KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★日本のイメージカラー

2005年10月29日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【苔の壁】

この画像は、雨上がりのおととい撮ったものである。
ひんやりとした空気にまもなく訪れる冬を感じながら
妹NAOKOとちょっと足を伸ばして
オーガニックな素材で作るお弁当屋さんに行く途中
突然、キレイ!と思ってしゃがみこんで苔を撮った。

私が子どもの頃からある駅前団地の壁はすっかり
貫禄ある古さが出て、青々とした苔がはびこっている。

ふだん見慣れているはずなのに、
雨上がりだから、急に緑が水々しく感じたのだ。

貴重なランチタイムで少しでも先を急ぐ
サラリーマンやOLの視線などおかまいなしに
低い目線で写真を撮りまくる私を
NAOKOは、う~ん、おもしろい姿だわ!と
写メールで撮って保存していた。


この写真の風景はすっかり見慣れているが
日本ならではのひとコマなのだと思う。

湿気が多いから、ちょっと古い建物や道路には
苔が発生する。
なんだか古臭くてカビのようなイメージであるが、
最近のフラワーデザイン業界では、苔がすっかり定着しているし、
お花屋さんに並ぶ鉢ものにも、ミニ盆栽と苔の組み合わせが
人気となっている。


そして、写真をもう1度見て欲しい。
空が白である。

これが日本のイメージのなのだと、タイ人の友人が
教えてくれた。そう、私の大好きな“Thaiレストラン”の
オーナー、JUNさんである。

日本のイメージは「空が白、深い緑」
アメリカは「透明感のある薄いブルー、薄い緑」
ヨーロッパは「深いブルーの空、深い緑」

…そしてタイは「白い空、茶色がかった緑」

曇り空の白い空に映える水々しくてむせ返るような
木々や草、苔の色が日本らしさを感じるのだそうだ。

モリモもダンナ(オーストラリア人)が日本に来たばかりの頃、
日本にいると雨ばかりで晴れやかな気分になれないよ、
とぼやいていたのを聞いたことがある。

たしかに気候や天気でその日の気分も左右されることがある。

以前、英会話の先生に「How are you?」と挨拶されて
「Pretty good!(すっごくいいよ!)」と答えたら
「Why?」と聞き返されたので、一瞬考えていたら
「天気がいいからじゃない?」と言われ、その通り!と
思ったことがある。

晴れ続きだと雨が恋しいし、
雨ばかりだと太陽のありがたさに感謝する。


季節や自然のサイクルの中の一部であることを
再確認しながら、また今日も雨降る中、
愛犬のコロとお散歩に出かけよう。


そして夜は好きなお香をたいて、雨音を聞きながら、
オーダーが入っているシルバーアクセサリー作り。

すっかりお待たせしている皆さま、ごめんなさいね!
がんばって作ります。しばしお待ちくださいませ










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★山形の“スペシャルゲスト”体験記

2005年10月25日 | スピリチュアル セッション
              【ほころび始めた菊の蕾】

17(土)・18(日)はスケジュールでもお知らせした通り、
スペシャルゲストとしてAroma Angelの
く~みんに山形へ呼んでいただいた。
なんとキャンセル待ちとなったほど、予約が入ったそうで、
2日間とも、ずぅ~っとセッションが入っていた。

午後2:30から夜中の12時まで、10名。
途中休憩を挟みながら夕食は45分間。
翌日は、朝9時からチェックアウトギリギリの
12時まで3名。加藤雄詞さんの山形元気会が
終わってから最終の新幹線まで4名。

今回は残念ながら、山形の空気を満喫する時間が
なかったがホテルの8階の窓から見える山々には
霧がかかり、まるで墨絵のよう。
セッションとセッションのわずかなひととき、
心癒される風景を眺めることができた。

山形が蕎麦の名所だということを知らなかった。

初日にく~みんと食べた山形のお蕎麦は
野性味あふれて、しっかりとした歯ごたえがおいしい。
注文したのは「板天そば」。
東京でいう「天ざる」。天ぷらと盛りそばのセットである。
1人前ではちょっと足りないくらい、あっという間に
平らげてしまった。
く~みんの本当のおススメは、「冷やし鳥そば」の
おいしいお店だったのに、そこは定休日で残念。
スープがあとひく、クセになるおいしさなのだという。
それは次回のお楽しみとなった。

