【ふたつの窓】
時には外の時間と、内の時間があるのだと
先日、あるサイトで読んだ。
外の時間はさくさくと進んでいるのに、
内の時間が止まっていたかもしれません。
内の時間が回り始めます。
そんなような表現をしていたように思う。
その概念、というか感覚は
とてもしっくりくる。
*************************
2009年、振り返ってみると
思いもかけないことが押し寄せて
私の「外の時刻」はいやおうなく動きだした。
ところてんみたいに押し出された、という感じかもしれない。
不可抗力ではじき飛ばされたり、
反対に引き込まれたりするときって
人生の中でたびたび起こるものである。
あるいは、
もがきにもがき、
あがきにあがいて、
それでどうにかたどり着くときもあるものである。
または、
どうしても手に入れたかったものが
手元にくるとき。
どうしても手に入れたかったものを
手放さなくてはならないとき。
これらは、
自分を中心軸として、
周囲とのかかわりで動く時刻や、
自分と特定の何かとの流れと
世間の流れ、の時刻があって
それはまるで、
長い針と短い針が別々の動きをしながら、
同じ方向に回っていて、
中心はひとつにつながっているような感じなのだと思う。
*************************
人は、何かが起こって行き詰った時に
始めて今までの道のりをハタと振り返る。
そして、このままだとマズい。
私、変わらなきゃ。と思う。
だけど、この「変わる」ということって
本当に容易なことではない。
どこに問題があるのか、
何から手をつけていっていいのか、
見当がつかない場合が多いし、
自分を変えるしかない、って言われても・・・。
多くの人はそこで途方に暮れる。
*************************
実際に、
私のリーディングの中でも、
過去の時代の人間関係や状況、自分自身のセリフや思いを
物語のようにお話すると、
ほとんどの人が、
現在とほぼおんなじ状態であることに驚く。
時代背景や国、性別、あるいは上下関係が
違うぐらいで本質や本筋は変わらない。
つまり、人生のストーリーは、
思っている以上に過去のやり直しをしていて
それを本当にイヤだと思った人が
未来へと軌道修正をすることができるのだと、
私は、たくさんのリーディングを通して
実感するようになった。
だから、あの人はどうせ変わらないって
よく口にするけど
本当に変わらないと思う。
だって何百年も何千年も前から同じなんだから。
だから、人が変わることを期待するのは
基本的に違っている。
本人が変わることへの必要性を感じていなければ
そのまま過去と同じように
進んでいくだけだからだ。
それに気がついて本人が
変わりたい!変わらなきゃ!と
真剣に思ったときに、「内なる時刻」が
チクタク、とはじめる。
*************************
でも、そのどこか片隅にでも
誰かのせいにしている気持ちがあるとしたなら
本当の変革は訪れない。
真犯人は他にいる!
自分だけが悪いんじゃない。
私は精一杯やったのに!
なんて思う気持ちは、せっかく反省してみても
結局いつの日かフリだしに戻る。
誰かを責めたり、自分を正当化しすぎたり、
逆に自分を責め過ぎてみたりするのも、
結果、なにも動きださない。
ハンパな気持ちではすぐに
苦しくなって後戻りしてしまうだけだ。
それどころか、リバウンドが怖い。
もう誰も信じない。とか、
私の味方は誰もいない。とか。
自分に自信がない。とか。
そうなると、すべての時が止まる。
長い針も、短い針も止まっているのに、
秒針だけが回っているようなイメージだ。
そこから
立ち直るにもちょっと時間がかかるから、
だから、
言い訳や原因や、犯人探しをやめて
ただ現状を真っ白な気持ちで
受け入れていくしかない。
自分の非や未熟だった部分は
過不足なくまっすぐに見つめていくしかない。
「変わる」ということは
大げさに表現すると、
過去の存在や生きざまも含めて
永い永い年月もひっくるめて
変容させていく作業であり
時には叩き壊し、崩壊させ、
まっさらな更地に作り直す勇気とパワーが必要で
本当に難しい作業だけれど
それでもやっぱり、
「変わりたい!」と思う気持ちがないと
何も始まらない。
*************************
もし、今まだ自分は変革のタイミングではないけれど
周囲にその時期が訪れている人がいるとしたら、
「見守る」「待つ」ということを選んでもいいし、
「伴走」することでもいいし、
思い切って「立ち去る」という選択肢だってありだと思う。
その根底に“愛”があれば
どんな方法にも不正解はない。
外時刻と、内時刻がバランスよく
回り始めたとき、
新しい時を刻みはじめる。
未来は、そんな風にして
一刻一刻進んでいく。
*************************
今年は本当におつかれさま。
そして、たくさんの皆さま
KAORU♪のブログを読んでくれてありがとう
いっつもいっつも応援してくれてありがとう
たくさんの温かい言葉に、本当に勇気づけられています
来年も、また気ままに
自分の思いをアップしていたいと思います。
そして、2010年も北は北海道から、南は九州まで
全国の皆さまと会えたらいいな
来年もステキな1年になりますように。
よいお年をお迎えくださいね
時には外の時間と、内の時間があるのだと
