.うさぎの島を歩いて一周
いよいようさぎの島の散策です。島を時計周りに進んでみました。
上陸すると左側にフェリー待合所兼観光案内所があります。
上陸した自家用車ですが、ここで荷物を下ろして、横の駐車スペースに停めて、島内は歩きになります。
待合所にきました。
休暇村の送迎バスが出ていけば、何もない静寂が訪れます。
早速足元にはうさぎが歓迎?のお出迎え。
観光案内所は閉鎖されていました。
気温33℃とかなり暑いですね。うさぎも暑くてへばってるようです。
ガラス面には色々とお願いが書かれていました。
島ではうさぎの餌は売ってませんとのこと。
島を少し歩いて気付いたことですが、地面に全く草が生えていないこと。
ここはバスの転回場のようですが、バスが走る事もない、周囲の部分には草が生えててもいいのに、全く草がありません。
木道のような所があり、その右手にちょうど柵で囲われたエリアが、「芝生の養生中」と書かれた場所でした。
やはり、うさぎたちが地面の草を食べ尽くしているのが原因だと考えられます。
大久野島を語る上で必ず取り上げられるのが毒ガスの島の経緯。
ここに毒ガス資料館があります。今回は景色優先なので、次回以降に訪れようと思います。
港から休み休み30分ほど歩いて、島の南西端に来ました。
この辺りは護岸工事が行われていました。右手にある建物が、島で唯一の宿泊&供食施設である休暇村。
その休暇村の西側に三軒家毒ガス貯蔵庫跡というのがありました。
2つの穴みたいな所は木が伸びてはっきりとは見えませんでした。
島の西側の道を北へ向かって歩きます。
立派なテニスコートが8面?もありますが、このクッソ暑い中、もちろん誰も居ません。
道から少し広場のような場所に入ると、脱兎の如く、うさぎ達が駆け寄ってきました。
何か歓迎されているようで嬉しいですね。
餌くれないの? 餌くれないの?
と言ってるようで、観光客が激減した現在では、うさぎたちもかなりお腹を空かしているようです。
最後は「餌くれよぅ~」 と、黒うさくんがカメラに突進w
駆け寄ってくる元気なうさぎは一部だけで、多くのうさぎたちは、木陰でじっとしています。
この暑さが続く中では、体力が消耗するので、体力温存のためでしょうね。
あー暑くてやってられないわ・・・。と聞こえてきそう。
テニスコートのエリアを過ぎて、島の北西部にある長浦毒ガス貯蔵庫跡があり、これが一番規模が大きな跡地のような感じです。
この辺りがちょうど中間地点になります。
島の北西端から東側に進んで行くと、山の斜面と金網に囲まれた狭い道路が続きます。
ここからは海はほとんど見えなくなります。
坂を上がる途中の島の北側にある、北部砲台観測所跡。
規模的には大きいものなのでしょうか。ここが瀬戸内の要塞だったのかな? 知らんけど。
その東側にある、北部砲台跡。
砲台の中に入る事もできます。少し蜘蛛の巣がありましたが、穴の中から空が見えました。
島の北端は断崖の上にあって、高い場所なので、ロープが張っていて、先端は立入禁止になっていました。
ここから見えるのが対岸の忠海側になります。
北端を過ぎると島の東側の道は急な下り坂が続きます。ここからも全く海が見えない山の中の小道が続きます。
道すがら所々でうさぎが飛び出してきたりして、確かに車で通ると踏みそうで危ないため、一般車は通行禁止にしているのでしょうね。
山の中の下り坂を下りること約12分で、目の前に海が開けてきました。
標高も港と同じレベルまで戻りました。
港へ向かって進んでる途中に、山側にトンネルがあったので、そのトンネルと抜けたら、
発電所跡の大きな建物が見えてきました。島に残る最大の建物跡でしょうか? 中には入れません。
20mほどのトンネルの中にも10匹ぐらいのうさぎたちが涼んでいました。
再びトンネルを通って、南側に進んでようやく港に帰ってきました。
島の一周3.2km+αを加えた4km弱の道のりを1時間40分ほどで戻ってきました。
帰りのフェリーの時間を間違えてて、まだ50分ほど時間があったので、近くでうさぎ見物。
待っている間に、忠海から大三島へ行く便が到着し、多くの観光客が降りてきました。
やっぱりいた、やかましい角刈り頭の人達。でも軽装で荷物がないので、広島辺りに住んでる人達でしょうか?
