KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★マルタの星

2009年10月26日 | 旅の物語


星座や血液型などのDNAや個人的な情報から
カテゴライズするのは、あまりに大雑把すぎる。
という意見もある。

県民性や国民性というくくりで分類しても
いろんな性格があるから
これまた答えはひとつ、というわけには
いかないのだろう、と思う。

ただ、人間は生まれ持った性格という
魂の履歴などのほかに
家庭環境、生まれ育った時代背景、
気候風土や周囲の環境によっても
大きく影響される存在だと私は思っている。

南の島で、何もしなくてもたわわに実る気候だったら
食べることに必死にならなくてもいいから
全体的にの~んびりとした雰囲気になることが多いし、

戦争時代の環境下に置かれると、
生きるということに対して
厳しく、凛とした考え方が要求される。

その中で、もちろんパーソナルな視点で
細かく見ていくと、さまざまな要素で
さらに分かれていってひとりひとりが
いろいろな思考や、行動をして、
それぞれの人生ストーリーが展開されるわけである。

**************************

今までに、たくさんの国の人たちと
出会って交流してきた中で
一概にこの国の人はこう、と
単純に分類することはできないが
やっぱり、噂というか通念上で聞いていたように
ドイツ人はマジメで堅いカンジが多かったし、
イギリス人は控えめながらも芯の通ったイメージが
多かったように思うし、
オーストラリア人はなんだかオープンだ。

もちろん例外だっていっぱいある。

タイ人は、とっても人懐っこくて
気さくだけれど、すっごくアバウトのような印象。

でも近所の息子の友だちのお母さんは
タイで生まれ育ったはずなのに、
日本人よりもきっちりとしていて、細やかさに
いつも感心してしまう。
国民性というよりも、銀行一家、という環境で
受けた教育も大いに関係があるような気がする。

**************************

授業では、
テープを聴いて、テキストに単語を書き込んだり
先生が文法の意味を説明してくれたり、
英作文を作ってみたり、
学生の時のような懐かしい風景が展開される。

日本では、最初からずっとプライベートレッスンのために
1対1で話をしてきたので、
グループレッスンという形式は初めての経験だった。

学生の時とも、いつもの英会話教室とも
また違う雰囲気で、
それは、よくNHKの教育テレビで放送されている
「テレビで留学!」みたいなシリーズの場面に
そっくりだった。いつか私も行ってみたいな、
と思っていたシーンが今ここにあることが
とても不思議で、そして嬉しかった。

イスに小さいテーブルがついていて、
テキストも辞書も、ノートも乗りきらない。
何度も紙がバラバラっと下に落ちてしまう不便さもあるが、
そうそう、テレビで見たのも
こんなスタイルだった!と思うと
それもまたよし、だったし
こぢんまりとして密着感や教室全体の一体感が
あって、アットホームな雰囲気である。

2人から最大8名の少人数制だったが、
いろんな国の人たちと一緒の
グループディスカッションは初めての経験。

お国柄ならではのトークが展開されたり、
それぞれの考え方に触れるいい機会なのである。

**************************

ある日のディスカッションの内容は
「ティーンエイジャーの抱える問題について」

日本では、お酒、タバコ、薬かな・・・。

スイスでは?

「同じよ。」

日本は20才からお酒もタバコもOKなの。
スイスは?

「ビールとワインが16才。そのほかのお酒は18才からよ。」

え~?お酒の種類で違うの???
スペインは?

「18才から両方とも大丈夫。」

「マルタでも、未成年者のアルコールやタバコの問題は
深刻よ。更生施設って日本にはいくつぐらいあるの?」

日本にはあることはあるけど、
いくつって聞かれてもわからないな・・・
ちなみにマルタは何才から認められているの?
と聞いたら

「決まってないわ。」という。

いつからじゃないと認めない、というような
そんな法律はないらしい。
深刻、という言うわりになんという大らかさ。

**************************

ひとつの国の中で
いくつかの言語を話すというスイス。
ドイツ語圏、イタリア語圏、フランス語圏・・・
スイス語というものはなく、それぞれの地域で
しゃべる言葉が違うし、英語教育も
どうやら充実していなかったようで、
今回もたくさんのスイス人が来ていた。

同じ国の人同士なのに、
会話が出来ないって、どう思うの?

「う~ん、別に・・・。」

国レベルでの話がある時
どうやって伝えるの?同時通訳で?

「それぞれの地域のリーダーが伝えるの。」

じゃあ、国のトップというか代表はどんなスタイル?
天皇家と、王室とか、大統領とか、首相とか。

「う~ん、ないわ。」

じゃあ、国際会議は誰が出るの?

「え~? 知らない・・・。」

決して若者に聞いている内容ではなく
私と同年代2人に質問した答えである。

たまたま関心や興味がないの?とも思ったのだが
どうやらそんなことではないらしい。

そういう次元で生きてはいないようなのである。

日本は政治に無関心、という言葉で
いろんなことが危惧されていたり、
何かひとたび事件が起こると
政治家たちの責任問題を追及され
その政治家を選んだ国民にも責任がある、という
話にまで発展していくのが常だが、
その「責任の所在」というもの自体が
存在しないことが、欧米やアジアはじめ
多くの国々の意識らしい。

それがあるからこそ、守られてもいるし
安全で安心である一方、
誰かのせいにして、自分自身を省みないで
いつの間にか問題がすり替わってしまっている
結果につながる危険性も含んでいることは
意外と見過ごされてしまっているのかもしれない。