先日、あるサイトで読んだ。
外の時間はさくさくと進んでいるのに、
内の時間が止まっていたかもしれません。
内の時間が回り始めます。
そんなような表現をしていたように思う。
その概念、というか感覚は
とてもしっくりくる。
*************************
2009年、振り返ってみると
思いもかけないことが押し寄せて
私の「外の時刻」はいやおうなく動きだした。
ところてんみたいに押し出された、という感じかもしれない。
不可抗力ではじき飛ばされたり、
反対に引き込まれたりするときって
人生の中でたびたび起こるものである。
あるいは、
もがきにもがき、
あがきにあがいて、
それでどうにかたどり着くときもあるものである。
または、
どうしても手に入れたかったものが
手元にくるとき。
どうしても手に入れたかったものを
手放さなくてはならないとき。
これらは、
自分を中心軸として、
周囲とのかかわりで動く時刻や、
自分と特定の何かとの流れと
世間の流れ、の時刻があって
それはまるで、
長い針と短い針が別々の動きをしながら、
同じ方向に回っていて、
中心はひとつにつながっているような感じなのだと思う。
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人は、何かが起こって行き詰った時に
始めて今までの道のりをハタと振り返る。
そして、このままだとマズい。
私、変わらなきゃ。と思う。
だけど、この「変わる」ということって
本当に容易なことではない。
どこに問題があるのか、
何から手をつけていっていいのか、
見当がつかない場合が多いし、
自分を変えるしかない、って言われても・・・。
多くの人はそこで途方に暮れる。
*************************
実際に、
私のリーディングの中でも、
過去の時代の人間関係や状況、自分自身のセリフや思いを
物語のようにお話すると、
ほとんどの人が、
現在とほぼおんなじ状態であることに驚く。
時代背景や国、性別、あるいは上下関係が
違うぐらいで本質や本筋は変わらない。
つまり、人生のストーリーは、
思っている以上に過去のやり直しをしていて
それを本当にイヤだと思った人が
未来へと軌道修正をすることができるのだと、
私は、たくさんのリーディングを通して
実感するようになった。
だから、あの人はどうせ変わらないって
よく口にするけど
本当に変わらないと思う。
だって何百年も何千年も前から同じなんだから。
だから、人が変わることを期待するのは
基本的に違っている。
本人が変わることへの必要性を感じていなければ
そのまま過去と同じように
進んでいくだけだからだ。
それに気がついて本人が
変わりたい!変わらなきゃ!と
真剣に思ったときに、「内なる時刻」が
チクタク、とはじめる。
*************************
でも、そのどこか片隅にでも
誰かのせいにしている気持ちがあるとしたなら
本当の変革は訪れない。
真犯人は他にいる!
自分だけが悪いんじゃない。
私は精一杯やったのに!
なんて思う気持ちは、せっかく反省してみても
結局いつの日かフリだしに戻る。
誰かを責めたり、自分を正当化しすぎたり、
逆に自分を責め過ぎてみたりするのも、
結果、なにも動きださない。
ハンパな気持ちではすぐに
苦しくなって後戻りしてしまうだけだ。
それどころか、リバウンドが怖い。
もう誰も信じない。とか、
私の味方は誰もいない。とか。
自分に自信がない。とか。
そうなると、すべての時が止まる。
長い針も、短い針も止まっているのに、
秒針だけが回っているようなイメージだ。
そこから
立ち直るにもちょっと時間がかかるから、
だから、
言い訳や原因や、犯人探しをやめて
ただ現状を真っ白な気持ちで
受け入れていくしかない。
自分の非や未熟だった部分は
過不足なくまっすぐに見つめていくしかない。
「変わる」ということは
大げさに表現すると、
過去の存在や生きざまも含めて
永い永い年月もひっくるめて
変容させていく作業であり
時には叩き壊し、崩壊させ、
まっさらな更地に作り直す勇気とパワーが必要で
本当に難しい作業だけれど
それでもやっぱり、
「変わりたい!」と思う気持ちがないと
何も始まらない。
*************************
もし、今まだ自分は変革のタイミングではないけれど
周囲にその時期が訪れている人がいるとしたら、
「見守る」「待つ」ということを選んでもいいし、
「伴走」することでもいいし、
思い切って「立ち去る」という選択肢だってありだと思う。
その根底に“愛”があれば
どんな方法にも不正解はない。
外時刻と、内時刻がバランスよく
回り始めたとき、
新しい時を刻みはじめる。
未来は、そんな風にして
一刻一刻進んでいく。
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今年は本当におつかれさま。
そして、たくさんの皆さま
KAORU♪のブログを読んでくれてありがとう
いっつもいっつも応援してくれてありがとう
たくさんの温かい言葉に、本当に勇気づけられています
来年も、また気ままに
自分の思いをアップしていたいと思います。
そして、2010年も北は北海道から、南は九州まで
全国の皆さまと会えたらいいな
来年もステキな1年になりますように。
よいお年をお迎えくださいね