KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★さよならの時はいつも

2005年07月27日 | KAORUの好きなものギャラリー
【ルリマツリ(プルンパーゴ)】

ちょうど今ごろ、友人のモリモ一家は
オーストラリアに向かって雲の上を飛んでいる頃。

昨日の夕方、モリモからお別れのメールがきた。

「お世話になりました。
たくさんの楽しい思い出を作ることができました。
この3年間は私達にとってかけがえのないもの♪」

***********************

おととい、3家族が集まって最後のお食事を楽しんだ。
モリモは17年前、フラワーデザインを
習い始めたばかりの頃の同じ生徒仲間。
お花の仕事で体調をくずし、単身オーストラリアに渡った。
そして出会った、トムクルーズ似(?)の8歳年下の
オーストラリア人、クリスと恋に落ちた。
1度は海外生活にピリオドを打ち
日本に戻ってきたのだが、
なんとクリスが追いかけてきたのだそうだ。

そんな、日本人なら誰でもがあこがれる
シンデレラのようなラブストーリ-を持つふたりと
超カワイイ、ハーフの息子。
8年前、一家の住む西オーストラリアのパースに
同じく生徒時代の同期、マリちゃん親子と2家族で旅をしたこともある。

3年前に高校の英語教師として一家は日本にやってきた。
そして出発前夜、私達は再び隠れ家のような居酒屋に集結した。

8年前、クリスの車にちょこんと乗って
フリーマントルという港町の海岸へ
遊びに行った子ども達は今やすっかり背丈が伸び、
青年へと移行中である。
***********************


私は仕事を終えて、息子は夏期講習を終えて、
ダッシュするように駅に向かった。

けれども、電車は事故のためにストップしていた。
復旧のメドが立たず、かなりの遠回りでいつもの倍の時間を要して
ようやく待ち合わせの店にたどりついた。

そして帰りはタイミング悪く、接近する台風が
バケツをひっくり返したような雨を連れてきた。

びしょびしょになった衣服を気にしながら、
近づくバスの発車時刻に追われて
ゆっくりとお別れができなかった。

でも、バタバタとしていてよかった。
泣かずにすんだ。
ものすごい風雨とむせ返る湿気。
ずぶぬれになって駆け込む人であふれる
駅の雑踏の中で、しんみりと別れを惜しむような
雰囲気とは縁遠いものだった。

翌日届いたお礼の言葉と「See you!」のメールに
突然、実感が湧いてきて涙があふれてきてしまった。
夕食の準備をしながらぐすん、ぐすんとしばらく泣いていた。


いつの、どんな時でもさよならは悲しいものだ。
また会えるってわかっていても、やっぱり淋しい。

近所だったらすぐ会えるから、
じゃあまたね!って気軽に手を振る。
距離が離れれば離れるほど、心のどこかで
ホントにまた会えるかな?って思いつつ、
でも日本にいるからね、その気になればいつでも会えるわ、と
少し重い気分を振り切って、明るくさよならをする。
またこっちに来たら連絡してね!を合言葉に。

でも、海の向こうとなるとまた会おうね、
という言葉がズシっと重みを増す。

これがもしかしたら最後かも、との思いが
頭のどこかを否応なくチラチラっとかすめていく。


きっと遠ければ遠いほど、その距離に比例して
淋しさも深くなっていくのではないだろうか。


「別れの淋しさは距離に比例する。」

そんな公式も立てられそうな気がするが、
実際問題どうだろう。

近所なのに、ある時ばったりと
会えなくなってしまうこともある。
会おうと思えばすぐにでも話せる距離なのに、
なにかのきっかけで疎遠になってしまい、
そのままずっとチャンスを逸することだって
誰しも経験することだろう。


でもどんなに遠くても、
お互いに会いたいという気持ちがあれば
たとえ海の向こうであっても必ず再会できるもの。
わざわざ会うチャンスをお互いに作り出す。


つまり、淋しい思いは距離に関係していても
実際には、距離は関係なく必要があれば会える、
ということのようだ。


そして愛する人との永遠とも思えるお別れが来た時でさえ、
やはり現実、時空は関係なく必ず再会できるようである。
思わず距離と比例させて悲しみに暮れてしまうが、
この法則は意外と広範囲で活用されている。


何千年もの間、きっと私達はこんな風に
別れを繰り返しているのだろうと思う。


それでも、法則は理解しながらも、
やっぱりいつでも涙あふれて、旅の別れを惜しむ。
でもその行為こそが人間の心に宿る根っこの部分なのだ。
そしてそれは、きっと未来にも変わることがないだろう。










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★ 誰かの幸せを祈る気持ち

2005年07月24日 | スピリチュアル セッション
 【フランス製のボトル】


私がかれこれ15年ほど席を置く、
マミフラワーデザインスクールの研修会に参加した時の出来事。

会の最後、花束贈呈があった。
ご自分の経営する国内のお教室を海外へと移転することに
なった方への激励のお花だった。
私達出席者はもちろん応援の拍手を送っていたのだが、
受け取った方が号泣しはじめた。

移転の決意を報告した時、総長のマミ川崎先生からの第一声、
「あなたが幸せだったらいいのよ!」
と言ってくださったのだと感激されていた。
マミ先生の暖かい言葉と、それを感謝の気持ちで受け取った心に
思わずみんながもらい泣きをしたり目頭を熱くしていた。