このところ、あちこちに出かけるチャンスが増え、
旅行好きの私にとっては、一石二鳥。
とにかく、ご当地の味を食べて幸せ気分にひたりたい。
「地のもの」を食べることは体にもいいらしい。

********************

食の文化や味は本当にバラエティーに富んで
心まで豊かになるが、人の環境も人生も本当に
さまざまである。

でも悩みや願いに地域性や国境によって大きな
違いがあるわけではなく、みんながそれぞれに
精一杯生きていることを実感する今日この頃である。


先日、「ゲル」の会社の方とお話する機会があった。
最近よく見かける、ボールペンにブニュっとした
グリップがついているのをご存じだろうか?
シリコンとは違うあのブニュが「ゲル」である。

弾力性や柔らかさを利用して、靴の底のクッション材に
使用したり、衝撃の吸収力を使って機械の部品と部品の
緩衝材として使われていたり、放熱性を利用した
“ひんやり枕”など、機械部品から日用品・介護用品に
まで実に用途の幅が広い。

ひとつの素材からよくそんなに思いつくものだ、
と感心していたら、その営業の方はこんな風に
おっしゃっていた。

「こんなことに使えないだろうか、というお客様の
アイデアに対応する努力をしてきました。
とにかくまるで“千本ノック”のようでした。
もちろん、そのノックにぜんぜん手が届かないことも
ありますが、ノックを受けているうちに力が
ついてくるものなんですね。
だから、こんなことできないかな、と思ったら
どんどんおっしゃって下ださい。
まずは挑戦してみます。」

そうか、私たちもまた人生の中で同じように
“千本ノック”を受けながら、いつの間にか
強く、たくましく、そして厚みのある人間へと
成長していくのだろう。

ただ、それは逃げずにきちんと返球する気持ちが
ないと、本当の力にはならないのだ。

どんな困難なことが起こっても、
“千本ノック”を受けているのだと思えば
いつか、「ゲル」のように用途が広がり
しなやかに生き抜いていけるようになれそうである。

こうして、私が日本のみならず6月のハワイのように
海外にまで進出して、セッションのチャンスを
いただけるのもまた“千本ノック”の一種で、
私自身のキャパシティも確実に大きくなるのだろう。
そう思うとこの上ない、貴重な経験を積ませていただいている。


******************

山形には、またいつか時間の余裕を持って
伺いたいと思っている。

キャンセル待ちで、お会いできなかった皆さまにも
またいつかお越しいただける機会がくるのを、
「冷やし鳥そば」と同じくらい楽しみにしている。

そして、そんなステキなチャンスを作って下さった
く~みん、本当にありがとう














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★スケジュール/三重/東京

2005年10月24日 | KAORU♪ in Japan
            【仙台の堀さんが作った“ハッピーマン”】

もしピピっときたらぜひお越しください!
私のブース目当てじゃなくても
楽しい企画がたくさんありますよ~

詳細は後日、KAORUのHPでご案内致します。


★★★「2005クリスマスディスプレイ 
      IN 横浜山手 イギリス館」★★★

●12月1日(木)~25日(日)
従来の仕事、フラワーデザイナーとして
ステキな元英国領事館をクリスマスの花で飾ることに
なりました!
マミフラワーデザインスクールの本部講師の先生たちと
力を合わせて、クリスマスらしい素材を使って
リースやツリー、アレンジメントなど、古き良き洋館を
丸ごとディスプレイします。
港の見える丘公園周辺にあるフランス館・カナダ館・
オランダ館など世界のクリスマスをテーマに
何箇所も同時に開催されるのだとか。
それぞれのナショナルカラーを大切にしながら
演出することになっています。
(ちなみに、イギリス館は“シャーロックホームズ”が
テーマというお題なのです。
クリスマスとシャーロックホームズなんて、楽しそう!)
街がクリスマスに染まる横浜山手にぜひ
お出かけください。

詳細が決まったらまたお知らせしま~す!



★★★「セッションDAY IN 三重」★★★

11月12(土)・13日(日)


鈴鹿市在住、ハワイのマッサージ“ロミロミ”の
Hawaiian Healing「Maholo」を主催されている
山口真紀子さん、
伊勢市在住、竹炭工房「BANBOO-WAY」の中瀬照美さんに
お招きいただき、三重県の2ヵ所で2日間に渡り
「過去世リーディング セッションDAY」を開催致します。

お二人とも、たくさんの方にお声をかけて
下さっていて、本当に感謝です
三重県のみなさまにお会いできるのを楽しみにしています。


…現在、予約がすでに一杯のため、
一般参加はできずにごめんなさい。
ひとまずスケジュールのご案内です。


★★★「癒しフェア 2006」★★★


12月10(土)・11日(日)

場所:東京ビッグサイト

今年初めて開催される大規模イベントに出展致します!

