KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★一人旅計画・NEXT

2009年11月24日 | 旅の物語
【LOVEが逆さまになった石のオブジェ・セントジュリアンにて】

来年のことを言うとナントカが笑う、という言葉は
つい数年前までよく聞いたフレーズだったのに、
今どきそれで本気で笑えるヒトって
いないんじゃないかな?と思う。

時間の流れが速くなったから?
それとも、未来への希望や計画は
ないよりあった方が、だんぜん叶う、
ということをみんな知っているから?

まして、言葉にしたら
それが「言霊(ことだま)」となり
より現実に近づく可能性は大きいから?
なのかもしれない。

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一人旅の楽しさを
すっかり身につけた私の次回計画は、

「スリランカ」


数年前の大震災の時、
たくさんの孤児が出てしまって、
孤児院の数が足りなくなってしまった。
特にガールズホームが必要となり、
呼びかけがあったタイミングに遭遇した。

例の交流会で、の話である。

新しい施設を立ち上げるための活動に
少しばかりの寄付をした。

その後、無事落成式があり
稼動し始めたホームにいつの日か
訪れたいと思っていた。

スタートして、ほどなくした頃
子どもたちの様子が報告された。

ホームの外観や内部。毎日の生活。

そして、
子どもたちのはにかんだ笑顔。
悲しみを背後に隠しながらも
たくましく生きようとする姿。

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でも、
両親を亡くした現実に直面する
子どもに会って私は、何をどうしたらいいのだろう?

その時は、まだとても自分の器の小ささと
彼女達の現実を受け止めるような勇気も
覚悟も持ち合わせていなくて、
単なる物見遊山で終わってしまうような気がして
いつの日か、というレベルでしか
捉えることができなかった。

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子どもの頃、
一番最初になりたいと思った職業は
「幼稚園の先生」だった。

中学生になり、
将来の計画を考えるようになったとき、
それがさらに具体的になった。

付属の短大の幼児教育科に進もう。
そして、先生の資格を取る!
女が一生仕事をしていくためには
やっぱり手に職よ!
とにかく何か資格を取ろう。

今、振り返ると本当に現実的な子どもだったと思う。

それが、高校生になると
気持ちが揺らぎ始める。

幼稚園の先生は体力勝負で
一生続けていくのは大変らしい。
みんな結婚したら辞めてしまう職業らしい。
そんな情報を収集して、即座に
軌道修正にはいった。

成績的には手の届く範囲の進路を
あっさりと転換し、
次なる進路を探し始めたところ、
付属の大学にある小学校の先生になる学部に
もう少しがんばれば入れるかも、と言われたのを
きっかけに、これだ!とひらめき
とにかく成績を上げることに集中させた。

普段は体育会系のテニス部の練習に明け暮れ
まったく勉強しないけれど、
テスト前だけ一夜漬け。

理解力というよりも、記憶力だけを頼りに、
希望通りの進路に進むことができたのだった。

といっても、本当の第1希望は
小学校の国語の先生になる学部。
漢字を書くのも、本を読むのも、
古文も漢文も好きだったのに、
倍率が高すぎて手が届かなかった。
学年でトップレベルで
ほとんどオール5に近い成績が必要だった。

でも、こうやって文章を書くことが
こんなに好きだったとは、
当時は思いもつかなかった。
どちらかというとニガテだったのに。

なのに、人生ってつくづくわからないものである。

私は、小学校の家庭科が専門。

もちろん、小学校の全科目を勉強するが
家庭科のための授業が多い。
料理や裁縫など生活に密着したことを
たくさん習うことができて、いまだに
役に立っていることが多い。

第1希望じゃなかったけど、
結局はすごくよかった。

なによりも、のんびりとした雰囲気の
女子だけのクラスを楽しんだ。



そして、
学生生活の4年間を通して
子どものボランティア活動をずっと続けたのだった。

幼稚園生、小学生たちを相手に
夏のキャンプに行ったり
イベントやお祭りをしたり。

もちろん教育実習も経験した。
小学校、中学校、高校。

結果的に、軌道修正といっても
ずっと“子ども”がキーワードだった。

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それでも職業は結局、大人相手を選んだ。

“子ども”に何か伝えようと思っても
有り余るパワーの持ち主たちに、
太刀打ちできないと判断したからだった。


教員採用試験をもう1年受けようか迷ったが
学校を卒業してすぐにお花の学校に入り
講師の資格を取ることにした。

そして、実家のファインで仕事したり、
5年前からはスピリチュアルの仕事が突然始まったり、と
自分が子どもの頃に描いていた将来の夢とは
どんどんとかけ離れていく生活を送っているが、
それでも、私の中で「子ども」という存在は
ずっとテーマのひとつなのだと思う。

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数年前には、タイの貧しい農村で暮らす
ひとりの女の子に、時々支援をしていた。
初めて出会ったときはまだ生後6ヶ月。
数回に渡る手術が必要な体だった。
時折、お礼の手紙とともに添えられる姿は
見るたびに大きく、元気そうに成長していた。


そして、スリランカでは個人的なサポートではなく
ガールズホーム。

それから、ルーチェ・エ・ルーチェでは
ユニセフに一部をお渡しするスタイルで活動中。
ひとつに国を定めずにもう少し、
グローバルな支援である。

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できることを、できる範囲でムリなく
続けていこうと思う。

スリランカのNPOを立ち上げた代表の方が
次回の旅のヒントを下さったのだった。


「イギリス人のスタッフが定期的に滞在しているから、
英語を教えてもらうといいですよ!