***********************

私も、同じような言葉をいただいたことがある。

それは、去年突然いろいろなことが
わかってしまうようになったことを機会があるたびに
親しい友人たちに報告をしていた。


(というか、今日現在、昨日も何人かにしたばかりだ。
まだまだ報告しなくてはいけない人がいるのだが、
なにしろわざわざ電話するのもなんだし。
またチャンスがあった時でいっか!と気長に構えている。)


そして、十数年来のお付き合いの夫婦にメールで報告をした時のこと。
ほどなくして、ご主人のほうから返事が戻ってきた。


「かおるちゃんがいつの日も幸せであるように願うよ。」


…なんて暖かい響きなんだろう。

突然の出来事で半ばパニックを起こして不安になっていた
私の気持ちをすっぽりと包んでくれた。


新しい局面に、図らずも立たされた時、
あるいはこうしよう、と自ら新たな道を選んだ時、
周囲の反応は実にさまざまだ。

「失敗したらどうするの?」
「本当に大丈夫なの?」
「あなたのことが心配よ。やめておいたら?」
「私はそんな風に思っていないけど、
まわりはこんな風に思っているみたいよ。」

大切に思っているからこその忠告や
実は半分、ジェラシー混じりのアドバイスなど推し量るのには
思考能力がパンクしそうなほど複雑なコメントの数々。

でも、私たちは経験をするために生まれてきた、
感動するために生まれてきたのだ、という視点から見てみると
失敗をすることで得られる経験もまたかけがえのないものなのだ。

失敗を恐れるあまり臆病な気持ちとなり、新たな1歩に躊躇しているのなら
それは幸運なビッグチャンスをも見逃してしまうだろう。

不安心に火がつくような他からの忠告も、
時に天からのメッセージとして受け取ることも必要だが、
まずは私がどうしたいのか、という自分の心を最優先させたい。
そうすれば、なにが起こっても“自分自身発”
なのだから誰かのせいすることもない。

そして、もし誰かの新しい局面に遭遇したり、
決意の旨を聞くような場面に遭遇したら、
私も先述のお二人のように幸せを心から願いたい。

不思議なことにそんな風に言われたら心の底から勇気が湧いてくる。
もしも逆境に立ち、
「やっぱり私にはムリだったのかも…引き返そうかな」
と気弱になった時その一言が、思いが背中をそっと、
でもしっかり力を込めて押してくれる。

次回そんな場面に遭遇したら
そんな素敵なセリフをきちんと伝えていける私でいよう。




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★イベント参加のお知らせ!

2005年07月21日 | KAORU♪ in Japan
                【イタリアの教会のステキな窓】

今月末の2日間(30【土】・31日【日】)は
「東京すぴこん」 スピリチュアル・コンベンションに出展します!
  http://spicon.org/list.htm

場所:東京都立産業貿易センター 浜松町館3階

時間など詳細は、HPで確認して下さいね!

本当にいろいろなジャンルが出展しますので、
チョコっとお試しでチャレンジして
自分に合う人や方法を見つけてみて。
興味はあるけど、どこに行っていいのかわからないし、
結局、口コミが一番確実だけれど、
実際どんな人なんだろう、とかあれこれ考えてしまう
方には絶好のチャンスかも!


占いや、チャネリング、サイキックリーディング、オーラソーマで
自分のありのままの姿を知って未来へつなげるもよし。

アロマセラピー、ヒーリング、リフレクソロジ-などで
いつもがんばっている自分を癒しにくるのもよし。

自分をサポートしてくれるヒーリンググッズを見つけるのもよし。

本当にさまざまなジャンルの方が出展されているので、
どれを受けようか、かなり迷いますが、きっと楽しめると思います。


そしてお時間あったらぜひ私のブースにも遊びに来てくださいね!
いつものごとく、世界地図を使った「過去世リーディング」
をしています。地図に○印をつけて最後にお渡しします。
いつの日か旅行してもいいし、テレビや雑誌で目にした時に
じーっと眺めて見て下さい。
もしかしたら、何かを思い出したりするかも

そう思うと結構ロマンチックです。
(…でも、実際に思い出す人もいます。)

私の友人たちは、もうすでに今からワクワクしているようです。




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★ ベッドの方向

2005年07月19日 | KAORUの好きなものギャラリー
【アガパンサス】

この2連休は自分のベッドの向きを変えて、
ついでに部屋も大掃除。
ゆうべはプール目当ての息子とその友人達に誘われて、
けっこう渋々、近所のクアハウスに出かけたのだが、
思いもかけず温泉と露天風呂でゆったり気分。
掃除の疲れをさっぱり疲れを洗い流すことができた。


ベッドの向きを変えたのは、こんな理由からだ。

数ヵ月前、何人かとの会話の中で、
窓に頭を向けて寝ると、
夜中に魂が遊びにいっちゃうらしいよ。
そうすると起きてから疲れたり、
昼間気持ちが集中しなかったりするんだって!
と言う話を聞いた。

あっ!私、思いっきり窓に頭向けちゃってるわ。
ん~、でも別に元気だしな。
長細い部屋のベッドの方向を変えるのも大変だし。
気にしない、気にしない!
と実はちょっぴり気になりつつも、いつしか忘れていた。

だがしかし、ダメ押しする出来事が起きてしまった。

先月のハワイでのイベントで、参加者サイドと思われる
白人の中年男性に突然、指摘されたのだ。
(でも普通の一般の参加ではなく
何かしらの力を持っていたようだ。
私の周りにもなにやらメッセージを伝えていた。)