雑誌「TRNITY」「anan」「女性自身」「SAY」や
「ゆりかもめ」に窓上ポスターなどさまざまな
広告媒体でPR中の国内最大規模となるヒーリングイベントに
「過去世リーディング」で参加することになりました。
来場者数20,000人となるビッグイベントに、今からドキドキしています。

当日参加入場料 1,050円(財団法人ユニセフに寄付されるそうです)
今なら無料チケットも下記から申し込めるそうですので、
お早めにGETして下さいね!

http://www.a-advice.com/index.html



★★★「はればれ介護の元気セミナー」★★★

ファイン株式会社で主催のセミナーです。
KAORUが司会進行を務めます。

詳細は http://www.fine-revolution.co.jp/  でご確認下さい。

お申し込みも上記のHPからお受け致します。


●11月27日(日)PM1:30~3:30
●JR大井町駅 駅前 きゅりあん
●参加費:1,500円

●テーマ「身体と心を癒す元気エクササイズ」
~介護者と高齢者のために~

●講師 日下部 功氏

身体と意識に働きかけて、自分自身をいたわるエクササイズ。
健康のために身体を動かすというのではなく、
心の持ち方がいかに大切かを講演します。
日下部氏のゆったりとしたリズムに合わせて身体を動かすと
心まで癒されますよ~!
「イスに座ったままストレッチ」や「寝たまま筋トレ」など
忙しい日々の中でもできそうなエクササイズも、
マスターできるスキルアップセミナーです。

――――――――――――――――――――――――――――

●12月18日(日)PM1:30~3:30
●JR大井町駅 駅前 きゅりあん
●参加費:1,500円
●ヒーリングご希望の方も受け付けます【別途5,000円】
<ヒーリングはイギリスでは保険のきく、ホリスティック医療の一種です>

●テーマ
「自分のために今を生きる」
・プラスを引き寄せる力を身につけるために。
・“自分を信じる力”でマイナスを乗り越えよう!




介護に携わっている方のための「メンタルケアセミナー」
12月は毎回、大好評のEQ/IQコンサルタント・
チャネラー・ヒーラーの矢口恵子さんを講師に
お呼びして講演いただきます。

いつの日か介護をするかも、という方や
介護に関係なく、ちょっと元気がないな・・
という方もぜひお越しください。


恵子さんは、会場の方のエネルギーを見ながら
必要な情報や、元気になるヒントをお話下さいます。
「あっ!もしかしてその話って私のこと?」って
思うような内容も必ずありますよ!



きっと元気になること間違いなし!のセミナーです。







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★赤ちゃんが3才までに語る“もうひとつ”のこと

2005年10月20日 | スピリチュアル セッション
               【デイゴの赤い花】

先日のこと。
知り合いが「KAORUさんのブログ、しばらく
見ていないわ。また今度遊びに行きますね!」と
言ってくれたので、すかさず、
「じゃあ最新の「お母さんを選ぶ赤ちゃん」を読んでみて!」
と、1才の母でもある彼女にオススメをした。

少しだけ概要を話したところ、
「へぇ~、赤ちゃんが3才ぐらいまでに
“自分の前世”を話すことは知っていたけれど、
“なんでお母さんを選んだのか”を話すのは初耳!」
だと驚いていた。


そして私もまた同様に、最近の若いお母さんの間でも
赤ちゃんが前世を話す、という説を知っていることに
ちょっぴり驚いた。

********************


私がまだ新米ママだった15年近く前、
「しゃべり始めた頃に、赤ちゃんに前世のことを
尋ねると答えることがある。」という話を
ラジオなのか、赤ちゃん雑誌なのか、
テレビだったか思い出せないのだが、
人から聞いたのではなく、
マスメディアからの情報で知っていた。

