1月22日、遂にその時がやってきた。
JR東日本・東海が、今春は東海道線の夜行臨時快速の〔ムーンライトながら〕の運転は行わず、事実上の廃止となる事を発表しました。
昨年夏に武漢肺炎パンデミックに伴って臨時列車の運転を取りやめて以来、夏冬続けて運休となったが、使用する185系車両の引退に伴って、列車そのものも無くなるかたちとなりました。高速バスの台頭、LCCの拡大に伴って利用者が減り続け、2018年にムーンライト信州の運転が終了して以降は、唯一となったムーンライト号の系譜ですが、本運転はもとより、さよなら運転など何も行わない形でひっそりと無くなる廃止のお触れでした。
.大垣夜行からの伝統列車
古くは国鉄時代に、この大垣夜行の全身となる、東京-大阪間の鈍行列車が昭和43(1968)年に一度なくなりかけたのですが、当時はまだ東名高速すら全線できておらず、長距離客は新幹線か在来線の急行・普通に頼るしかない時代でした。東京ー大阪間の客車鈍行を廃止する発表に対して、利用者から反対の声が多数上がり、当時の国鉄総裁の一言で列車は東京-大垣間の電車として運行する形となって、急行用の153系が使われました。
私が初めてこの大垣夜行に乗ったのは中学3年生だった昭和55(1980)年の夏で、当時はまだ青春18きっぷなどが無かった時代でしたので、東京ミニ周遊券で乗ったものでした。
その後高校2年、昭和57(1982)年の春に「青春18のびのびきっぷ」が発売されてからは、5月末・9月20日までの有効期間だったので、何度も使って旅行をしていました。当時のダイヤでは、上り列車は名古屋を21時過ぎに出て帰宅のサラリーマンで立客もでる程なのですが、刈谷で半分近く降りた後も徐々に各駅で降りてゆき、豊橋に着く頃には車内はガラガラで、以降は東京まで1人で1ボックス占領なんて事もあり、最高の夜行列車旅ができたものでした。
翌春から青春18きっぷに名称が変わって有効期間も短くなった後は若干利用頻度も減りましたが、それでも関東方面への出撃時にはよく使いました。
車両も165系に変わり、12両→11両と1両減車になりました。これは東京方の増結車両が153系時代の4連からクモハ165を含んだ3連に振り替えたことによるもので、モハ164は800番代が入っていたので、中央東線からの配転かと思われます。
口コミで18きっぷの人気が広まり、多客期には積み残しが出る事も見られたため、救済する臨時電車を並行して運転するようになり、JR東海からは神領の165系が、JR東日本からは田町・三鷹・新前橋の165・167系を動員した8~9両編成が運転されました。
その後JR東海が165系を廃車したため、東海持ちの救済臨は神領の113系10連が入ることになりました。一度大垣から上り列車に乗った時ですが、大雨で1日運休したために運用順序が狂って、本来167系の運転日だったのに113系に当たってしまい、最悪の夜になった事もありました。
しばらく165系での運行が続いたのですが、寄る年波には勝てず、車両の置き換えを機に全車指定席(一部区間は自由席)制の列車に生まれ変わることとなり、快速〔ムーンライトながら〕号として生まれ変わりました。
.ムーンライトながらとして
平成8(1996)年にJR東海の373系9両編成を使っての運行が開始され、持ち区も大垣電車区から静岡運転所持ちとなりました。このため、東京-大垣間の運転の他に静岡-東京間で車両の送り込みを兼ねた普通電車も1往復運転されていて、豪華普通電車としても重宝されていました。
この9連の普通電車は本来目的のMLながら号が臨時列車に格下げになった後も2012年まで定期列車として静岡-東京間を走っていました。
運行開始からは小田原以西の自由席区間には繁忙期には夜通し立客が出るほどの盛況でしたが、2002年の高速バス規制緩和で夜行高速バスが出現してからは、シーズンオフの特に平日には空席が目立ち始めました。
上の写真は2004年6月、平日の下り列車にて朝5時頃の車内。閑散期だと乗っているのは1両に20名程度ぐらい。
また陳腐な救済臨を特急用の183・189系に置き換えてMLながら91・92号として全車指定制としました。
上の写真は東京駅で並ぶ臨時MLながら92号と、折返し静岡行き普通となる上りMLながら。
特に下りのMLながら91号は東京駅での本列車の並び列との混雑を避けるために、品川駅始発となりました。
そして2009年には遂に臨時列車に格下げとなり、車両もJR東海からJR東日本の波動輸送扱いとして、2003年から運転されていた臨時のムーンライトながら91・92号用の183・189系モノクラス10両編成がそのまま充当されるようになりました。
この183・189系で運転されていた頃が居住性としてはやはり最高の時代であったと思います。特に東京寄り先頭車は床が嵩上げされて振動音も静粛になった最高の車両でした。
なおこの頃から私の旅のスタイルも変わり、前日になるべく現地入りして休むようにした旅程を組むようになったので、ほとんど乗らなくなりました。
そして車齢が高くなった事からわずか4年後の2013年に185系大宮車4+6の10両編成への置き換えが行われましたが、185系に変わってからは更に運転日数も減った事から、乗る機会にも恵まれず、とうとう1度も乗らずに終わってしまいました。
このような夜行列車がなくなることで、ますます効率化だけを追い求めたせせこましい移動という形だけになり、楽しい旅の仕方がまた1つ減った感が否めません。次回の記事ではそのような事を書いてみようと思います。