そのかわり、できること何でもいいので
提供してくださいね!」

というので、
「あ!じゃあ私はお花教えます♪」

「でも、お花屋さんが・・・」と少し困った返答に

「大丈夫!子どもたちと一緒にその辺から摘んできます♪」と
答えると、子どもたちが植えた花壇もあるから、
きっと大丈夫ね!と言ってくださった。

日本っぽいいけばなスタイルもいいし、
それから、小枝や葉や和紙やハギレなどを使った
グリーティングカード作りも一緒に楽しんでこよう!



「満天の星空と、一年中ホタルが飛んでいるんですよ。
うっかり見とれて茂みに入ると
コブラに会っちゃうから気をつけて。

そして、最後は、生活の木のホテル
でアーユルベーダを受けてくるのがオススメですよ!
決まったらすぐに手配するから連絡下さいね!
空港までお迎えに行きますよ。」
とプランを立ててくれた。


なんだか夢がふくらむ。

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たくさんのご相談を受ける中で
「私、人の役に立つ仕事がしたいんです!」
何をどうしたらいいですか?
そんなことを考える私って、
欲張りでずぅずぅしいんでしょうか?
とおっしゃる方が意外と多い。

“社会的承認の欲求”という本能を誰もが持っていて
必要とされたい、認められたい、
人に喜ばれる仕事をしたい、と思うのは
ごく自然なことだ。

誰にも必要とされていないことを感じるほど
孤独で、淋しいことはないのかもしれない。
そうすると、自分の生きている存在価値をも
見失いがちだ。

だから、知らず知らずのうちに
認められたいがために、
それに重点を置きすぎてしまい、
それに固執しすぎてしまい、
しばしば周囲とのギャップに苦しみ始める。


こんなにがんばっているのに、
まわりがぜんぜんわかってくれない。

だれも褒めてくれない。

だれか自分の努力を認めて欲しい。




周りのためによかれと思って
尽力していたつもりが
じょじょに自己犠牲的なまでに
動きまわり、そして
いつのまにかだんだんと
被害者に陥り始める。

そんな構図をよく目にするが
シンプルにひも解いてみると、
この「社会的承認欲求」が複雑に絡み合っていたり、
見返りを求めて行動していたり、というのも
よくあるパターンだ。


***********************

認めてほしいから、役に立ちたいから、
行動を起こす。

という側面にそんなカラクリが時として
潜んでいるような気がしている。

だから、私はいつもこうお話するようにしている。

「まずは、人に喜ばれるかどうかよりも
自分が楽しいか、やりたいかどうかを
一番最初に考えてくださいね!

優先順位を人にして、自分を後回しにすると
ガマンが多くなったりして
何のためにやってたんだっけ?と
わからなくなることが多いから。」

優先順位はとにかく自分。

それがいつのまにか周囲をも
幸せの渦に巻き込んでいく。

***********************

次回の一人旅計画。

来年行けたらいいな~。
そしたら子どもたちのとびきりの笑顔や
たくましい命の強さをたくさん写真に残したい。

私が何をしてあげるか、よりも

どんな経験ができるか。
どんなことを教えてもらえるか。
どんな出会いがあるか。

そっちを考える方がワクワクする。

しょせん、自分ひとりが
できることってそんなにでっかくない。

地球を救う!なんて
私は、そんなBIGなコトを言って、
足元を見失うようなことになるのも
なんだか好きじゃない。

それより、
やっぱり自分のペースで気ままに
コツコツと進んでいきたい。

遅々として進まなかったり、
結局遠回りすることになっても、
それでも、
誰かに合わせてみたり
妥協して自分を封じ込めることは
したくない。

***********************

ひとつひとつを
身につけてみては、それをまたはずす。
そんな作業を繰り返すことで、
装着と着脱の心地よさと不自由さの両方を
感じ取って行く。

でも着脱しても、何かが必ず残る。
それは無になることともまた違う。
少しづつ、本当に必要なパーツだけを
最終的に装備して、
自分の未来に向かっていく。
誰のためでもなく、自分自身のために。

人生という旅路に必要なパーツを見つけるために、
また、旅立とう。

次の、旅物語はいつになるのか、
今からドキドキと鼓動が鳴り始めている。








































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