私たちの大切なマリアが、
先週突然天国へと旅立ちました。
前日、築地に行く前にビデオコールで
いつもと変わりなく元気に
おしゃべりしたのが最後となりました。
朝にメールがあり、35年前にLeoが日本で
買ってきてくれたお気に入りの浴衣、
息子ジョニーの出産の時にも着ていったという
思い出の浴衣がボロボロでついに
着られなくなったので新しいものを
買ってきてほしい、というので
それなら来週浅草に買いに行くからね、
好きなの選んでね、と伝えて
私は来月またニューヨークに帰るから
そしたらクリスマスは先日、ミシュランを
獲得したジョニーのお店に行こう、と
楽しみにしていたのに。
来年こそ日本に行くのを
心待ちにしていたのに。
翌日にはそのすべてが
叶わなくなってしまうなんて。
その日の最終便でLeoはニューヨークへと戻り、
私も本当はすぐにでも追いかけたかったけれど、
ハードな治療を終えたばかりで
まだ顔色が悪いから無理しない方がいい、
とにかく今は自分の健康第一で、と
周囲に止められて、引き続き日本で静養中の日々。
すぐに息子のジョニーはパスタを作り
大勢の人々とともにお食事会を開いたり
Leoも親しい人たちと日本食レストランで
ごはんを食べたり、とにかくジョニーを
1人にしないよう常に誰かがそばにいて寄り添ったり。
今夜もLeo は一緒にピザ食べて
バスケットボールを観たよ、という。
今度は山形からの龍上海のラーメンの
作り方を教えて一緒に食べるのだとか。
明日からはサンクスギビング で
ファミリーたちとNY郊外の
カントリーハウスで過ごすのだそう。
(1番上の写真は去年のサンクスギビング 。
↑今年7月、日本に戻る前日のランチ。
これが最後に撮った写真
悲しみを周りの人たちと支え合いながら、
穏やかに明るくいつも通りの通常運転。
文化の違いとはいえ、日本とは
雰囲気がまったく違うことに驚きながら。
だって私たちは強いし、お互いそれぞれを
愛し合っているからね、と
友人の1人が言う。
みんなで癒しあって乗り越えていこう、と。
ご遺体に最後のお別れとかもしないのだそうで、
お花で飾って送り出したり
遺骨を拾うこともなく
後は灰になって届くのを待つだけなのだとか。
Leoが日本に来る直前にパーティを開いた
あの楽しかった姿をとどめるだけで
いいから、亡くなった姿は見る必要がない、と
誰も立ち合わないのだそう。
本人の意向により家族だけのお葬式すらなし。
喪に服すというのは、調べてみると
仏教と神道が混ざり合った
日本の古来からの風習だそうで、
欧米の風習なのかキリスト教の慣習なのか
よくわからないけれど(マリアたちは無宗教)
喪中や忌中などの故人を供養したり
悲しみを静かに和らげるような期間もなく、
パーティやお祝い事を避けるような感覚も
まったくなくてただ“愛”と“感謝”だけで
なんだか明るい。
だから明日はきっとファミリーたちで
サンクスギビング をお祝いするのだろうと思う。
また明日もみんなが揃ったら
ビデオコールするからね、という。
私もしばらくは突然のことに
動揺していたけれど、もう大丈夫。
マリアがDon’t cry ,Kaoru! Smile!
泣かないで、笑って!と
言っているような気がして。
いつまでもメソメソ悲しむことを
彼女はきっと望んでいない。
それよりも元気になって、
またニューヨークの大切な人々と
ハグしてたくさん幸せな時間を過ごしたい。
本当に素敵な女性でした。
いつも愛にあふれていて。
慣れない異国での暮らしを
いつも支えてくれて、さまざまなことを
教わって。料理も英語もオシャレも
抜群のセンスも、考え方も生き方そのものも。
全部私にとっては刺激的だった。
私の義姉さんになってくれてありがとう。
たくさんの素敵な思い出ありがとう。
たくさん私を愛してくれてありがとう。
あなたの家族になれたこと、
とても幸せです。
大好き、マリア❤️
またね、また会おうね。