それは、だんだんと子どもが外界からの知識を
吸収すると忘れていってしまう、と聞いていた。
しゃべり始めが勝負なのだ、と。


前世やスピリチュアルにまったく縁のない生活を
していた当時、「へぇ、そうなんだ!
ウチの子も話すと面白いのにな。」という気持ちで
日々の育児に追われていた。

オムツを替えたり、離乳食をせっせと作ってみたり、
よちよち歩いたり、ひとことずつおしゃべりができるように
なるのを一喜一憂していた毎日。
子育てが自分の世界のすべてだった時間である。

********************

彼が3才になる少し前だったと思う。
ある日の夜、フローリングの床に
寝っ転がって一緒にテレビを見ていた。

突然、本当に唐突に「ママ、こうして!」と
私の両足を開いたかと思うと、
「ボクね、ココからこうやって
生まれてきたんだよ!」と身をかがめて、
もぞもぞっと出てくるようなポーズをした。

続けて「あのね、ボクがおなかの中にいる時ね、
ママがボンボ~ンって笑ったの。」と今度は
胎児の時らしき記憶。

あっけにとられていると、すっくと立ちあがり、
「ボクね、高校の教師だったんだよ。」と
2才児とは思えないような、大人びた表情で私の顔を見つめた。

その頃は、せいぜいスイミングで「ちぇんちぇぃ(せんせい)」
と呼んでいる人がいたぐらいで、「教師」という
初めて口にする言いまわしに、内心動揺していた。

たどたどしい赤ちゃん言葉ではなく、
断定するようなセリフ。
生まれた時から、胎児、前世と記憶が逆戻りしたのだ、と
20代半ばだった私は、その瞬間なぜか確信した。

「わぁ~、ついにウチの子もしゃべった~!」と、
大事件のように周囲に報告しまわっていたが、
「へぇ、そうなの。」と思った以上のリアクションは
得られなかったが、それでも今からひと昔以上前の出来事、
特に否定も肯定もされることがなかった。

赤ちゃん仲間として知り合って、今は仕事上でも
お付き合いのある「ケンちゃんママ」にメールで
当時の記憶を尋ねたところ、
「うん!覚えてるよ!その話聞いて
ウチも聞いてみたけどぜんぜん反応なかったのよ。」と
ついさっき返信メールが戻ってきた。

あれから現在に至る今でも、まことしやかに
「3才までに語る“前世の記憶”説」が
お母さん達をひそかにワクワクをさせていたのだと
思うと、なんだか楽しい。

単なる誰かの個人的な説やブームでは
なかったことを裏付けている気がする。



********************

そんな話を息子に話すと
「覚えてないな~。そんなこと言ったんだ。
へぇ。高校の先生だったんだ、オレ。」などと
特に感慨深くもなく、否定もせずに
自分の発言を受けとめているようである。

とかく、子どものために!!という気持ちと
我が子かわいさのあまりの、自分の感情とが
ごちゃ混ぜになり、境界線があいまいになってしまう。


…でも遠い昔、彼も大人だった時代がある、
とするならば、今回は母親として、今回の人生の先輩
として教えられることはなんだろうか?
私が母親として彼から学ぶべきことはなんだろうか?
と考えてみる。


教えることは、教えられること。
―――お花を教えていてわかったことである。

育てることは、育てられること。
―――母になって実感していることである。







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★生まれた場所の意味

2005年10月15日 | スピリチュアル セッション
               【金木犀】

10月10日前後の、この季節が大好きである。

トコトコと歩く駅までの道のりや
犬との散歩道、自転車を颯爽と走らせるいつもの道で
どこからか甘い香りが漂って、
香水のように纏わりつくような感覚。

すると、花の姿は確認できなくても
あ~、今年も金木犀の季節がきたんだわ。と
初秋の到来を肌と香りで感じることができる。

ぽかぽかと暖かい陽射し。最近の温暖化で気温は
子どもの頃よりずいぶんと高くはなったけれど、
湿度はやはり、夏とはぜんぜん違ってさわやかである。


金木犀(キンモクセイ)は街中をやわらかく包み込み
甘くて繊細な芳香で、心が癒される。

沈丁花(ジンチョウゲ)は柑橘系のようなさわやかな甘さで、
間もなく訪れる春に心が踊る。

梔子(クチナシ)の濃厚な甘さは
梅雨の憂うつな気分をなぐさめてくれる。


四季折々の花の香りは、わざわざ遠出をしなくても
東京の空の下、毎日の生活の中でも
十分に満喫することができる。

都会には季節がなくなったことを、
世間はたまに嘆くけれど、
キャッチする感性がなくなってきたことこそ
もっと深刻に考えたほうがいいかもしれない。

公園の植木からだって、
プラスチックのプランターに植えられた
ご近所のガーデニングからでも、
ビルのほんのわずかな植え込みからも
存分にお裾分けをしていただける。

