KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★目覚めの時

2011年01月31日 | スピリチュアル セッション
昨日、30日(日)は今年第一回目となる
フィーノライフスタイルセミナー
プロセス1「“目覚めの時 ~冬のウォーミングアップ~」
を無事に終えることができた。


この日にいきつくまで
本当にあれこれ考えてみたり、迷っていた。

私にしてはホントにめずらしく。


去年から考えているのに、なんだか定まらないカンジ。


なんかスイッチはいらないような。

どうしていいのか、どうしてなのか
なんだか答えも見つからなくて。


****************************


だけど、


セミナーを終えて。




本当に本当に、楽しかったんだよね~。




もう、すっごく♪


みなさんの笑顔。楽しそうな会話。

真冬の穏やかな日差しと暖炉の炎。

やわらかなバイオリンとやさしいピアノの音色。

淡い春の色を集めたお花。

あったまるスイーツ。



会を終了するころには
みんなほっこりとして、
だんだんと元気になって、いきいきとなっていく姿。



やっぱり、やってよかった~。


私、やっぱりこういうこと好きなんだね。


たくさんの方たちと一緒に過ごすひと時を
企画して、一緒に楽しむこと。


****************************

この日を終えて、ようやく気持ちが
安定したような気分。


それまでは、
今月のメッセージからかけ離れてる、私。って思ってた。


そうしたら、周囲も同じように
いろんなコトが起きていて大変そうな人が
意外と多い様子。


易を勉強しているDaiちゃんの情報によると
今そんな時なのだという。

易学では新年が立春で
2月3日までは2011年庚寅(かのえとら)、
2月4日からは2011年辛卯(かのとう)となり、

2010~11年が2年とも、
頭が秋で体は春、のようにアンバランスな年回りなんだとか。

出方は色々で、


考えていたことと真逆が起きて
戸惑ったり動けなくなったり、


景色としては、
今まで育てた物をさあ収穫(秋)だ!と思ったら、
また種蒔きに戻ってしまって、
もう少し待たなきゃ、になったり、


秋の夜長を楽しもうと思っていたら
桜が咲いて、お花見やら宴会やら
人の出入りが慌ただしくなっちゃったり、


何か追い立てられてる感じがあるような、
本当はゆっくりしたいのに
やることに追われてしまうような、

カンジなのだそうで


そんな気配に躍らされないように
今はそんな時だからと、
やるべきことを淡々とやり足を鍛えておいて

来た波を逃さず乗る!、ということが大切なんだって♪



・・・なるほど!



よかった、そんな時期か・・・。
急に納得したりして。


でも、だからこそ不安定さの中から
普段なにも考えてない私が、いろいろ考えてみて
思いついたのが先日発表した
ニュースタイル!

やっぱり、さまざまコト追い詰めて
追い込んでいかないと
いいアイデアも浮かばないもの。


****************************


お花もそうだ。

作品展がないと真剣に考えない。



ファインもそうだ。

新しいシリーズや企画も、壁にブチあたり
いくつもいくつも浮かんではポシャる。

企画の段階。価格の問題。生産性の問題。
デザインやコンセプトの問題。

幾重にも、難問が立ちはだかり
立ち消えとなり、消滅してしまうことも山ほどある。




でも、逃げるわけにもいかず
自分を追い込んでいく。
こういうのを産みの苦しみって言うんだろうな・・・
と思いながら、早く開放されたいと願う。


目を閉じてみたり、宙を見つめてみたり。
パラパラと本をめくってみたり、
ネットサーフィンをしてみたり。


そしてある時、ふと、
さーっと霧が晴れるような瞬間が訪れる。


長い時を刻んで、目覚めた気分だ。


この1月は、ファインの新商品も
とうとう2つの企画を決定した。

一昨年から持ち上がっていた話が
ようやく形になり、世に送り出すことができそうである。


紆余曲折あり、右往左往し、
頓挫しかけて、消滅しかねないことも多々あったけれど。

ついにデビューとなれるような、
GOODアイデアが次々浮かび、動きだした。


1月は、新スタートに向けて
まさにウォーミングアップを重ねて
進み始めた手ごたえのある1ヶ月だった。


****************************


今年最初のセミナーは、
そんな変遷を経たことを感じさせないほど
ゆったりと始まった。

オープニングの福田証子さんのバイオリン。
演奏曲は「ペチカ」。

子どもの頃から聞きなれたメロディに
心もゆるむ。


第2部は、花のパフォーマンス。

白いふわふわの不織布とフェルトを使った
手作りの器に白、クリーム色、グリーン、淡いピンクの
やわらかい色ばかりを集めてお花をアレンジ。

野菜売り場で見つけた
「芽キャベツ」とお漬物用の「小メロン」、「菜の花」
果物売り場で買った
「キンカン」も一緒に生けた。

そして、
カラフルなキャンドルにはひとりずつ
自分の名前と今年の抱負や願いを書いたものに
火を灯して輪になるようにお花の近くに
自分自身の手で置いてもらった。





全員で、チカラと思いを合わせて
ひとつの作品ができあがるスタイルである。


その後、

今年新しく始まる公開リーディング。


あらかじめ質問を書いて箱に入れていただき
くじ引きのように引いて、
当選の方は前に出て、リーディングをする形式。


記念すべき最初のご質問は、
「継続するために必要なことはなんですか?」という内容だった。


それに対してスイッチをいれたところ
こんな答えが出てきた。


「継続するために努力はいらない。

振り返ってみたら、あれ?気がついたらこんなに続いていた。
ということこそが本物。

継続は力なり、というけれど
たしかにその通りだけれど
続けなきゃ、と思っていてもかえって続かないもの。

本当に必要なことは結果的に続く。」


そうか~。

無理せず自然体で続いていることこそが本物であり、
自分にとって必要なこと、なんだ。

がんばって、なにかを成そうと思っても
逆にその“がんばり”が辛くなってしまうことも多い。


だから、力を抜いて今必要だと思うことを
少しずつ続けていけばいいんだ。


それがやがて、いつの日か本物の、最強の力となる。
・・・ということだ。



う~ん、このコーナー。
本当におもしろくなりそう。


次回からも、すっごく楽しみである。


****************************

次に、遊結花(ゆうゆうか)の
立松結花里さんのスィーツタイム。

楽しいトークとともに紹介するレシピと実演の第3部。




甘酒ゼリーには、しょうがのハチミツジャム(?)
がちょこんと乗っていて、本当においしい~!

それから、米粉のはいったチーズケーキ。

イチジクの梅シロップ煮。


そして!なんと、


暖炉で串にさしたマショマロを焼いて
ホットチョコレートに、ポトンといれて
いただくぽかぽかドリンクも!


みんな、暖炉に並んで順番待ちをしている間も
和やかでなんだか楽しそう~!


