【銀座コアの作品】
昨日は、銀座で一日を過ごした。
こんな一日もあるんだな、と思うくらいにピタピタっと
銀座界隈でスケジュールがハマッた。
***************************
銀座コアでの作品展イベント「春・ときめきの花」
BYマミフラワーデザインスクールの搬入は、朝の9時から。
通常のデパートでの生け込みは、お店が閉店後の夜が多いのだが、
ちょうどラッシュにかかるぐらいの時間帯は珍しい。
電車での移動で、器や作品が人にぶつかって壊れないように、
そして花が痛まないように、いかにコンパクトに、
そして会場で組み立てやすく、梱包するかが勝負だ。
ある程度の大きさでなければ、作品にインパクトがないため、
荷物も当然、嵩(かさ)が張る。
軽くて大きい作品を心がけているが、
なんだかんだと重くなり、翌日は腕が筋肉痛。
車での搬入もコストがかかるし、
時間が読めないから、電車で運び込む。
花の仕事は体力勝負だ。
私よりもずっと先輩の、還暦を過ぎた先生たちも
さらにもっと年齢を重ねた先生たちも
ほとんど自分の手で会場に運び込む。
とにかく、皆さん力持ちである。
***************************
今回の作品には、どんな色の花を生けようか、と
お花屋さんの前であれこれと迷う時の作業は本当に楽しい。
同じ品種でもその時々で、茎の表情や花びらの透明感が
微妙に、そして繊細に違うのだ。
“一期一会”のように、二度と同じ枝ぶりや
色合いに出会うことができない。
器を選び、デザインを決め、そして最後の直前に
花を選ぶ時間は、至高の贅沢な時間なのだと思う。
時には、思うような色が見つからなかったり、
失敗、と内心思って反省したり、
他の人の作品をみて、ステキな花の組み合わせを学んだり…。
そんなことを繰り返し続けて19年。
満足のいく作品に仕上がったときも、
穴に入りたいような作品になってしまったときも、
搬入が終わると、空を見上げてバンザイをして、
会期が終了して搬出を終えると、安堵の気持ちとともに
はればれとした気持ちが私を包む。
いつだったか、TVを見ていたら、視聴者からのハガキに
「若いうちはテストが終わった~!という開放感があったり、
学年が上がると新たな気分を味わったりと生活に
メリハリがあるのに年を取ると、だんだん区切りが少なく
なってきますね。出演者の皆さんはどうですか?」という
投稿を読み上げていたことがあったが、
大きな作品展を、少なくとも毎年1回以上経験している
私にとっては、まさに生みの苦しみと同時に充実感と開放感を
味わい続けている。
学生の頃よく見た夢は、テストを白紙で出すか、
テニスの試合で負けそうになっている場面だった。
花を始めてからは、それに取って代わる夢を見るようになった。
作品展会場で何の準備もせずに、花も持たずに自分の展示台に
呆然と立ち尽くし、「どうしよう、何も考えてこなかった!」と
あせりまくっているところで目が覚めるのだ。
「あ~、よかった。夢だった…。」と心を落ち着けようと
しながら、無意識のうちにホントにプレッシャーなんだわ、と
分析したりする。
相変わらずその夢は見るが、最近は意識的に楽しもう、と
心がけている。せっかくの究極の贅沢な時間も、
うっかりすると、ただの義務感に流されてしまうこともある。
体力がある限り、と思うといつまでできるんだろう?
でも、先輩方のバイタリティを拝見していると、
弱気なことは言っていられない。
筋肉痛だって立派な勲章なのだ、という発想に切り替えて
先を考えるのはやめにしよう。
***************************
もし、来世あるいはそのずっと先の未来、
たとえどんな国に生まれたとしても、花はあるだろう。
その時、またそっと手に取り、愛おしく、
優しい気持ちになるのだろうか?
そして何かを思い出すのだろうか?
“違う私”になっても魂の遺伝子は、
花への思いをすっかり消し去ることはできないだろう。
野に咲く花を手折って、水にさした時、
もしかしたら開放感やらプレッシャーやらが交錯した
不思議な気分になるのかもしれない。
それとも、暖かい気分だけがフツフツと沸いてくるのだろうか?