香りで季節を感じ取ることができた時、
日本に生まれたことに感謝する。

子どもが親を選ぶ時、もちろんその際には
生まれる国も合わせてチョイスするのだろうと思う。

だとすると、出生地も何か関係ありそうだよね!と
ある時、そんな話になったことがある。


まわりの人間関係や職業だけでなく
生まれた土地、育った土地のひとつひとつに
実は奥深い意味が隠されていたり、または
散りばめられているような気がする。


********************

先日の美容院で、アシスタントの若い男の子が
おすすめの映画をピックアップしてくれた。

どんなジャンルが好きなんですか?という問いに、
そうねぇ、まずは血を流さないヤツ。
ラブストーリーっていうよりも、ジャンル名はわかんないけど
『ニューシネマパラダイス』とか『バグダットカフェ』とか。と
答えると、あ~、それはローカルシネマタイプ(?)ですね!という。
(メジャーな映画館ではなく、小さな劇場で放映される映画)


そして、20才半ばくらいの彼は
それなら『解夏』がおすすめですよ!と
数年前の邦画を推薦してくれた。

僕はね、長崎生まれなんですよ。だからあの映画の
バックに映る風景が懐かしくて、それもあって好きなんです。
と、ポツリポツリと話し出した。

おじいちゃんと一緒に暮らしていたんですね。
だから戦争中の話を小さい頃からよく聞きました。
原爆の時、おじいちゃんは兵隊で
外国に行っていたので生き延びました。

あの時、祖父が日本にいたら自分は生まれていなかった。
そんなことを時々思うんですよ。僕の命について。
もしかしたら、なかったかも知れない命。

それは長崎という地に生まれたからこそ真剣に考える。
長崎に生まれ育ったことを誇りに思うし、本当に良かった。と
若い彼はドライヤーをしながら鏡越しに話してくれた。

ねぇ、やっぱり生まれ育ったところって
深い意味があると思う?と尋ねると、
迷うことなく、ありますね!と断言していた。

親を選ぶとするなら、生まれる時代や場所も
そして今、暮らしているこの場所も
単なる偶然だと言いきれるだろうか?

出身地でコンプレックスを感じたり、
優越感を感じたり、誇らしく愛着があるのもまた、
人生の学びのカリキュラムに組み込まれているのだ
と考えてみたら、誰かとの会話で話題になる
何気ない地元話ひとつでさえも、
毎日のご近所での出来事も、
生きていくことの意味につながるヒントを
いただけるような気がするのである。






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★“新聞”のコラムから ~親を選ぶ赤ちゃんの話~

2005年10月13日 | スピリチュアル セッション
              【木漏れ日に輝くデイゴの葉】

先週日曜日の新聞を読んでいたら
こんなコラムが掲載されていた。

そう、私の愛読しているY新聞。

あるエッセイストの「よむサラダ」という
家庭欄の比較的大きなスペースである。

タイトルはでかでかと「前世の縁 現世にも」となっている。

ピン!ときてさっそく読んでみると、
その彼女はまもなく3才になる娘さんが
おなかの中にいる時、サイキックの人に
前世との関係を見てもらった、というのである。
そして、なんでこの私をお母さんとして選んだのか
娘さんから話してもらえる日を心待ちにしている。
という内容であった。

イギリス人のあるカリスマ占星術師の
WEBサイトに寄せられた体験談をもとに出版された
「お母さんを選ぶ赤ちゃん」という本のことが
コラムの冒頭に書かれている。

「子どもは親を選んで生まれてくる」という説は
最近の日本でもかなり広がってきているが、
それを裏付けるかのように、しゃべり始めたばかりの
幼児になんでその人を選んできたのか、
聞くと語る、という興味深い話だ。

最初は我が子の作り話だと思っていたお母さんたちも
似たような話がたくさん寄せられているのを知り、
次々に同じような体験が集まったのだという。

「好きでこんな親に生まれてきたんじゃないわ!」という
昔からのお決まり文句、子どもならではの
“とっておきの切り札”が最近使えなくなってきた。
隣の家庭と比べて不平不満を言おうものなら、
「あら?あなたがわざわざ選んできたんじゃないの!」と
“自主的に選んだ説”を採用している親を持つ家庭では
あっけなく切り返される。