もちろん、彼は数ヵ月前の会話や私の思いを知る由もない。

「魂が夜遊びに行ってるよ。
だから心が地に足ついてないんだ」

何の脈絡もなくそんなメッセージを残していった。
私はとっさに頭上にある「窓」を思い浮かべた。
やっぱりすぐ変えよう。

この期に及んでそんなことあるはずないわ!
とさらに跳ね返せるほど
屈強な精神力は持ち合わせていない。

帰国後すぐに枕の位置だけを変えた。

1か月以上が過ぎ、ようやくこの休みで
ベッドごと方向を変える時間が持てた。
梅雨明けの昨日、汗だくになりながら。

*********************

小さい体でベッドなどという重くて
大きなモノをよくぞひとりで動かせるものだ。
3姉妹で女子校育ち。花も女の世界で、
あまり周りに男性がいた記憶がない。
女の世界に身を置くということは、
女性らしさが身につくというより、
たくましくなる、ということである。

力仕事も含めていかに自分でできるか、
ということが思考回路の中心なので、
いい具合に知恵が働く。
もちろん、力も必要である。

重くてカサのはる花素材も
いつも気力と体力でなんとかなっている。

人間、なまじ頼れそうな相手がいると、
力になってくれない時にかえってストレスの原因と化す。
そんな頼り甲斐のあるツレや身内がいないと、
ひたすら自分の持てる120%の力を出し切るしかないのだ。

たまに気が向いた息子が手伝ってくれようものなら、
感謝感激だったりする。
人間は気持ちのありようで愛へと変わるか、憎しみへと導かれるか、
微妙でいて、実は単純な生きもののようだ。

できれば私は、憎しみや恐れや不安、
優越感も劣等感も脱ぎ捨ててシンプルに生きる
ライフスタイルを大切にしたいと思う。

*********************

…で、ベッドの方向を変えた結果。

心が本当にすっきりとした。
まずは、それが第一番目。

そういえば今日、韓国人の生徒さんが言っていた。
漢方薬は効果が出るのに3か月はかかります。
西洋医学の薬みたいにすぐ効くことはありません。
だって、運動だって今日動いても
今すぐ健康にはならないでしょ!って。

なるほど私たちは、とかくすぐ目に見える
効果しか信じなくなってきているようだ。

向きを変えただけで、地に足がついたかどうかはわからない。
それでどこがどう変化していくのかまだ不明。

でも昨日、眠りにつく前、すごく嬉しかった。
今朝、目覚めた時、いつもより部屋が広々と感じた。
今日、ベッドカバーや枕カバーなど一式を
真新しいフローラルカラーで買い揃えた。

あ~、なんだかウキウキと気持ちいい!

速効性は期待せず、
まずはリフレッシュできたことに感謝をしたい。

まず、「いい」と言われることや、
チャレンジしたいなと感じたら、すぐに試してみる。
違ったな、と思えばすぐにまた方向転換。

そんな行動力も必要なようである。

そして思わぬ収穫にも出会うことができたら
それがなによりのギフトなのかもしれない。

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★幸運を引き寄せるために

2005年07月16日 | KAORUの好きなものギャラリー
           【ゼラニウムの香り,手作り「美人ジェル」】

昨日は原宿にショップがある「生活の木」の
「生活の木 薬香草園」リニューアルオープニングパーティに
埼玉・飯能まで行ってきた。
アロマセラピーやハーブを中心に全国展開されているが、
今後メディカルハーブにも力を注がれるそうである。
原宿のお店は私が中学校の時から通っていた
馴染みの深い思い出のお店。
入ったとたん、ハーブの香りで癒される。

スリランカにも「アーユルヴェーダ」のホテル
「Tree of Life」を経営していて、
1度はゼッタイ訪れたい夢のホテル。
「アーユルヴェーダ」三昧でうっとり気分に浸りたい!!!
「とにかく、すっごくいいよ~!」と訪れた人は大絶賛
なので、私の楽しみな目標のひとつ。

インドやスリランカに伝わるこの「アーユルヴェーダ」は
毒出しをしながら体質改善をし、マッサージ、ヨガや瞑想、
食事療法で心身ともにキレイにする療法のひとつなのだそうだ。

今や、アロマセラピーと並んで女性たちが1度は受けてみたい
あこがれのリラクゼーションである。

昨日は、なんとスリランカ人による
スカルプケア15分コースを体験してきた。
地肌をゆっくりとマッサージしたあと、
ミントのような香りのオイルで肩と背中もマッサージ。
とろ~っと夢見心地で、スリランカにいるような
気分をイメージしてみた。

それから、手作り化粧品、講習会を体験。
●「美人ジェル ゼラニウムの香り」
【ローズウォーター、ゴールドとシルバーの粉末入)】と
●「アロマオイル石鹸」
【色粉はラピスラズリ(鉱石)のブルー・
ラベンダーオイル配合,ゴールドの粉末入】

保存料が入っていない安心素材が嬉しい。
早く試したい!とワクワクしている。

どれも、材料の重さを計量し、ビーカーに混ぜ合わせ
てガラス棒で攪拌したり、
ホイップ状に泡立てたり、と理科の実験のようである。

パーティではスリランカ料理をめいっぱい食べた。
体型に似合わず大食いの私は、
初めてお会いした方に
「うわっ!よく食べますね…」と驚かれてしまった。
そう、それはよく言われるのでもう慣れっこ。
スパイシーでヘルシ-な料理に心から大満足!

