【季節はずれに咲いた萩の花】
高校受験のための調査書にあれこれと活動記録を
記入しながら「ボランティア」の項目にふと、息子が手を止めた。
「そうえいば、小学校の時には介護施設に行ったのに
中学では行きそびれちゃったよな。もうボランティアを
できるチャンスはないのかな?」とつぶやいている。
きっかけはどうであれ、そう思った時がチャンス!
名案がとっさに閃いた。
「今度、スリランカのためのチャリティコンサート
を聞きに行くけど、もしかしたらそこで
ボランティアを募集しているかもよ!聞いてみようか?」
と聞くと「どんなことするのかな?できるかな?」と
躊躇しながらも、「やっぱりお願いします!聞いてみて!」
というので、さっそく事務局の方にメールで伺った。
足手まといになってかえって迷惑をかけてしまうかも
しれないけれど、思い切ってすぐに送ってみた。
すると、翌日「嬉しいメールをありがとうございました
ぜひぜひ!」とご快諾の連絡をいただいた。
ボランティアのリーダーは大学生のお姉さんだと聞くと
少し緊張していた面持ちがやわらぎ、今から12月26日(月)
を心待ちにしている様子である。
場所は原宿のクエストホール。
歌手の沢田知可子さんのコンサートの他、
スリランカ伝統音楽の演奏やオークション、
スリランカの紅茶や本などが物販され、そのすべてが
「SPUTNIK International Japan」
(スープトニク インターナショナル ジャパン)という
NGO団体に寄付されるそうだ。
http://www.sputnik-international.jp/index.html
去年の大地震で被害を受けたスリランカは、
原宿にある「生活の木」の社長さんのご縁で、
今年の1月、心ばかりの寄付金と救援物資を送らせていただいた。
そして、息子は小さくなった自分の靴を、自分の手で洗い、
そして太陽の下に干してそっと箱に詰めていた。
「これ、履いてくれるかな?」と言いながら。
そんな出来事があったから、彼なりの思い入れもあるだろう。
今回のチャンスもまた、スリランカとの距離を引き寄せる
きっかけになるに違いない。
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豊かな日本に生まれた私たちは、いつも何かできることが
あればぜひ協力したい、と思いつつ、寄付したところが
本当に確かなところなのだろうか?と疑問を抱いている。
必要な人に必要なものが届いている実感があれば
もっと参加できるのに…と誰もがどこかに思っていて
すっかり疑心暗鬼になっている、という悲しい現実を
残念ながらかかえてしまっている。
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私が初めて海外旅行にいったのは、大学4年生の夏休みの終わり。
ひと夏、銀座の田中貴金属でバイトをして貯めたお金で
タイのバンコクに1週間ほど滞在をした。
今から20年近く前の話である。
時に、日本はバブルの真っ最中だった。
初めての海外でもあり、ワクワクした旅で
それからすっかりタイが大好きになり、海外旅行も
私のライフワークの基盤となるほど大好きだが、
ひとつ忘れられない光景があった。
道路にストリートチルドレンがあふれ、
香りの良いジャスミンをつなげた花飾りを売っている。
タクシーが信号で止まると、わっと子供達が
買ってくれとむらがり、若かった私は戸惑った。
ドンドンっとドアを叩いて、手に持っている花飾りを
無言で見せにくる。なんだか静かな波が襲いかかるような
迫力である。
その中のひとりに英語で「私は耳が聞こえません」と
書いた画用紙を見せながら花を売る少年がいた。
立ち去ったあと、やっぱり買ってあげようよ!と
メンバーの1人が言いだすと皆がうなづき、その同時に
声をかけた。「買うから戻ってきて!」
でも彼は振り返りもせずそのまま、歩いて行ってしまった。
本当に聞こえないんだ…。
タクシーは静かに走り出し、少年を映画のワンシーンの
ように追い越し、彼の姿は小さくなっていった。
…私たちはしばらく黙り込んでいた。
障害もあるのに、貧しくて働かざるを得ない子供たち。
テレビでみる映像が現実であることを実感した旅だった。
そして今から、約5~6年前に再び息子と
タイ人のJUNEさんファミリーとタイに訪れた時、
そういえば、すっかりストリートチルドレンが
姿を消していた。
もちろん、以前よりも交通網も発達して格段に
整備された都市へと変わっていたが、
それでも、変わらない街並みもたくさん残っていた。
あの子どもたちはどこへいったのだろう?
漠然とそんな事を思っていたら、
JUNEさん夫妻が「昔はストリートチルドレンが
たくさんいたでしょう?」と口を開いた。
「何年か前にね、日本人のある女性が子どもたちを集めて
寝泊りできて、自立できる施設を作ったんだよ。
そのうちタイ政府も支援し始めたの。
そのあと、日本政府もたくさん救援物資やら医療機器などを
送ってずいぶん援助してね。それですっかりタイじゅうの
ストリートチルドレンがいなくなったんだ。」と教えてくれた。
あんなにあふれていた路上生活の子どもたちを
日本人や日本が手を差し伸べていたなんて知らなかった。
そんなステキな話を日本人の何人が知っているのだろうか?
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ボランティアや支援は、できるタイミングの人が
できる範囲のことをするのが一番だ。
もちろん、ユニセフや赤十字など大きな組織でもよいのだが、
なぜかわからなけれどご縁ができた、というところから
支援したり、ひとりの子をサポートするのも、
またひとつの選択肢だと思う。
ひとつの国を、ひとりだけを、または1ヶ所を支えるつもりが
やがて以前のタイのように、大きな動きとなることもあるのだ。
今回、豊かな日本に生まれることを選択したのは
単なる偶然ではない、とするならば、
わずかでも作り出せる時間とお金を、
この同じ星のどこかに住む誰かのために使うことが
できたなら、私自身の魂もまた豊かになるだろう。
次回は日本とは限らない。
またふたたび豊かな国に生まれる保証は、どこにもない。
次は生きること、食べることにいっぱいいっぱいだ、
なんていう可能性だってあるだろう。
だとしたら、できる時にできることをしておこう、と
思うのだ。それは、「できる範囲でムリなく」の姿勢が
一番のスタイルである。
そして、不思議なご縁で応援することになった国や人々は、
きっと遠い昔もまた何かで結ばれていたのだろう、
と思うだけで、なんだかワクワクと胸が踊る。