JR東日本・東海が、今春は東海道線の夜行臨時快速の〔ムーンライトながら〕の運転は行わず、事実上の廃止となる事を発表しました。
昨年夏に武漢肺炎パンデミックに伴って臨時列車の運転を取りやめて以来、夏冬続けて運休となったが、使用する185系車両の引退に伴って、列車そのものも無くなるかたちとなりました。高速バスの台頭、LCCの拡大に伴って利用者が減り続け、2018年にムーンライト信州の運転が終了して以降は、唯一となったムーンライト号の系譜ですが、本運転はもとより、さよなら運転など何も行わない形でひっそりと無くなる廃止のお触れでした。
.大垣夜行からの伝統列車
古くは国鉄時代に、この大垣夜行の全身となる、東京-大阪間の鈍行列車が昭和43(1968)年に一度なくなりかけたのですが、当時はまだ東名高速すら全線できておらず、長距離客は新幹線か在来線の急行・普通に頼るしかない時代でした。東京ー大阪間の客車鈍行を廃止する発表に対して、利用者から反対の声が多数上がり、当時の国鉄総裁の一言で列車は東京-大垣間の電車として運行する形となって、急行用の153系が使われました。
私が初めてこの大垣夜行に乗ったのは中学3年生だった昭和55(1980)年の夏で、当時はまだ青春18きっぷなどが無かった時代でしたので、東京ミニ周遊券で乗ったものでした。
その後高校2年、昭和57(1982)年の春に「青春18のびのびきっぷ」が発売されてからは、5月末・9月20日までの有効期間だったので、何度も使って旅行をしていました。当時のダイヤでは、上り列車は名古屋を21時過ぎに出て帰宅のサラリーマンで立客もでる程なのですが、刈谷で半分近く降りた後も徐々に各駅で降りてゆき、豊橋に着く頃には車内はガラガラで、以降は東京まで1人で1ボックス占領なんて事もあり、最高の夜行列車旅ができたものでした。
翌春から青春18きっぷに名称が変わって有効期間も短くなった後は若干利用頻度も減りましたが、それでも関東方面への出撃時にはよく使いました。
車両も165系に変わり、12両→11両と1両減車になりました。これは東京方の増結車両が153系時代の4連からクモハ165を含んだ3連に振り替えたことによるもので、モハ164は800番代が入っていたので、中央東線からの配転かと思われます。
口コミで18きっぷの人気が広まり、多客期には積み残しが出る事も見られたため、救済する臨時電車を並行して運転するようになり、JR東海からは神領の165系が、JR東日本からは田町・三鷹・新前橋の165・167系を動員した8~9両編成が運転されました。
その後JR東海が165系を廃車したため、東海持ちの救済臨は神領の113系10連が入ることになりました。一度大垣から上り列車に乗った時ですが、大雨で1日運休したために運用順序が狂って、本来167系の運転日だったのに113系に当たってしまい、最悪の夜になった事もありました。
しばらく165系での運行が続いたのですが、寄る年波には勝てず、車両の置き換えを機に全車指定席(一部区間は自由席)制の列車に生まれ変わることとなり、快速〔ムーンライトながら〕号として生まれ変わりました。
.ムーンライトながらとして
平成8(1996)年にJR東海の373系9両編成を使っての運行が開始され、持ち区も大垣電車区から静岡運転所持ちとなりました。このため、東京-大垣間の運転の他に静岡-東京間で車両の送り込みを兼ねた普通電車も1往復運転されていて、豪華普通電車としても重宝されていました。
この9連の普通電車は本来目的のMLながら号が臨時列車に格下げになった後も2012年まで定期列車として静岡-東京間を走っていました。
運行開始からは小田原以西の自由席区間には繁忙期には夜通し立客が出るほどの盛況でしたが、2002年の高速バス規制緩和で夜行高速バスが出現してからは、シーズンオフの特に平日には空席が目立ち始めました。
上の写真は2004年6月、平日の下り列車にて朝5時頃の車内。閑散期だと乗っているのは1両に20名程度ぐらい。
また陳腐な救済臨を特急用の183・189系に置き換えてMLながら91・92号として全車指定制としました。
上の写真は東京駅で並ぶ臨時MLながら92号と、折返し静岡行き普通となる上りMLながら。
特に下りのMLながら91号は東京駅での本列車の並び列との混雑を避けるために、品川駅始発となりました。
そして2009年には遂に臨時列車に格下げとなり、車両もJR東海からJR東日本の波動輸送扱いとして、2003年から運転されていた臨時のムーンライトながら91・92号用の183・189系モノクラス10両編成がそのまま充当されるようになりました。
この183・189系で運転されていた頃が居住性としてはやはり最高の時代であったと思います。特に東京寄り先頭車は床が嵩上げされて振動音も静粛になった最高の車両でした。
なおこの頃から私の旅のスタイルも変わり、前日になるべく現地入りして休むようにした旅程を組むようになったので、ほとんど乗らなくなりました。
そして車齢が高くなった事からわずか4年後の2013年に185系大宮車4+6の10両編成への置き換えが行われましたが、185系に変わってからは更に運転日数も減った事から、乗る機会にも恵まれず、とうとう1度も乗らずに終わってしまいました。
このような夜行列車がなくなることで、ますます効率化だけを追い求めたせせこましい移動という形だけになり、楽しい旅の仕方がまた1つ減った感が否めません。次回の記事ではそのような事を書いてみようと思います。