そして、束縛感や閉塞感がつきまとい
自由な伸びやかさが制限され、
結局、利益のためにも何かをごまかしていく。

そんな構図につながっていないだろうか。

普段は、そんなことを考えもつかないが
外に出てみると、今までとは別の角度から
状況や現状を眺めることができるのが
旅の魅力のひとつ。

*************************

今回の旅で、圧倒的に多かったスペイン人たちは
ナイトクルーズでも経験したように
イメージ通り、陽気な民族。

でも同時に、とても情に厚く
細やかな気配りができる気質を
持ち合わせていることを知った。

私が、授業でわからずに戸惑っていると
それを察知して、小声で教えてくれた
アネゴ肌のハスキーボイスのかっこいい女性。

最後の日だからといって
「トルティーヤ(日本でいうスパニッシュオムレツ)」
を焼いて来てくれたMiguel(ミゲール)。

嵐のナイトクルーズの後、12時過ぎに
ビショぬれで家に着いてから、作り始めたのだという。

そして、金曜日の夜にはみんなに
パエリアをご馳走するから、
自分と彼女の泊まっているアパートメントに来て!と
誘ってくれた。

いつの間にか、
ペルー人のLeyla(レイラ)、ドイツ人のKatja(カティヤ)、
スペイン人カップルのMiguel(ミゲール)と
その彼女Isabel(イザベル)と、YOSHIKOさんと
私の6人仲良しグループが出来上がっていた。

*************************

待ち合わせを兼ねて、パエリアの材料を買うために
Miguel(ミゲール)とスーパーで待ち合わせたが、
行き違ってしまい、結局1時間以上
会うことができず疲れきって途方にくれた頃、
ミゲールが現れた。

きっと迷っているんだろうと思い、
港のほうをあちこち歩いて探し回った、というのである。
携帯のメールアドレス聞いておけばよかったよ。
という。レイラとも、待ち合わせ場所で会えないし。

携帯が手に入った今、
待ち合わせで四苦八苦しなくなったが
そういえば、昔はよくこんなこと
あったよな~。すっかり忘れてた。

ドキドキしたり、クタクタになったりしながら
パエリアの材料を一緒に見てまわった。

スパイスのコーナーで、
ミゲールがなにやらずっと探している。
もしかしたらサフラン?これじゃないの?
と小さなビンを指差すと、
サフランは普通使わないんだ。という。
高いし、口に入ったら出さなきゃいけないでしょ。
スペインではもっと安くて飲み込める
(液体、とか砕いたものとか)
別のものを使うんだ、たぶんあると思う。と
目をさらのようにして棚を丁寧に見ている。

どんな、名前のスパイスか何度か聞いたが
結局全然覚えられなかった。

しばらくして、ミゲールは
スペイン語を話していたカップルに声をかけた。
どこにあるか知っている?というような
ことを話しているのだと思う。

向こう側の棚だよ。
そう、でも見つからないんだ。

そんな会話が展開されたのだと思う。

その、見ず知らずのカップルは
気がついたら一緒になってスパイスを
探し始めたのだった。

日本人は、いくらならんでも
そこまでしないよな~。
本当に優しいんだ、この人たち。と驚いた。

*************************

そして一方、授業では、
とにかく気ままなのがスペイン人たち。

水道の調子が悪いから。と途中で帰ったり、
もう休み時間が終わるね、と一緒に休憩室を
出たはずなのに、どこに行ってしまったのか
ぜんぜん戻ってこなかったり、
しょっちゅう休んだり、遅刻しても
まったく普通の表情で教室に入ってくる彼ら。

たしかに、自分が困るだけで、
授業は時間通りに始まるわけだから
迷惑をかけていないといえば、いない。

小さいことは気にしない。

困っている人は、とことん助ける。

自分のことになると、あくまでも自由。

そして、たくさんの人々が集まれば
楽しく明るく盛り上がる。

「スペイン人はクレイジーだから。」
と自分たちのことを何度も、そう表現していた。

本当のクレイジーなんかじゃない。と私は思う。

周囲に振り回されずに、マイペース。
でも、周囲に心を配り惜しみなく力を注ぐ。
見返りなんて求めたら、きっとそんなこと
できないよ、っていうぐらいに。

自分がしたいからする。
ただそれだけなのだと思う。

こんなことしたら、どう思われるか
なんて難しい計算なんていっさいせずに
素直に心の赴くままに行動するシンプルさ。

*************************

体裁や、結果を重視してきた
日本が忘れてしまってきたものが
しっかりと、そして
生き生きと根づいているスペイン。

その自由さと優しさに私はあこがれる。

日本も確実に、
従来の20世紀型といわれる
古い価値観や慣習にとらわれることなく
生きていけるような流れになっていると思う。

「恥の文化」は時として好奇心や、
経験するチャンスを阻害する。
謙虚さを促し、己の立ち位置を確認する
いい視点なのかもしれないが、
これからは、謙虚さにプラスして
一歩前に出る勇気や行動力を兼ね備えてこそ
世界も、視野も広がっていく。

本当の強さは、

相手の立場に立って思いやることのできる
「優しさ」と
マイペースと自分の意志を貫き通せる
「動じない心」の
絶妙なバランスがあってこそ。

太陽も、月も、地球もたったひとつだが、
その周囲にはたくさんの輝く星たちが
きらめいている。

どの星もかけがえのない存在であり、
そして、それぞれの光を発して
美しい宇宙に息づいている。

たくさんの人々との出会いは、
まるで、その未知なる世界を知って、
その広大な規模に驚き、感動し、
自分に取り込んでいく作業なのだと思う。

もっともっと、輝いていく自分になるために
きっと私は、人生という出会いの旅を
続けていくのだろう。

*************************

クラスメートたちと一緒に。

一番左がアネゴ。隣がミゲール。
そして、マルタ人の先生、ターニャ。
それから、YOSHIKOさん。
毎日一言ずつ新しい日本語で挨拶してくれたスイス人のサイモン。
スペイン人のリビア。
22才の最年少、シャイなスイス人。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/30/ea3444d47f9a99a376a7a153286d50c4.jpg

