KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★スケジュール/銀座/横浜/札幌/ハワイ

2006年02月26日 | KAORU♪ in Japan
               【赤い木瓜(ボケ)の花】

新しいスケジュールが決まりました♪
どんな出会いがあるのか、どんな発見があるのか
ワクワクしますね!
いつものごとく、楽しみながらチャレンジします

***************************

3月25日(土)~27(火)
『春・ときめきの花』 by マミフラワーデザインスクール

場所:銀座コアビル (銀座駅 A-3・A-4出口)
5階エレベーターホール前。


春の柔らかな気配を、清水薫らしく
表現できたらいいな、と思っています。
マミフラワーデザインスクールの最新のテクニックと
デザイン力を発表する場になりそうです。
トップレベルの作品の数々を見ることができると
思いますので、ぜひ銀座にお立ち寄り下さいね♪

***************************

4月9日(日) 場所:ザ・サロン池田(横浜・妙蓮寺 徒歩12分)

「遊結花」「fino花教室」コラボレーション企画
『花に恋して、花と遊ぶ』~春風と桜に包まれて~

          <会費:5,000円(軽食・おみやげ付)>

PM1:00 開場 窓にあふれる桜と、春のアレンジメントを
         お楽しみ下さい。

PM2:00 開演 ごあいさつ 

PM2:20~PM3:00
「こだわりの“杉田梅”から学ぶスローフードのススメ」

料理&おしゃべり:立松結花里 氏 (遊結花 主宰)

PM3:00~PM4:00
「“花のように生きる”ためのライフスタイルを探して」

講師:矢口恵子 氏(ヒーラー・チャネラー・EQ・SQコンサルタント)

司会:清水薫


立松結花里さんが主宰していらっしゃる「遊結花」と
6年ほど前から、私がフリーで月1回だけレッスンを開催している
「fino花教室」がコラボレーションして会場を春の花で飾ります。

結花里さんは去年のハワイBMSEの時、樹齢500年の梅の木から
作った梅干を持たせてくれた大好きな私のお友達。
彼女がこだわっている、横浜の杉田地区で採れる「杉田梅」
についておしゃべりしていただきながら、
梅のスイーツやカナッペをごちそうになります。

そして私のステキな先輩、矢口恵子さんに
講演をお願いすることにいたしました。
“花のように自分らしく生きる”ことができたら、
きっとこの上なく幸せなんだと思いますよね。
恵子さんの、いつもの透明感のある声で
キラリと光るヒントをいただけると思います

今回は後援に、さらさらきれい茶の『シーロン』さん。
会場をご提供下さった『ザ・サロン池田』さん、
そして、『ファイン株式会社元気事業部』がバックアップ。
さらに盛り上げていくことになりました。


こんなイベントがいつかできるといいな、と
ちらっと話たら、周囲がすぐにでも開催しましょう!と
言ったかと思ったら、あっ、という間に実現することに
なりました。生徒ともに立ち上げる初めてのイベント。
みんなドキドキしながらも、心待ちにしています。


春の桜と花に包まれて、優雅でそして前向きに生きるための
ひとときを過ごすことができます。

ピンっ!と来たらぜひご参加ください。
お申し込みメールを受け付けます

s.kaoru@fine-revolution.co.jp


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4月16日(日) AM11:00~19:00
『B-UP EXPO.in 札幌(ビーアップエクスポ)』 
場所:ロイトン札幌 3F ロイトンホール

「右脳と左脳の混在、すべてのバランスを整える。
様々な角度からバランスを整えるということを提供するのが
バランスアップエクスポ」というコンセプト。
全国で展開されているイベントに参加します。

前日の15日は、前回も行ったニューハーフショーに
いく前夜祭イベントが用意されているのだとか。
今回は妹NAOKOも参加するので、2人で思いっきり
楽しんでこようと思います




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6月24日(土)・25日(日)

『BMESE IN HONOLULU』

昨年も参加したハワイのスピリチュアルイベントに
今年も申し込みました。
去年お越しくださった方にメールしてお知らせしておかなきゃ。
またお会いできるといいな。

そして、今回は加藤雄詞さんと一緒に行くハワイツアーと
セットになっているので、イベント参加の前に
ハワイのパワースポットを訪ねる旅になるのだそう。
(いつの日かゼッタイ行って見たかった!)

