「お母さん、東京よりももっと狭い空ってあるんだね。」
香港から戻ってきた翌日、
空を見上げて息子のTatsuroが言う。
高層ビルが摩天楼のように天に向かってそそり立ち、
街中にいると、迫りくるコンクリートに圧倒されて
そういえば空を感じなかった。
「オーストラリアはね、空が広すぎて
360°全部が空で魚眼レンズみたいになっていて
目がおかしくなりそうだったんだよ。」
地方に出張に出ると心まで解放されるような気分になるのは
空の広さが圧倒的に違うからだ、と
東京の空を窮屈に思っていた私は
旅を終えて、その感覚がすっかりと変化した。
ビルやマンションの間にはまだけっこう2階建ての
昔ながらの家があって、デコボコだけれど
あんがい空が見える。
なんだ、息が詰まりそう、なんて思うほど
狭くないんだね、東京の空って。
東京は子どもの頃からたくさんの思い出が詰まっていて
ほとんどの路線図も頭に入っているし
便利で、刺激的で、なにより住み慣れた場所だから
10年ほど前までは何とも思っていなかった。
比較対象がないと、そんなものかな、と思う以前に
意識すらしないものである。
仕事で全国に伺うようになってから
その大きな違いに気がつくようになった。
いつの頃からか、なんで東京にいるとキューっとなるんだろう?と
思い始め、もしかしたらその空の広さが
そうさせているのかも?と思うようになった。
それが決定的な理由ではないが
やっぱりずっと前から“旅”がライフワークとして
デン、と不動の位置に存在している。
人生じたいが“旅”なのだ、と思っている私にとって
短い“旅”は“劇中劇”ならぬ“旅中旅”である。
見知らぬ土地での風景に、ワクワクと心躍らせ、
見知らぬ人々との会話で、さまざまなことを考える。
非日常の中で、五感を最大限に研ぎ澄ませると
自分の世界が無限広がっていく。
それが“旅”の魅力であり、私が旅に出る理由。
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8月30日から9月2日までの4日間、
香港&マカオを旅することに決めたのは8月上旬のこと。
企画していたツアーを開催しようか
延期しようか迷った末、やはりもう一度プランや時期を練り直して
再チャレンジしよう、と考えた。
だけど、せっかくの夏。
空いているスケジュールを利用してどこかに行こう♪
ツアーに申し込んでくれていた母と行く?
でも一人旅もいいな、しばらく行ってないし。
もし行くのならどこの国にしよう?
さっそくネットで「ツアー 一人旅」と打ち込んでみる。
この瞬間から旅の始まり、なのである。
行ったことのない国。
そんなに遠くない国。
治安も悪くない場所。
そんな条件で自分の行ってみたい所を絞りこんでいく。
ロシア、トルコ、セドナ、モンゴル…
ロシアは高いな~。
トルコは情勢がどうかな?
セドナは、アメリカはもう何度も行ったし。
モンゴルのテントで寝るのは魅力的ではあるけれど…
そして、有力となってきた候補地は「スペイン」だった。
4年ほど前に短期留学に行ったマルタで
友だちになったスペイン人のミゲールが
おいでよ!案内するよ、と言ってくれていたのに
そのままになっていたのがずっと気になっていたし
病気が完治したことも報告していなかった。
2年近くぶりにスカイプでチャットしてみようと思い、
ログインするとタイミングよくミゲールもログイン中。
慣れない英語でがんばってあれこれと報告すると、
おめでとう!よかった!と喜びの返事が戻ってくる。
今どこにいるの?とふと気になって聞いてみると
「アリゾナだよ!
去年からアメリカに住んでいるんだ。」という。
システムエンジニアの仕事で開発に携わっていて
スペインに戻るのは1~2年後だよ。と
チャットの返信が届き、
じゃあ、そろそろ仕事に行くね、こっちは朝の7時だよ。
またね!とひさびさの会話を終えて
パソコンをパタンと閉じた瞬間、決意した。
そして、ソファに座っていたTatsuroに
「ね、どこか近くの海外に行く?」と聞いてみた。
「え???ホント?いいの?」
突然の発言に一瞬、何が起きたのかわからず
キョトンとしてじっと私の顔をみつめていた。
ほんの少しの間あいの後、
「行く!行く!どこでもいいよ!