***************************
搬入を11時の開店5分前にギリギリ済ませて、
銀座コアを急いで出た。
皇居近くの東京商工会議所で行われている、
春の健康診断を受診するために。
前日は作品展の準備をしながらも、バリウムを使った胃の検査
のために夜9時から水を飲むのも禁じられていた。
腹部の超音波検査や血液検査まで、一通りのコースを終えた。
なんといっても“肉体”がちゃんと動いてくれてこその人生。
きちんとメンテナンスをするのも、ある意味、カラダに対しての
「礼節を尽くす」ようなことかもしれない。
フラフラになりながら、会場を出ると、
携帯に留守電が入っていた。
これからすぐにセッションを受けたいというメッセージである。
「ごめんなさい、実はたった今、バリウムを飲んで、
下剤をもらったばかりなので、どうなるのかちょっと不安です。
日を改めるか、少し後だったら大丈夫かも」とお伝えすると、
電話の主は「東銀座にいるのですが、そうですか・・・」と
おっしゃるので、思わず「私も銀座です!」と叫んでしまった。
ランチを終えて、春の陽気の中
お散歩がてら銀座の街を歩いていると、マミから電話が鳴った。
「KAORUさんの作品、倒れそうになってるって
銀座コアから連絡がありました!今どこですか?」と担当者はあせっている。
「今、まだ銀座!ちょうど、コア方面に歩いてるとこ!」と
伝えるとホッとして、じゃああとはよろしく!ということになった。
無事に手直しを終えて、そのまま時間通りに東銀座へ。
もしセッションの依頼がなかったら、また銀座に戻ってこなければ
ならないところだった。
偶然とはいえ思いがけず、無駄なくコトが運ぶこともあるものだ。
中味の濃い一日を無事に終えて帰宅すると、グッドタイミングで
下剤が効いてきた。不安を抱えながらドキドキだったが、
なんでも、最近は「漢方」で穏やかな効き目らしくて、助かった。
やはり、生身のカラダなのである。
「花」も「スピリチュアル」も「肉体」もすべてよし!
だった一日に大きく感謝しよう
昨日は、銀座で一日を過ごした。
こんな一日もあるんだな、と思うくらいにピタピタっと
銀座界隈でスケジュールがハマッた。
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銀座コアでの作品展イベント「春・ときめきの花」
BYマミフラワーデザインスクールの搬入は、朝の9時から。
通常のデパートでの生け込みは、お店が閉店後の夜が多いのだが、
ちょうどラッシュにかかるぐらいの時間帯は珍しい。
電車での移動で、器や作品が人にぶつかって壊れないように、
そして花が痛まないように、いかにコンパクトに、
そして会場で組み立てやすく、梱包するかが勝負だ。
ある程度の大きさでなければ、作品にインパクトがないため、
荷物も当然、嵩(かさ)が張る。
軽くて大きい作品を心がけているが、
なんだかんだと重くなり、翌日は腕が筋肉痛。
車での搬入もコストがかかるし、
時間が読めないから、電車で運び込む。
花の仕事は体力勝負だ。
私よりもずっと先輩の、還暦を過ぎた先生たちも
さらにもっと年齢を重ねた先生たちも
ほとんど自分の手で会場に運び込む。
とにかく、皆さん力持ちである。
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今回の作品には、どんな色の花を生けようか、と
お花屋さんの前であれこれと迷う時の作業は本当に楽しい。
同じ品種でもその時々で、茎の表情や花びらの透明感が
微妙に、そして繊細に違うのだ。
“一期一会”のように、二度と同じ枝ぶりや
色合いに出会うことができない。
器を選び、デザインを決め、そして最後の直前に
花を選ぶ時間は、至高の贅沢な時間なのだと思う。
時には、思うような色が見つからなかったり、
失敗、と内心思って反省したり、
他の人の作品をみて、ステキな花の組み合わせを学んだり…。
そんなことを繰り返し続けて19年。
満足のいく作品に仕上がったときも、
穴に入りたいような作品になってしまったときも、
搬入が終わると、空を見上げてバンザイをして、
会期が終了して搬出を終えると、安堵の気持ちとともに