ハワイ島のハレアカラやキラウエア火山、
そしてマウイ島では現地の方しか入ることのできない
神聖なスポットも特別に行くことができるそうで、
ホントにホントに待ち遠しい~

このツアーはすでに100名以上の参加申し込みがあり、
現在キャンセル待ちなんだとか。
去年の秋にはすでに申し込んでてよかった~!!!

また、ハワイの風景をブログでご報告しますね


コメント (2)
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★手放しの愛を注ぐ相手

2006年02月18日 | KAORUの好きなものギャラリー
             【表参道の風景・オリエンタルバザーとDior】

新しく先月から来てくれている会社の女性、
REIKOさんとお昼のお弁当を食べながら、習い事の話になった。

彼女はこのところ、なにも習っていないという。


**********************


私は英会話を始めて足掛け6年。
今年でなんと7年目になる。

毎週1回。しかもたった30分間のプライベートレッスンである。

始めたきっかけは、表参道教室の目の前に
スターバックスとYahooがコラボしたコーヒー&ネットの
お店ができたことだった。

外国人の見学者や体験入学者が突然増え始め、
日本語がまったく話せない人たちが入って来たため
もういつまでも誰かに頼っているわけにはいかない!と
決心したのだった。

NHKの英語番組はかなりいいよ!という友人からの勧めで
キリのいい4月から書店で毎月テキストを買い、
辞書を片手に中学2年レベルから取り組んでみたところ、
リスニングの力がグンっとアップした。

翌年、1年のクールが終了した3月、
このまま聞いてばかりいても、相手がいないと
いつまでもしゃべることはできないわ、と思っていた矢先、
近所にある英会話教室から、春の入学無料キャンペーンの
折込チラシが目に止まった。
当時小学生だった息子にもどうかしら?と思い
2人で見学に行った際、いいタイミングだわ、と
一緒に私も入学してしまったのだ。

7年目という年月に見合うほどしゃべれるか、と言うと
決して満足のいく上達ぶりとはいえない。

以前は少しの移動時間に本を読んだり、家ではCDを聞いたり
MDウォークマンで聞きながら散歩したりとレッスン以外でも
努力をしていたが、最近ではせいぜい教室の直前に慌てて
宿題をするぐらいでちょっとサボり気味。

それでもまぁなんとか、英語がわかる国の海外旅行では
言葉がわからず路頭に迷うようなことはないし、
日本でも、ガイドブック片手に困り果てている外国人に
声をかけて道案内ぐらいはひとまずできるようになった。

先は長いが、じっくりと取り組んでいきたい課題のひとつと
思っている。なにより、文化の違う色々な国の人と直接
お話できるのが、本当に楽しい。
相手のジョークで笑えるようになった自分を
時折自分でよしよし、と思ったりする。

***************************

REIKOさんには、そんな経緯や息子との旅行での
エピソードを話していると、言いづらそうに口を開いた。

「…あの…KAORUさんはたしか、息子さんが2人
いらっしゃるんですよね?さっきからお話聞いていると、
長男の方とばかり出かけて、次男の方はいつも
どうしていらっしゃるんですか?お留守番なんですか?」
と尋ねてきた。

私は少しトーンを下げながら、

「だって次男は人間じゃないの・・・。」と言うと、

「えっっ???」と言葉に詰まった。

「犬なの・・・。」

と言ったら、さらに驚きながらも
彼女は急にホッとした表情をみせた。

「よく長男の方は、ただいま~!と会社にお見えになるのに、
次男はちっとも姿を見せないから仲が悪いのかしら?と
思っていたんです。そして、今の話を聞いて次男がかわいそう!
と思って聞かずにはいられなくなっちゃったんです。
は~、聞いてよかった!」と胸をなでおろしている。

あとから思い返してみると、彼女がそう思うのはムリもない。
お昼時、お弁当が少し残ると「お宅の次男に持って行く?」と
NAOKOも言うし、私も時折「うちの次男がね、」
なんて会話をする。

「コロ」というちょっぴり垢抜けない名前は息子が命名した。
6年前の夏、結花里さんファミリーとその友人たちと
長野の佐久にあるマミロッジで過ごしていた時、
夜更けの森の奥から忽然と姿を現した。

当時、子犬で顔には傷があり首輪はしていなかった。
息子の証言によると、バッタや虫を捕まえて食べていたという。
帰る日までの数日間、片時もロッジを離れず、
昼間は一緒に滞在していた子どもたちと森の中を走り回っていた。