そのあとはハーブガーデンを散策。
ヒーリングガーデン、風の庭、薬香ガーデンと
ネーミングもステキで梅雨の晴れ間、
気持ちいい風とともに花の写真を撮りながら
ゆったりと香りを楽しみながら歩いた。

ここ最近、ず~っと忙しかったけど
ホントに心身リラックス。

マッサージ、何かを作ること、おいしいものを食べること、
そしてお花があれば、極上の気分である。

充実した1日に感謝!

いつも、イベントの時にお声をかけてくださる
「生活の木」の重永社長にも大感謝 

重永社長率いる「LTサロン会」はひょんなことから
いつの間にか出席するようになって、かれこれ一年半。
第一線でバリバリ活躍している会社経営者、
デザイナー、アナウンサー、歌手、芸人
の方々も集まって異業種交流会のような雰囲気である。
ここに参加すると、なんて場違いなところに
来てしまったのだろう、と毎回ちょっぴり後悔する。
まだまだ未熟な自分を痛感するのだが、
みなさん、前向きで本当に刺激的。
第一線で超多忙なのに、
さらにボランティアで活動しているのだ。
街の掃除だったり、子どもたちの活動だったり、
海外支援のNPO参加だったり、
それぞれが社会貢献の場を持っていて
その話題になると、生き生きとして会話が弾んでいる。
どこにそんな時間があるのだろか、驚くばかりである。
超一流は時間の作り方も一流なのだ。

運のいい人に限って、また運のいい話が
舞い込んだりするのよね、
ツイてない人には、さらなる不幸が
襲うものなのよね、と
休日はダラダラとしている人に限って、
ひがんだセリフを口にしたりする。

そうじゃない。本当に運のいい人は、
自分で引き寄せる力を持っている。
駆け引きや計算なしのプラスαで動く行動が
さらなる幸運を呼ぶのだ。自分の力で。
幸せは舞い込むものではなく、
心と行動で作り出すものなのだと
いうことをつくづく感じる。

「朱に交われば赤くなる」

意識レベルの高い、心持ちのいい人たちと
付き合うことで自分も同じカラーになってくるに違いない。
いつか私も堂々と胸を張って参加できることを夢見ている。

そして、忙しいと思いこんでいる私も、
もしかしたらまだまだ社会貢献のできる
余力があるのではないかと思っている。
いずれ一段落したら、チャレンジしてみよう。


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★魅惑のThai Food!

2005年07月15日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【タニ・キッチンのバジル炒め】

タイ語で「タニ」は「村・街」という意味の
「Thani Kitchen (タニ・キッチン)」は
去年オープンしたとは思えないほど、その名の通り
すっかり街に馴染んでいるタイ料理やさん。
http://www.thanikitchen.com/

イタリアン料理やフランス料理はたまに無性に
食べたくなることがあっても切羽詰ることはない。
でもタイ料理はその辛さがやみつきとなり、禁断症状に襲われる。

あ~、もう明日こそ行かないと!と
一種の脅迫観念にとらわれてしまうほど、おいしい。
最後に行ったのはいつだったかしら?
あれ?2日前だっけ?と時間の感覚がときどき狂う。
すみません、今日も来ちゃいました。そう、3日連続です。
なんて時もある。

以前からタイカレーが好きだったので、
出先でもひとりでふらっとタイ料理店に入ることが多かった。
でも、原宿や自由ヶ丘などよりもどこよりも
「タニ・キッチン」はずっとおいしい。

タイ東部出身だというコックさん夫妻は、本当に腕がいい。

オーナーの話によると、
タイの北部は肥沃な土地と温暖な気候で豊かな暮らしぶりなのだそうだ。
あくせく働かなくても、木にはたわわに実が実る。
人々ものんびりとして優しい人柄なのだそう。

そしてタイ南部はシンガポールやさまざまな国が隣接しており、
いつ侵略されるか、という危険が背中合わせの土地柄。
人々もピリピリとした雰囲気があるという。

そしてバンコクは、色々な場所から集まり
人柄の特徴は特にない、と言っていた。

************************

東京も共通しているところがあるような気がする。
東京育ちの私は、東京人こそ肩の力が抜けていると思っている。
子どもの頃からここに暮らす人々は、いつも日本の中心に
いるのが当たり前なせいか、なんとも思っていない人が多い。
私の周りは結構ジミで、いたってフツーだ。
負けちゃいけない!という気負いがないので、
勝つ気もなかったりする。
もちろん、場所や職業などにも左右されるので
ひと括りにはできないが、超気合いが入っていない、
のんびりタイプが意外に多い。
ルーツをだどれば、どこかからのよそ者だったりするので、
他者を受け入れる土壌はどこよりも柔軟だと思う。
閉鎖的だったり、伝統にこだわっていては
生き抜いていけないのかもしれない。

************************

そしてタイ東部は海もなく、痩せた大地のため
質素でつつましい暮らしぶりなんだとか。
ものを大切に大切に扱い、
食べ物も最後まで無駄なく丁寧にいただくそうだ。

タイ東部出身のお二人は本当に素材を上手に料理し、
余すことなく使いきるから、驚くほどゴミの量が
少ないのだと聞いている。

そして、そのすべてが手作り。

ソーセージもひき肉から詰めて干してある。
タイのさつま揚げももちろん、魚のすり身をその場で揚げてくれる。
サラダのドレッシングも卵から作ってしまう本格派。
ランチといっても決して手は抜かず、
鶏がらからダシをとったスープには、
昨日は鳥の形の大根が入っていた。
デザートはタピオカのココナツのおしるこだったり、
サツマイモの白玉入りココナツのおしるこだったり、
何層にもなった寒天だったりと、タイランドスィーツを堪能できる。

