KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★晴れの日を迎えて

2011年01月10日 | KAORUの好きなものギャラリー
晴れの日は、やっぱりいい。


あでやかに着飾った新成人たちは、
誰もがキラキラと輝いていて美しい。

道行く人々は誰もが振り返り、そして
優しく微笑んでいる。


成人式の日は、街が華やぐ日。


そして誰もが自分の、もうすっかり遠くなってしまった
懐かしいあの日を、一瞬の間、思い出す。


式に参加した人も、しなかった人も。

参加したかったのに、できなかった人も。


さまざまな事情や、思いが交錯する特別な日。




(一番左。7キロ痩せて、40℃の
夏のオーストラリアですっかり日焼けした
丸い顔の坊主頭がTATSUROです♪)



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私は、25年前。
この写真とまったく同じ場所で振袖姿に身を包んだ。


当時は品川公会堂という名称だった。

現在は、フィーノライフスタイルセミナーでも
すっかりおなじみの「きゅりあん」。


25年後、こうしてまた
今度は母として同じ場所にいるなんて
なんだか不思議。


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出かける直前、
ばたばたと準備していたらメールが届いた。

大学時代の友人、群馬に住んでいるKAZUMIからだった。


「成人おめでとう」のメール。

「薫も達郎君もがんばった。おめでとう」
という文章を読んだら
なんだか急に涙がこぼれてきた。


あ、そうか。

私、がんばったんだ。


そんなつもりなかったんだけど、
がんばったんだ。

そして今日、無事本当に節目を迎えたんだ。


一人の人間を、天から預かり
大切に育てて、そして巣立たせる任務は
そういえば、そんなに簡単なことじゃない。


さまざなことにぶつかるたびに

時には、
もうできない。子育てなんてムリ。

産まなければよかったんじゃないかって、
やっぱり、若き日の私は
何度かそんな思いが脳裏をかすめたことだってある。

もう出てってやる!って思ったことだってある。


いつだって体当たりだった。


感情をぶつけ合って、

弱い自分をさらけだして、

そして、だんだんと本当の大人になっていく。

育てているつもりが、育てられている。



成人式はその通過点にしか過ぎないけれど、

この日を迎えて、
絶妙なタイミングでメールをくれたKAZUMIの言葉を
読みながら、私は育ててくれた両親のことを思った。




あぁ、こういう思いで私もまた大切に
はぐくんでもらったんだね。


ありがとう。
育ててくれて、ありがとう。



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いつの間にか、私たちは
一人で大きくなっていったような錯覚に陥ってしまう。



親と子の問題をかかえている人は
とても多くて、

相談の内容でもなんと多いことか。


そして、別の問題で相談にくるのだけれど

結局ひも解いてみると、
親との問題に行き着く場合が本当に多い。


もう、親とのことは解決してると思ってた。

許してるつもりだった。


老境にさしかかり、
どんどんと弱っていく
親をもう責めることなんかできない。


あるいは、

もうこの世にいない親に、いまさら
本当はもっと愛してほしかった、なんて訴えることも
本当はもっと甘えたかった、なんて思いをぶつけることも
できないことを知っているから。


大人になった自分が、
それを必死に諭すようにして止めている。


だけど、

本当は満たされていない、子どもの時の自分。


傷ついたままで、癒されることなく
放置され封印したまま。
誰かにわかってほしくて、
どうにかしたくて。
でも、どうしようもできずにいる人が
実はすごく多い。



親との満たされない愛を恋愛に求めて、
その傷を埋めようとする人もいる。

あるいは、自分の殻に閉じこもるようにして
外部とのコミュニケーションをうまくとれなく
なってしまった人もいる。

もう傷つきたくない、とその繊細なハートをかばうために
攻撃的にふるまうようになってしまった人もいる。


依存症になったり、引きこもったり、犯罪者になってしまったり。

そこまでいかなくても、
表面上には浮かび上がらないけれど、
主だった自覚症状はないけれど
葛藤をし続けている大人たち。


その影に、親との関係が
深く根をおろしている場合が多い。



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いろいろな方たちの話を聞くたびに、
いろいろなアドバイスをしながら、
本当は、身が縮む思いだ。


私は、ちゃんとできていたんだろうか?

無意識のうちにいっぱい傷を
つけてしまっていたのではないだろうか?


まだ過程の段階では、なんとも言えない。




だから、その傷つけてしまった親たちを
あなたの親はとんでもない人ね!とけなすことはできない。

自分が実際に経験してみてよくわかる。


親もまた、未完成な存在にほかならないからだ。

その時、生きるのに精一杯だったから、
上手に子どもを愛していくことが
できなかった“だけ”だからだ。


育てるって、本当に容易なことではないからだ。


その当時、まだ未熟だったその人を許してあげてほしい。
といつも私はお願いしている。


そして、
傷つきながらも、幼い心で精一杯受け止めようとした
小さいころの自分を、大人になった今の自分が
抱きしめて、誉めてあげて。と、同時にお願いしている。



辛かったよね。よくやったね。って。



結局、最後に乗り越える力を持っているのは
自分自身でしかない。


親も、そしてその周囲の人も、
最後の“その力”は持っていないのだ。


自分自身を本当に癒し、愛していくのは
いくのは私自身。


そのことを、本当に本当に理解し、
経験を繰り返し、実践できるようになるまで
私たちは、きっと輪廻の旅を続けていくのだろう。




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成人式に向かう前、
神棚とお仏壇に手を合わせて
長い間ご挨拶をしていたそうだ。
(私は子どもより早くに家を出ていたので
あとからうちの母に聞いた話・・・)



自分という存在は?という問いに、

「自分は“清水達郎”という存在。

楽しんで人生を生きる!」と答えたそうだ。


そっかそっか。
いいね、それ。

ありがとう。
育ってくれてありがとう。


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新成人として、新しい門出。


新しいスタートラインにたった
すべての若人たちが、
すくすくと伸びやかに、羽ばたいていきますように。

























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