大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

タキさんの押しつけ映画評・5『ベルセルク 黄金時代篇Ⅱ ドルドレイ攻略』

2012-06-24 07:16:28 | 評論
ベルセルク 黄金時代篇Ⅱ ドルドレイ攻略

これは、友人の映画評論家ミスター・タキさんが、個人的に身内に流して、互いに楽しんでいる映画評ですが、あまりに面白くモッタイナイので、タキさんの許諾を得て転載したものです。

 例によって原作ご存知でない向きにはあんまり楽しめないアニメであります。
 3部作で、本作は二作目とあってまだなんとも言えないのですが、今回は原作の説明など、やってみす。  舞台は……そう、我々の歴史で言えば中世終わり頃のヨーロッパ、イギリスとヨーロッパ大陸が地続きの世界を想像して頂ければ、大体この作品のバックグラウンド。
 主人公はガッツと言う名の戦士、戦場で吊された母から産まれ、傭兵に育てられて幼い頃から戦働きに出て、懸命に生き残ってきた。
 原作の冒頭は、妖精パックを道連れに、巨大な剣を駆使してこの世ならざる者達を狩って回っているガッツの物語から始まる。 本作は、青年(とはいえ10代後半)となったガッツがグリフィス率いる“鷹の団”と出会い“蝕”(後に彼がこの世ならざる者「使徒」を追うようになる原因)を生き残るまでを描く。
 
 この世界では、ミッドランドとチューダー王国の間で百年戦争が繰り広げられていた。ガッツとグリフィスは敵同士であったが、ガッの戦いぶりを気にいったグリフィスに入団を勧められる。一匹狼のガッツは即座に拒否するが、1対1の果たし合いに敗れ、以後 “鷹の団”の切り込み隊長となり、グリフィスにとってなくてはなら右腕と成って行く。しかし、グリフィスを知れば知る程 「この男とは対等でありたい」との想いが消しがたくなり、チューダーに対する戦勝を期に団から抜ける決意をする。止めるグリフィスを今度は果たし合いで破り、剣で奪われたものを剣で奪い返して一人旅立つ。
 グリフィスにとってガッツを失った事は考えられる以上の痛みをもたらし、彼は心の隙間を埋める為 王女を抱く。 これが王の知る所となり、グリフィスは投獄され容赦ない拷問を受ける事となる。鷹の団も国王の罠にかかるが 何とか逃亡し、野に在ってグリフィス奪還を目指す。
 旅の空で この事情を知ったガッツは鷹の団と合流、グリフィスを救出するが 時既に遅くグリフィスは不具者となり果てていた。絶望の内に団から離れようとするが、自由にならない身体ゆえ 浅い沼地で立ち往生してしまう。そこで無くした筈の“ベヘリット”と出会う。
 “ベヘリット”とは、御守りとして様々な人々が持っているのだが、実は「異界」の扉を開く鍵であり。一度手にすると、無くしても必ず持ち主の所に戻って来ると言われている。グリフィスのベヘリットは中でも特別な物で「覇王の卵」と呼ばれる。
 グリフィスの絶望に応えて異界が開き、4人の黒き天使が降臨し、「それでもお前の渇望が止まぬなら、命同様に大事な者を捧げるか、それとも亡者の列に加わるか」 と問う。折からグリフィスを案じて追って来ていた団のみんなの前で、グリフィスは言う『……げる』と。鷹の団に地獄が降りかかり、全ての団員に生け贄の烙印が刻まれ、一人また一人と使徒に喰われて行く。最後まで生き残ったのはガッツと女戦士キャスカ(グリフィス不在の鷹の団を統率してきた。この直前にガッツと結ばれる)
 グリフィスは5人目の黒き天使フェムト(翼ある者)として再生し、身動きできないガッツの目の前でキャスカを犯す。絶体絶命の窮地に、謎の剣士が“蝕”の中に乱入し二人を救い出す。蝕を逃れはしたものの、生け贄の烙印は消えず、二人は使徒に追われ、悪霊に付きまとわれる運命を背負う。精神に病んだキャスカは、ガッツの子を早産するが、その子供はフェムトの精を受けて魔物と成っており、何処かへと虚空に消える。助けてくれた謎の騎士から黒き天使と蝕の意味を教えられたガッツは、キャスカを 団の中で一人蝕を免れた少年兵リッケルトと世捨て人の鍛冶屋一家に預け、一人 黒き天使と使徒を求めて旅立つ。(今シリーズはここまで)
 現在は数々の戦いの末に見つけた仲間達と共に、キャスカの安住の地(と考えられる)パックの産まれ故郷であるエルフヘイムを目指している。(現在36巻) シリーズ1の時にも書いたが、コアなファン以外 映画館に通う必要はない。3作出揃ってディスクになったらレンタルするか、衛星放送に乗るのを待てば宜しかろう。
 