****************************

最後は真武道子さんのピアノ演奏。


今回はかわいい曲を披露してくれた。

なかでも
「ぬいぐるみの夢」という曲は
ファンタジーの世界にいざなってくれるようなメロディ。


****************************



出演者のみなさまの
ステキなお力添えをいただき
本当に、いい時間を作り上げることができた
フィーノライフスタイルセミナー“目覚めの時”。


私も、また今年一年
自分自身を育てるためにゆっくりと
目が覚めてきたようである。


次は、4月3日。

講師デビューとなる
e:coさん(エーコさん)の
新しい魅力がきっと春とともに花開いて
下さるのが、待ち遠しい♪

今年も、あらためて
どうぞよろしく~!









































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★新月の夜に

2006年09月21日 | スピリチュアル セッション
               【マウイの空と雲】

充実感いっぱいの札幌の出張を終えて、
駅へと向かうタクシーに乗り込んだ。

座席にもたれて、ぼーっとしていると
ラジオから聞こえてきた「新月」にまつわるお話。

*************************

新月はやりたいことを願ったり、新しいことをスタート
するのに良い日だということは、ご存知の方も多いかも。

ラジオのDJが教えてくれたのは、具体的な時間帯。

月の出る時刻から8時間以内がいいのだそうだ。

次の新月は9月22日 午後8時45分。 つまり明日。

自分で自分の背中を押すためのきっかけや目標を作る。
「こうなる」と決める。または「こうなっている」と
決めた上で現実にするために願う。

*************************

明日の新月が、中秋の名月につながる満月へ向かうのだから、
なんだかパワー100倍!ってカンジである


どんなことを自分自身で決めて、
なにをお月さまにお願いしようかな?
自分に宣言することができたら、きっとサポート心強い
を享受することができるだろう。


*************************

古くから日本に季節ごとの行事が節目節目にあって、
気持ち新たに、きちっと襟を正して生きてきた先輩たちのように、
宇宙のリズムとともに生き、
自然のサイクルと一緒に暮らしていけたら
もっと心豊かになれそうである。

日々、波のようにおそいかかるさまざまなコトも
辛く悲しいコトだって、大きな流れの一部なのである。

きっと大丈夫!
夢はきっと現実になるよ自分を信じてね

そんな気持ちで、新月の夜をすごしてみよう。




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★タイムトラベラー

2006年06月14日 | スピリチュアル セッション
              【早朝の電線と銭湯の煙突】


めっきりと日が伸びて夏が近づいてきた。


今日の夕方5時前のこと。
郵便局に向かうために自転車に乗って
銭湯の前を通りかかると、
湯上りの女性が私の前で
同じように自転車をこいでいた。

ゆったりとしたベージュのワンピースは
そのままパジャマになるのだろうか。
夕陽に向かって濡れた髪をなびかせて、
のんびりと家路を目指しているようだ。

東京の今日は梅雨時なのに、
湿度も少なくて本当に気持ちの良い気候だった。

もうまもなく、むせ返るような暑い夏がやってくる。

***************************


平日5時前から銭湯かぁ・・・。
なんてステキなのかしら。

彼女の風になびくワンピースの裾と髪を
うっとりと眺めながら、あっ!そうだ!!!
私もそういえば来週からハワイなんじゃないの!
と、ふと我に返った。

そうだったよ。

この旅行を目指して、このところ
休みもなく働いているんだもんね。

「もう夏ですよ~!夏といえば海!
僕は海外の海よりも伊豆の海が好きなんです。」と
動物病院の待合室で、そんな会話がラジオから聞こえてきた。
(今日の夕方、コロちゃんをワクチンの注射に連れて行きました)

心の中で、私は日本より海外の海が大好きだもん!と答えていた。
青い空と白い砂が、真っ青な色の海を映し出す。
オーストラリアも、タイも、マレーシアも、グアムもサイパンも
どの海岸も透き通るような水色だった。
そしてイタリアは紺碧の深いブルー。

日本の海は、空が白くて砂がグレーだからなのか
透明感のあるブルーではなく、やっぱり海も
白っぽくてグレーである。

日本は大好きだけれど、海はやっぱり海外がいい。

ホントに、ハワイが待ち遠しい。

***************************

今度はどんな思い出ができるのだろう。
また新しい友達ができるかな。

洋服は何を持っていこう。
今度の日曜日に買いに行こうかな。
やっぱり向こうで買おうか。
でも時間なかったらどうする?

日常英会話、もう一回おさらいしておこう。
え~っと、あの本どこいったかな?

この間買ったベトナムの「蓮茶」、
おいしいから少し持っていって向こうで飲もうかな。

***************************

旅行の日程が近づくにつれてそんな思いが、
ふーっと頭に浮かんでは
日常の忙しさに消えてしまうのだが
その過程がまた、旅の楽しみのひとつだったりする。


人生は「旅」である。 と思う理由はいろいろあるが
最近、たくさんの方のセッションを通して実感している。

私の場合、特に時空を超えた話になるから
今が現実なのか、過去もまた現実なのか、
一瞬はた、と足元を見る。

そうそう、でも息子にはお弁当は作らなきゃいけないし、
コロちゃんはフィラリアに刺されないように、
早くお薬のませなきゃ。

それが、私の等身大の現実生活だ。


それはもちろんわかっているけれど、でも時々
今見ているのが、実は幻で現実はどこかにあるのかも、と
思うのは、案外私だけではないようだ。

先日もある人が、
「車を運転しているとね、え?たったこの距離で
こんなに時間かかったの?ボーっとしてたのかな?私。
それとも、なんかどこかに行ってたのかしら???
なんて思うことがあるの。そんな時、なんとも言えない気分。」と
言っていた。その気持ち、なんとなくわかる。
現実逃避していたのか、それとも、今見ているものが夢なのか。

そんな議論って案外テレビでも見たことがある。



***************************

妹のNAOKOが、2週間ほどイギリスに行って今日帰ってきた。

さまざまなアクシデントやハプニングに見舞われて
本当に大変な旅だったようだ。
帰るなり、ずうっと堰を切ったようにしゃべりっぱなしで
ひたすら、相槌を打って聞いていた。

彼女はこんなことを言っていた。

「今ね、すべての出来事は“ドッキリ”でした!」って
言われたら、うんうんやっぱりそうか!って思えるし、
2週間の出来事が本当に現実だったのか、
夢なのか、別世界での出来事なのか、
はたしてたった今、この瞬間も現実なのか、って
なんだか不思議な気分だわ。


そう話すNAOKOは行く前に比べると
またひとまわり大きく、たくましくなった気がする。


等身大の生活から離れた旅先でのアクシデントや
出来事は、時に人を強くする。

まるで崖っぷちに立たされたように、極限のような
ギリギリの気分を味わうからだろか。
日常生活で同じことがあっても、きっとその効き目は
倍ほど違うのかもしれない。

***************************

だからきっと、何度も人は生まれ変わるのだろう。
「もういいよ・・・。」と時々投げ出したくなるけれど
人間でないと学べないから、何度も懲りもせずに
そしてあきらめずにチャレンジし続ける。
私たち全員が“冒険者”なのかもしれない。



でも自分自身が“冒険者”であり“タイムトラベラー”の
実は「主役」であることをすっかり忘れて、
人のことばかりを嘆いたり、批判したり、
あるいは、自分のことを責めてみたり・・・。

多くの人が、失敗なく、上手に生きることだけに
必死に、夢中になりすぎて
純粋に“楽しむこと”や“歌うこと”も
忘れてしまっているようだ。

「そんなに頑張らなくていいのに。」
「もっと肩の力を抜いていいんだよ。」と
言われると、ほとんどの人が肩をすくめて
照れて笑ってしまう。


私たちは本当は
“今”という時間と“過去”“未来”という
時を刻むこの瞬間を生きる“タイムトラベラー”なのだ。

***************************

もし、人生が「ひと時の旅」ならば、
やっぱり明日はもう少し遠くまで行ってみよう。
たくさんの景色を見てみよう。
色々な人とたくさんお話ししてみよう。
おいしいものもたくさん食べたいし、
美しいものもにもできるだけ触れておこう。