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★マルタの嵐

2009年10月20日 | 旅の物語
             【翌日、静かなセントジュリアンの港】

英語の授業は午前9時から午後12時半まで。
午後からはフリーとなる。

受付の前の掲示板には、
毎日オプショナルツアーが開催されていて、
参加したい人は名前を書き込むことになっている。

「Monday、Welcome Party」

「Tuesday、サルサレッスン & パーティ」

「Wednesday、Blue Grotto(青の洞門) へのバスツアー」

などなど、レッスン終了後に参加できて、
しかもホームスティのディナータイムには
ちゃんと間に合うスケジュールや、
夜スタートの夕食付のナイトクルーズやら、ミュージカル
土日には朝から夕方までのゴゾ島ツアーや、
コミノ島の美しいビーチツアーなど
バラエティ豊かな内容が用意されていて、
アフタースクールも充実している。

学校だけの企画は、10人満たないと
開催されなかったりすることもあるが、
ほかのツアー会社とのコラボで斡旋してくれたり
さまざまな形態があり
少しリーズナブルで、なにしろ安心である。

私とYOSHIKOさんは毎日のように
申し込み欄に名前を書き入れた。

*************************

月曜日の午後はYOSHIKOさんと、ホームスティで一緒の
ペルー人のLeyla(レイラ)と、レイラのお友だち
ドイツ人のKatja(カティヤ)と4人で中世の古都
Mdena(イムディーナ)へ。
ローカルなボンネットバスに乗って約30分。

私たちは城壁に囲まれた
静かなたたずまいを、ゆっくりと散歩した。

細い路地から見える青空と
ベージュの石造りの建物のコントラストが美しい。

4人で話すときには英語で。

そしてYOSHIKOさんと日本語で話していると
ドイツ人のカティヤは
「2人が話してると本当におもしろい!
“そうそうそうそう!”“ウンウン、そう!”
って早口でおかしい~!」と
何度もマネをしては笑っていた。

*************************

誰もが観光客の私たちは、
配られたバスの路線図やらMALTA MAPやら、
それぞれの国の言葉で書かれたガイドブックを持ち
お互いの情報を交換する。

最終日、一人で日曜朝市へと出かけた時は
たくさんあるBUS STOPで迷ってしまい、
ベンチに腰掛けていたカップルに、
「マルサシュロック行きはここでいいのかしら?
私は10時半発のバスに乗りたいんだけど、
もう行っちゃったかしら?」と聞くと
「私たちも同じバスを待っているの。まだだと思うよ。
この停留所で大丈夫だと思う。私もそう願いたい。」と
答えるので、あれ?と思うとその人たちも、
しっかりとガイドブックを
握り締めていて、お互いが不安げな顔になる。

そして、バスが来たときには
笑顔を交わして、お互いにホッとしながら乗り込み、
隣に座って目的地に到着するまでの時間会話を楽しんだ。
スロバキアから彼と一緒に英語留学に来たのだという。

年齢は私と同じぐらいだろうか。

1年前から勉強し始めたのだそうだ。
自分が子どもの頃は英語の授業がなかったから
ちゃんとしゃべることができない。
いろんな国の人と話が出来るようになりたい、と思って
バカンスを利用して2週間ほど学校に通っているのだという。


そのほかにも、
「ゴゾ島ツアーに参加するんだけど、
待ち合わせ場所はここでいいの?」と
聞いてきた黒人の女の子。

「フェリー降りたら、ちゃんとバス
待っててくれるかしらね?
どのバスか知ってる?」と肩を叩かれて
確認してきたロシア人の若い女の子たち。

そんな会話をいろんなところで、
いろんな国の人々と交わしてきた。

国籍を問わずみんなストレンジャー(よそ者)同士、
気軽に聞きあって助け合うのがマルタスタイル。


*************************

そして水曜日は、青の洞門 
Blue Grotto(ブルーグロット) へ。

バスをチャーターして学校の生徒ばかり
10数名と担当スタッフとのショートツアー。

数千年もの風や波に削られた岩と、
深くて青い海。透明感あふれるエメラルドグリーンの海。
小船に乗って、陽気な船長さんが英語でガイドしながら
見所を案内してくれる。

私よりレッスン数の多いYOSHIKOさんが終わるまで、
VALLETA(ヴァレッタ)の街並みを一人で
のんびり歩いてみたり、買い物を楽しんだり
午後は別行動で、夜のツアーで待ち合わせをしたり、
短い時間をめいっぱい、とにかくフル稼働で動き回った。

*************************

木曜日の夜は、学校で募集していたツアー
コミノ島へのナイトクルーズに申し込んでいた。

もちろん、すでに月曜日か火曜日にはすかさず
一番上の欄にKAORUとYOSHIKOの名前を
記入していたから、当日の参加費締め切りとなる
休憩時間AM11:00には真っ先に支払いに行ったのだった。

申し込み用紙を見ると、9名の申し込みで
斜線が引かれている。
今回のツアーはどうやら早々と満員になったようである。

「よかったね!私たち早めに申し込んでおいて。」と言いながら
支払いの手続きをとっていると、
ドヤドヤっと若い生徒たちが受付に押し寄せた。

そして、クラスメートのスペイン人の女の子たちが
交渉し始めた。

私たちもナイトクルーズに参加したいのだと言う。

受付の女性は、掲示板の申込用紙に記入した?
ううん、まだ。と答えると今回は9名で締め切ったから
ムリだわ!と答えているのだが、
後に引かずに、参加したいと言っている。

何人ぐらい希望なの?電話して聞いてみるわ。と
受話器を持ちながら渋々質問すると、
「23人!」
「・・・! 23人???」と絶句している。

その後、私たちは教室に戻ったので
どうなったのかわからずに、
集合時間の午後6時を迎えた。

*************************

クラスメートをはじめ、全員の許可が降りたらしく
受付に詰め寄っていたほかのスペイン人たちも
港に集まっていた。

出発予定時刻を30分ほど過ぎた午後7時過ぎ、
木製のかわいい帆船に乗り込むと
ノリのよい音楽が船内を包み、いきなり乗客たちは
踊り始めていた。

9人の予定にさらに加わること23人。
その他にもたくさんの人数が集まっていて
あきらかに定員オーバーじゃないの?
大丈夫?この船沈まない?と思うほど
熱気に溢れていたのだった。