750円でスープ・サラダ・デザートつきだと聞けば、
女性の誰もがうらやましく思うだろう。
でも男性同士も多いし、なんと言ってもタイ人のお客さんが多いのが
確かな味を無言のうちに証明している。
友人を連れていくとたちまち虜となり、
近くに引っ越したいわ、という人も現れるほどだ。

タイのお母さんは食事を作らない、という。
3食とも外食、または屋台で買ってビニール袋に詰めてもらい
家でお皿にあけて食べるらしい。
毎日の献立を考え、食事の支度に追われる
母達にとっては夢のような暮らしだ。

だって、外で買ったほうが安くておいしくて
バランスいいから!と胸を張る。
日本で過ごすタイの女性は、こちらに来てから
初めて料理をする人も多いのだとか。

日本では外食続きだと、栄養のバランス・家計・
おいしさを考えるとマイナスイメージだが、
そっちのほうがすべてにおいてプラスなら
迷うことなくだんぜん3食外食がいいに決まっている。

ところ変われば、人柄も料理もさまざまだが、
そこがまたなんとも楽しい。いろいろあるからたくさん楽しい。
そしてふとした瞬間に、いまココ ~日本・東京~ 
にいることを確認したりしている。

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★Thailand(タイ)の微笑み

2005年07月14日 | KAORUの好きなものギャラリー
【スープに入っていた大根のカービング】


去年の秋から、週に2~3回はタイ料理。
よくまあ飽きないね、とお店のオーナーに驚かれるほどだ。

しかも、うちの家族が入れ替わり通い詰めている。
昨日、お母さん来たわよ。妹さんは夜来たよ…と報告を受ける。
あら、あの二人さっき話した時には何にも言ってなかったわね、と思いつつ、
確認もせずに翌日のランチに一緒に出かけたりするのが常となり
今やすっかり清水家の台所となっている。

タイには2度訪れたことがある。
どの国が一番好き?と聞かれると、
ためらうことなく「タイ!」と答えている。

何があんなに心を弾ませるのだろう。
学生の頃、バイト代をせっせと貯めて、初めて海外旅行で訪れた思い出の国。

あのむぅっとした蒸し暑さと、屋台の活気。
独特の匂い。キュートな雑貨。そして辛くておいしいタイフード。
朝・昼・晩がタイ料理でもぜんぜん平気!というぐらいすっかりハマった。
タイはオモチャ箱をひっくりかえしたような喧騒が
たまらなく刺激的なのだ。

もうひとつの魅力はタイの人々。
敬虔な仏教徒の国らしくいたるところに寺院があり、
黄色い衣装をまとった僧侶と出会う。
自分の心を支えてくれているお坊さんの写真を
何度となくさまざまな人から見せてもらったことがある。

そしてピンとそりかえった手を、鼻の位置で合わせる女性の姿が美しい。
「微笑みの国」と称されるように、にっこりと笑う表情もステキだが
女性たちの屈託のない大笑いが大好きである。
コロコロと本当によく笑う。何がそんなに楽しいのかと思うぐらい。

5年前のタイ旅行の時、アユタヤにほど近いピサヌルークというところに
足を運んだことがある。
独立したばかりのお坊さんが貧しい村にお寺を作ることを決め、
根をおろして村人とともに寺院作りに取り組んでいた。
タイではまず、1人のお坊さんが貧しい地域に
お寺を建設することから始めるそうだ。
自給自足でその日暮しをしているの人々と力を合わせ、
木材を買い、セメントを塗り屋根瓦を乗せていく。

数人に手を引かれて荒れた大地を歩くと、
突然真っ白い大きな仏像が堂々と座っていた。
みんなで作っている最中なのだという。
仏像ももちろん村人との共同作業だ。

誇らしげに胸を張っている。

材料費はお坊さんが集めた寄付が主な資金だそうで、
熱心な信者が増えるたびに建物の土台や装飾ができあがっていく。
大勢の人たちがそのお坊さんを慕ってお寺の近くに居を移す。
そんな風にして村から町へと広がっていくのだそうだ。
タイでは、まず1人のお坊さんが種となり、大地を耕し、
文化を作り上げていくようである。

いつの日か、またあのお寺を訪れたら、
きっと金色に輝く寺院となっているにちがいない。

------------昼下がりには、村人たちが
東屋(あずまや)のような屋根の下に身を寄せて昼寝をしたり、
おしゃべりに花を咲かせていた。

大きな笑い声があちこちで響き渡る。
何がそんなに愉快なのだろう。あたりを見渡しても何もない。

心の底からの笑顔と笑い声に思わず、もらい笑い。
日本人がすっかり忘れ去っている、大切なものを思い出さずにいられない。
自虐的なお笑いや、誰かを落としてとるウケ狙いなど
悲哀を含んだ日本の笑いとは根っこの部分から異なっている。

「笑う角には福来たる」

タイの人々はたとえ物質的な豊かさはなくても
「福」の寄せ付け方を知っている。
物質的に豊かであるほどそれに捕われ、
心からの微笑みを置き去りにしてしまう。
今度は失うことが恐くなってくるのではないだろうか。

笑い声には「邪」も吹き飛ばすぐらいのパワーがあると聞く。

霊感の強い友人が、夜中に物音がして恐いんですけど、
どうしたらいいでしょうか?という質問に
私の先輩たちは「あはは!って笑って!」とよく答えている。
え?笑うだけで効果あるの?とつい思うが
侮るなかれ、ホントらしい。
塩も魔よけもお札もいいが、笑うことも効果抜群なのだそうだ。
どうやって笑ってよいのかわからなくなってしまっている
日本人のみなさまは、ぜひタイ人の笑いのスポットを学んでほしい。

ここ、そんなに大笑いしちゃうとこ?って思うようなことで
コロコロ、ケラケラっと楽しく笑う。
こんなことで笑っていいんだ、と日常の「笑いツボ」を押さえれば、
きっと笑顔があふれだして、「邪」も知らない間に逃げてくれるだろう。

タイのことは書き出したらキリがない。
また追々、気が向くままに紹介したいと思っている。

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★トイレットペーパーはシングル?ダブル?