そんな視点で過ごすと、変わり映えのしない毎日の
生活だって、十分に「いい旅」となり、
そして「夢気分」が味わえるにちがいない。




















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★「開運梵字歯ブラシ」で自分を磨く

2006年05月20日 | スピリチュアル セッション
            【江ノ島温泉の洞窟スパ】

「実家は歯ブラシ屋さんなの」というと
たいていの人はかなり驚く。

たしかに家が歯ブラシを作っている、なんていう人は
そうそういるものではないかもしれない。
でも私は物心ついた頃から、家には歯ブラシがあった。

もっとカッコいい仕事ならいいのに、歯ブラシ屋だなんて、
恥ずかしくはないけど、ちょっと微妙。
必需品だけど華やかさには程遠い家業ではなくて、
資格を取って一生働ける仕事をしようと
中学生ぐらいから決めていた。

もちろん両親には両親の考えがあった。

ボーっとして、気が利かない長女の私には
家業を継がせる気もなかったのだ。

***************************

大学では小学校と中学校の家庭科の免許を取り、
卒業と同時にマミフラワーデザインスクールに入学。
講師を資格を取り、スタッフとして入社することになったが
息子を産むために退社。
そして本部講師として教えて、15年目。

中学から決めた資格を生かす仕事を
一応、ちゃんと歩み続けている。

でも実家の仕事は、ちょっとのお手伝いのつもりだったのに
5年ほど前から本格的に企画開発に
携わるようになってしまった。

これは夢にも考えていなかった展開だった。

私には事務職はぜったい合わない、というのが
手伝いたくない理由だったが、「企画」なら結構いけるかも。

新製品について考えたり、商品のコンセプトを練ったり、
商品やパッケージのカラーコーディネートをしたり。
はたまた商品のキャッチフレーズやパンフレットの文章を
考えて、いかにわかりやすく的確な表現をしていくかが勝負。
デザインにも通じて、デザイン以上の「ものづくり」
を手がけて世に送り出すのが私のポジションとなった。

プロのグラフィックデザイナーとデザインについて
やり取りをしながら、出来上がるとロットやコストなど
細かい原価計算をしつつ、いくつもの仕入先業者と
検討しながら生産し、工場で仕上げて出荷する。

歯ブラシ1本にいくつもの過程を経て、
営業が売り先を決めてしてくれて初めて動き出す。
同時進行で、連絡漏れはなかっただろうか
いつも快い緊張感に包まれる。

***************************

そして、この春からすすめていた新製品
「開運梵字歯ブラシ」があさって5月22日(月)から
いよいよ新発売となる。

6月7日(水)まで、「ランキンランキン」の全国8店舗で
「オーラルケアプロモーション」という企画で発売されることになった。

渋谷・新宿・大手町、自由が丘、北千住、
上大岡、あざみ野、福岡天神の各店舗とも
駅の構内またはすぐ近くにあると思う。

http://www.ranking-ranqueen.net/index.html

もし、近くまで足を運ぶようなチャンスがあれば、
ぜひぜひお店を覗き込んでほしい。

ファインのサイト、「開運梵字歯ブラシ」のコーナーでは
「KAORU♪の幸せmonthly メッセージ」というタイトルで
月一回のコーナーが新登場!
(アップはもう少し先になりそう。しばしお待ちを!)

http://www.fine-revolution.co.jp/

こちらも合わせてチェックしてみて



***************************


昨日、NHKの「英語でしゃべらナイト」という番組を
途中からテレビをつけてみた。

ちょうど、新作「ハリーポッター」の日本語訳を手がける
女性とインタビュアーが2人がでていた。

「こんな英語ならどんな日本語に訳す?」というテーマで
翻訳の女性に聞くコーナーがあった。
その中で、こんな面白い訳があった。

ハリーポッターの挿絵には、なにやら病院らしきものが
描かれている。看板には「 Doctor / Healer」と
描いている。「さあ、Healer とは日本語では
どうやって訳しますか?と翻訳家が質問している。

「“ヒーラー”はパワー送って直したりする人でしょ?」と
インタビュアー役の女優さんが言いながら、
手元の紙にサインペンで日本語に訳したものを
さらさら書いて答えを画面に見せる。
適当な言い回しの日本語が見つからないため
つい説明文のようにながながと書いてしまって、
一言で表現するのは難しい。


でもさすが翻訳のプロは違う。

「 Doctor(医者) / Healer(癒者)」

短くてわかりやすい表現だ。
「いしゃ」と同じ発音で揃えたところも
ウィットに富んでいてステキだ。

欧米で医療とヒーラーがチームを組んでいる、と
話には聞いていたが、ハリーポッターにも登場するほど
メジャーなんだ、と感動した。

ずっと遅れをとっている日本もやがて
追随していくに違いない。

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医療はきちっとした知識を学び、資格が必要だが
“ヒーラー”になるために特別な資格はない。

まずは自分を応援し、励ましていくことで
心や魂を癒していくこと。
つまり「私専属の“ヒーラー”に自分自身がなる」
ことは誰にでもできることなのだ。

今まで、誰かに癒してもらうことばかりを考えて
そんな相手がいないと、孤独で不安な気持ちになっていた、
という人もきっと多いと思う。

でも、一番身近な存在で、実は最も信頼するべき
“ヒーラー”は自分自身の中に眠っていることを
思い出してほしい。

***************************

「開運梵字歯ブラシ」は、自分と向き合う大切な時間を
作るためのきっかけ作りになってくれたら本当に嬉しい。


「幸せ」を呼ぶのも見つけるのも自分しだい。

ひとつが変わり始めたら、すべてが動き始める。

そう、信じてひとりでも多くの皆さまのお手元に
届くことを心から願っている。











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★Monthlyメッセージ★ 4月【卯月】

2006年04月02日 | スピリチュアル セッション
               【イチゴとブルーベリーのソーダ】

■月初めに、KAORUがスイッチを入れて
その月に必要なメッセージをお届けします。
4月をより快適に過ごすためのヒントにして下さいね♪■


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今月のキーワードは「Change your mind」

4月は変革の時。
古くなった衣を脱ぎ捨てて、新しい翼を纏う。

もう実は無意識のうちに、綺麗な新品の翼を自分自身で
準備しているのに、広げるのが怖くて逃げていないだろうか?

または、用意されているのすら気づかずに
いつまでも古いままの自分にどっぷりと浸っていたり。

慣れている、というだけで本当は居心地が悪くて
いつも抜け出したいと思っているけれど、
どう脱出したらいいのかわからず、もがいている。

…そんな状況に長年いるとだんだんと麻痺してくるけれど、
もうひとりの自分がいつまでも
同じコトを繰り返すのはやめようよ、と背中を押している。

その葛藤を、
「頭でわかっているけれど、難しいのよね…」と諦めるか、

それとも、
「できるかどうか、わからないけれどやっぱり変わりたい!」
「もう一歩前に行く私になろう!」と
逃げずに前進していくか。

***************************

4月は、開花のエネルギーに乗せて、
思い切って翼を広げてみて。

新しく始めようと思ったこと、
変えたいと思っていたこと、
何かを探し始めるにはGOODタイミング♪

怖い、と思わず、失敗したらどうしよう、と迷わず、
どうせうまくいかない、と悲観せずに
ひたすらチャレンジしてみましょう。

変化を恐れないで!