行きたい!」と急にテンションが上がってきた。
近場で行ったことがないのは
香港か韓国。どっちがいい?と聞くと
韓国はこれからも行く機会がありそう。
オーストラリアの留学時代の友だちもたくさんいるから。
だから香港がいいな。とすぐに目的地が決まった。
こうして、10年ぶりの親子2人旅プランがスタートしたのである。
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Tatsuroと一緒に行こう、と思いついたのには
いくつかのワケがある。
おととし、あと1か月のオーストラリア留学期間を
残した時に私のガンが見つかった。
すぐに帰国する、という。
そんなことしなくても、残りの1か月を最後まで過ごしたらいいよ。
別にすぐにどうこうならないから、大丈夫だから。
と何度も伝えたのだが、彼の意思は固くすぐに引き上げる手続きをして
あっという間に帰る飛行機の便までの手配に移った。
あ、でもね。その日はお母さん、Yukariさんと台湾旅行中よ。
戻ってきても日本にいないから。海外旅行に行くぐらいだから
ホントに大丈夫なのよ。と言うと
じゃあ、台湾に迎えに行く!そこから一緒に日本に帰ろう!
え~、一緒に日本に帰るって…(^^;)
彼氏じゃないんだから、いいよ、別に。
と内心思いつつ、ホテルどうするの?と聞くと
どこでもいいよ!床で寝てもいいから!
Yukariさんと一緒に?
いいよ!いいよ!と引く様子がない。
結局、チケット代がものすごく高かったらしく断念したのだが
帰国後も、もしかしたら私の命もどうなるのか
わからない、と思ったのだろう。
「ねぇ、どこか海外旅行に行こうよ!
近くでいいからさ。」としきりに言っていた。
「うん、そうね。そのうちね。」と私は曖昧な返事をして
時が流れた。
すっかり病気も完治してからも
あいかわらず一人旅やツアー企画で国内外を旅する
生活を送り、その提案をすっかり忘れていた。
息子は、たぶん諦めていたんだと思う。
数か月前に、ポロっと
「一人で台湾とか行ってみようかな?海外の写真を撮ってみたいんだ」と
言っていた。
「へぇ、いいんじゃない。」とサラッと流して
その会話は終了したのだが
どこかでこの2つが引っかかっていたのだと思う。
一人旅に行こうかな、と思うたびに
ココロのどこかがチクチクとするのである。
なんでだろう?どうしてかな?
なぜだか、ワクワクとしない。今までそんなことなかったのに。
いくつかのプランが頭をよぎっていた中で
時折、ふっと浮かぶ親子旅。それでも決めるまでの気持ちにはなれずにいたが
ミゲールがスペインにいない、とわかった瞬間に
ストン!と何かが音を立てるようにココロが定まったのだった。
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それからというもの、楽しい時間が始まった。
連日連夜、パソコンのツアーを眺めては
ねぇ、このホテルはどう?
ハーバービューで夜景が綺麗なお部屋だよ!
街中がいい?
写真撮りたいから、街がいいな。
でもどこでもいいよ、とにかく海外だったら行けるだけでいいから!
お母さんの好きなところにしたら?
せっかくだからマカオも行ってみようか?
残念、このプランは問い合わせたらもういっぱいだったぁ~。
他のを探してみる~!