「ねぇ、連れて帰ろうよ!うちで飼いたいよぉ!」と
しつこく迫る息子に、「でも、こんな自然の中で過ごしているのに、
突然、都会ではかわいそうよ。もしかした飼い主がいるのかもよ。」と
なだめながら言い聞かせていた。
帰る日まで様子を見てましょうね。と言うと、毎朝早く起きては、
子犬の姿を探していた。呼ぶとすぐに飛んでくる姿に大喜びで、
「ほらね!今日もいてくれたよ!ありがとうね!」と私に言いながら、
子犬を抱きしめ、そして子犬に向かってお礼を言っていた。

とうとう帰る日。運命の日がやってきた。
私たち一行は荷物を車に詰め込み、いよいよ乗り込むだけとなった。

出発間際まで迷っていたが、子犬はドア付近でじっと私たちを
見上げていた。「やっぱり、連れて帰ります!」と周囲に伝えると
「了解!」と順路を変えて我が家まで送ってくれることを
快く引き受けてくれた。
ロッジ付近には熊やイノシシ、鹿などがでるし、あのまま
置き去りにしても、迷ったまま飼い主の元には戻れなかっただろう。

途中、携帯メールから「今日、家族を連れて帰ります。
白い子犬、名前は“コロ”です。」とNAOKOに送ると
首輪とリード、ドックフード一式を用意して待ってくれていた。

あれから、今年の夏で丸7年。

毎日毎日、見せる愛らしい表情に息子と2人で
「白い妖精だよね!」とか、「ホントにカワイイよね!
これって決して親バカじゃないよね?」と言い合って溺愛している。


***************************

たぶん、それは我が家だけではないだろう。

先日も親戚が久々に集まった時、
まず自慢しあったのは“犬の携帯画像”
遠慮することなく、うちのコが一番!と言い張っていた。

そして、その現象は、携帯アドレスからも推測できる。

たとえば、私のアドレスは「korotatsu …@」 で、犬が先、
子どもが後になっている。友人は「cocokana…@」でやはり
ココちゃんというトイプードルが先、娘のKANAちゃんが後だ。

こんな感じで 、ペットと子どもの名前アドレスは非常に多いが、
ダンナの名前をアドレスに入れている人は
ほとんどいないのはちょっぴり淋しい。

もちろん、照れもあるだろう。

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ペットへの愛情ように、見返りなんて期待していない、
その場に居てくれるだけで幸せと思う“手放しの愛”のような
気持ちになるだけで心が満たされる。

たとえばペットに、世話したんだから、
自分の世話もしてほしいと願うだろうか?
私の気持ちをぜんぜん理解してくれない、と
本気で悩むだろうか?

こちらがたくさんの愛情を注げば、
何も出来なくても、何も言わなくても、
彼らは精一杯の愛を無言で送ってくれているのがわかる。

たとえそれが拾ってきた犬でも愛を注ぐ相手がいたら
自分の心が豊かになっていくはずだ。

人間同志も同様に思えたら、本当にステキな関係
が築いていけるのに、と心からそう思う。

















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★TOKYOライフ

2006年02月15日 | KAORUの好きなものギャラリー
             【表参道ヒルズのウィンドウ】

“住めば都”と人は言う。

私にとっての都もその格言どおり、もちろん東京である。

大阪で生まれたそうだが、記憶はない。
物心ついた時から、ずっと東京だったから、
特別にどうも思ったこともなかった。
まわりが皆東京人だったからだ。

大学生になり、日本全国から集まる学生たちと触れ合う
チャンスができると、すこし出身地を意識するようになった。
世間が東京の人は冷たい、とか情けが薄いというから、
実際にそんな風に感じたこともなかったが、
そんな所なのかな?、もし事実ならちょっとイヤだな・・・
と思ったりしたこともあった。

大学では地方から集まる学生たちが「県人会」なるものを
作って定期的に開催していたのに、なぜが「東京都民会」
だけが存在しなくて、いつも淋しく思っていた。

掲示板のあちこちにポスターが貼ってある。

「長野県人会 ○月○日、北越谷の呑兵衛にPM7:00集合!」
などと書いてあると、いつか「東京都民 集合!」の
号令がかかるんじゃないか、とほのかに期待もしていたが、
とうとう幻に終わってしまった。