もし勇気が出なかったら、
いつもと少し違う角度から考えてみて。

3月中に「クリーンナップ」をしっかりしすぎて
意外と心身ともに疲れてしまったという人は、
実は予想以上に“身軽”になっています。
4月には、どんどんとフレッシュなパワーが注ぎこまれますので、
意識的に通常の思い癖や、行動パターンを変えてみましょう。

いつもとは確実に違う道や方法、展開が待っています。
つまり、わかりやすく言うと「いつもと違う筋肉」を鍛える
ようなチャンスも到来します。

開花のエネルギーに乗ると、
思っているもずっとフワっと羽は広がりますよ














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★Monthlyメッセージ★ 3月【弥生】

2006年03月03日 | スピリチュアル セッション
【青空に映える白梅】

■月初めに、KAORUがスイッチを入れて
その月に必要なメッセージをお届けします。
3月をより快適に過ごすためのヒントにして下さいね♪■


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今月のテーマは「クリーンナップ」 

つまり、身辺整理。

お部屋の掃除もそのひとつ。

いらないものはどんどん捨てちゃいましょう。
思い切って捨ててしまえば、いらないエネルギーも一緒に
そぎ落とされていきます。



それから、人間関係。

3月は卒業や人事があって別れの季節。

お正月とはまた違ったエネルギーで
ひと区切りがつくのです。

植物もまた、厳しい冬を乗り越えて蕾を膨らませ、
そしていっせいにほころび始めます。

花が開くときの力強さ。
それはきっと、目には見えなくても
その開こうとする意思のようなパワーが
やがて街中に、村に、野山にあふれていきます。

休眠期に入っていた花や葉などの植物たちが
目覚める時間はもうまもなく訪れます。

そんな開花のエネルギーをキャッチする前の
大切な時間がまさに3月。

***************************

もう一度、周囲を見渡してましょう。


いつまでも、別れてしまった誰かのことや
もう会えなくなった、どなたかの面影を
思い出して後悔していませんか?
あの時、ああすればよかった・・・とか。
思い出しても暖かい気持ちにならないような
マイナス思いを、「思い出の引き出し」に
大切にしまっておいて
時折ひっぱり出して眺めるのはやめましょう。


3月という季節は、いいタイミングなのでこの際
「クリーンナップ」するのがおススメです。

それから、お互いのエネルギーやパワーが
変わっているのに、いつまでも縁が切れず
苦しんでいる人間関係も、この際だから
「感謝」と共に手放しましょう。

そうすることで、確実に自分自身を取り巻く
環境やレベルにも変化が起きてくるでしょう。

自分の周囲の滞った空気は捨てることで
対流が起きて、やがて新しくてクリーンな空気が注がれます。

まもなく近づいてくるエネルギッシュなパワーに
乗りそびれないように、3月は仕事、人間関係、そして家庭環境
すべてを今一度、見直してみるのに最適です。


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★ひとつの旅の終わりに

2006年02月04日 | スピリチュアル セッション
          【苺】

昨日は、伯母の葬儀で大阪まで行ってきた。

最後に会ったのはいつだっただろうか。
何年も前のような気もするし、最近会ったような気もしている。
でも、時間などとは関係なく物心ついた
子どもの頃からずっと遠からず、近からずの距離にいた。

たくさんおしゃべりをした記憶もないが、
でも私の人生の節目節目に、すーっとそばにきては
励ましてくれていた。

「がんばりや!」

記憶にあるのは、ただそれだけの短い言葉。

たくさんの説得力のある話よりも、
気の利いたセリフよりも、
そして会話のキャッチボールよりも、
満タンの愛情がこもっていた。

彼女と私の間に、たくさんの言葉は必要なかったのだと思う。

背筋の通った、シャキっとした関西人で
とにかくいつもカッコよかった。

娘家族や、息子たちと夜遅くまで
楽しくお酒を飲んだ翌日、突然倒れて
そのまま24時間も経たないうちに
息を引き取ったのだそうだ。

77歳という年齢を考えると、
「短すぎる」という年月でもなく、
「かなり長寿」というには及ばない。

実に彼女らしい幕の引き方で、
生き様そのもののような気がする。

母や伯母の姉妹たちは、一同に口を揃えて
「そこそこの年齢の者にとっては本当に理想的だわ~」と
悲しみ半分、心底うらやましがっていた。


深い悲しみに包まれる、というよりも
「お疲れさまでした。ありがとう!」の言葉があふれていた。

**********************

…でも、やっぱり旅のお別れはいつも寂しい。

“また会える”ってわかっていてもやっぱり涙が出るものだ。

今回のように、伯母と姪のシチュエーションで
しかも日本で、この肉体で会えることはもうないのだ。
あの凛とした声で私の背中を押してくれることは、二度とない。

人間として生まれる時、前世の記憶が消える意味はここにもある。

忘れているからこそ毎回、毎回涙する。
そして思い出とともにその愛の深さに、
改めて気づくことができるのだ。

すべてを覚えていたら、すっかり慣れてしまって
別離から学ぶ大切なことを見落としてしまう。

だから、悲しい気持ちを封じ込める必要もなく、
逃げることもなく、ちゃんと向き合って、たくさん泣いていい。


そしてチャンスがあるなら、見送る番に当たったほうが、
しっかりと旅立ちを見届ける。
前回は案外見送っていただいたかもしれないのだ。


**********************


葬儀の読経のあと、お坊さんの説教の中で、
「人は皆、生まれた瞬間から“死”が約束されている。
それは、どんな人でも平等な決まりごと」なのだと
おっしゃていた。最近色々なところでその言葉は耳にする。

そうなのだ。だから今日を精一杯生きる。
そして人との出会いや会話を大切にすること。
丁寧に毎日を過ごしていこう。
シンプルだけど、それが「生きる」ことの原点。

ひとつの旅が終わったけれど、絆はきっと永遠。

たくさんの愛をありがとう。元気でね!
また会える日が来るまで、私は精一杯生きていくね








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★ココにいること

2005年12月20日 | スピリチュアル セッション
               【冬に咲く黄色のバラ】

今年も明日の花のレッスンを最後に、
大きなイベントや仕事が終わる。

気がついたら、忙しくてちゃんと乗り越えられるだろうかと
思っていた12月の数々のイベントも無事にこなしていた。

***************************

2005年--------------------

私にとっては本当にキーポイントとなる一年だった。
去年の4月に始まった私の不思議な…(?)パワーが
今年、動き始めたのだ。


こんなに多くのことが起こる年があっただろうか。

たくさんの場所に体を運び、たくさんの方とお話をした。

“なんのために生まれてきたのか”という疑問は多くの人々が抱いて
きた昔からある素朴な、でも奥の深い問題だったが、
私なりに結論を見出した。

そんなに難しいことでも哲学的な答えでもない。

そう、私たち人間は魂を磨くために生まれてきた。
うまくクリアできなかった問題は、次回(来世)へと持ち越し、
再チャレンジの機会をGETする。
似たようなシチュエーションだったり、時代背景や性別を変えて
違う角度のようでいて、実は同じパターンを繰り返し
できるまでチャンスが与えられるようだ。

それを、よく人は「過去からの因縁かしら~?
なんか私悪いことでもしたの?」なんて
いたずらに恐れたりするが、ただ単に、
「またやり直しのチャンスに遭遇してるのかも?
詳しい事情はよくわかんないけど、ひとまず私はプラスの
パワーを送っておこう!」と微笑み返しておくのが
一番の解決策なのだ。もちろんそうはいかない
複雑な事情に巻き込まれてしまうことも多々あるけれど、
これ以上、深みにはまっても解決できそうにないときは
意識をプラスに切り替える、という方法で別の打開策が見えてくる
ことだってある。



そして、うまく乗り越えることができた問題は発展型として
引き続き、次へのステップに突入していることだってある。

人は、それぞれ磨いている場所や、ジャンルなど
課題が違うので、人と比べて落ち込む必要はない。
でももし「ステキだな、あんな人のようになりたいな!」と
思える人が現れたなら、自分には無理だとあきらめずに
なにかできることからマネしてみれば、一歩前進したことの証。