どうやら私たちは、この人たちの子どもになると
自分の目的に一番近いようだ。とか
学びたいと思っていることが、確実に経験できるだろうと
思うと、そこを目がけていくらしい。
そして子宮に入った瞬間、すべての記憶を忘れる。
・・・そんな説が今、じわりじわりと浸透してきている。

それを裏付けるかのような、今回の記事。

***********************


そうか、日本3大紙といわれる新聞にまで
前世と現世の関わりが“普通”にでちゃうような
世の中になっているんだ。
(10月14日付の朝刊によると、新聞に関する
アンケート結果で「新聞は信頼できる…86%」で
TVの信頼度をはるかに上回っていた。
信用性に基づいた影響力が立証されている格好だ。)



もうそれを、そんなことはありえないだとか、
目に見えることしか信じないと思う人こそ
柔軟性がなくて時代についていけずに
苦しくなってくるのではないかと思うほど
これから、色々なコトが加速し始めるのかもしれない。
そんな予感がするようなコラムであった。


そして、最後にこう締めくくってあった。

『子育てで悩むお母さんたちも、
母子関係で悩むお嬢さんたちも、
このシンプルな事実を忘れないでほしい。
子どもは親を選んでやってきた
――だから、魂に刻まれた
「大好き」な気持ちを思い出せば、
きっとうまく行くはずなのだ。』



・・・そうそう。根底に「大好き」という愛がなければ
何千年も何百年にも渡って、そして
わざわざ今回もまた家族になったりしない。

「目的あって、私はあなたたちの子どもになりました。」
という気持ちで両親に思いを馳せる。
「なにかの訳あって私を選んでくれた息子なのね。」と
今一度、親子となった意味を考えてみる。

私もまた「魂」に聞いてみたい。
きっと今はただ単に忘れているだけの、
深くて暖かい思いを。

***********************

そして子どもがいなくて辛い思いをしている方々は、
「選ばれなかったのね」とがっかりする必要はない。
現世は、子どもを持たずに学んでいくことが
たくさんある、ということなのだろう。
深い悲しみを乗り越えて、真の強さとやさしさを
装備したとき、来世に持ち越して、次回は必ず
子育てのチャンスを得られるに違いない、
と私は信じている。









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★ “新聞”から届く豊かな時間

2005年10月07日 | KAORUの好きなものギャラリー
【カラフルなアメリカのチラシ】

いつの頃からか新聞が大好きである。
理由はいくつか思い当たる。

少し早く目が覚めたり、身支度が整うと
コーヒーを飲みながら、ゆっくりと朝刊に目を通す。
あるいは夜、夕食の片付けや洗濯、掃除などの家事が終わり
ビール缶を片手にその日の夕刊を読む。

そんな、なんてことはない行為が私にとっては
この上ない贅沢な時間なのだ。

読む順番は、まず1面。そして裏のTV欄から
さかのぼるように前に読みすすめていく。
2面の社会欄や海外情勢まで読めるような時間があれば、
一周したことになり、まるでTVゲームをクリアしたような
充実感と幸せな気分に包まれる。

忙しい日が続くと広告がはさまった、届いたままの
折り目で新聞回収BOX行きとなり、
きれいな新聞がどんどんと積み重なると、
近頃余裕がないんだわ。
少し気持ちをゆったりさせなきゃね。と
我が身を振り返るツールでもあるのだ。

そしてもうひとつの大好きな理由。

読んだ記事に「へぇ~、なるほどね!」とか
「うっそ!すごい!」とか「やだ!信じられないわ!」などと
ひとりでつぶやいていると、息子が「なになに、どうしたの?」と
ほとんどの確率で聞いてくるのだ。

すると、それは思う壺!
内心「きた、きた!」とばかりにその欄を読み上げる。

そして、お互いの感想を述べあったりする。
お母さんはこう思うわ、と付け加えたり、
それってこうなんじゃないの?などと彼なりの意見が
飛び出すこともある。

つまり、新聞は大切な親子のコミュニケーションツールなのである。

********************

そんな風に我が家には欠かせない新聞だが、
時折、洗濯せっけんをこれでもか!と積み上げて
セールスの人がやってくる。

相手の熱意や、泣き落とし、金券。
じゃあ、これもおつけします!のような、
贈答作戦で優柔不断な私はつい
「3ヵ月なら…。」とサインをしてしまう。

そして昨今、私の周囲は新聞を取っていない家庭が本当に増えた。
気になる記事があればネットで見るし、テレビでも見れるしね。
倹約を理由に、それに別に困らないし、と
やめてしまった人もいる。
新聞屋さんの事情を察すると、つい同情したりしてしまう。