時折、送られてくる卒業生の会報誌を読んでいると、
いまだに、地元で定期的に会が開かれている、と
報告する県がいくつもあるほどだ。

なぜ、東京の人は群れたがらないのか、理由を考えてみた。

やはりみんながそれぞれ地方出身者だから?
三代続く江戸っ子は探すのさえも難しいだろう。

たとえば我が家も、両親が大阪出身で生粋の東京人ではない。
だからといって、“よそ者”扱いされたこともなければ、
東京を他の土地のように思ったこともない。

そんな人ばかりが集まった土地柄のせいで、誰が他人で
誰が身内なのか、そんな境界線がまったく存在しないのだと思う。
つまり概念として、外と内の感覚がとても薄いのではないだろうか。

住んでいる場所を理由に、集まってもみんな生粋人じゃないし、
誰が本当の身内で誰が他人かわからない状況下で、
集合しても意味がないから?なのだろうか?
“東京”という理由では集まる必要性がない、と
いうことなのかもしれない。



**********************



そういえば、日本人が海外で生活した時には
どの国でもほとんど群れない、という話を聞いたことがある。

たとえば、中華街やコリアタウンのような構成の町は
ロサンゼルスの「リトルTOKYO」ぐらいだろうか。

オーストラリア在住の友人も言っていた。
仲の良い数人では集まるけれど、日本人だけが大勢で集まって
イベントや集会などを開くことはないし、みんなで一緒に
ビジネスをやろう、なんていう発想もないという。


これはまた、どんな心理や国民性が働くのだろう?
島国に住む日本人は保守的とも言われるが、
それは必ずしも団結しながら守るのとは異なるようだ。

この課題はまたぜひリサーチしてみたい。

**********************

東京に住んでかれこれ40年…。

気がついたらずいぶん長くお世話になっているものだ。


このところ、いろいろなスポットが出現し、
話題性には事欠かない。
丸の内、汐留、六本木…。

汐留にはかろうじて、作品展があったりして数回足を運んだが、
丸の内と六本木ヒルズはまだ行ったことがない。

なぜなら用事がないからだ。

あえて、わざわざ行っても、特別興味のあるお店もないし。
だって、すっかりチェーン展開をしているから、
どこでも同じもの見れるし。なんて思うから。
チャンスがあればもちろん行ってみたい、程度である。

「KAORUさんほどの人がなんで?」と言われるが、
その意味は「じゃあいっつも何処に行ってるの?
あんなによく買い物してるじゃないの?」という疑問符でもある。

用事ついでに通りすがりのお店に入るぐらいで、
特にココが御用達!などというこだわりもない。

以前、「やっぱり電化製品を買うときは三越でしょ!」と
言っていた関西出身の人がいたが、それには驚いたし、
先日は保護者会に遅れてきたお母さんが、
「私、急にトマトが食べたくなっちゃってね、
トマトといえば“三越”じゃない?だから買いに行ったら
すっかり遅くなっちゃたわ」と言い訳していた。

・・・・・。

それはその通りだわ!と相槌を打つことも出来ず、
なんとコメントしてよいのかわからず、両方とも、
へぇ~、そうなんだ…。でひとまずやり過ごすことにした。


**********************

今一番HOTな話題の、先週オープンしたばかりの
表参道ヒルズには火曜日のレッスンの帰り道に
フラッと寄ってみた。

昼頃、教室に向かう途中、先週の人出とぜんぜん
違うことに気がつき、圧倒された。
平日の昼間から、道に人があふれて休日並みである。

ブラインド物には特別に思い入れのない私は、
結局、最上階から回廊のようにグルグルと回りながら
1階まで降りて、何も買わずに外に出た。

表参道に面したウィンドウには某飲料メーカーの
ディスプレイが。道行く人は、真っ赤なボトルの文字を
読み上げている。

「炭酸ボンベ???…」
その後のセリフはない。

**********************

そんな“サプライズ”が日常生活にあふれている東京は
クレイジーな面を持っているのかもしれないが、
思っている以上に、心優しい人が多い。
…という話は全国を転々と転勤した友人から聞いた。

よそ者ばかりだから、よけいに普通よりも心を遣う。
車も電車も人も多いからこそ、我先に、をすると
収集がつかなくなる。だからことさら、優しさを
意識しないと成り立たなくなるのが
本能的に皆わかっている。