2005年07月13日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【紫陽花】

この前買ったトイレットペーパーより今回の方が柔らかくない?
今度買う時も柔らかいのにしてちょうだいね、と母が言う。

私はすかさず、気がついた?とちょっぴり得意気に返事をした。

いくら今流行りの、エコを十分に取り入れながらも、
リーズナブルが売りのネットショップオリジナル
トイレットペーパーとはいえ、ちょっとゴワつきが気になった。
だからこっそり別メーカーにして100円だけランクアップしたのだ。

地球環境のための“エコ100%”を取るか、
ソフトな風合いを自分のために満喫するか、究極の選択を迫られる。
もちろん、エコ70%で適度にソフトならまるっきり問題ない。

たまたまそのネットショップにはどちらかしかなかったのだ。
かといって、わざわざ買いに行くほどでもなく、送料無料でその日のうちに
届けてくれるそのシステムをどっぷり活用している。

末の妹は、そういえばシングルを目の敵のように嫌っていた。
ついうっかり間違って買おうものなら、急に不機嫌になる。
やっぱりダブルしかないでしょ!そう断言する彼女が、
今回のソフトか否か、の件ではちっとも話に加わろうとしない。
不機嫌になる前に聞いておこうと、確認してみると
「へ?ゴワゴワ?ソフト?…前となんか違ってた?
その柔らかいとか硬いとか、そんな事を1度も気にしたことがなかったわ」という。

…じゃあなんでシングルかダブルに
あんなにこだわっているのだろうか???
柔らかさじゃないとするなら厚み?
シングルもたくさん重ねれば、ダブル並みに厚みがでるのに。

会社の女性は絶対シングル派!だという。
なぜなら家族が湯水のごとく使うので、巻きの長さからいくと
倍は違うシングルしか考えたことがないらしい。

そしてすぐ下の妹(清水3姉妹のまんなか)は
花柄つきのフワフワタイプにこだわっている。
20年近く前、結婚したての彼女は家計が苦しくて、
生活に余裕ができたら、花柄を使うことを心に誓っていたようである。
ただのシンプルなタイプはミジメなあの頃を思い出して
しまうから使いたくないわ、といまだに
彼女はピンクやブルーのお花を欠かすことなく使いつづけている。

同様の話をまったく別の知人から聞いたことがある。
花柄はデザインのかわいらしさ、よりも豊かさの象徴、という意味が強いのだろうか。


なにげなく、いつものようにためらいもなく購入しているようでいて、
みんなそれぞれのささやかなこだわりやポリシーを持っているトイレットペーパー。

フタを開けて聞いてみると、
機能性だけでなく、人生のドラマや家族構成や台所事情など
さまざまな思いが交錯する。

******************************

私は、先にも述べたように、エコ70%でそこそこリーズナブル派で
とくにこだわりはない。
でも、やっぱりとびきりでなくても、そこそこソフトな風合いがうれしい。

まさに私の生き方そのものを反映しているような気がする。

「たかが」だけど、「されど」。
意外な角度から人間模様や価値観などを垣間見ることが、
またきっと私自身のしなやかさにつながっていくことだろう。
コメント (2)
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★私がワタシを信じる時

2005年07月12日 | スピリチュアル セッション
               【Mt.シャスタの信号ボタン】

「あなたはあなたを信じてください。
あなたはあなたを誉めてください。
そうすれば、まわりもすーっとよくなるんだ!
あなたが自分を信頼することから始めること。
98年間生きてきた私がいうんだ。間違いないよ!」

-********************
地の底から湧きあがる、張りのある声で
叫ぶようにして熱く語っていらしたのは、
御歳98才。発明学会の会長さんである。

矍鑠(かくしゃく)として、凛としたお姿。
金色に広がるオーラがでていた。

-------最近、とても気になる言葉。

「自分を信頼すること」

あ、ここでもまた言っている。
あれ?こんなところでも、そのセリフ?
…ということは、今私が必要としている事柄なのだろう。

妊婦の時には、世の中にこんなに妊婦がいたんだ!と驚いたし、
駅の階段から落ちて靭帯を切り松葉杖をついていた時には、
ケガをした人ばかりに目がいっていた。
少しニュアンスが違うが、今置かれている状況や
必要としている情報はよく見えたり、
耳にしたりするするものだ。

自分を信じることが、すなわち「自信」なのだと思う。
でも自分を信頼できない人がなんと多いことか。

日本人は謙遜することが美徳とされてきた。
「一歩さがって師の影を踏まず。」
そして女性は親に従い、旦那に尽くし、老いては子に従うという
レールがひかれていた。

そこには、生きていくための術というだけでなく
「おかげさまで」という心も併せ持ち、凛とした強さを秘めていた。
耐える力を持っていたからこそ、謙遜が美しいものとされた。