そんな会話のやり取りが、すでに旅のひとコマなのである。
そして、さんざん迷ったり調べたりした結果、
申し込む時のちょっとした緊張感。
もう後には引けない、と思ってしまうような、
本当に行くんだね?後悔しないね?とどこかで
確認しながら最後の「申し込む」のボタンをクリックする
あの瞬間。
旅は、小さな決心と決断の連続なのである。
だからこそドキドキするし、何が待ち受けているのか
運命的な出来事に遭遇するかもしれない怖さと期待が交差する。
まして今回は、中学2年生の時のイタリア旅行以来10年ぶり。
親子2人だけ、というのはニューヨーク&ナイアガラ旅行の12年ぶり。
成人してからは、初めての2人旅。
振り返ってみると、2才の時の北京から始まって
オーストラリア、タイ、マレーシア、サイパン、グアム、など
さまざまな国に一緒に旅をした。
幼い頃からたいしてグズることもなく
どこに行っても喜んで、楽しんでいた。
最後のイタリアは、ちょうど反抗期真っ最中。
最近の言葉でいうと、いわゆる「中2病」
世界遺産のフィレンツェを歩いている時に
「こんなとこ来たくない!もうお母さんと
海外旅行は2度と来ない!」と言われたのをどこかで
根に持っていて、というか気にしていて
しかも、「冷静と情熱」の映画の舞台になった
あのフィレンツェのドゥオモの横で。
「こんなとこ」だなんて!
もうそれ以来、パタっと一緒に行く気がしなくなっていたのだ。
しょせん、反抗期の子が言う
ありがちな発言とわかっていながらも。
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そして、10年の歳月が流れ、
気がつけば彼は大人になり、
しっかりとした考えを持つように
成長を続けてきた。
私は、というとその期間
突如としてスピリチュアルの仕事をすることになり
たくさんの仕事が舞い込み、
大勢の人々と出会い、新しい世界が広がっていった。
息子は息子で
親から離れて、自分の世界を広げていっていたし
それ以上に、私は自分の目の前のことで精一杯で
ほとんど、ほったらかしていた、というのが事実だった。
だから、どこかで母としてこれでいいのだろうか?と
いつも思っていた。
お弁当もろくに作らない母に
ほとんど文句も言わないけれど、
申し訳ないと思いつつも、疲れてきっていて
朝も起きられない状態だった。
夜ごはんの準備もすっかり忘れていて
お腹をすかせて待っていたこともたくさんあった。
せめてお金置いといてよ!とさすがに何度か怒っていた。
ごめんね、こんなお母さんで。とずっと思っていた。
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ねぇ、本当にいいの?
香港、ホントに楽しみだ~!と予想以上に
大喜びする姿に、
お母さんを好きなように生きさせてくれた
お礼だからね!ありがとうね!と言った。
今回の旅は「罪ほろぼしと感謝の旅」だ、と思っていた。
行先はどこでもよかった。
異国のベッドでスヤスヤと眠りにつく
大きくなったわが子の姿を眺めながら
自分の抱えていた罪悪感も、
ス~っと軽くなっていくのを感じていた。
もちろん遊びほうけていたわけではない。
シングルマザーとして一人の子どもを育てていくためには
やっぱりそれなりの仕事をする必要があったし
気負いもあった。
今振り返ると、よくあんなに働いたよな、というぐらい
仕事のことばっかり考えていた。
やりがいもあったし、夢中になっていた。
あの時の私にできる精一杯だった。後悔はしていない。
でも、どこかに残る“母”としての自分。
4日間で解消できるほどの簡単なものではないのかもしれないが
それでも、確実に私の中のなにかが
ほどけて、ふっと消えていった。
日常と離れた旅の時間は
ずっと一緒にいて、たくさんの会話を交わす。
ふだんは、お互いの生活サイクルがあって
ほんの短い間にちょこっとしたやり取りで
流れていくような感じなのに、
旅先では、ギュッと濃厚なのである。
それがいい。
謝罪と感謝。どちらも「謝る」という文字が入っているんだな。
謝るのって大切なんだね。
ごめんね、そしてありがとう♪
私の子どもに生まれてきてくれて本当にありがとう。
この間みたテレビでそういえば言ってたっけ。
「子どもはどんな親でもいつか許すもんなんです。」
そして、
「親もまた、どんな子どもでも許せるんです。」と。
寝顔を見ながら、そんな言葉を思い出していた。
窓の外、天空に向かってそびえる
摩天楼の夜景を眺めながら私もいつしか心地よい眠りについた4日間。
香港&マカオの旅がいよいよ始まった。