交通量が多いわりに、事故の件数が比例していないことも
証明しているだろう。車を運転している人が、道路の
マナーもやっぱりいいよ!と教えてくれた。

譲り合う光景も以前よりもずっと見かけるようなった。

サプライズと優しさの街、TOKYOライフを若い頃よりも
ずっと楽しんでいる今日この頃。

次のHOTスポットの楽しみは、大田区品川区版の
ローカルな小冊子、「おとなりさん」に掲載していた未確認情報。
大田魚市場の場外に予定されているらしい、
サンフランシスコの「フィッシャーマンズ ワーフ」を
真似た新鮮な魚介類が食べられる場外市場。

ホントにホントに楽しみ~!
もう、遠くに行かなくてもいいんだわ。と思うと
ウキウキと心が弾む。

やっぱり、私はブランド物より“市場好き”



















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★風を待つ花

2006年02月13日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【沈丁花の蕾】

パンフレットに「3月生まれ」と書いているのは、
実は深い意味がある。

昨日、友人の紹介です!とセッションにお越しになった方が、
「わぁ~、3月生まれなんですね!私もなんですよ!」と
目を通すなり真っ先にコメントしてくれた。

「ホントですか!!!嬉しいです。
その言葉を待ってました~!って感じです。」と
私もはしゃいで答えた。

3月生まれは結束力が強い。
まるで、同志に出会えたような、そんな不思議な感覚。
これは3月生まれの人しかわからないだろう。


4月生まれと11ヶ月も離れていることに
コンプレックスを抱き、みんなより1歩も2歩も
遅れをとっている自分を情けなく思うものだ。
あと1ヶ月遅く生まれていればな~と、
叶わぬ事実に夢を膨らませてみたりする。

その彼女も「3月生まれだから、走るのも遅いし、
背も低いのだと思っていました。」と、私とまさに同じ!
低学年の頃まで、勉強が出来ないのも3月生まれのせいにして
よく塾の先生から怒られていた。

「そんな言い訳は通用しないのよ!」と。
でも事実だもん、と心の中では反抗していた。

生まれ月のコンプレックスはやがて年を取ると
クラスメイトの羨望の眼差しへと変わる。
「いいな~、いつまでも若くて!」と何年経っても
なぜか同級生の間だけは若者なのだ。

パンフレットは、同じ体験を持つ同志を見つけるためである。

**********************

いっせいに花が咲き始める春は、大好きな季節だ。
誕生日が近づくせいもあるのだろうか。


今年は、寒さの厳しい冬となり、世相もなんだか厳しくて
あちこちで目に、そして耳に入って来るのは、嘆きつつも
「そんな世の中だからこそ、明るくいきましょう」という
合言葉のようになってしまったフレーズ。

最近は午後3時になると、区の放送が大音量で流れてくる。

「子どもたちがまもなく下校時刻です。
大人のみなさんは見守りをお願いします」

そして、町内の掲示板には蜂のイラストとともに、
「『8・3(はちさん)運動』を進めましょう!
朝の8時は登校時間、午後3時は下校時間です。
なるべく外に出て下さい。草木に水をあげるとか、掃除するとか・・・」
などと行動の具体例まで示してあるから驚きだ。

これからどんな世になってしまうのだろう・・・。
みんなが不安に思いながら日々暮らしている。


**********************

それでも私たちはきっと皆、負けずにたくましく生きていくだろう。


先日の新聞のコラムに梅の古い呼び名がでていた。
「風待草(かぜまちぐさ)」というステキな別名があるのだという。

“春風を待って咲く”からだという。
そして2月11日の建国記念日もその昔は「梅花節」とよび、
梅が咲いているあたりに漂うほのかな明かるさを「梅明かり」と
いう粋で風流な名前がついているそうだ。

先人たちもまた、きっと日々の暮らしや世相を案じながらも
過ぎ行く時を惜しみ、来る季節に心ときめかせていたのだろう。

前世が見えるようになって、人間は争い多き時代を
繰り返していることに改めて気づかされる。

それでもなお、私たちは花の蕾がふくらむことに心躍らせ、
やがていい香りに包まれる季節を待つことのできる
忍耐強さを秘めている。

寒さが厳しいほど、春の暖かさが心に沁みる。
私もまた先人たちと同様、春風がやがて
皆に吹くことを心待ちにしている。


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★カタイ“カラダ”

