
『千早副長の帰還』
小栗栖雄が生き延びても日本が勝ったわけではない。
三週間後には東京大空襲があり、沖縄に米軍が押し寄せ、たくさんの特攻が行われ、広島と長崎に原爆が落とされ、八月十五日に日本は無条件降伏する。
昭和三十三年、岸内閣が倒れると小栗栖雄は四十四歳の若さで内閣総理大臣になった。
日米の混血で母方の祖父母がイギリス人であったことが西側世界に好感が持たれた。
血統と秀逸な容姿で人気があったばかりではなく、内政外交共に辣腕を振るい、東京オリンピックの明くる年には憲法改正をやってのけた。
こちらの世界よりも五年も早くソ連を始めとする共産主義国家の崩壊が始まり、半島も二十世紀末には南北の統一がなされた。
むろん雄は総理大臣を下りていたが、目立たぬ活動で、その後の極東危機を回避した。
こちらの世界から見れば、雄の働きは抜群なのだが、日本国内での評価は高くない。
アメリカにおもねった若造、国を誤った軍人総理などとひどいものだった。
しかし、大阪の上空で核ミサイルが炸裂することは無かった。
「どっちの姿に見えます?」
カワチの転送室に戻って最初に聞いた。
「大丈夫、本来の副長の姿に戻っていますよ」
航海長が自分の事のようにホッとして応えた。
「艦長は?」
「男は出て行ってもらってます」
「千早さん、これを」
田中美花衛生長が紙袋と毛布を渡す。
「え、あ、わたし裸なんだ!?」
身なりを整え、衛生長の健康診断を受けてから艦長室に向かった。
「パラレルワールドに飛ばされていたんだね」
「はい、向こうの歴史を変えてしまったようです」
「こっちの世界よりも上手くいってるようじゃないか」
「ええ、でも、こちらに戻される寸前に嫌なものを見たような気がします。これからが大変なんじゃないかと感じました」
「すべて上手くいく世の中なんて、そうそうあるもんじゃないだろ」
「転送室の異変は収まったようですが」
「それがそうでもないんです」
砲雷長と機関長のコンビが入って来た。
「ごくろうさん、解析はうまくいったのかい?」
「半ば予測値ですが、まず間違いはないと思います」
「モニターをお借りします」
慣れた手つきで機関長がモニターを操作すると、プロキシマbからトラクタービームが発せられ牽引されているカワチの3Dモデルが表示された。
「いまのカワチはとてつもなく長い糸で引っ張られる凧のようなものなんです」
指で広げるジェスチャーをすると、モニターのカワチが拡大された。
「振動しているね」
「はい、バランスの悪い凧のようにブレています。実際は僅かなものなんですが、カワチの質量は20800トンです。この質量でブレが増幅されます」
「本来、このトラクタービームはカワチのようなデカブツを牽引するものではないのかもしれません」
「砲雷長、このモデルではブレているようには見えないんですが?」
「10倍速にしてみましょう」
モデルのカワチがゆらゆらしはじめた。
「100倍にします……」
カワチは、細い管の中を引っ張られる木片のようにビームレンジの外郭にドガラドンガラと当たっていく。
「当たった瞬間に転送室がストーム状態になるんだね」
「はい、今は副長が収めて来たところなので静かなものですが、いずれストーム状態に戻ってしまいます」
「ストームの周期は?」
「分かりません、ビームレンジの詳細が分からないので予測がつきません」
「よし、それでも構わん、いまの説明を全乗員に伝えよう。サクラ二曹、手すきの乗員を艦内食堂に集めてくれたまえ」
「了解しました」
サクラ二曹は艦内放送を掛けるために、艦長デスクのマイクを掴んだ……。
小栗栖雄が生き延びても日本が勝ったわけではない。
三週間後には東京大空襲があり、沖縄に米軍が押し寄せ、たくさんの特攻が行われ、広島と長崎に原爆が落とされ、八月十五日に日本は無条件降伏する。
昭和三十三年、岸内閣が倒れると小栗栖雄は四十四歳の若さで内閣総理大臣になった。
日米の混血で母方の祖父母がイギリス人であったことが西側世界に好感が持たれた。
血統と秀逸な容姿で人気があったばかりではなく、内政外交共に辣腕を振るい、東京オリンピックの明くる年には憲法改正をやってのけた。
こちらの世界よりも五年も早くソ連を始めとする共産主義国家の崩壊が始まり、半島も二十世紀末には南北の統一がなされた。
むろん雄は総理大臣を下りていたが、目立たぬ活動で、その後の極東危機を回避した。
こちらの世界から見れば、雄の働きは抜群なのだが、日本国内での評価は高くない。
アメリカにおもねった若造、国を誤った軍人総理などとひどいものだった。
しかし、大阪の上空で核ミサイルが炸裂することは無かった。
「どっちの姿に見えます?」
カワチの転送室に戻って最初に聞いた。
「大丈夫、本来の副長の姿に戻っていますよ」
航海長が自分の事のようにホッとして応えた。
「艦長は?」
「男は出て行ってもらってます」
「千早さん、これを」
田中美花衛生長が紙袋と毛布を渡す。
「え、あ、わたし裸なんだ!?」
身なりを整え、衛生長の健康診断を受けてから艦長室に向かった。
「パラレルワールドに飛ばされていたんだね」
「はい、向こうの歴史を変えてしまったようです」
「こっちの世界よりも上手くいってるようじゃないか」
「ええ、でも、こちらに戻される寸前に嫌なものを見たような気がします。これからが大変なんじゃないかと感じました」
「すべて上手くいく世の中なんて、そうそうあるもんじゃないだろ」
「転送室の異変は収まったようですが」
「それがそうでもないんです」
砲雷長と機関長のコンビが入って来た。
「ごくろうさん、解析はうまくいったのかい?」
「半ば予測値ですが、まず間違いはないと思います」
「モニターをお借りします」
慣れた手つきで機関長がモニターを操作すると、プロキシマbからトラクタービームが発せられ牽引されているカワチの3Dモデルが表示された。
「いまのカワチはとてつもなく長い糸で引っ張られる凧のようなものなんです」
指で広げるジェスチャーをすると、モニターのカワチが拡大された。
「振動しているね」
「はい、バランスの悪い凧のようにブレています。実際は僅かなものなんですが、カワチの質量は20800トンです。この質量でブレが増幅されます」
「本来、このトラクタービームはカワチのようなデカブツを牽引するものではないのかもしれません」
「砲雷長、このモデルではブレているようには見えないんですが?」
「10倍速にしてみましょう」
モデルのカワチがゆらゆらしはじめた。
「100倍にします……」
カワチは、細い管の中を引っ張られる木片のようにビームレンジの外郭にドガラドンガラと当たっていく。
「当たった瞬間に転送室がストーム状態になるんだね」
「はい、今は副長が収めて来たところなので静かなものですが、いずれストーム状態に戻ってしまいます」
「ストームの周期は?」
「分かりません、ビームレンジの詳細が分からないので予測がつきません」
「よし、それでも構わん、いまの説明を全乗員に伝えよう。サクラ二曹、手すきの乗員を艦内食堂に集めてくれたまえ」
「了解しました」
サクラ二曹は艦内放送を掛けるために、艦長デスクのマイクを掴んだ……。