うさぎを寄せたいがために、周りに撒き餌をしていましたが、10匹も集まってませんでした。
以前動画で見た、うさぎまみれになるには今の環境では難しいと思われます。季節が進んで涼しくなってみて、少し観光客が増えたところで餌をたっぷり貰って元気になって、表に出て来るうさぎの数が、以前のように戻っている事を願うばかりです。
.島に別れを告げて
先ほど乗客を降ろした船が大三島で折り返して
14:56発の忠海行きとして港に入ってきました。
島を離れて90度旋回で北へ向かいます。
大きなフェリーばかり乗ってましたから、小回りのきく小型のフェリーの足の速いこと。すぐに陸が遠のきます。
名残惜し感を残して大久野島を見ます。
島には大きな送電鉄塔が立っていて、海中に鉄塔を立てることなく、本土から一本で電気を引いています。
帰りは船の中でくつろぎます。
いかにもドイツ系と勝手に想像する外国人カップルが1組、他に外国人客はいませんでした。
この便は12・3人と少な目の乗客。
行きと同じく10分ほどで、もう港が迫ってきます。
船の右手側には海沿いに呉線の線路が走っていて、撮影名所ですが、残念ながら列車は来ませんでした。
あっという間に、湾内に入ります。
湾内に入って、さっと速度を落として接岸。小型フェリーの旅も面白い。
15:11 忠海港に到着
3時間ほどの大久野島散策が終わりました。
観光案内所兼フェリー切符売り場の建物もうさぎデザイン。
ここで色々お土産も売っています。
10分ほどで、またフェリーは大久野島・大三島へ向かって出ていきました。
船が去ると本当に静かな港です。
忠海駅に戻って、再び呉線の電車に乗ります。
三原行きまで1時間近くあったので、一旦竹原まで行って時間を潰してから三原行きで帰りました。
これで今夏の青春18きっぷの最後の1回分も無事埋まり、1枚だけでしたが使い果たせました。
~ 結 論 ~
大久野島のうさぎ達は、観光客激減の影響を受けての餌不足により、数を減らしているのであれば、元に戻るのには相当な時間がかかると思われます。
ただ単に暑いから出てこなかっただけである事を願って、もし次に行く機会があれば、涼しい時期がいいですね。それも昼間ではなくて、朝夕がいいでしょう。となると泊まり込みになるかな?
また餌は島内では売っていないので、忠海駅前のファミマで買うのがいいでしょう。但し11:50着の電車は遅れるので、ファミマに寄る暇はありません。
いよいようさぎの島の散策です。島を時計周りに進んでみました。
上陸すると左側にフェリー待合所兼観光案内所があります。
上陸した自家用車ですが、ここで荷物を下ろして、横の駐車スペースに停めて、島内は歩きになります。
待合所にきました。
休暇村の送迎バスが出ていけば、何もない静寂が訪れます。
早速足元にはうさぎが歓迎?のお出迎え。
観光案内所は閉鎖されていました。
気温33℃とかなり暑いですね。うさぎも暑くてへばってるようです。
ガラス面には色々とお願いが書かれていました。
島ではうさぎの餌は売ってませんとのこと。
島を少し歩いて気付いたことですが、地面に全く草が生えていないこと。
ここはバスの転回場のようですが、バスが走る事もない、周囲の部分には草が生えててもいいのに、全く草がありません。
木道のような所があり、その右手にちょうど柵で囲われたエリアが、「芝生の養生中」と書かれた場所でした。
やはり、うさぎたちが地面の草を食べ尽くしているのが原因だと考えられます。
大久野島を語る上で必ず取り上げられるのが毒ガスの島の経緯。
ここに毒ガス資料館があります。今回は景色優先なので、次回以降に訪れようと思います。
港から休み休み30分ほど歩いて、島の南西端に来ました。
この辺りは護岸工事が行われていました。右手にある建物が、島で唯一の宿泊&供食施設である休暇村。
その休暇村の西側に三軒家毒ガス貯蔵庫跡というのがありました。
2つの穴みたいな所は木が伸びてはっきりとは見えませんでした。
島の西側の道を北へ向かって歩きます。
立派なテニスコートが8面?もありますが、このクッソ暑い中、もちろん誰も居ません。
道から少し広場のような場所に入ると、脱兎の如く、うさぎ達が駆け寄ってきました。
何か歓迎されているようで嬉しいですね。
餌くれないの? 餌くれないの?