何語の曲かわからないまま、
ひとまず一緒に楽しんでいると、
スペイン語の曲になると異様に盛り上がる。
スペイン人のクラスメートが、ここでは
低くなって!ここで高く伸びて!と
振り付けを教えてくれる。
その盛り上がりで、この船のほとんどが
スペイン人で占められていることを知った。

*************************


学校には、ヨーロッパ人が多く
スペイン人、ドイツ人、スイス人、フランス人の順で
日本人はじめアジア人はほとんどいない。

スペイン街があるほど、たくさんの
スペイン人がいたのだが、
今回のこの旅で、私は初めて
多くのスペイン人と出会い
その国民性に触れるにつれて、
愛すべきその人柄が大好きになってしまったのだった。

それは思いがけない収穫である。

*************************

最初のうちは、遠ざかる美しい夜景を楽しみ
歌や踊りに酔い、異国の夜の風を満喫していた。
こんなことって、学校のツアーじゃなかったら
参加できないよね!
個人旅行だったら、ちょっとコワイって思うかも。
日本の旅行会社のツアーだったら、
もっと日本人が多いだろうし。

この雰囲気って、今回の醍醐味のようなカンジがしていた。

出発して約1時間。
船は速度をゆるめ、
なにやらアナウンスが流れ始めた。

どうやら、バッドコンディションのために
コミノ島に上陸できない、と言っている。

そういえばさっきから遠くの空で稲妻が光っていた。
時折、雨が降っては止んでいる。

たしか、学校でスイス人の男性のクラスメートに
明日のクルージング行くの?って聞いたら
明日は天気が悪いからやめておくよ!と言っていたけど、
本当に荒れるのかしら?
上陸できないほど、悪いとは思えないのにな~。
と軽く考えていた。

ツアーはフリードリンク、フリーフードという内容だったが
いったいどうなるのかしら?と話していたら
しばらくしてアナウンスが入った。
友人たちが、取りに行こう!と誘ってくれる。
ワインと、冷えたサンドイッチをいダンボールの中から
取り出し、大勢が手を伸ばし、
船員がまるで配給のように配っている。

白ワイン?赤ワイン?
肉と魚、どっち?(といっても肉はハム、魚はツナである。)

踊ったり、話したりしてすっかりお腹がすいていたし、
少ない選択肢の中から選び、
真っ暗な夜の海の上を漂いながら
私たちは、ひとまず夢中でほおばった。

しばらくすると、
数名の男性がデッキで服を脱ぎはじめ
水着姿になり、手すりに立ったかと思うと
時折小雨の降る、真っ暗な海に飛び込んだ。

Waooo!という歓声が上がり、
一気に海に視線が集まった。
 
夏真っ盛りとは言え、夜は結構冷える。
まして、雨が降っていつもよりも寒いのに、
どんどんと水着姿に変身していくのだ。

そのうち、若い女の子たちも惜しげもなく
ビキニ姿となって、どんどん飛び込んでいく。

深さはどのぐらいか検討がつかない。

地中海の夜の海にぷかぷかと
楽しそうに浮かぶスペイン人たち。

その様子を写真に撮っていると、
写してくれ!とピースサインで声をかけてくる。

「どこから来たの?」と聞かれ

「日本からよ!」と答えると、

「Oh!ポッケモ~ン! ドラエモ~ン!」と
みんなで口を揃えて答える。

「一緒に泳ごうよ!」と誘いにくるが
ゼッタイにムリ。
若さと体力が違うし。


船体の横についてるハシゴを
登っては、またザッブーンと飛びこみ
クラゲみたいにたくさん浮いている。

お酒も飲んでるし
もし、心臓マヒとかおきたらどうするの?
夜の海で帰ってみたら一人足りない、とかって
なったら誰が責任取るの?

日本だったら、ツアー会社やら船会社の
責任になるから、必死で止めるのだろうが、
そんな気配はいっさいない。

あくまでも、自己責任において
だれのせいでもなく、最終的には
個人の意思が尊重されるのだろう。

海外のそんな気質というか慣習を
聞いてはいたが、やはり驚きである。


*************************

2時間ほどたっただろうか。

予定よりも1時間ほど早く切り上げて
船は帰路についた。

あんなに盛り上がっていた彼らも
そんな時にはすみやかに引き上げるらしい。

船内はすっかり更衣室と化し、
ビショぬれになったカラダをバスタオルで
拭いて、大胆に着替えている。

そして、着替えたら
また歌って踊る。

疲れを知らない若者たちで
デッキは熱気に溢れていた。


すると、
雨がだんだんと強さを増し、
風も強くなってきた。
相変わらず雷も時折とどろいている。

さすがのスペイン人たちも
耐え切れなくなったらしく、
どんどんと船内に入ってくると、
まるで満員電車のように身動きが取れなく
なってきてしまった。

帰るのに、約1時間。
ずっとこの格好を続けるのはかなりツライ。

ロープの張っている地下へ行く
階段に移動して、かろうじて
座ることができて、ひざをかかえたまま
すぐに眠りに落ちた。

その間中、窮屈な船内では
音楽もかかっていないのに
ひとりが先導して歌い始めると
それに合わせて大声で歌い続けている。

*************************

ふつう、どんなに若いとはいえ
日本人でも帰りはぐったりとして
おとなしいだろうな、と思うと同時に
ラテンの底力をみたような気がした。

どんな悪条件でも、
天変地異が起ころうとも
最後の最後まで楽しみきってしまう。

きっと後悔なんてしないほど
エンジョイできる
エネルギーを持っているのだと思う。


それが、ラテンの明るくたくましいパワーなのだ。

本当にすごいな、と感心しながら
一瞬の間、深い眠りについた私を、
またまた知らないスペイン人の女性が
「着いたよ!」と腕をトントンとして
起こしてくれた。

*************************

バケツをひっくり返したような雨の中、
カサもないし、小さなタオルをかぶったところで
ムダな抵抗のようである。

道路には洪水のように水があふれている。

ワンピースのすそを持ち上げ、
つま先で歩いたところで
もはやなんの意味もない。

こんな洪水みたいな道路って、
子どもの時に経験した台風みたい!

あの時はプールみたいになった
家の前の道を長靴で歩いて、
大はしゃぎしたよな~と子ども頃に
一瞬タイムスリップしたような気分。

満月直前、
嵐のSliema(スリーマ)の街を
わざと、水を蹴って遊んでみた。

わ~!もうビショビショ!!!

私自身の迷いや、戸惑いや不安といった
必要となくなった何かも、
最後の最後まで一緒に
洗い流してしまうような気持ちで
夜の空を仰いだ。


*************************

あとから聞くと、
乾季が続いていたMALTAで、
久々の恵みの雨だったのだという。

それにしても気持ちの良いぐらい激しい嵐だった。

「あのStorm(ストーム)の夜に
船に乗ってたの???大丈夫だった?」と
多くの人が心配するほどの激しさ。

穏やかな地中海性気候のはずなのに、
よりによってクルージングの日だけ、大荒れ。

それって、まさに浄化されに行ったのかしら。

だとしたら、ホントにスゴイ。

そして、本気の楽しみ方を
本場のラテン民族に
教えてもらうことができたのだ。

*************************

どんな場所でも、
どんな状況下でも、
なんにもなくても、

幸せは生み出せる。

喜びは共有できる。

昔からの知り合いとでも、
たとえ、今知り合ったばかりでも。

少しの言葉と、笑顔。
そして歌と、踊りがあれば
人生ってまだまだ楽しめる。

そんな、大切なことに気付いた
マルタ、嵐の夜。




*************************
学校の掲示板
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/80/b71f388a15fbc6e63923af604151d392.jpg
コメント (2)
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★マルタの太陽

2009年10月12日 | 旅の物語
        【中世の面影残る町 Mdina イムディーナ】

KAORU♪さん、思ったより日焼けしてないね!
真夏だったんでしょう?と
ブログを読んでくださった方から声をかけられた。

MALTAの太陽は体当たりで照り付けていたはずなのに、
思っていたほど強くなかったのか、
それともじわじわと肌の下にもぐりこみ
そのうち、シミとなって浮き出てくるのか
今のところはナゾである。

ただ、肌の変化はないれど、
雰囲気や表情はあきらかに違うようである。

「すっごくすっきりしてますよ~!
本当に元気そうで、楽しそう♪」と数名に言われた。

そう、前回の台湾一人旅のテーマは「リフレッシュ」。

今回は「心機一転」がメインテーマ。
気持ちを切り替えるための旅だった。

留学や観光はサブテーマとして、
くっつけていた。

でも、メインテーマを成し遂げるためには
なくてはならない大事なプログラムだった。

傍目から見ても、表情も雰囲気も軽やかに
すっきりとなっている、ということは
旅の目的は、完遂されたのだ。

自分のための贅沢な時間。


今となってはもう過去となっている
かけがえのない思い出が、
新しい時間のためのエンジンとなる。

***********************

空港から、YOSHIKOさんと私は
迎えに来ていた車に乗り込み、
学校への道のりを案内してもらいながら
それぞれのホームスティ先に送ってもらった。

坂道が多いから、この通りの方が少し
遠回りだけれどフラットだよ。とか、
KAORUのホームスティ先は
SLIEMA(スリーマ)だから行きはバスで、
帰りはフェリーを使うといいよ。
行きはフェリーにすると坂道が大変だから
バスでね!フェリー乗り場まで案内するよ。

そして、バス乗り場はここのBUS STOPで。
おつりをくれないときがあるから
ちゃんとジャストの金額を用意しておかないと
いけないよ!47セントだよ。と
アドバイスしてくれたり、
ショッピングはこのあたりで!と
丁寧に車で回ってくれた。



YOSHIKOさんのスティ先は学校の近く、
伝統的なクラッシックな建物が並ぶ
VALLETA(ヴァレッタ)というMALTA島の首都。

そして、私は湾の対岸
近代的なビルが立ち並ぶSLIEMA(スリーマ)。
学校までバスで約20分のところ、
海沿いのビルの2階で1週間を過ごすこととなった。

ホストファミリーは
ご主人を数年前に亡くされ、5人のお子さん達も
巣立って現在ひとり暮らしという
キャロラインお母さん。

ふくよかで、のんびりとした
お母さんは、3人の留学生を受け入れ
朝も夜もおいしいご飯を作ってくれた。


***********************

登校日初日、20名から30名ほどの新入生が
ひと部屋に集められ、ほとんど説明もなく
紙を渡された。

名前や、自己紹介だったかすっかり忘れたが
なにやら記入して、というのである。

そしていきなり、「Ten minute (10分)!」と
勢いのよい声がした。

え?なんか記入するの?
あれ?さらさらみんな書いてるわ・・・。

もしかしたらもう突然
クラス分けのテストがはじまっちゃったの?
でもこれは、テストって感じの内容じゃないな、
と動揺しているうちに、
「はい!終了!」という声とともに
あっという間に回収されてしまった。

ほとんど、何にも書けなかった…。
そして続いてまたまたプリントが配られた。

穴埋め問題やら、2択や3択の問題が
たくさん並んでいる。

今度は
「45minute!」

わからない単語もいっぱいだし、
隣の人はすらすらと書いては
次のページにどんどん移っている。

この10年、ほとんど会話ばかりで
文法や英作文の勉強はぜんぜんしていない。
先生たちに日記を書いて!練習になるから!と
いわれ続けていたのに
忙しいから忘れちゃった、とか、そのうちがんばる!と
子どものような言い訳をして逃げ回っていたツケが
一気にやってきたカンジだった。

わ~ん、先生たちの言うこと
ちゃんと聞いておけばよかった・・・。

あ~、もうこうなったらヤケクソで
適当に書いちゃお!などと、
後悔したり、開き直ったりして
あっという間に45分がやってきた。

***********************

テストの採点までの時間、
新入生は、受付の人とともに街に出た。

学校の回りをぐるっと歩き
ここが、首相官邸で、ここがシティゲート。
なるべくならお世話になってほしくないけど
ポリス。バスターミナルはここ。
休み時間の食べものはここで買うといいわ、
と周辺の案内をしてくれた。

そして、教室に戻り
いよいよクラス分けのメンバーが発表となった。

一番最初にYOSHIKOさんと、若い男の子が呼ばれ
担当の先生とともに、教室を出た。

そして、次に呼ばれたのが私を含めた3人。
担当先生がにこやかに教室へ連れて行ってくれた。

***********************

先生が、にこにこしながら
自己紹介をはじめてすぐに、あっ!と思った。

先生の話し方が超スローペースなのである。

瞬間に、私は超ビギナークラスに配属と
なったことを悟ったのだった。

そして、それぞれの自己紹介になって
それを確信した。

年配の女性はスイスからきて、
孫がいるのだという。そして、私の娘は・・・という
話の時に「daughter(ドゥター)」を何度も
「doctor(ドクター)」と言い、
発音を直されても、なかなかうまく言うことができない。

そして、月曜日から日曜日もよくわかっていなかった。
「Monday(マンディ)」は「モンディ」と読み、
何度も何度も繰り返し正しい発音を練習させられていた。

ドイツ語を話すその女性は、
英語を話せるようになりたいと言い、
一生懸命に辞書を引く。

いくつになっても学ぼうとするその姿勢に
感動する一方で、
配られたテキストに目を通すと
「I have a ・・・」のようなすごくシンプルな内容。

やっぱり、ワタシ
相当点数が悪かったに違いない…。

だけど、まぁ
一からやるのもまたいいのかも!
なんて気持ちを切り替えて
授業を楽しんだ。


テキストに書かれている
アップルやバナナの絵を見ながら、
各国の食事の話に花が咲く。


担当の先生はノルウェー人。
マルタ人の奥さんがいて、
家には樹齢1000年のオリーブの木が
10本ほどあるのだという。

普通のオリーブよりも小さい実をつけて、
毎年自家製オリーブオイルを作っているのだとか。

日本の朝ごはんって何を食べているの?

スイスの最もポピュラーな食事は?

スペインはやっぱりパエリアでしょう?

などなど、レベルはともあれ
ゼッタイ的についていける内容だし、
いろんな国の話が聞けるのはやっぱり楽しい。

そして、あっという間に1時間半が過ぎた。

では、また明日!
となった時に先生に呼び止められた。

KAORUはこのクラスじゃないほうがいいと思う。
あなたにとってベストなクラスを考えておくからね。

というのである。



次はどのクラスになるんだろう~と
ドキドキしながわ迎えた翌日の朝、
先生は顔見るなり、手招きして
新しい先生を紹介してくれた。

そして、別の教室へと案内されたのだった。


************************

すると、YSHIKOさんがイスに座っている。

あら~、また一緒だわね!

飛行機の中では、できれば日本人はいない方が・・・
と思っていた2人は、クラスも同じになり
想像以上に、お互いに助け合うことができた。

暗黙のルールができていて、
なるべくギリギリまで日本語を使わない。

それでも、もう限界!となるスレスレで
絶妙なタイミングで助け舟を出し合うことで、
理解が深まっていく。

彼女の存在のおかげで、
この10年、ほぼ手付かずで放置していた
文法、というものをほんの少しだが
頭の中で整理することができた。

というのも、
普段のプライベートレッスンでは
説明がすべて英語のために、
感覚でしか捉えていないようなのだ。

右脳で聞き取り、しゃべっているカンジ。
もしかしたら、子どもが
しゃべっているような雰囲気なのかもしれない。

ブツ切れで、丁寧語とかは関係なく、
でも言ってることもほぼ理解しているし
言ってることもだいたいあってる、みたいな…。



************************

それでも、今回の一番の収穫は、
何でこんなにしゃべれるのにまだ勉強しているの?という
人もいれば、こんなレベルでも留学に来られるんだ!という
差が本当に激しくて、それでも全員がみんな同じ生徒同士なんだ!
という思いを共有していること。

私からみれば、すごいレベルと思っていても
本人にしてみればまだまだ練習しなきゃ!と思っているし
ドイツやスイスから来たシニアの女性チームは
固まって、いつも明るく本当に楽しそう。

それぞれの思いで、同じ屋根の下に
集うメンバーは、年齢も国も、
もちろん家庭環境や経歴もさまざま。

ほんの1週間、毎日顔を合わせているだけなのに
なぜだかとても安心感がある。

うちの学校の生徒だ!って思う
連帯感が生まれているのだ。

上も下もない、優劣もない、
みんなおんなじクラスメート。

それって、海外で初めて味わった感覚だった。

************************


全員が同じ目標を持っている。
もっと上手に英語が話せるようになりたい。って。

だから、
争いあうことも、競う合うことも必要ない。

全員がMALTAでは外国人だから、
国境を越えて助け合って、
仲良くするしかない。

それを、大らかなMALTA人が
ゆったりと受け入れ応援し、包んでくれる。

小さなインターナショナルな国の
懐はとても大きかった。

それは、幾多の戦争を乗り越え
たくさんの侵略に耐え、防衛の歴史を経て、
寛容さとしなやかさ、そして
誇り高き自国愛を育んだからこそ、
どんな国の人々も居心地のよい
ホスピタリティで歓迎してくれるのだと思う。

************************

世界中の人たちが
仲良く、平和になるための
縮図を、肌で感じたのは
留学という経験があったからこそ。

みんなが、まだまだ練習中の未熟な
勉強中の生徒同志であるっていうことに
気がつけたら、
こんなにも優しい気持ちになれるのに。

それは、普段の生活のなかでも同じこと。

誰がすばらしくて、
誰が劣っていて、

誰の言うことなら何でもゼッタイ正しくて、
誰の言うことはゼンゼン聞く必要ない、とかって
本当にないと思うし、

逆に、自分に自信がなくて、
つい臆病になってしまったりするけれど
みんな同じ生徒同士と思えば、
失敗なんて気にせずチャレンジできるのに。

************************

とにかく、みんなヘタでも間違えても
しゃべりまくる!
まるで、MALTAの思い切りのよい太陽みたいに。

そのバイタリティーが
未来をつくるのだと、つくづく思う。


もちろん、KAORU♪も
間違いなんか気にせず、
とにかくいっぱいお話してきた。

効果のほどは、まだちょっと?だけど・・・。



************************

私の学校。
Easy School of Language

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★マルタの風

2009年10月08日 | 旅の物語
           【BLUE GROTTO (ブルーグロット)】

TOKYOに戻ったら、キンモクセイの香りに
街は包まれていた。
私の大好きな10月の、秋の甘い匂いだ。

ついさっきまでいたはずのMALTAは、
夏真っ盛りだったのに・・・。

帰ってきて、まだそんなに時間も経っていないのに
あれは、幻だったのかな?

それとも、遥か昔の出来事だったのかしら?

夢か現実か、時間も空間もわからなくなってしまう。

旅っていつもそうだ。


だから、やめられないのかもしれない。


**********************

9月26日、兵庫県の三宮から午後7時発、
関西空港行きのリムジンバスに飛び乗った。

10分前まで仕事をしていた。

初めての場所で、バスターミナルがよくわからないのに、
夢中で走った。
これを逃すとヤバイかも!集合時間に間に合わない!
とにかく必死だった。

サーチャージ復活前で、駆け込み旅行の人たちで
臨時便が出たりするらしく予定よりも1時間早く
搭乗手続きが必要というのだ。

ギリギリ出発2分前に到着し、
とにかくチケットを購入した。

高速道路が工事していて、予定より30分ほど
遅くなりそうですがいいですか?と言われたが、
あれこれ考えている余裕はなかった。

はい!大丈夫です。
お願いします!!!と速攻で返事をした。
多少遅れても、2時間前には充分間に合うし。と
ちょっと焦りながらも、きっと大丈夫!と
自分に言い聞かせた。

バスが出発した瞬間、
ビュンビュンと通り過ぎていく景色のように
どんどんと加速しながら現実が
遠くなっていき、いよいよ旅は始まった。

**********************

関空からドバイまでの約9時間、
ずっと眠っていた。

夜中の12時発ということもあって、
とにかく眠かったから、飛行時間の長さを
感じないほどひたすら寝ていた。

あっという間にドバイ空港に到着すると、
3時間ほどのトランジット。
大きくてきれいな空港は、
今が朝なのか、昼間なのか、夜中なのか、
まったく感じさせないほど活気に溢れていた。

私はすぐさま買い物モードのスイッチが入り
あちこちを歩き回った。
例の“アレ”を探すためである。

そう、“アレ”とはスーツケースに貼るステッカーのこと。

去年のMt.Shastaの旅で
真っ赤なスーツケースの車輪が壊れてしまい、
今回のためにパープルの新しいものを購入したのだった。

今まで貼っていたさまざまな場所のシールも
残念ながら一緒に手放すことになったが、
そのあとにまた一から新しく集め始めたのだった。

あらかじめシール交換でGETしていた
「LONDON」と「North Island(北海道)」と、
そして去年自分で買った
「CRATER LAKE(カリフォルニア)」の
3種類を貼って、今回のMALTAに臨んだ。

空港に数時間しかいないけど、あわよくばドバイの
シールもないかしら?

すぐにそんなスイッチがすぐさま入る。

でも、さすがの長旅。

歩きまわっても見つからず、
とうとう諦めて、搭乗口付近のイスに座ると
またまた睡魔に襲われた。

他に知り合いもいない、
添乗員もガイドさんもいない初めての空港。
掲示板の行き先と、チケット出発時刻だけをたよりに
このあたりでいいかしら?と思って眠りこける私は、
ドバイの治安がいいのか、どうなのか、
まったく知らずにウトウトしていた。

ほどなくして、トントンと腕を叩かれ
目が覚めた。

隣に座っていた男性が、
「MALTA行きの飛行機にのるんでしょ?ゲートが開くよ。」と
英語で教えてくれた。

あんなにたくさんの人がいるのに、
私がマルタに行くってなんでわかったんだろ?
すっごいな~!なんて親切な人なんだろ。
もうこれでマルタが好きになっちゃうな、と
一人で感激していた。

**********************

ほどなくして、飛行機は飛び立ち
次はいよいよマルタだ!と思っていたら、
どうやらアナウンスではマルタと言っていない。

いったいどこに行くの?

シートにある画面を見ると次の到着地は
「LARUNAKA」と書いてある。

半分ほどの人が降り、半分ほどの人はそのまま座っている。
たぶん、私もそのまま座っていていいのだろう。

アバウトな私は、「たぶん・・・だろう」がとても多い。

「まぁ、なるようになるだろう」とか、
「きっとうまくいくだろう」とか。

**********************

しばらくすると、温かい空気と心地よい風が
機内を流れ始めた。

振り返ると、ドアが全開に開いて
海がすぐ近くに見える。

久々に見た空の色は抜けるように青く、
日差しはキラキラと輝いていた。

遠い異国に来たことを実感すると、心が躍る。

私のことを知る人は誰もいない。
そう思うと、解放された気分になる。

**********************

いつも仕事柄持っている世界地図で
ココがいったいどこなのか調べてみた。

キプロス島に「LARUNAKA(ラルナカ)」という
文字を見つけた。

キャビンアテンダントに聞いてみると
「Oh! YES! CYPRUS(サイプロス)!」と
元気よく答えてくれた。

キプロス・・・って聞いたことある。
国だっけ?どこかの島だっけ?

いったいどんな人種の人たちが住んでいるの?

世界の国について、本当に知らないことだらけである。

給油したり、機内のお掃除の人たちが来たりして
のんびりとのどかな時間が流れた。

**********************

すると、それまで流暢な英語を話していた
キャビンアテンダントが突然、普通の日本語を話し始めた。

「よかったら、写真取りましょうか~?
この帽子お貸ししますよ!はい、チーズ!」という
記念撮影の声。

エキゾチックな顔立ちで、すっかりどこか別の国の
人と思い込んでいた。

そんなフレンドリーな彼女と、
そして、乗客らしい女性の会話が聞くとはなしに
背後の席から聞こえてきた。

**********************

それは、本物の(?)、生粋の(?)関西弁で
「私はサーチャージがかかるから
9月出発にしたんです。マルタに短期留学です。
マルタにはあんまり日本人がいないというから
決めました」というような内容を話している。
(英語同様に、関西弁もうまく変換できない…)

あら~、私とまったく同じようなこと
考えてる人っているんだわ。

この座席周辺に座っている日本人らしき人たちって
みんな留学するのかな?
結構多い気がする。


ハワイとかオーストラリアとか、日本人が多いと
つい一緒につるんでしまうから、
結局英語が上達しない、という話をよく耳にする。

今回、マルタにしたのも
たぶん少ないだろうという大きな理由のひとつだった。
もしかしたら、たった一人でもそっちのほうが
いいかな。と思っていた。

でも、まぁいたらいたで、それはヨシとしよう!
なんて、あれこれ考えていた。


**********************

ラルナカから約3時間、
ドバイを経ってから約6時間以上たって
ようやくマルタの空港に到着した。

三宮を7時ジャストに出て、
実に26時間が経過していた。

パープルのスーツケースを転がしながら
到着口を出ると「KAORU SHIMIZU」と
書いた紙を持った男性がいる。

一目散で向かっていくと、
もう一人、日本人がいた。

さっき機内で声だけを聞いていた
後ろの席にいた女性だった。

彼女の名は「YOSHIKOさん」

ほとんど同じ理由ばかりを並べて
今回MALTAを選んだ2人が、
顔を合わせた瞬間だった。

彼女のスーツケースにも、
ベタベタとステッカーが貼られていたことに
一瞬、何か不思議な感じがした。


結局、私たちは最後まで行動をともにし、
一緒に学び、一緒に感動し、
たくさんの国の友人とともに遊んだ
大切な人となった。


**********************

この続きはまたの時に。

気ままにアップしていきますので、
気長に待っていて下さいね。

少しづつ、マルタでの出来事をキレイな画像とともに
お届けします♪





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★Monthlyメッセージ★ 10月【神無月】

2009年10月06日 | KAORU♪ in Japan
          【マルタの岩場に咲くピンクの花】

■月初めに、KAORUがスイッチを入れて
その月に必要なメッセージをお届けします。
2009年10月をより快適に過ごすための
ヒントにして下さいね♪■


**************************


今月のキーワードは「クリア」

これは、
「ハードルをクリア」「課題をクリア」という
意味でもあり、

「透明な」という意味でもある。

どこまでも晴れ渡る空。
澄みきった空気。
見渡せる景色。

一時期狭まっていた
視界が広がり、何か飛びぬけていくカンジ。

ギューってなってしまっていたものや
詰まっていた何かが、ポンって抜けていくのか、
サラサラサラ・・・ってとけていくのか、
スルスル~といつのまにかほどけていくのか、
劇的な事柄に遭遇してガラっと変化するのか、

それは、その人によってさまざまだけれど、

とにかく、その後に
透明な世界が待っていて、
とても居心地が良くなってくる。

たぶん、ずっと前から待ち望んでいたこと。
きっとわかっていたこと。
誰かと、あるいは自分自身と約束してきたこと。

************************

見通しがよくなってきたこの時期こそ、
いろんなことをスタートさせやすくなってくる。


今までずっとチャレンジしたかったこと。

いつかやろうと思って後回しにしてきたこと。

まだ早いと思ってあきらめてきたこと。


そんな、淡い夢や希望や、計画を
着手し始めてもいいかも。


または、スタートラインにもう一度
立った気分で今までやってきたことを
初めて挑戦するような気分で取り組んでみる。

つまり、初心に戻ってみるのもオススメ。

最初の頃ってどんな気分だったっけ?
今よりも、もっと緊張して、
丁寧に向き合っていたのではなかったっけ?

いつの間にかすっかり忘れて、
馴れ合いになってしまっているのは
誰にでもよくあること。


**************************

家族も、友だちも、同僚も、大切な誰かも。

人間関係はもちろん、仕事でも同様のこと。


もう一回、透明な気持ちで接してみて。

わだかまりも、こだわりも、
今はもう必要ないんだと思う。


そんな新しく晴れやかな気分で
今月は過ごしてみましょう~♪

緊張し過ぎず、
不安にならず、
自然体でしっかり見聞を広げていけば、
まだ見ぬ世界が広がっていますよ


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ただいま~♪

2009年10月05日 | 旅の物語
[海に続く坂道にある学校の前の通り]


マルタから飛行機に乗り、キプロスのラルナカを経由してドバイへ。

そして8時間半かけて関空に到着しました。

これから羽田に向かいます。

マルタは西洋のリゾート地で、本当にインターナショナル。
たくさんの国の人とお話してきました。マルタ人、ドイツ人、スペイン人、スイス人、ペルー人、ロシア人、スロバキア人…

友達もいっぱいできたし。

英語もたぶんぐっとうまくなってきたと思う。

やっぱり英語が話せると、いろんな国の人とお話できるのが嬉しい♪

さまざまな出来事はまた追々ご報告します。

まずは落ち着いたら、マンスリーメッセージをアップしますので
しばしお待ちくださいね!
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