でもようやく気がついて、つい先週きっぱりと断った。

子ども時代から親がずっと読んでいた新聞が
本当に読みやすいのだ。

新聞が変わったとたん、めっきり
と読む回数が減るのは単に時間がないから
だけではない、ということがわかった。
ホテルのビジネスプランについている朝刊サービスで
「何新聞にしますか?」と聞かれたり、
飛行機に乗る際に「新聞はいかがですか?」と勧められると
迷いもなく、いつものヤツに手が伸びる。

今まで、人のためを思って読み慣れないものを
なんで取っていたのだろう。押しに弱い自分を恥じた。
そして、もう物欲にも左右されないわ!と心に誓った。

再度、訪れた新聞員は狼狽して
何かうちのサービスが悪かったのですか?
洗剤ならもっとお持ちします!と言うのだが、
断わる理由は今までの新聞が読み慣れているから。
レイアウトが読みにくいとかサービスとかではなく、
ただそれだけなのだと静かに伝えたら
ようやくわかってくれた。

最初はいつものように押しの一点張りだったが、
ほどなくして彼のテンションも落ち着き、
「わかりました。そんな理由は初めて聞きました。
勉強になりました。
そんな方もいらっしゃるんですね。
ほとんどの方が、もっとサービスは何かないの?
こんなんじゃお宅のには変えられないわ。と
言われることばかりで、何もいらないんです。と
言われたのは始めてなんです。ありがとうございました。」と
深々と頭を下げ「また何かご縁がありましたら
ぜひお願いします。」と付け加えて帰って行った。

こちらがきちっと心を伝えたら、
相手の態度もきちっとなることを今回
学んだような気がしている。

それから相手の事を考え過ぎたり、
目先にチラつく物質に惑わされずに、
自分はなにが一番、居心地がいいのかを
見つめる目と心を今一度大切にしていこう



そして…毎日届く、新聞から
私はいつも豊かな時間をいただいている、
ということを再度実感している今日このごろである。


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☆“髪”が映し出すもの

2005年10月02日 | スピリチュアル セッション
               【落陽の山影】

「ヒゲはね、何か意味があると思うんですよ!
前から気になっていたのよね。男性がヒゲを伸ばそうと
思うとき、または切ろうと思うとき、絶対に心理的なことが
作用するんじゃないかな?」と後輩のツボちゃんはいう。

まるで推理小説か刑事ドラマのなぞ解きのように、
さらに彼女は推測する。

「きっとね、ヒゲで大きく自分を見せようと
するんじゃないかしら?そして本当に自信がある人は
ヒゲで自分を隠したり、飾ったりしない。
素のままの自分で勝負するんだと思うの。」


なるほど、毛髪は体を守るために本来存在をしている。

そういう観点から考えると、ヒゲの力を借りて
自分という存在を無意識に守っているのかもしれない。
カツラもまた同じような側面を持っていて、
周囲はそのままでも、きっとステキなのに。と
思っても、何かを恐れているのだと思う。

人間関係が壊れること?嘲笑?
自分が思うより周りはずっと寛容で、
そのうち慣れてなんとも思わなくなるもの、というのは
自分に当てはめるとわかるのだが、実際に自分の立場だと
そうはいかないデリケートな事柄である。


でも、本人が「素のまま勝負」をできる準備が必要だし、
それでも整わないときには、それこそ衣服を纏うことと
同じような感覚でいるのもまた良いのだと思う。




こんな話も聞いたことがある。

幼くして両親を亡くした方の好みの男性は“毛深い人”。
理由は「生命力が強そうだから」
すごく明快でいて、改めて私たち人間が
“動物である”という事実を認識できるエピソードだ。


髪形や眉やヒゲの形・脱毛に至るまで、
おしゃれや流行に左右されているようでいて、
実は、生物学的に本来の“動物”としての心理も
大きく影響されているような気がしている。


そして昨今、日本の女性のみならず、
男性までもが肉体を脱毛したがるのは何故なのだろうか?