しかし、現代はどうだろう。
平和な世の中で、耐える力は退化し始めているのに、
妙な形で謙遜だけが残っているのではないだろうか。
まるで、地球温暖化で熱くてゆがんだ「謙遜の心」。

それは以前と似て非なる“芯のない自信のなさ”
に形を変えているような気がする。
「いえいえ、私なんかどうせ…」という自分攻撃型・卑下するような気持ち。

でも、私は最近思っている。
自分を信じていない人が、人のことを心から信用できるのだろうか?
まずは自分の中の自分を励まし、応援し、一歩でも前進できたことを認めること。
それが自分自身を信頼するということ。

私自身から始めることがレッスンなのだ。

まわりの人をあれこれと思い煩い、辛い思いをする前に
もう1度確認してほしい。

あなたはあなたが好きだろうか?
あなたはあなたを信用しているのだろうか?

それは自信過剰や自己陶酔型の愛とは違う。

純粋に、私がワタシのサポーターであるかどうか。
つまづいた時にしっかり起こしてあげられるだろうか?
起き上がった自分を励まし、また次の力が湧いてくるような言葉を
ワタシにかけてあげられるのだろうか?

人に言ってもらうのを待ったり、要求するのではなく
私がワタシに言ってあげるのだ。

みんな、家族や友人が落ちこんでいると暖かく応援するのに、
自分が落ちこんでいると励ますことを忘れてしまう。
励ますどころか責めまくる。これでもか、っていうぐらいに。

もし、私がワタシの存在に気づいてあげられたら、
その時こそ、新たなスタート地点。

一人前のワタシになるまで、暖かく見守りながら育ててみよう。
それがきっと「自分を信じる」コト、つまり「自信」に通じていく。

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★梅雨空の甘い香り

2005年07月07日 | KAORUの好きなものギャラリー
             【アンティーク茶碗に注がれた熱いコーヒー】

今、東京の公園や町中に甘い香りがあふれている。

6月の終わりから7月中旬になると
この香りが漂うことに気づいてから
かれこれ20年くらいになるだろうか。

***春先の沈丁花(ジンチョウゲ)
***初夏の梔子(クチナシ)
***秋の金木犀(キンモクセイ)

花に特別な知識がない人とでも、
思わずその芳しい香りに、季節のあいさつをかわしてしまう。
たとえば晴れた日、心地のよい風とともに
「こんにちは!いい香りですね!もう秋ですね。」
などと、ステキな気分を誰かと共有したくなるものだ。

でも今まさに咲き誇り、やわらかくて甘い香りを放つ
「ネズミモチ」は誰ともその幸せ気分を分かち合ったことがない。

私の20年来のプロフェッショナルな花仲間とでさえ、
そんな会話を交わしたことがないのだ。

「甘い」と言いきるには微妙なのかな。
しかも、花は桜と違って超ジミなのだ。
細かすぎて、花びらの存在も確認できない。
高い木の上に房のように咲くため目線まで届かず、
クリーム色の花弁もグリーンと同化している。

20代のある日、その甘い香りに気づき
梅雨どきの湿気の多いどんよりとした空を見上げた。
これは何?もしかして花?と意識しはじめてから
毎年のように、梅雨空を見上げるのが習慣となった。

この花が終わる頃、むせ返るような夏空が待っている。

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季節の香りを楽しむ暮らしとともに、
毎日、さまざまな香りを満喫している。

もっか毎朝の幸せはイタリアで見つけたコーヒー、
LAVAZZA(ラバッツァ)の「CREMA E GUSTO」

“GUSTO DOLCE  (ガスト ドルチェ)”
と表示してあるところを見るとデザートコーヒーのようだ。
LAVAZZA(ラバッツァ)は日本でも売られているが
この種類は残念ながら入ってきていない。
あまりにおいしいので、いつか手に入れなきゃ、と
パッケージを大切に取っておいた。

妹の“友人の妹さん”が新婚旅行に行く、
という情報を入手したとき、
すかさず妹がしわくちゃのパッケージを
携帯メールで写し、友人から彼女の妹さんの元へ転送してくれた。
こんな時、機敏に機転を利かせる我が妹はなんともありがたい。

何人もの手を経て、遥かな足取りをたどった
愛しの「CREMA E GUSTO」が
私の毎朝を豊かに包んでくれている。

残りは2PACKS。
まだ当分の間楽しめそうだが、なくなりかけたら
次のイタリア旅行者を見つける準備にかからなきゃ。
写真としてプリントアウトしておこう。

まずは、大好きなものは口に出して言ってみる。
そうすれば情報は集まるものだ。
そして、手にするチャンスが巡ってくることもある。

今年こそ、「ネズミモチ」の甘く不思議な香りを誰かとシェアしよう。
もしかしたら、私と同じように考えていた
どなたかと出会えるかもしれない。

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★新しい発見!未来の見つけ方。

2005年07月04日 | スピリチュアル セッション
昨日、群馬での「B-UP EXPO」に参加した時に
またまた新しいことを発見。

私のセッションブースにいらした方からの質問で
過去から未来の見つけ方を教えてくれたのだ。

質問内容はこう。

「外国で新しい展開を考えているけど、
その時に関係している過去世は?注意すべきことは?
その土地との関わりはなにかある?」とか、

「今一緒に仕事をやってる人との未来に影響する過去世は?
どんな風な関係を未来に向かって築いていったらいいの?」

などなど、そっか。そんな聞き方もあるのね。と頭で思いつつ、
ちゃんとそれなりのアドバイスが出てきた。

それから、驚いた事がひとつ。

当然、私は二人の現在の関係を知る由もないのだが
昔、お互いの間柄の中で一方がこんなこと言われてたよ、とか
こんな感情を持っていたよ、とお伝えすると
「それって今も同じこと言われてるわ…」という方が
意外と多いのだ。

…だとすると、(あくまで仮定だが)
遥か昔、時には気の遠くなるような昔から
同じような関係を続けてきてる可能性が大きいってこと?