今日の一歩が、3年後の1000歩につながり
10年後の10000歩に続いている。

それなのに、ちまたではなんと歩むことを
やめてしまった人が多いことか。

怠慢な気持ちから、自分を磨かず
だんなや子どもに過度の期待を持つお母さんいれば、
昔からの“滅私奉公”を妙な形で持っていて
自分のために時間を費やすのは罪である。と心のどこかで
思っているマジメなお母さんもいる。


親との溝を埋められないまま、
大人になってすべてのことに行き詰っている人もいる。
とりあえずの現実生活に向かい合っているけれど、
その事実を引き出しの奥にしまいきれず、
でも目一杯広げるわけにもいかずに、先に進めずにいるようだ。

私はそんな人たちにスイッチのある場所を教えたり、
くすぶっている炎を、またふぅ~っと吹いて
いくお役目のようである。
もちろん、スイッチを押すかどうか、炎をたやさずに
燃やし続けるかどうかはご本人しだい。

見た目では推し量ることのできない、
多くの方々の深い内面や魂に触れることで
私自身もまた、学ばせていただいていることを実感する今日この頃。


昨日の「はればれ介護の元気セミナー」で講師の
矢口恵子さんが「来年はこうしたい!と思うことは
今年中に動き始めると、2006年の動きが早くなり、
願いが叶いやすくなりますよ」とお話下さった。

残すところあとわずかの今年一年も、
最後まで“できる限り精一杯”のスタンスで前進しよう。

今日、“ココにいること”は確実に明日に、
そして果てない未来へとつながっている。

















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★“透明”になっていくこと

2005年12月05日 | スピリチュアル セッション
               【イギリス館の窓】

先日の日曜日、元気セミナーの主催をするため
準備を整えながら、携帯を探した。

あれ?ない?さっきあったよな?
朝のアラームが鳴ってマナーモードにした記憶がある。
家の電話から電話してみると、乾いた声で
「電源が入っていません」と言われ血の気が失せた。


ぜったい洗濯機の中だ!シーツを洗った時に一緒に
包んじゃったに違いない!と家の中を走った。

絡まったシーツや毛布を引き上げようとするだけで、
ジャラジャラ…っとストラップと洗濯槽が
ぶつかり合う音がした。

どうしよう…今日の夕方、初めてセッションを
受ける方の予約が入っているし、
元気セミナーにお越しなる方も場所がわからない時は
私の携帯に電話をいただくことになっている。
パソコンや携帯依存症ではないが、仕事の信用が
かかっているし、なによりご迷惑をかけてしまう
ことが一番つらい。

------なんでわざわざ今日なんだろう?

セミナーの開催時刻もせまっている。
携帯ショップに急いで飛び込み
画面がぬれている私の携帯を見せながら機種変更を
お願いすると、申し訳なさそうに、
「今日はお預かりするだけです。まずデータが復活するか
どうかをチェックするだけで早くてもあさってになります。」
と言う。単なる機種変更なら15分で終わるのに…。


渋々あきらめつつ、自分のウカツさに情けない気持ちで
一杯になりながら会場に向かった。
講師の日下部氏に「連絡いただいていたら、ごめんなさい」と
一部始終を話すと、ゆったりとした口調で一言、
「クリアになったってことですね」と短いコメント。

…そうかも! そう思うとなんだかすっきりした。
番号もアドレスも全部クリアして、
余分な贅肉まで落ちちゃった気分。

これから本当に必要なものだけが、自分の周囲に再び
集まってくるのだろう。
なかなか捨てられないものを、えいっ!とカラに
してしまえば今度は大切なものが入るキャパシティも
広がって、パソコンでいう容量も増えていそうである。

あんなにあせっていたのがウソのように
はればれとした気持ちに切り替わった。


******************

『何かを手放すと、また新しいものが入ってくる。』

それはモノだけとは限らない。

自分を縛り付けていた“ココロ”を手放し解き放つ
ことでもまた新しい自分を得ることができるのだろう。

携帯をクリアにしたことで、私の人間関係も
少しづつクリアになり、ますますキレイな透明に
近づいていくのだという予感がしている。


コメント (4)
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★世界の死生観

2005年11月07日 | スピリチュアル セッション
           【青紫色のトベラの実】

友人と話していて「三途の川」の話題になった。

日本人は宗教が違っても「三途の川」は
なんとなく信じている。
「わからないけど、きっとあるんだろうな」
というスタンスなのだろうと思う。
「そんなのはゼッタイあるはずないよね!」と
頑なに疑っている人や拒否反応を示している人を
見たことがない。または単なる作り話だよ!と
笑い飛ばすような豪傑な人もいない。
おばあちゃんやおじいちゃんの言い伝えのような
話だったり、ドラマ仕立てのワイドショーや
コワイ話の影響なのだろうか?

シンボルは『川』や『橋』。
身内がお迎えに来て、こっちにおいで、
と言ってくれたり、まだダメよ!帰りなさい!
と無理やり帰されちゃったりする。

これって、日本だけ?単なる伝説?
でも生還者の中で目撃者もいるよね?

世界の事情はどうなんだろう?
ワクワクと好奇心が広がった。


******************

そうなるとすぐに誰かに聞いてみたくなる。

まずはタイ人のJUNEさん。
彼女は敬虔な仏教徒だが、
「タイでも親戚の人が迎えにくるよ。
そして同じように渡るための手助けだったり、
ストップをかけたりするの。でも『川』はない。」
という。


そして続いて中国人の知り合いに聞いてみた。

親戚など身内は迎えに来ないという。
シンボル的なものは『門』。いかにも中国らしい。
そして、その門をくぐると“あの世”、
くぐらなければ“この世”に生還となる。
門の向こうには「判官」と呼ばれる人がいて、
天国行きかどうかをジャッジする人がいるのだという。

でも彼女は堪能な日本語で
「そんな話を誰ともしたことがない~!
中国ではそのことに触れないんですよ。
あ~、怖い怖い!」と言っていて、なんだか
悪いことを聞いてしまったようだ。

妹、NAOKOのアメリカ人の友人は
クリスチャン(カトリックかプロテスタントか不明)
で、彼は光の向こうに門があり、その前に
ペーター(?)という門番が立っているそうだ。
「モーゼの十戒」を破ると天国行きの切符は
残念ながらもらえないのだそうな。



そして、NAOKOはイギリス人の英語の先生にも
聞いてくれた。無宗教なのだそうだ。
そして、先生曰く、この世とあの世の境目となる
場所がないらしい。
生還する、とかしないとか、という概念はなく、
生きるか死ぬか、YESかNOかのどちらかだという。
もし、『川』や『門』、『親戚』なんかを見たら
夢でも見たんだろう。さもなくば頭がおかしくなった
のではないか、と心配されるか失笑を買うかが
関の山らしい。

よく、向こう側に光を見た、という話も聞くが、
それは病院の手術室のライトに違いない!と
私の英会話の先生、ニュージーランド人も言っていた。

そして、ジャッジする人などはギリシャ神話にでてくる
創造上の人物が登場しているのだという。

最近の映画『マイ ボディガード』では
主人公がカトリックで、最後に命を落とすことを
覚悟した時「ブルーリバーに行く」と言い残したそうだ。

“ブルーリバー”はもしや“三途の川”???
これはついさっき、私の生徒さんの大ちゃんが
メールで教えてくれた、ほかほか情報。

さっそく、色々なアメリカ人にも確認してみよう。


******************

チャンスがあれば、ぜひ色々な人種のさまざまな
宗派の人に聞いてみたい。


これだ!という共通点は意外に少ないもの
なのだろうか?まだまだあるのか?
国や時代背景にも影響されて、普遍的な
考え方?時代とともに変わるの?