ここまで毛がないことにこだわる民族は
海外ではあまり聞いたことがない。
単なる流行か、それとも無意識のうちに何かが
深く関わっているのだろうか?

チャネラーの黒田美穂さんはこう推測(?事実??)していた。

「宇宙人は全身の毛がないでしょ?
毛に覆われている原始人とは対極な存在の進化形が
毛がないスタイルなんだから、ハイレベルな存在に近づいていきたい
と思っているのよ。本来守ってくれるはずの大切なものを
あえて取るわけだから、進化のための行為なのかもね!」

なるほど~。


髪型をかえて、心までリフレッシュできたり、
髪の毛を切りすぎてちょっとブルーになったり、
別人のように雰囲気が変化する不思議な存在。

「髪は女の命」そして「男の命」でもあるが、それ以上に
“動物”としての一面を持ち、“心理的”に大きく作用し、
人類の“未来”に向かっても着々と進化中のようある。



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★「感謝」のごはん

2005年10月01日 | スピリチュアル セッション


セッションはね、すごくエネルギーを使うから、
イベントの時は特にしっかりと食事をしてね!
そして、なるべくたくさん水を飲んでね!と
アドバイスをもらってから、チョコレートは欠かさない。
どんなにスケジュールが詰まっていても、
ランチを抜いてまで没頭してしまうことが
ないように心がけている。

体力とはまた別の部分を使っているのだが
運動の時と同じように食べ物でパワーを補い、
水分をしっかりと補給する。
通常の生活以上に食事をエネルギーに変換している
ことを実感するようになった。


先日、料理研究家の方と話す機会があり、
“食”の話題になった。
韓国の食事療法を行っている施設を訪れた時に
聞いた話が印象的だったという。

朝起きたらすぐに、水を飲み30分ぐらい
ぼ~っとしていると体の細胞が目覚めて
調子が良くなるのだという。
水はミネラルウォーターではなく、
カルキの入っていない水道水でよいのだとか。
起きぬけに体内の毒素を出す目的もあるようだ。

そういえば昔の人はよく、枕元に水を置いて寝ていた。
いつのまにか、そんな風習はなくなったが、
昔の人々は体にいいことを知っていたのかもしれない。

そして、一番大切なのはどんな成分の水か、
ということよりも「感謝」して飲むことなのだという。
そうすれば、たとえどんな水でも
“いい水”に変わるのだそうだ。

逆にこれは体に悪いのだと思いながら食べる
食事は本当に体によくないそうだ。
そして長年、料理を研究している彼女は
こんな風に“食”を語っていた。

確かに全部が有機野菜だったら
それに越したことはないけれど、
こだわるあまりに、添加物を拒否していると
ストレスがたまって、口にするものすべてが
マイナスに変わってしまう。
私はね、食事のうちの1品が有機だったり
体によいものだったらそれで十分だと思っているのよ。
その1品に「感謝」の気持ちを注ぐことで
あとのメニューもプラスに変換されるの。

確かに最近は「食べ物を疑え!」と言われるぐらい
すっかりマイナス法となり、常に疑心暗鬼だ。
そして、時々やむ得ない状況で食べてしまったり
食欲に負けてしまったりすると、後悔の念にさいなまれる。
ダイエットもまたしかり、である。

せっかくのエネルギーを、疑ったり、後悔しながら
体の中に取り込むのは大切な何かを置き去りにしている。

体内に不浄なものを入れない、というコンセプトの
ベジタリアンはやはり体の健康を蝕むようである。
お坊さんの精進料理のような食生活もたまになら
ヘルシーだが、ストレスやパソコンなどの電磁波にまみれた
現在の社会生活では、仏門と同じような栄養素で
長年続けていくには肉体への負担が大きすぎるようだ。

拒食症や過食症もまた、精神的なストレスを
食べることにぶつけ、あるいは逃げ込むことで
心のバランスを保とうとするが、結局は肉体の
バランスは崩れていってしまう。
「食べ物」そのものに感謝し、「食べる」という行為自体が
本当に有り難いことなのに、そのことは当たり前で
病的に拒否したり、必要以上に欲したり・・・。

一番いい食事はストレスなく食べること。
おいしく幸せな気持ちだったらなお最高だ。

たとえ、コンビニで買った
冷えたお弁当でも「感謝」に値する。
明日からは少しスイッチを切り替えてみよう




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