2006年02月07日 | KAORUの好きなものギャラリー
               <セピア色の窓辺>

自分のカラダが“硬い”と思ったのは、
小学校1年生ぐらいの時だっただろうか。

姉妹3人で近所のバレエ教室に通っていた。
「アン・ドゥ・トロワ」の掛け声と共に
イメージはステキなバレリーナだったが、
開脚して上半身を床にペタっとつけることができない。
カラダを反らせて頭に足の裏をつけるという曲芸のような
技もとてもとても及ばず、まるで今思うとまな板のように
不恰好な形で一生懸命、皆に近づこうとしていた。
生まれてからわずか6年近くで努力とは別の、生まれながらの
体質があるのだということを知ったような気がする。

その後、自分には素質がないことを悟り、
2回ほど発表会に出た後、やめてしまった。


中学・高校時代にはテニス部でひたすら汗を流した。
辛い筋トレや朝連(早朝練習)の毎日。
体育会系のノリでど根性を鍛えられたと思う。
「青春時代」はテニスに明け暮れていたのだが、
そういえばそんな言葉もすっかり聞かなくなり、
もしかしたら今や”死語”となってしまったのだろうか?

でも6年間、部活で日々のトレーニングを積み重ねても
やっぱり私のカラダは硬かった。

「本当にそれしか曲がらないのか?マジメにやってるのか!」と
言われるほどだったが、自分的には、以前より3センチは
曲がるようになった!とひそかに喜んだり、床に一瞬指先が
触れるだけでなんだか、とってもカラダが柔らかくなったのだと
心の中でウキウキとしていた。

**********************

今日久々に、本当に何十年かぶりに自分のカラダが
硬いことを思い出した。
年を重ね、そんな事実はすっかり忘れていた。

…お花のレッスンのために表参道の教室のスタッフルームで
お弁当を食べていた。
女ざかり真っ最中、40歳を過ぎた女3人で、
落ちにくくなった贅肉について話に花を咲かせていた。

「なんかヘンなところに肉がつくのよね、
例えばさ、腰の両脇とか。体重減っても落ちないのよね」

「ホント?私は腕の付け根、背中側よ。
ジョギングもヨガも長続きしないわ。」

私も「スポーツとはすっかり縁遠くなって、
今はコロとのお散歩が精一杯の運動だわ。」と続けた。

するとMASAKOさんは「私はカラダがすっかり硬くなって本当に
情けないわ。前は前屈しても床の上にぴったりと手のひらが
ついたのに今ではぴったりとはいかないわ!」と嘆いている。


「えっ?でもまだつくの?スゴイね!!!
私なんか昔からカラダ硬いから。」と指先を床に向かって
九の字に曲げてみた。

「うっそ!それしか曲がらないの?」とEMIKOさんと二人で
声を合わせて叫んでいる。
「あら、思いっきり本気だけど?」とそのままの姿勢で見上げた。
指先は床上約20センチでストップしている。

やっぱり、年のせいで多少硬くなったとはいえ、まあ、こんなものだ。

そして、40過ぎの女3人でどれくらい曲がるか確認しあった。

**********************


レッスンを終えて再び3人が集まった時、
EMIKOさんが「さっき無理しちゃったかも!腰が痛いの…。
今度は逆運動で背筋を伸ばさなきゃダメだわ!」と
うろたえている。うそ!じゃあ私も。と両手を天井に向け、
カラダを思いっきり後ろに傾けた。

すると二人が同時に
「KAORUさん!!!ぜんぜんカラダを反らしてないよ!
それはただの背伸びでしょう?」と目を丸くしながら爆笑している。
「違う、違う!ちゃんと背中の筋伸びてるから大丈夫!」と
反撃したが、「もう、本当におもしろいわ、KAORUさんたら!」と
言われ、別に“ウケ狙い”じゃないのに…、と
何年かぶりに現実に直面した気分になった。

「カラダが柔らかい」というだけで、
または「走るのが速い」というだけで、子どもの頃から
羨望の眼差しで見つめられるのは何故だろう?

人間として肉体の生命力が強いことを
動物的な直感で知っているだろうか?

近ごろ世間では、肉体に問題がある場合
スピリチュアル的な視点で考えることも多くなった。

たとえば、消化器系統の具合が悪いときには
「色々なことを消化できていない」とか
目なら「しっかりと物事をみる必要あり」とか
喉なら「言いたいことを我慢しているから」などなど
“心身一如”という言葉があるように、心と身体のつながりを
きちんととらえて、ただ単純にモグラたたきのように、
悪いところをひとまず治療するのではなく、原因となる
気持ちの持ち方や生き方からの視点でも体調を見つめている。

だとするなら、私のコンプレックスとなっていた
徒競走でいつもビリ、とか硬すぎるカラダにも
何かメッセージが隠れているのだろうか?