 これも(1)の時に書いたが、尺が足りずショートカットになっている。カットされた部分は今作の方が大きく、替わりにアニメオリジナルの場面が挿入されている。(1)ではそこまで感じなかったが、今作での変更は物語の中身を薄くしている。やはり、一本最低2時間とするか、90分4部作としなければ無理が出る。贅沢を言っているのは理解しているが、劇場用シリーズアニメでその程度の尺を持っている作品は現実に有るので出来ない事もなかろうと思うのだが……。
 これで終わるとあまりにも寂しい。そこで、ファンの皆様に朗報を一つ。旅に出たガッツがすれ違う馬車の中にパックの姿有り!
 と言うことは、今後“蝕”以後の「ベルセルク・サーガ」が映画化される可能性があるという事です。
 待てよ、本シリーズが不入りだとそんな企画は流れる……?!
 いかん!前言撤回! 皆さ~~ん!メッチャ面白いアニメですぅ! 今すぐ見に行って ディスク化されたら購入しましょう。ちなみにシリーズ第一作はもうディスクが販売されてます。宜しくお願いしま~~す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇団往来『あした天使になあれ』

2012-06-24 00:16:03 | 評論
劇団往来『あした天使になあれ』

あっぱれ、やっつけ芝居!
 
 一週間ほど前に、往来の演出家鈴木君と共通の友人である映画評論家のタキさんから聞いていた。
「往来の台本、まだ決定稿できてへんらしいで」
「ほんまかいな!?」

 で、どうなんだろうと思いながら京橋駅から、会場の「大阪ビジネスパーク円形ホール」に向かった。
 ツゥイン21の双子ビルを抜け、会場に入ると旧知の劇団員が場内案内に立っていた。
「なんや、今度は、本あがるの、遅かったそうですなあ」
 その劇団員は、アンチョコで宿題をやった生徒が、先生に見とがめられるように答えた。
「そうですねん、本あがったん、三日前ですわ」
「ハハ、それは大変でしたなあ」
 軽く会釈して席に着いて気がついた。

――三日前ちゅうことは、初日の前の日か……!?

 普通、こういうことを関係者は、アケスケには言わないものである。
 わたしも、礼儀上書かないつもりでいた。
 一ベルが鳴ると、ベテラン俳優の乃木さんが舞台に現れた。上演前に関係者が観客に言う、お決まりの挨拶を兼ねた注意事項かと思った。
「ええ、音の出る携帯電話なんかのスイッチ……」から始まった。
「演出効果のため、非常灯は消します。万が一異常が有った場合はご安心ください。まっさきに役者が逃げます。みなさんは、その後につづいて……」と、笑わせてくれる。そして、言ってしまった!
「えー、実は、このお芝居の本は、本番の前日にできあがりまして……」

 で、わたしは、正直に書いている。あっぱれやっつけ芝居!