そして日本の「三途の川」説はいつ頃から
定着していったのだろう?

歴史や文化としての視点で見るのも
また興味深い何かが発見できそうである。


でも、たくさんの説があるとしても
私たちの肉体は消耗品のように
いつか期限切れの日が間違いなくやってくる。

魂は永遠でも、肉体はいつか廃車のように
動かなくなる日がやってくる。
その大前提があるからこそ、動かなくなる
その日が来るまで、最後までひたすら運転を続けよう!

“清水薫”の日本でのドライブはなかなか快適で、
充実している。まあ、奇想天外なことが起きて
びっくりすることもあるけれど。
まだしばしの間、この“平成の世の日本”を
思いっきり、そして悔いなく楽しみたいと思う。





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★金運アップのおまじない

2005年11月04日 | スピリチュアル セッション
【クレオメ(花魁草)】

3次元という物質世界に生きている以上、
やはり金運がいい方がハッピーに決まっている。

以前の日本のような「清貧」は、
もはや誰も羨ましがる時代ではなく、
これからの主流は「清豊」の世になってくるようだ。

清く正しく生きれば生きるほど貧乏になるなら、
心は本当に豊かでいられるのだろうか?
お金のためにあんまりガツガツしていたり、
悪に手を染めてまで豊かになりたくないが、
清くて貧しいのもなんだかツライ。

やっぱりあこがれは、心も金運も清くて豊かな人生。


ここ最近、ちまたでは風水を始め金運を気持ちよく
アップするための技があれこれと静かな話題になっている。
そして皆、入手した情報をもとに実行しているようだ。


************************

私が以前偶然目に止まって、もっか実行中の方法は、
1、トイレ掃除→金運の神様はトイレにいらっしゃるらしい。
2、瞑想(お風呂・ベッドなどリラックスできるところなら
どこでもOK)で2つのことを考える。
→「もうお金はいりません」と瞑想してイメージしたあと、
「こんなにお金をいただいてありがとうございます!」と
どんどん手にはいるイメージをする。

…とネットサーフィンをした時に、どこかに書いてあった。
そして、そこに付け加えられていたのは、
「もしあなたが「え~?ほんとなの?」と少しでも
疑うならやめておいたほうがいい。効果はありません。
ただひたすらイメージすること。そうすれば、
必ず成果ありです。」という注釈。

そうか!まずはやってみよう。と細く長く続けている。
効果?もちろん色々な要素やタイミングが合わさっての
結果だとは思うが、私は十分恩恵をいただいていると
確信している。

そしてあともうひとつは「MONEY(マネー)」というオイルを
お札やサイフの4隅にちょこっとつけている。
これは6月のハワイに行った際、三代続く魔女のお店
「PROSPERITY CORNER(プロスペリティ コーナー)」
のDJ(ディージェイ)さんに教えてもらった。
スプレイボトルにミネラルウォーターを入れ、
オイルを数滴落として、朝に金庫や会社に振りまいても
いいのよ!という。

一緒に行ったメンバーの一人が、足の裏にオイルをつけると
いいって聞いたけど、本当なの?と質問したら、
つま先ならいいけど、足の裏はダメよ。
だって、あなたがお金だったら踏まれるのはイヤでしょう?
と答えていた。

そうか、もし自分がお金だったら?と考える発想が
どうやら、金運のカギを握っているらしい。


おサイフはベッドと考えて、レシートなどと一緒にごちゃごちゃ
入れない。すっきり同じ金種ごとにする。
なるべくなら、二つ折りサイフよりも、まっすぐのほうがいい。
同じサイフを使い続けない。できれば2年に1回は交換する。
(新しいものをわざわざ買わなくても、チェンジするだけでも
OKなのだとか)
赤いサイフは赤字、黄色いサイフは金運を呼ぶ。という。

・・・このあたりは風水的なものでもあるらしく、
すっかりポピュラーな方法だし、知っている人も
多いのかもしれないが、今私が一番困っているのは、
サイフにしまう時のお札の向きである。

意見がふたつに分かれてるのだ。

向きについて初めて聞いたのは、
ハワイから帰国からまもなくしてから。
友人のうちのひとりが「私は頭を逆さにしてしまうほうが、
出にくくていいって聞いたよ。出費が多いから、
あまり出て行ってほしくないのよね」と”頭逆さ説”を
教えてくれた。
そして5才からサイキックのKENも、
「頭は揃えて逆さに入れてたほうがいい」
と妹にのNAOKOに言っていたらしい。

―――――つまり、“頭逆さ説”の支持者である。

でも最近のテレビ番組でお笑いタレントというか
現在はすっかり司会者業がメインとなっている人が
こんなことを言っていたそうだ。

「お札は、頭から突っ込むと苦しくなって、
早くそこから出たくなるらしい。気持ちよく
出られるような環境だと、またサイフめざして
別のお札が自然に戻ってくる」のだとか。

―――――つまり、”頭が上”説の支持者である。

正反対の結果はどう考えたらよいのだろうか。
どちらかが正しいということはなくて
<両方あり>なんだろうか?

私的には、お金の気持ちで考えるとやっぱり逆さまは
出づらいから、それを見た他のお金は
「うわ~ひっくり返されちゃうのか・・・」と怯えて
入りたがらないような気がする。

はたして、どっちが正しいのだろうか?
DJさんが来年1月に日本に来たらに聞いてみたい。
もちろんいつもの私のようにリサーチ作戦も展開しよう。

もう、こうなったら多数決?

その通り!と私をうならせる答えをぜひ採用したい。


そして、お笑い出身司会者が、番組の中で
本当のお金持ちのサイフを見たら、
ほとんどの金持ちのお札の向きはがちゃがちゃ。
いくら入っているかなんて知らない、という。

そう、これはあくまでもサプリメントのような
「おまじない」なのだろう。
いいと言われることは疑うことなく実行しつつ、
まずは、しっかりイイお仕事しよう♪



















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★山形の“スペシャルゲスト”体験記

2005年10月25日 | スピリチュアル セッション
              【ほころび始めた菊の蕾】

17(土)・18(日)はスケジュールでもお知らせした通り、
スペシャルゲストとしてAroma Angelの
く~みんに山形へ呼んでいただいた。
なんとキャンセル待ちとなったほど、予約が入ったそうで、
2日間とも、ずぅ~っとセッションが入っていた。

午後2:30から夜中の12時まで、10名。
途中休憩を挟みながら夕食は45分間。
翌日は、朝9時からチェックアウトギリギリの
12時まで3名。加藤雄詞さんの山形元気会が
終わってから最終の新幹線まで4名。

今回は残念ながら、山形の空気を満喫する時間が
なかったがホテルの8階の窓から見える山々には
霧がかかり、まるで墨絵のよう。
セッションとセッションのわずかなひととき、
心癒される風景を眺めることができた。

山形が蕎麦の名所だということを知らなかった。

初日にく~みんと食べた山形のお蕎麦は
野性味あふれて、しっかりとした歯ごたえがおいしい。
注文したのは「板天そば」。
東京でいう「天ざる」。天ぷらと盛りそばのセットである。
1人前ではちょっと足りないくらい、あっという間に
平らげてしまった。
く~みんの本当のおススメは、「冷やし鳥そば」の
おいしいお店だったのに、そこは定休日で残念。
スープがあとひく、クセになるおいしさなのだという。
それは次回のお楽しみとなった。