------------もしも、仮にそうかもしれないのなら、と
数学の証明のように考えるとしたならば、
こんな風な現状の考え方もありそうだ。

たとえば、人間関係の中ですごくいい間柄を築いているなら、
もう迷うことはない。きっとずっと仲良しだったのでしょう。
あるいは、過去の自分達が大変な時期を乗り越えて
お互いが助けたり、助けられたりしながら
今という大切な時を刻んでいる証拠。

でももし、あなたのまわりのどなたかと
思うような人間関係が築けず悩んでいるとしたら…。

もし、この辛い関係が何百年からの繰り返しだとするなら
よけい辛いですね。なんだか気が遠くなりそう。

ちょっともう終わりにしませんか?

相手に変わって欲しいと思うなら、
あなたが先に変わるほうが簡単かも。

たとえば、見方を少し変えてみる。
時に鳥になった気分で自分と相手を見てみましょう。

自分を客観的に見れたり、
相手のいいところも見つけられる可能性あり。

たとえば、声のトーンをワントーンあげてみる。
もちろん音符つきのいい言霊で!
問題とはぜんぜん関係のないことでいいから
いいところを見つけて誉めましょう。

声のエネルギーが、暗~い雰囲気を
プラスに変えてくれる可能性あり。


そして、出来る限り精一杯自分なりに歩み寄ってみて
もし修復できなかったとしても大丈夫!
次の自分がきっとがんばってくれることでしょう。

だからムリしないで。
ダメな自分だと責めたりしないで。

きっときっとわずかでも前向きに前進しようとする気持ちが
あるなら、かならず次につながるから。


私達は、よく人生の中でも無意識のうちに
「生まれ変ったみたいに別人だわ…』と言うような
セリフを口にするけど、「みたい」じゃなくて、
ホントに生まれ変って別人になって
やり直すチャンスを得ているみたい。


そう、そして新しい出会いには
不思議な気持ちに遭遇することがたくさんある。

出会った瞬間から意気投合してしまう、なんてことは
日常の中に散りばめられている。
もちろん男女の出会いもしかり、友人や仕事関係もしかり。

初めて会った気がしないわ、という場合は
たいてい自分の直感を疑わずに信じたほうが正しいようである。

そこがまた人生の妙。
そんな出会いをギフトとして、感謝し楽しむことができたら
より味わい深い旅路となるのだろう。

----------------------------------------
群馬でもまた大勢の人と出会えて楽しかった!

片付けまでお手伝い下さったさおりさん、ありがとう。
わくわく新しい出会い、フリーライターの青豆さん、
再会が楽しみ!

そして、遊びに来てくれた学生時代からの友人の一美。
帰りのがけに手渡してくれた「コーヒー豆チョコ」を
新幹線の中で口にほうりこんだら、
ホロホロっと肩の力が抜けた。

思っていた以上に疲れていたようだ。
さりげない思いやりこそが、人間関係をひとつづつ積み重ねていく。

冒頭の新しい未来の見つけ方は、特別なことでなく
小さな愛ややさしい気持ちから始まっている





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★加速する時間

2005年07月01日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【十一面観音の杉本寺:鎌倉】

子どもの頃は一年がゆっくり過ぎていた。

いつの頃からか、時間の流れが速くなったと実感することで
自分が年を重ね始めたことを知る。

30代はあっという間よ、40代なんてもっと早いのよ!と
諸先輩方のご意見に、ごもっとも!とうなずきながら
徐々に加速しはじめた時間を振り返る。

今日は7月1日。

ついこの間、新春の富士山に新年のご挨拶をしたと思ったら
もう後半に突入したことを驚いているのは
たぶん私ばかりではないだろう。

これも加齢とともに感じる「体感時間」の成せる技なのか?と
思っていたら、現在中学三年の息子が去年の暮れにぼそっと
「あ~、今年も一年早かったよなぁ!」と
つぶやいていた事を思い出した。

えっ?子どもなのに何言ってるの?
中学生ぐらいの時はまだ
“のんびりタイム”の住人じゃないのかしら?
私が中高生の時は、早く3年生になりたいわ、
高校生って大人っぽいな、と憧れて
進級することを指折り数えていたが
遅々として進まないような記憶があった。

…でも、どうやら本当に時間の速度が
スピードアップしているらしい。

去年暮れの地震でも時間の何かがズレたとかなんとかって
テレビで言っていたような、いないような。


私たちが子どもの頃と時間の長さやスピードが
違うのは年齢だけのせいではないような気がする今日この頃。

うかうかしてたら時空に取り残されちゃいそう。
ボーっとしてたら中味がからっぽになっちゃいそう。

置いていかれる不安を抱く必要はないし、
時流に乗らなきゃ、とあせる必要はないけれど、
しっかり流れを読みながら私らしく後半を乗りきろう!と
気持ち新たに「よーいドン!」とスタートした気分。








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