はればれとした気持ちが私を包む。
いつだったか、TVを見ていたら、視聴者からのハガキに
「若いうちはテストが終わった~!という開放感があったり、
学年が上がると新たな気分を味わったりと生活に
メリハリがあるのに年を取ると、だんだん区切りが少なく
なってきますね。出演者の皆さんはどうですか?」という
投稿を読み上げていたことがあったが、
大きな作品展を、少なくとも毎年1回以上経験している
私にとっては、まさに生みの苦しみと同時に充実感と開放感を
味わい続けている。
学生の頃よく見た夢は、テストを白紙で出すか、
テニスの試合で負けそうになっている場面だった。
花を始めてからは、それに取って代わる夢を見るようになった。
作品展会場で何の準備もせずに、花も持たずに自分の展示台に
呆然と立ち尽くし、「どうしよう、何も考えてこなかった!」と
あせりまくっているところで目が覚めるのだ。
「あ~、よかった。夢だった…。」と心を落ち着けようと
しながら、無意識のうちにホントにプレッシャーなんだわ、と
分析したりする。
相変わらずその夢は見るが、最近は意識的に楽しもう、と
心がけている。せっかくの究極の贅沢な時間も、
うっかりすると、ただの義務感に流されてしまうこともある。
体力がある限り、と思うといつまでできるんだろう?
でも、先輩方のバイタリティを拝見していると、
弱気なことは言っていられない。
筋肉痛だって立派な勲章なのだ、という発想に切り替えて
先を考えるのはやめにしよう。
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もし、来世あるいはそのずっと先の未来、
たとえどんな国に生まれたとしても、花はあるだろう。
その時、またそっと手に取り、愛おしく、
優しい気持ちになるのだろうか?
そして何かを思い出すのだろうか?
“違う私”になっても魂の遺伝子は、
花への思いをすっかり消し去ることはできないだろう。
野に咲く花を手折って、水にさした時、
もしかしたら開放感やらプレッシャーやらが交錯した
不思議な気分になるのかもしれない。
それとも、暖かい気分だけがフツフツと沸いてくるのだろうか?
***************************
搬入を11時の開店5分前にギリギリ済ませて、
銀座コアを急いで出た。
皇居近くの東京商工会議所で行われている、
春の健康診断を受診するために。
前日は作品展の準備をしながらも、バリウムを使った胃の検査
のために夜9時から水を飲むのも禁じられていた。
腹部の超音波検査や血液検査まで、一通りのコースを終えた。
なんといっても“肉体”がちゃんと動いてくれてこその人生。
きちんとメンテナンスをするのも、ある意味、カラダに対しての
「礼節を尽くす」ようなことかもしれない。
フラフラになりながら、会場を出ると、
携帯に留守電が入っていた。
これからすぐにセッションを受けたいというメッセージである。
「ごめんなさい、実はたった今、バリウムを飲んで、
下剤をもらったばかりなので、どうなるのかちょっと不安です。
日を改めるか、少し後だったら大丈夫かも」とお伝えすると、
電話の主は「東銀座にいるのですが、そうですか・・・」と
おっしゃるので、思わず「私も銀座です!」と叫んでしまった。
ランチを終えて、春の陽気の中
お散歩がてら銀座の街を歩いていると、マミから電話が鳴った。
「KAORUさんの作品、倒れそうになってるって
銀座コアから連絡がありました!今どこですか?」と担当者はあせっている。
「今、まだ銀座!ちょうど、コア方面に歩いてるとこ!」と
伝えるとホッとして、じゃああとはよろしく!ということになった。
無事に手直しを終えて、そのまま時間通りに東銀座へ。
もしセッションの依頼がなかったら、また銀座に戻ってこなければ
ならないところだった。
偶然とはいえ思いがけず、無駄なくコトが運ぶこともあるものだ。
中味の濃い一日を無事に終えて帰宅すると、グッドタイミングで
下剤が効いてきた。不安を抱えながらドキドキだったが、
なんでも、最近は「漢方」で穏やかな効き目らしくて、助かった。
やはり、生身のカラダなのである。
「花」も「スピリチュアル」も「肉体」もすべてよし!
だった一日に大きく感謝しよう