このところ、あちこちに出かけるチャンスが増え、
旅行好きの私にとっては、一石二鳥。
とにかく、ご当地の味を食べて幸せ気分にひたりたい。
「地のもの」を食べることは体にもいいらしい。

********************

食の文化や味は本当にバラエティーに富んで
心まで豊かになるが、人の環境も人生も本当に
さまざまである。

でも悩みや願いに地域性や国境によって大きな
違いがあるわけではなく、みんながそれぞれに
精一杯生きていることを実感する今日この頃である。


先日、「ゲル」の会社の方とお話する機会があった。
最近よく見かける、ボールペンにブニュっとした
グリップがついているのをご存じだろうか?
シリコンとは違うあのブニュが「ゲル」である。

弾力性や柔らかさを利用して、靴の底のクッション材に
使用したり、衝撃の吸収力を使って機械の部品と部品の
緩衝材として使われていたり、放熱性を利用した
“ひんやり枕”など、機械部品から日用品・介護用品に
まで実に用途の幅が広い。

ひとつの素材からよくそんなに思いつくものだ、
と感心していたら、その営業の方はこんな風に
おっしゃっていた。

「こんなことに使えないだろうか、というお客様の
アイデアに対応する努力をしてきました。
とにかくまるで“千本ノック”のようでした。
もちろん、そのノックにぜんぜん手が届かないことも
ありますが、ノックを受けているうちに力が
ついてくるものなんですね。
だから、こんなことできないかな、と思ったら
どんどんおっしゃって下ださい。
まずは挑戦してみます。」

そうか、私たちもまた人生の中で同じように
“千本ノック”を受けながら、いつの間にか
強く、たくましく、そして厚みのある人間へと
成長していくのだろう。

ただ、それは逃げずにきちんと返球する気持ちが
ないと、本当の力にはならないのだ。

どんな困難なことが起こっても、
“千本ノック”を受けているのだと思えば
いつか、「ゲル」のように用途が広がり
しなやかに生き抜いていけるようになれそうである。

こうして、私が日本のみならず6月のハワイのように
海外にまで進出して、セッションのチャンスを
いただけるのもまた“千本ノック”の一種で、
私自身のキャパシティも確実に大きくなるのだろう。
そう思うとこの上ない、貴重な経験を積ませていただいている。


******************

山形には、またいつか時間の余裕を持って
伺いたいと思っている。

キャンセル待ちで、お会いできなかった皆さまにも
またいつかお越しいただける機会がくるのを、
「冷やし鳥そば」と同じくらい楽しみにしている。

そして、そんなステキなチャンスを作って下さった
く~みん、本当にありがとう














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★赤ちゃんが3才までに語る“もうひとつ”のこと

2005年10月20日 | スピリチュアル セッション
               【デイゴの赤い花】

先日のこと。
知り合いが「KAORUさんのブログ、しばらく
見ていないわ。また今度遊びに行きますね!」と
言ってくれたので、すかさず、
「じゃあ最新の「お母さんを選ぶ赤ちゃん」を読んでみて!」
と、1才の母でもある彼女にオススメをした。

少しだけ概要を話したところ、
「へぇ~、赤ちゃんが3才ぐらいまでに
“自分の前世”を話すことは知っていたけれど、
“なんでお母さんを選んだのか”を話すのは初耳!」
だと驚いていた。


そして私もまた同様に、最近の若いお母さんの間でも
赤ちゃんが前世を話す、という説を知っていることに
ちょっぴり驚いた。

********************


私がまだ新米ママだった15年近く前、
「しゃべり始めた頃に、赤ちゃんに前世のことを
尋ねると答えることがある。」という話を
ラジオなのか、赤ちゃん雑誌なのか、
テレビだったか思い出せないのだが、
人から聞いたのではなく、
マスメディアからの情報で知っていた。

それは、だんだんと子どもが外界からの知識を
吸収すると忘れていってしまう、と聞いていた。
しゃべり始めが勝負なのだ、と。


前世やスピリチュアルにまったく縁のない生活を
していた当時、「へぇ、そうなんだ!
ウチの子も話すと面白いのにな。」という気持ちで
日々の育児に追われていた。

オムツを替えたり、離乳食をせっせと作ってみたり、
よちよち歩いたり、ひとことずつおしゃべりができるように
なるのを一喜一憂していた毎日。
子育てが自分の世界のすべてだった時間である。

********************

彼が3才になる少し前だったと思う。
ある日の夜、フローリングの床に
寝っ転がって一緒にテレビを見ていた。

突然、本当に唐突に「ママ、こうして!」と
私の両足を開いたかと思うと、
「ボクね、ココからこうやって
生まれてきたんだよ!」と身をかがめて、
もぞもぞっと出てくるようなポーズをした。

続けて「あのね、ボクがおなかの中にいる時ね、
ママがボンボ~ンって笑ったの。」と今度は
胎児の時らしき記憶。

あっけにとられていると、すっくと立ちあがり、
「ボクね、高校の教師だったんだよ。」と
2才児とは思えないような、大人びた表情で私の顔を見つめた。

その頃は、せいぜいスイミングで「ちぇんちぇぃ(せんせい)」
と呼んでいる人がいたぐらいで、「教師」という
初めて口にする言いまわしに、内心動揺していた。

たどたどしい赤ちゃん言葉ではなく、
断定するようなセリフ。
生まれた時から、胎児、前世と記憶が逆戻りしたのだ、と
20代半ばだった私は、その瞬間なぜか確信した。

「わぁ~、ついにウチの子もしゃべった~!」と、
大事件のように周囲に報告しまわっていたが、
「へぇ、そうなの。」と思った以上のリアクションは
得られなかったが、それでも今からひと昔以上前の出来事、
特に否定も肯定もされることがなかった。

赤ちゃん仲間として知り合って、今は仕事上でも
お付き合いのある「ケンちゃんママ」にメールで
当時の記憶を尋ねたところ、
「うん!覚えてるよ!その話聞いて
ウチも聞いてみたけどぜんぜん反応なかったのよ。」と
ついさっき返信メールが戻ってきた。

あれから現在に至る今でも、まことしやかに
「3才までに語る“前世の記憶”説」が
お母さん達をひそかにワクワクをさせていたのだと
思うと、なんだか楽しい。

単なる誰かの個人的な説やブームでは
なかったことを裏付けている気がする。



********************

そんな話を息子に話すと
「覚えてないな~。そんなこと言ったんだ。
へぇ。高校の先生だったんだ、オレ。」などと
特に感慨深くもなく、否定もせずに
自分の発言を受けとめているようである。

とかく、子どものために!!という気持ちと
我が子かわいさのあまりの、自分の感情とが
ごちゃ混ぜになり、境界線があいまいになってしまう。


…でも遠い昔、彼も大人だった時代がある、
とするならば、今回は母親として、今回の人生の先輩
として教えられることはなんだろうか?
私が母親として彼から学ぶべきことはなんだろうか?
と考えてみる。