たとえば、「スピードが足りない」とか
「柔軟性を持って」とか???
でもこれって、遺伝子?だとしたら魂とか心とかは
関係ないんじゃない?と一縷(いちる)の望みを託してみる。

ちょうど、私の横を通りかかった息子に
「GOODタイミング!床に手がつく?」と聞いてみた。
すると「余裕だよ!柔らかさMAXだからね!」と
涼しい顔でぺったりと手のひらをくっつけた。

あ・・・。しばらく言葉が出なかった。
かれこれ15年近くのお付き合いだが、
まったく知らなかった。

誇らしげに体力測定の結果表を見せてくれたが、
「柔軟性は体操の選手級だよ!」などど軽いタッチで
講評が添えられている。

やっぱり親やご先祖さまのせいにせず、
せめてしっかりストレッチなどをしなきゃね。

この肉体があってこそ、「清水薫」はレベルアップできるんだし。

さあ、あったかいお風呂につかって
今日一日の疲れもしっかり洗い流して
心も一緒にポカポカにしよう












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★ひとつの旅の終わりに

2006年02月04日 | スピリチュアル セッション
          【苺】

昨日は、伯母の葬儀で大阪まで行ってきた。

最後に会ったのはいつだっただろうか。
何年も前のような気もするし、最近会ったような気もしている。
でも、時間などとは関係なく物心ついた
子どもの頃からずっと遠からず、近からずの距離にいた。

たくさんおしゃべりをした記憶もないが、
でも私の人生の節目節目に、すーっとそばにきては
励ましてくれていた。

「がんばりや!」

記憶にあるのは、ただそれだけの短い言葉。

たくさんの説得力のある話よりも、
気の利いたセリフよりも、
そして会話のキャッチボールよりも、
満タンの愛情がこもっていた。

彼女と私の間に、たくさんの言葉は必要なかったのだと思う。

背筋の通った、シャキっとした関西人で
とにかくいつもカッコよかった。

娘家族や、息子たちと夜遅くまで
楽しくお酒を飲んだ翌日、突然倒れて
そのまま24時間も経たないうちに
息を引き取ったのだそうだ。

77歳という年齢を考えると、
「短すぎる」という年月でもなく、
「かなり長寿」というには及ばない。

実に彼女らしい幕の引き方で、
生き様そのもののような気がする。

母や伯母の姉妹たちは、一同に口を揃えて
「そこそこの年齢の者にとっては本当に理想的だわ~」と
悲しみ半分、心底うらやましがっていた。


深い悲しみに包まれる、というよりも
「お疲れさまでした。ありがとう!」の言葉があふれていた。

**********************

…でも、やっぱり旅のお別れはいつも寂しい。

“また会える”ってわかっていてもやっぱり涙が出るものだ。

今回のように、伯母と姪のシチュエーションで
しかも日本で、この肉体で会えることはもうないのだ。
あの凛とした声で私の背中を押してくれることは、二度とない。

人間として生まれる時、前世の記憶が消える意味はここにもある。

忘れているからこそ毎回、毎回涙する。
そして思い出とともにその愛の深さに、
改めて気づくことができるのだ。

すべてを覚えていたら、すっかり慣れてしまって
別離から学ぶ大切なことを見落としてしまう。

だから、悲しい気持ちを封じ込める必要もなく、
逃げることもなく、ちゃんと向き合って、たくさん泣いていい。


そしてチャンスがあるなら、見送る番に当たったほうが、
しっかりと旅立ちを見届ける。
前回は案外見送っていただいたかもしれないのだ。


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葬儀の読経のあと、お坊さんの説教の中で、
「人は皆、生まれた瞬間から“死”が約束されている。
それは、どんな人でも平等な決まりごと」なのだと
おっしゃていた。最近色々なところでその言葉は耳にする。

そうなのだ。だから今日を精一杯生きる。
そして人との出会いや会話を大切にすること。
丁寧に毎日を過ごしていこう。
シンプルだけど、それが「生きる」ことの原点。

ひとつの旅が終わったけれど、絆はきっと永遠。

たくさんの愛をありがとう。元気でね!
また会える日が来るまで、私は精一杯生きていくね








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