と言ってるようで、観光客が激減した現在では、うさぎたちもかなりお腹を空かしているようです。
最後は「餌くれよぅ~」 と、黒うさくんがカメラに突進w
駆け寄ってくる元気なうさぎは一部だけで、多くのうさぎたちは、木陰でじっとしています。
この暑さが続く中では、体力が消耗するので、体力温存のためでしょうね。
あー暑くてやってられないわ・・・。と聞こえてきそう。
テニスコートのエリアを過ぎて、島の北西部にある長浦毒ガス貯蔵庫跡があり、これが一番規模が大きな跡地のような感じです。
この辺りがちょうど中間地点になります。
島の北西端から東側に進んで行くと、山の斜面と金網に囲まれた狭い道路が続きます。
ここからは海はほとんど見えなくなります。
坂を上がる途中の島の北側にある、北部砲台観測所跡。
規模的には大きいものなのでしょうか。ここが瀬戸内の要塞だったのかな? 知らんけど。
その東側にある、北部砲台跡。
砲台の中に入る事もできます。少し蜘蛛の巣がありましたが、穴の中から空が見えました。
島の北端は断崖の上にあって、高い場所なので、ロープが張っていて、先端は立入禁止になっていました。
ここから見えるのが対岸の忠海側になります。
北端を過ぎると島の東側の道は急な下り坂が続きます。ここからも全く海が見えない山の中の小道が続きます。
道すがら所々でうさぎが飛び出してきたりして、確かに車で通ると踏みそうで危ないため、一般車は通行禁止にしているのでしょうね。
山の中の下り坂を下りること約12分で、目の前に海が開けてきました。
標高も港と同じレベルまで戻りました。
港へ向かって進んでる途中に、山側にトンネルがあったので、そのトンネルと抜けたら、
発電所跡の大きな建物が見えてきました。島に残る最大の建物跡でしょうか? 中には入れません。
20mほどのトンネルの中にも10匹ぐらいのうさぎたちが涼んでいました。
再びトンネルを通って、南側に進んでようやく港に帰ってきました。
島の一周3.2km+αを加えた4km弱の道のりを1時間40分ほどで戻ってきました。
帰りのフェリーの時間を間違えてて、まだ50分ほど時間があったので、近くでうさぎ見物。
待っている間に、忠海から大三島へ行く便が到着し、多くの観光客が降りてきました。
やっぱりいた、やかましい角刈り頭の人達。でも軽装で荷物がないので、広島辺りに住んでる人達でしょうか?
うさぎを寄せたいがために、周りに撒き餌をしていましたが、10匹も集まってませんでした。
以前動画で見た、うさぎまみれになるには今の環境では難しいと思われます。季節が進んで涼しくなってみて、少し観光客が増えたところで餌をたっぷり貰って元気になって、表に出て来るうさぎの数が、以前のように戻っている事を願うばかりです。
.島に別れを告げて
先ほど乗客を降ろした船が大三島で折り返して
14:56発の忠海行きとして港に入ってきました。
島を離れて90度旋回で北へ向かいます。
大きなフェリーばかり乗ってましたから、小回りのきく小型のフェリーの足の速いこと。すぐに陸が遠のきます。
名残惜し感を残して大久野島を見ます。
島には大きな送電鉄塔が立っていて、海中に鉄塔を立てることなく、本土から一本で電気を引いています。
帰りは船の中でくつろぎます。
いかにもドイツ系と勝手に想像する外国人カップルが1組、他に外国人客はいませんでした。
この便は12・3人と少な目の乗客。
行きと同じく10分ほどで、もう港が迫ってきます。
船の右手側には海沿いに呉線の線路が走っていて、撮影名所ですが、残念ながら列車は来ませんでした。
あっという間に、湾内に入ります。
湾内に入って、さっと速度を落として接岸。小型フェリーの旅も面白い。
15:11 忠海港に到着
3時間ほどの大久野島散策が終わりました。
観光案内所兼フェリー切符売り場の建物もうさぎデザイン。
ここで色々お土産も売っています。
10分ほどで、またフェリーは大久野島・大三島へ向かって出ていきました。
船が去ると本当に静かな港です。
忠海駅に戻って、再び呉線の電車に乗ります。
三原行きまで1時間近くあったので、一旦竹原まで行って時間を潰してから三原行きで帰りました。
これで今夏の青春18きっぷの最後の1回分も無事埋まり、1枚だけでしたが使い果たせました。
~ 結 論 ~
大久野島のうさぎ達は、観光客激減の影響を受けての餌不足により、数を減らしているのであれば、元に戻るのには相当な時間がかかると思われます。
ただ単に暑いから出てこなかっただけである事を願って、もし次に行く機会があれば、涼しい時期がいいですね。それも昼間ではなくて、朝夕がいいでしょう。となると泊まり込みになるかな?
また餌は島内では売っていないので、忠海駅前のファミマで買うのがいいでしょう。但し11:50着の電車は遅れるので、ファミマに寄る暇はありません。