 この芝居は、同名の映画とのコラボ作品である。映画の方は鋭意制作中であるそうな。舞台劇の映画化も映画の舞台化も多いが、両方同時進行というのは珍しい。

 中味は、大阪にあるミュージカルを主体としたアマチュア劇団「アップルパンチ」の劇団員と、その周囲の人たちの、どこか抜けた明るくもおかしい、人間のオモチャ箱のようなコメディーミュージカルである。
 劇団の代表者は、芸名と同じ要冷蔵(かなめれいぞう、と読む)は、劇団員の恋やイザコザに振り回され「劇団内の恋愛は御法度!」
 と、言いながら、劇団員の看護婦……看護師に心を寄せている。看護師も憎からず思っているが、こちらもなかなか言い出せないでいる。
 その間に、劇団員三人が東京のオーディションに受かり、大地真央と共演できることになり、勇んで東京に向かうが、これが真っ赤な詐欺。詐欺にあったとも言えず、スゴスゴと大阪にもどってきた三人は、みんなに合わす顔もなく、夜の稽古場に戻ってくる。そこには、若い劇団員のカップルが稽古場をラブホ代わりに使おうとしていたり、三人を詐欺にかけたペテン師がドロボウにはいろうとしたりして鉢合わせ。
 他にも、劇団員の家庭問題、職場の問題、ミス花子氏が大将……オーナーシェフをやっている「まんぷく亭」などが出てきて、中味はまさにまんぷくの二時間半である。
 
 そう、二時間半の尺の長さである。
 ここに、この本の第一の苦しさがある。普通二時間半ならば中入りが入るが、ぶっ通し。おそらく本番の直前まで、芝居の長さも分からなかったのであろう。わたしも本書きのハシクレなので分かるのだが、本の刈り込みが出来ていない。エピソードは、劇中の劇団員の病院の産婦人科の患者二人のエピソード、職場の体験学習に来る子供たち。院長のシンポジウム、これが笑いがいかに健康に良いかと笑わせてくれた後に、子ども二人の漫才、ミス花子氏のソロ、デュエット、カルテット、クィンテット、コーラス、それにダンスがついててんこ盛り。
 ヤマが三カ所ほどあり、その都度、観客はフィナーレと思い拍手しかけるが、「まだかいな」とばかり話が続く。やっぱり刈り込んで、せめて二時間以内に収めるべきであったろう。

 十数行前に「どこか抜けた明るくもおかしい」と書いたが、役者の芝居がまさに、これであった。
 場面によって、出来にバラツキがあり、演技としてどこか抜けている。ダンドリ芝居や引き出し演技になっているところも多々あり、芝居が空回りして、観客に伝わりきっていない。
 しかし、芝居は「これでもか、これでもか」と、しつこいくらいに明るく、押しつけがましい。
 で、それが不快に感じられないところが、往来のオモシロサである。
 ラストは、この強引なしつこさに観客は飲み込まれ、舞台の役者に合わせて満場の手拍子。観客席を見ると、心から喜んでの手拍子、「かなんなあ」と思いながら、その強引さが楽しくて拍手している人。
 いやはや、あっぱれな、やっつけ芝居であった。

 並の劇団が、これをやると、観客は引いてしまうだろう。しかし往来という劇団は、ヌケヌケとそれをやってしまう。こういう強引さは、わたしは好きである。

 帰りにツィンビルの中を通ると、高校生とおぼしき若者たちがビッグバンドジャズをやっていた。素人のわたしが聞いても上手いのだが、会場は、あまり温もっていなかった。ジャズであるのにスゥイングできていないのである。映画『スゥイングガールズ』の中で、彼女たちは、立派にスゥイングしていた。わたしは、この作品が好きで、彼女たちの「ラストコンサート」のDVDも持っている。時に音を外したりするが、観ている観客はスタンディングオベーション。椅子がないので立っているが、気持ちはスタンディングオベーションである。
 彼女たちのスゥイングのノリと同質のものを感じた好演であった。
 しかし、次回は、きちんと本を書き上げ、時間をかけて稽古した芝居を見せていただきたいものである。 

 ささいなことであるが、劇中「女性警官」のことを「婦人警官」と呼んでいた。これは非難では無い。わたしは「女性警官」よりも「婦人警官」の呼び方に親しみを感じる……と言えばお叱りをいただくだろうか。「看護師」も、どうも耳になじまない。ちなみにパソコンで変換すると「看護し」しか出てこない「看護婦」は一発で変換できる。「看護婦さん」も素直に一発変換……と、ラストは、パソコンの変換機能の話でしめくくり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする