これはこれでカラフルで良いんだけどクリスマスシーズンっぽいから
夏はどうだろ?暑苦しいかな?
けどすぐ送りたいし、大変だもん。
首を横に振ったものの…どっちにしても
もうクリスマスプレゼントには間に合わないんだし
急ぐこともないならやってみるか!
すぐにソーイングボックスを開けて
ハギレを合わせてみると、かわいい♪やっぱりそうしよう!と決めた。
キラキラとフワフワとしたファーがついた
マフラーとトンガリ帽子を注意深くそっとはずすと
柔らかなクマちゃんの姿が現れた。
さて。マフラーにしようか
帽子も作ろうかあれこれ考えて
三角のスカーフ風に。
2人それぞれの名前をチクチクと刺繍して。
3か国語の環境で暮らすチビ子たち。
英語にしようか、フィンランド語にしようか…
でもやっぱり日本語のひらがなで。
作りながら忘れていた記憶がよみがえる。
息子が小さい時に、ある日突然
京都の叔母から名前入りのフェルトで
汽車ポッポの刺繍が入ったバッグと靴入れが届いて
私の方が嬉しかったことを。
叔母の心がこもっていて
靴がすぐに入らなくなっても
上ばきが袋からかなりはみ出したまま
学校に持って行かせていた思い出。
これでどう?と見せると
Wow !これなら安全!
そしてKaoru スタイルだね!と
バッチリ太鼓判♪
「ひと手間をかける」
「ひと手間を惜しまない」
このちょっとした時間が
自分自身へのちょっとした達成感や満足感となり
目には見えないけれど
たっぷりの“愛”がこもる。
だってぇ…めんどくさいだもん。
あぁ、めんどくさい。
知らず知らずのうちにまるで
“切り札”か“免罪符”のように使うこのセリフは
もっともらしい理由のひとつになってしまっている。
そう。もはや言い訳ではなく理由に。
けれど、そのひと手間が料理を美味しくするんです!と
料理の先生たちが口を揃えて言うのは
ただの“それらしく見せる”ための
ハッタリなどではなく、事実。
(科学的根拠があるかどうかはおいといて)
そしてそのひと手間は、
器用か不器用か、ウマいかヘタか、は
まったくと言っていいほど関係がない。
一から作るだけじゃなくて
既製品にほんの少し手を加えてみる、そんな工夫。
作るより買った方が早いし、安いし。
そんな時代になって久しくて
これからもさらにそれは加速するのだろうけれど。
それでも一方で、
昨今のSNSではよりわかりやすく作り方をアップした
動画サイトの多いこと。
料理、手芸、ホビー、DIYと多岐に渡る。
手作りがいっそう手軽で身近なものになってきている。
大量生産の画一的な工業製品と対局をなす
手作りサイトはまた違ったカタチの
文化をすでに育み始めているのだろう。
戦後の貧しい日本から立ち上がる時の
パワーを担った「日の丸弁当」は
高度経済成長期には「ノリ弁」へ。
そして時を経て「キャラ弁」に発展し、栄養バランスや彩りやもちろん
味も大切な要素で、もはやアートの域へと達した感があり、
それは世界に通用する文化へとなっていくような気配すら感じる。
生きるすべだった命のツナが、
今や子どもだけでなく周りを楽しませ、
さらに自分を表現するツールの一つにまで
変化を遂げている一連の流れを思うと
一周まわってもとに戻り、上昇する歴史のお約束のように
もしかしたら再び、ひと手間もふた手間もかけるようになってくる
時代がくるのかもしれない。
(キャラ弁はすでにふた手間以上の領域に突入しているが)
精魂込めて全身全霊で建物の隅っこの方まで装飾を施した
世界中の先人たちの素晴らしい工芸品とも
アートとも呼ばれることもない、○○○様式という名前すらない無名の
柱の彫刻や昔の欄間(らんま)や階段の手すりやら
建物の曲線やふくらみに至るまで、
今となっては「時間のムダ」と真っ先に
コスト削減の対象となりそうなモノに
時間を惜しまずかけることができた時代。
そこにあと戻りはできないだろうけれど、
人の手のぬくもりと手のあとの持つ
エネルギーは太古の昔から連綿と続き
これからも止むことはないだろう、と思う。
だって、コリに凝らなくても、プロ並みに上手にできなくても
そこには“愛”というぬくもりが確かに入っている。
そんなことをつれづれに考えながら
さぁ、できた♪
華やかさが抜けて
すっかりナチュラルな雰囲気に。
Sayo ちゃんとChiyo ちゃんをよろしくね!
いっぱい一緒に遊んでね♪
向こうで名前つけてもらってね。
とクマちゃんたちにそう告げて。
ニューヨークからフィンランドまで、海を越えて、空を飛んで会いに行ってね!
向こうに着くのは2020年になっているかな?
早く孫ちゃんたちに会いに行きたいけど、いつ行けるかな、ヘルシンキ。
ひと足お先に、いってらっしゃい!
無事に着いてね、クマちゃんたち。