教えることは、教えられること。
―――お花を教えていてわかったことである。

育てることは、育てられること。
―――母になって実感していることである。







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★生まれた場所の意味

2005年10月15日 | スピリチュアル セッション
               【金木犀】

10月10日前後の、この季節が大好きである。

トコトコと歩く駅までの道のりや
犬との散歩道、自転車を颯爽と走らせるいつもの道で
どこからか甘い香りが漂って、
香水のように纏わりつくような感覚。

すると、花の姿は確認できなくても
あ~、今年も金木犀の季節がきたんだわ。と
初秋の到来を肌と香りで感じることができる。

ぽかぽかと暖かい陽射し。最近の温暖化で気温は
子どもの頃よりずいぶんと高くはなったけれど、
湿度はやはり、夏とはぜんぜん違ってさわやかである。


金木犀(キンモクセイ)は街中をやわらかく包み込み
甘くて繊細な芳香で、心が癒される。

沈丁花(ジンチョウゲ)は柑橘系のようなさわやかな甘さで、
間もなく訪れる春に心が踊る。

梔子(クチナシ)の濃厚な甘さは
梅雨の憂うつな気分をなぐさめてくれる。


四季折々の花の香りは、わざわざ遠出をしなくても
東京の空の下、毎日の生活の中でも
十分に満喫することができる。

都会には季節がなくなったことを、
世間はたまに嘆くけれど、
キャッチする感性がなくなってきたことこそ
もっと深刻に考えたほうがいいかもしれない。

公園の植木からだって、
プラスチックのプランターに植えられた
ご近所のガーデニングからでも、
ビルのほんのわずかな植え込みからも
存分にお裾分けをしていただける。

香りで季節を感じ取ることができた時、
日本に生まれたことに感謝する。

子どもが親を選ぶ時、もちろんその際には
生まれる国も合わせてチョイスするのだろうと思う。

だとすると、出生地も何か関係ありそうだよね!と
ある時、そんな話になったことがある。


まわりの人間関係や職業だけでなく
生まれた土地、育った土地のひとつひとつに
実は奥深い意味が隠されていたり、または
散りばめられているような気がする。


********************

先日の美容院で、アシスタントの若い男の子が
おすすめの映画をピックアップしてくれた。

どんなジャンルが好きなんですか?という問いに、
そうねぇ、まずは血を流さないヤツ。
ラブストーリーっていうよりも、ジャンル名はわかんないけど
『ニューシネマパラダイス』とか『バグダットカフェ』とか。と
答えると、あ~、それはローカルシネマタイプ(?)ですね!という。
(メジャーな映画館ではなく、小さな劇場で放映される映画)


そして、20才半ばくらいの彼は
それなら『解夏』がおすすめですよ!と
数年前の邦画を推薦してくれた。

僕はね、長崎生まれなんですよ。だからあの映画の
バックに映る風景が懐かしくて、それもあって好きなんです。
と、ポツリポツリと話し出した。

おじいちゃんと一緒に暮らしていたんですね。
だから戦争中の話を小さい頃からよく聞きました。
原爆の時、おじいちゃんは兵隊で
外国に行っていたので生き延びました。

あの時、祖父が日本にいたら自分は生まれていなかった。
そんなことを時々思うんですよ。僕の命について。
もしかしたら、なかったかも知れない命。

それは長崎という地に生まれたからこそ真剣に考える。
長崎に生まれ育ったことを誇りに思うし、本当に良かった。と
若い彼はドライヤーをしながら鏡越しに話してくれた。

ねぇ、やっぱり生まれ育ったところって
深い意味があると思う?と尋ねると、
迷うことなく、ありますね!と断言していた。

親を選ぶとするなら、生まれる時代や場所も
そして今、暮らしているこの場所も
単なる偶然だと言いきれるだろうか?

出身地でコンプレックスを感じたり、
優越感を感じたり、誇らしく愛着があるのもまた、
人生の学びのカリキュラムに組み込まれているのだ
と考えてみたら、誰かとの会話で話題になる
何気ない地元話ひとつでさえも、
毎日のご近所での出来事も、
生きていくことの意味につながるヒントを
いただけるような気がするのである。






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★“新聞”のコラムから ~親を選ぶ赤ちゃんの話~

2005年10月13日 | スピリチュアル セッション
              【木漏れ日に輝くデイゴの葉】

先週日曜日の新聞を読んでいたら
こんなコラムが掲載されていた。

そう、私の愛読しているY新聞。

あるエッセイストの「よむサラダ」という
家庭欄の比較的大きなスペースである。

タイトルはでかでかと「前世の縁 現世にも」となっている。

ピン!ときてさっそく読んでみると、
その彼女はまもなく3才になる娘さんが
おなかの中にいる時、サイキックの人に
前世との関係を見てもらった、というのである。
そして、なんでこの私をお母さんとして選んだのか
娘さんから話してもらえる日を心待ちにしている。
という内容であった。

イギリス人のあるカリスマ占星術師の
WEBサイトに寄せられた体験談をもとに出版された
「お母さんを選ぶ赤ちゃん」という本のことが
コラムの冒頭に書かれている。

「子どもは親を選んで生まれてくる」という説は
最近の日本でもかなり広がってきているが、
それを裏付けるかのように、しゃべり始めたばかりの
幼児になんでその人を選んできたのか、
聞くと語る、という興味深い話だ。

最初は我が子の作り話だと思っていたお母さんたちも
似たような話がたくさん寄せられているのを知り、
次々に同じような体験が集まったのだという。

「好きでこんな親に生まれてきたんじゃないわ!」という
昔からのお決まり文句、子どもならではの
“とっておきの切り札”が最近使えなくなってきた。
隣の家庭と比べて不平不満を言おうものなら、
「あら?あなたがわざわざ選んできたんじゃないの!」と
“自主的に選んだ説”を採用している親を持つ家庭では
あっけなく切り返される。

どうやら私たちは、この人たちの子どもになると
自分の目的に一番近いようだ。とか
学びたいと思っていることが、確実に経験できるだろうと
思うと、そこを目がけていくらしい。
そして子宮に入った瞬間、すべての記憶を忘れる。
・・・そんな説が今、じわりじわりと浸透してきている。

それを裏付けるかのような、今回の記事。

***********************


そうか、日本3大紙といわれる新聞にまで
前世と現世の関わりが“普通”にでちゃうような
世の中になっているんだ。
(10月14日付の朝刊によると、新聞に関する
アンケート結果で「新聞は信頼できる…86%」で
TVの信頼度をはるかに上回っていた。
信用性に基づいた影響力が立証されている格好だ。)



もうそれを、そんなことはありえないだとか、
目に見えることしか信じないと思う人こそ
柔軟性がなくて時代についていけずに
苦しくなってくるのではないかと思うほど
これから、色々なコトが加速し始めるのかもしれない。
そんな予感がするようなコラムであった。


そして、最後にこう締めくくってあった。

『子育てで悩むお母さんたちも、
母子関係で悩むお嬢さんたちも、
このシンプルな事実を忘れないでほしい。
子どもは親を選んでやってきた
――だから、魂に刻まれた
「大好き」な気持ちを思い出せば、
きっとうまく行くはずなのだ。』



・・・そうそう。根底に「大好き」という愛がなければ
何千年も何百年にも渡って、そして
わざわざ今回もまた家族になったりしない。

「目的あって、私はあなたたちの子どもになりました。」
という気持ちで両親に思いを馳せる。
「なにかの訳あって私を選んでくれた息子なのね。」と
今一度、親子となった意味を考えてみる。

私もまた「魂」に聞いてみたい。
きっと今はただ単に忘れているだけの、
深くて暖かい思いを。

***********************

そして子どもがいなくて辛い思いをしている方々は、
「選ばれなかったのね」とがっかりする必要はない。
現世は、子どもを持たずに学んでいくことが
たくさんある、ということなのだろう。
深い悲しみを乗り越えて、真の強さとやさしさを
装備したとき、来世に持ち越して、次回は必ず
子育てのチャンスを得られるに違いない、
と私は信じている。









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