ちなみに、アルフォンソ・ジョンソンのベースはジャコと比べて単に芸風が違うだけで堅実でファンキーなベース・ランニングは彼のリーダー・アルバムだけでなく後に数多くの著名ミュージシャンのアルバムに参加していることからその腕前は高い評価を受けていた事はここに書き留めておきたい。

また新たなスター候補のジャコの加入はジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターのジャズ・フュージョン界の2大スターが中心となり結成されたバンド内ではそれぞれの強い主張がぶつかり合いバンド内のバランスが取れず徐々に軋轢を生んでいく事に…

その点ウェイン・ショーターはその時期ハービー・ハンコックのV.S.O.P.に参加し並行して活動していたので上手くガス抜きしていた様に思えた。


Year Of Dragon

2024年01月02日 | 特になし

今年は辰年ってことで、我が家のレコード棚に生息するDragonの皆様に登場してもらう事に。

最初は1974年の英プログレ・ロック・バンド、キャメルのセカンド・アルバム、MIrage(蜃気楼)。英盤のジャケは蜃気楼でラクダやその背景の景色が2重3重に見えるイラストであるが、北米盤のジャケには古代中国の伝説の蜃(辰)の吐く気で形成される楼閣が蜃気楼ということでDragonがジャケに描かれている。ただ顔立ちはDragonではなくCamel顔風に描かれているのが面白い。

お次はジェファーソン・エアプレイン解散後、ポール・カントナーとグレース・スリックらが中心となって結成されたジェファーソン・スターシップの1976年の3枚目のアルバム、Spitfire。イラストは我らが誇る長岡秀星氏の筆によるもの。

同年、T.Rexが出した通算8枚目のアルバム、Futupistic Dragon(銀河系よりの使者)にもDragonが! この頃はグラム・ロックの人気もすでに廃れ、T.Rexも芸風をソウル寄りに転換。当時の評論家たちはその出来をネガティブに評価したが、最近では当時の評価は見直されている。

しんがりは1982年のエイジアのデビュー・アルバム。海上でドラゴン・ボールを追いかけるドラゴンがロジャー・ディーンによって描かれている。プログレ仕立ての曲はポップかつコンパクトに制作され当時よく売れたアルバム。

これだけDragonが我が家に住み着いているなら、今年は何かいいことあるかも。